第一話 祈りの剣(3)
ルーサー・エストレは、実に”分かった”人だった。
「毎回こうであるのなら、わたしも楽が出来るのに」
月夜を見上げて、ロングは一人愚痴を漏らす。
「さてと。先方が分かった人であるのなら、こちらも相応に動かないといけません」
月の明るい夜だった。
月光と、街に並んだ魔法の灯りに照らされて、建物の壁が白々しい光を発しているようだった。
いまだ宵の口なのだと、次の店を探す酔漢が、一人二人とうろついている。
昼間のようにとはいかないが、しかし通る人の姿を見失う事はない。
そんな夜の街並みで一人、ロング・ザッカショーだけは闇を纏ったかのように暗い影に沈んでいる。
軽やかに歩く足取りは、異様なほどに静かであった。
ただただ自然に歩いているだけなのに、ロングの姿を影の中に見失う。
そんな歩みで進んでいく。
目的地はそう、エストレ子爵邸だった。
「とは言え、少しばかり無用心ではないですかね。先に襲撃があったばかりでしょうに」
むしろ、それこそ望む所なのですかねと、どうでも良さそうに呟きながら、ロングは屋敷を囲む壁に手をかける。
ぬるり、と影に潜り込むようにロングは壁を乗り越えた。
まったく無造作な、しかし捉え所も無いような動きだった。
「さて、ルーサーさんの部屋は……と」
不法侵入した屋敷の庭を歩くロングの姿に迷いは見えない。
大股に歩くその音は、異様なくらいに静かだった。
廊下を通る家人と窓越しにすれ違う事2度3度。
しかし、侵入者に気付く者はいなかった。
やがて、豪奢なバルコニーが見えてくる。
その中で、一人ルーサーが酒盃を片手に空を見上げていた。
ロングはバルコニーの桟に手をかけて、するりとそこに入り込む。
「こんばんは。ロング・ザッカショーです」
肩口から声をかけて、ようやくルーサーはロングの侵入に気付いた。
「……んぁっ! あぁあっっっっ!?」
言葉にならない悲鳴を上げて、ルーサーはビクンっと身体を震わせる。
先程まで、物憂げに掌の中で転がしていた盃を、投げ捨てるようにひっくり返してバルコニーをびしょ濡れにしてしまう。
「まあまあ、そんな驚かないで。暗殺者が来た訳でもなし」
「あ……あんさ……暗殺だと!?」
目を白黒させるルーサーに、ロングは冗談ですよといつもの張り付いた微笑みを向ける。
「まずはお静かに。落ち着いて。あまり大声を出すとご近所迷惑になりますからね」
しぃ、と。ロングは指を立てて声を潜める。
混乱が収まってきたルーサーも、声を潜めて言葉を返す。
「ロング・ザッカショー。お前は一体……どういうつもりだ?」
「急な訪問はご容赦を。これが一番安全な接触方法ですからね。何しろ、世間でわたしと貴方は不倶戴天の敵という事になっている」
笑いを含んだロングの目。
昼間の仮面のような微笑みと違って、その視線には親愛の情すら漂っている。
「『という事になっている』も何もなかろう」
「まあ、体裁は大切ですからね。さて、その体裁を守るためにも打ち合わせをしなくてはなりません」
「打ち合わせ。だと……」
「ええ、打ち合わせです。出来れば、そうですな……最初からの大まかな流れと決着のすり合わせくらいは、今晩中に終わらせたいですね。どうですか?」
ロングはあっけらかんと言う。
「刃引きをしているとはいえ、鋼の剣で打たれれば痛いですからね。打ち合わせは、出来る限りしっかりとするのがよろしいかと」
ロング・ザッカショーが繰り返し決闘神判官として選出されるには理由がある。
真剣の戦いというものは、凄惨なばかりで面白いものにはなり得ない。
それどころか、命の危険や傷の痛みで腰が引けて、薄皮一枚を延々と傷つけ合うだけで一昼夜、という事になりがちである。
刃引きをした剣であっても、振って当たれば肉は裂け、骨は折れる凶器なのだから、それが迫ってくる恐怖に耐えられる者は多くない。
興行として、あるいは儀式として、決闘を行うためには、ある程度、もしくは最初から最後まで、決闘というものを成り立たせる『脚本』が必要になるのだ。
「ふ……ふざけているのか!? それとも、挑発に来たということか! そうか! そうだな!!」
もちろん、一般人は知る由もない。
闘技場で行われる戦いはすべてルール無用の真剣勝負であり、決闘神判は双方の指の動き一本すらも神意によるものである。
そういう事になっている。
大抵の民衆はそう信じている。
もちろん、そんな事はない。
それらは、人の目に見せられるように、数々の決まり事と、安全のための脚本によって出来ている。
「なんとも律儀な話です。誰も見ていないのですから……ああそう、私も誰も連れていませんし、何の仕込みもありませんから安心下さい」
とは言え、貴族という立場であるならば、そういう裏側の物事は知っているものであろう。
知らずとも、なんとなく感づくものはあるはずだ。
そうでなければ、よほどのボンクラか、過ぎるほどに大切に箱の中ででも育てられた子供くらいのものだろう。
「仕込みか。やはりな! 何やら私を貶める手段を講じて来たのだろう。だが、そうはいかんぞ!」
鬼気迫る眼差しで、ルーサーはロングを睨みつける。
演技であるならば、ロングが関心するほどの役者であった。
二人を除いて誰もいないこの空間で、演技を行う理由も無いが、敢えて役柄に没頭して決闘に臨むものもいる。
(なんとまあ。役者というか律儀と言うか)
そうであろうとロングは結論づけていた。
礼法を教える家柄なれば、何ぞやの儀式的なものもあるのかもしれない。
ともあれ、ルーサーはそういう立ち位置なのだと理解した。
「いいか。私の剣は『祈りの構え』ただ一つ。それをもって、貴様の頭蓋を粉砕する。それだけだ!」
高らかに宣言するルーサー。
自分自身を納得させるような、芝居がかったその仕草。
それを受け、ロングは確信を深めた。
やはり、ルーサー・エストレは、実に”分かった”人だった、と。