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8話 デインハルト家とリリシアの初夜

 

そのあとは互いに黙ったままで、ひたすら馬車は樹々の間を走る。いくつかの村を通り過ぎるたび、村人が目を輝かせて白い馬車に向かって手を振ったり、恭しく首を垂れていた。やがて頑丈な門と果てしなく広い園庭を抜けると、巨大な建物が見えてきた。三階建ての煉瓦造りの館は左右に多角形の塔を擁し、見事に並んだたくさんのガラス窓が陽光を受けてキラキラと光っていた。少し古い様式だが、隅々まで手入れされているのがわかる。

 屋敷の前には、家令を中心として使用人たちがずらりと並んで新郎新婦を今か今かと待っていた。

 馬車から降りるなり、二人は恭しく迎えられる。彼らは一人ひとりが花を一輪ずつ手に持っていて、

「リリシア様、ようこそいらっしゃいました」

「奥様、ようこそグリンデル領へ」

 と笑顔でリリシアの手に花を渡し名前を告げていく。皆の瞳には歓迎の気持ちが現れていて、彼女はどぎまぎとしてしまった。リリシアはたちまち大きな花束に囲まれてしまう。彼女は驚きで目をまんまるにして使用人たちのことを見渡した。こんなふうに家人に笑顔で迎えられたことなどないのだ。

(みなさん、私の生い立ちや王都での言われようをご存じないのかしら)

 リリシアは戸惑いを隠せずに、それでも嬉しくてうれしくて深く礼をした。セヴィリスは玄関前に立ち、こほんと咳払いをした。

「私の花嫁になった、リリシア殿だ。皆、精いっぱい仕えるよう頼むよ」

 彼らは大きく頷き、そうして深々と礼をする。

「我らにお任せを。セヴィリス様。さぁ、宴でございます!皆さまお待ちかねですのでお早くご挨拶を、さぁさぁ!君達は奥様を……! デインハルト家に相応しいお姿に」

 嬉しげな執事や従僕たちに一気に囲まれてしまい、セヴィリスは背中を押されるようにして奥へと行ってしまう。

「では、また後でね」

 躊躇いがちにリリシアにそう告げ、夫の姿が見えなくなってしまった。

「え、あの……」

 何かを尋ねる間も無く、今度は女性たちがリリシアを取り囲む。

「さあ、奥様。奥様はこちらでございますよ! まずは新しいお部屋へご案内いたしますから」

 彼女は侍女に促され、新しい部屋へと連れていかれた。


 案内されたのは中央に大きな天蓋付きの寝台があり、ふかふかとした絨毯が足に心地良い部屋だった。上質の木を使った調度品が控えめに並ぶ。どちらかというと飾りは少ない、地味な部屋だ。

「お部屋は奥様のお好きに飾れるようにと、装飾品はごく控えめにしております。これから、なんでもお好きなものを言いつけてくださいませ」

 館の正門で嬉しげに夫妻を迎えてくれた初老の紳士が、部屋の入り口で頭を下げ彼女を待っていた。

「私は家令のアンドルと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」

「こ、こちらこそ……」

「さあ、とりあえずお花を飾りましょう。今夜はとてもめでたい日です。とびっきりの宴をご用意いたしておりますよ」


「私たち、花嫁のお支度をお手伝いしたくてたまりませんでしたの!」

 侍女頭が嬉しそうに笑いかけ、リリシアの頭に手を加える。そうして彼女の栗色の髪はいくつも編み込まれ、緩く結い上げられた。その隙間に先ほど貰った花を優雅に差し込まれたリリシアはさながら花の聖女のようだった。彼女たちはリリシアの顔色が悪いことには一言も触れなかった。

「さあ、これで相応しい装いになりましたわ」

「私どものご主人になんてぴったりな、たおやかで可憐な奥様でしょう。ね、みんな」

 侍女たちは真面目な顔で頷く。そんなことは言われたことがないリリシアは頬を赤くして小さくなるばかりだ。


 そのあとからは領民の代表や神官などグリンデル領の人々を迎えての宴に継ぐ宴で、リリシアはカチコチと固まったまま、大広間の椅子に座り続けた。


(な、なんだか想像していたのと全然違う……みなさん、明るくて、嬉しそうで)


 セヴィリスの座る席にはたくさんの人物が入れ替わり立ち替わり祝いを述べにきていた。皆、一様にセヴィリスに敬意を示している。

(領主様として愛されている方なのね……ベルリーニ家の宴とは全然違うわ)

 ベルリーニ家を訪ねる人々は伯爵や夫人の機嫌を損ねないよう精いっぱい気を遣って振る舞っていた。粗相すれば瞬く間に令嬢たちの口から外へ広がってしまう。いつもどこか緊張した雰囲気が漂っていたのだ。


 今この場で笑顔を交えながら丁寧に受け答えするセヴィリスには、ベルリーニ家の姉妹が『妖精あたま』と揶揄していたような頭がおかしい様子は全く見えない。

(馬車の中でも、とてもお優しかったわ……)


 賑わう宴の中でリリシアとセヴィリスが直接話す機会はほとんどないまま、しきたりにのっとり途中で花嫁は退席する時間となった。もちろん、花嫁にはこの後初夜の準備が待っているからである。

 リリシアは皆の温かい目に見送られて、また新しい私室に戻ってきた。


(け、結局、なんにもお話ししないまま夜になってしまったわ……)


 月の明かりが大きな装飾窓から入り込んでくる。今夜は満月だった。賑やかな歌声や話し声が館の向こうでまだ響いている。あちらは朝まで宴が続くのだ。

 リリシアは小さく息を吐いた。大人数の宴に慣れなていないせいで、ずっと肩に力が入っていた。

 それでも、慌ただしさのせいでリリシアは不安の種のこともほとんど考えずに済んだ。


 でも、花嫁にとっては今からが本番だ。

 扉が丁寧に叩かれ、侍女が二人入ってくる。二人はリリシアににっこり微笑みかけ、手にした衣類を掲げた。


 この国では、初夜を迎える部屋で新郎新婦以外は言葉を発してはならない。喜ばしく神聖な気を穢さぬためだ。リリシアは侍女と言葉を交わすことなく、湯を丁寧に浴び、彼女たちの手を借りて白い絹の夜着を身につける。

「……っ」

 リリシアは小さく息を飲んだ。式の間は忘れていた肩の違和感が再びぶり返してきたのだ。今夜は特にひどくて、左の肩が異常に熱い。

(肩が、燃えてるみたい……)

 すると、侍女が気遣わしげにリリシアの顔をのぞきこんだ。

「いえ、なんでもない、です……」

 彼女は小さく首を横に振り微笑んでみせる。

(きっと緊張しているから、過敏になっているんだわ)


 ずきずきと疼く肩を絹布で覆い、リリシアは寝台へと向かった。早春の季節、まだ空気はひんやりと冷たい。心臓の音がどんどん速くなるのを感じながら、リリシアは夫となった人を待っていた。


 ✳︎✳︎✳︎


 グリンデル領主、セヴィリス・デインハルト卿の館。

 東側最上階に設られた広い一室。ここが夫婦の部屋となる。

 本当は大して時間は経っていないのだろうが、リリシアには新郎を待つ時間が永遠に続くかと思えた。燭台の炎が揺れるたび、夫が現れたと思いびくっとして立ち上がる。そしてまた、落ち着かなげに寝台近くの椅子にちょこんと腰掛けるのだ。

(ち、違った……。ダメだわ、どきどきしてしまって……)

 リリシアはもう一度鏡に向かった。

(顔色は……大丈夫なはず)

 日が沈んだおかげで、館は柔らかな薄闇に包まれていた。燭台の灯り程度ならリリシアの隈も隠してくれるだろう。リリシアは自分の頬を両手で包んだ。

(落ち着いて……大丈夫、旦那様のお望み通りにするの)


 これから起こることについて、リリシアはベルリーニ家の侍女頭から説明を受けた。なのである程度の知識は当然持っている。

 でも、だからといって不安がないなんて嘘だ。自分では触れたことさえないところをどうにかされるのだし、それに、やはり養父やルーシーたちの『妖精あたま』という言葉もチラつく。


(やっぱり、ダメ…… 落ち着くなんて無理だわ。ドキドキして頭がクラクラしてきたみたい)


 かつてない緊張で心臓がおかしくなりそうだ。そのせいもあってか、肩の熱がどんどん激しくなって、痛みに変わってきた。

 リリシアはぎゅっと目を閉じ、形見のペンダントを握りしめて深呼吸した。こうすると少しは痛みも和らぐ気がする。

(お父様、お母様、私、精いっぱい旦那様に尽くすわ。こんなのけ者の私を娶ってくれたんだもの……)

 それでも、だんだんと視界が歪んでくる。


(うそ、なんで……こんなひどく……わ、たし……初夜にこんな、こと、だめよ。しっかりしなくちゃ)


 めまいと痛みに必死に抗う。でも、よろけてしまって、寝台の柱につかまった。そのとき、荒々しく扉が叩かれた。


「リリシア殿、ごめん。遅くなって! 大丈夫? セヴィリスだよ」


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