~序~ ロング・ザッカショーという者について
ザッカショー家は城下町の食料品の大半を扱う大商家である。
ロングはその、ザッカショー家の入り婿だった。
温厚で、腰が低く、長身で、線が細く、こけた頬にいつも曖昧な微笑みを浮かべている。
少しばかり頼りないが、優しく実直な男。というのが、ロングに対する第一印象で。
よく知る人も同じ評判に落ち着く。
それでも、時折こう言う人もいる。
「やけに静かに歩く男ではある」
とは言え、それはそうというだけで。
商家の入り婿としては、可もなく不可もないというのが、もっぱらの評判だった。
ただ一つ。
そんな、ロング・ザッカショーにも、ただ一つ。
不審な噂が無いでもない。
ロングが婿養子として入ったのは2年前。
丁度その前後、ザッカショーの家人は次々と亡くなった。
最後に残った一人娘のシエテは、当時10歳になったばかりの少女であった。
そのシエテの婿として、いづこからか連れてこられたのがロングであった。
年齢も家柄も、明らかに不釣り合いな婚礼に、多くの人が不審に思ったものではある。
やがて気のつく者から言い出した。
「この婚礼は仮のものであろう」
「幼いシエテ様が家督を継げるようになるまで、扱いやすい適当な男を仮の婚礼相手として、他家から政略結婚を持ち出されないようにしているのであろう」
納得出来る話ではある。
故に、婚礼を云々する者はほとんどいない。
僅かにはいる。
その、僅かな者が囁くのが、ロング・ザッカショーにまつわる、たった一つの不審な噂だった。
「ロング・ザッカショーは、決闘神判のために飼われている」
噂の真偽は分からない。
そもそも噂を囁く者は少数だった。
* *
明らかに、神判は不要であろうと思われた。
神殿に訴えられる神判の大半はそうであった。
そして今回もそうであった。
訴えを見て、神官長はまたかと深いため息をつく。
堅く締め切った神殿の一室。
その場にいるのは、神殿を総括する神官長と、その侍従。そして、神だけがその様子を見て知る事が出来る。
まあ、そういう事になっている。
「そも、神判とは神聖にして侵し難きものであり……」
「それ故に、神のみぞ立証し得る真実を求めて、人は神判を求めるのでしょう」
厳かに響く神官長の不満の声は、侍従によって遮られる。
所詮、神ならざる人の身。ましてや、神殿で専門に教育を受けた事の無い信徒にとって、神とは便利な道具の一つに過ぎないのだろう。
思わず天を仰ぐ神官長。
それを咎めるように、大理石の神の似姿が立っていた。
『男だったら拳一つで勝負せんかい』
彼らの神。闘争神ボンガロの言葉を刻むレリーフが、陽光を浴びて輝いている。
「闘争を求めるのもまた、人の性。か」
「それ故の決闘神判です」
決闘神判とは、神の名の下に行われる決闘によって、神の意志を問う。あるいは、神のみぞ知る真実を立証する為の神事だ。
まあ、とりあえずそういう建前になっている。
「難しい話だ。人の世の物事は、あまりに複雑に過ぎるな」
神官長は、すっかり薄くなった頭を掻く。
決闘神判が起こされる理由には多数ある。
故人の誇りを取り戻すため。
愛の言葉の真実を示すため。
あの時あの言葉を言ったか言わなかったか。
言った言葉はその意図の言葉であったかなかったか。
あるいは単純に祭りを盛り上げるため。
興行による儲けを求めて起こされる事すらあった。
まあとにかく。そのようにして訴えを起こした決起人は、神の名においてその真実を示すため、神の代理人と決闘をする。
当然、命を落とす事もあり、そうでなくても負傷する事も珍しくはない。
決闘神判を決起しただけでも、称賛され、その主張に真実性を与えられる。
勝敗は問題ではない。
そもそもボンガロは闘争の神であって、裁定の神ではない。
神は何を決定する事もなく。
決闘という神事そのものが、神の与えた試練であり、祝福であり、承認であるのだ。
まあ、そういう事になっている。
「ともあれ、神判官の選出をせねばなるまいな」
「籤の用意は既に」
神の代理人たる神判官は、特に信仰篤い信徒からくじ引きにより選出される。
くじ引きの結果自体が神の意志であり、選出された者は神の代理人である神判官として決闘を行う事になる。
当然、神判官にも生命負傷の危険はある。
だからこそ、神判官として選出された者は、篤く称賛される。
神判官の対象として、籤に名を入れるだけで、篤い信仰の証明と言える。
名家と呼ばれる家々は、そこに名を入れる事が半ば義務となってすらいる。
「―ーザッカショーを」
ぼそりと、誰にともなく、神官長は呟いた。
「よろしいかと」
侍従はそう答えて、差し出す籤を斜めに倒す。
その中で、一本突出した籤にロング・ザッカショーの名があった。
「神、ボンガロの神意において、公正なる籤引きをこれより行う」
神意を問う籤引きは、神聖にして公正に行われる。
そこに、余人の意図が混入する事は無い。
ましてや、籤引き前に神判官が意図的に決定されているなどという事は有り得ない。
先の神官長の言葉は単純に。
「今、ふと神殿の食料の事が気になったので。ザッカショーの御用聞きを呼んでくれ」
という意味であって、一切の他意は無い。
そして、応えた侍従の差し出した籤の一本が突出していたのは、ただの偶然であって、そこには一切の意図は存在しない。
むしろ、突出したという事それ自体が、神意を表している可能性すらある。
とりあえず、そういう事になっている。
そういう事になっているので、神官長は厳かに、一本突出した籤を引き。
「決闘神判官は、ロング・ザッカショーとする」
そう宣言した。