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最終話 あなたとともに


 半年後、満月の晩。グリンデル領と、他領の境にある荒森へ出向く静かな集団があった。

 ラギドがとうとう現れたのだ。

 あの醜い獣の傷が癒えたことがリリシアにはすぐわかった。悪夢が再び始まったからだ。

「間違いありません。今その地を騒がせているのはきっと、ラギドです」

 リリシアは確信に満ちた顔で聖騎士長の夫に伝えた。

 そして、彼らはラギドを迎え討つべくその地へ向かったのだった。居並ぶ聖騎士団の中に、リリシアの姿もあった。


「私を囮にしてくださいませ。旦那様」

 彼女はずっと前から考えていたことを聖騎士長である夫に告げた。

「そんなこと、できるわけないだろう。貴女のおかげでやつの復活がわかった。それだけで十分だ」

「私を狙っているのはわかっていたことでしょう?セヴィリス様も仰っていたことです。私の魔印があれば、必ずあの魔物は出てきますわ」

 セヴィリスは厳しい顔だ。

「お役に立ちたいのです。旦那様……それに、この石だってきっと、あの魔物を倒したいと思っているはずですわ」

 リリシアは胸のペンダントを掴み、掲げる。今や真っ黒に染まってしまった金石をリリシアは大切そうに胸に抱いた。

「この石はかつてルーデンで魔を滅していた一族の力の源です。必ずお力になれますわ」

「だが……」

「父には、ルーデンの祓魔士の血が流れているのです。ですから、私だってきっと大丈夫ですから」

 リリシアは力強い目で訴えた。

 **


 あの、華やかな二度目の婚礼式の数週間後。


 ルーデンに向かったリリシアとセヴィリスには驚きの事実が待っていた。


 聖騎士団での調査を元に、彼らはリリシアの父が過ごした孤児院を見つけた。そこは大きな聖堂に付属する施設であった。リリシアの父、ヒュンケルはそこで育ち優秀な薬師としてルーデンの街や村に貢献していた。

「この聖堂は、はるか昔にルーデンの祓魔士会が建てたものと言われておりますよ」

「祓魔士? そのような名称は初めて聞く。神官殿はなにかご存じなのですか?」

 神官は静かに頷く。

「ええ。このルーデン地方は、はるか千年前には魔物が蔓延る穢れた土地でした。苦しむ人々を護り助けたのが、祓魔士です。あなた方聖騎士と同じ役割を果たしていたと思われます」

 セヴィリスは驚いた顔をした。

「もともと聖騎士にはいくつかの系図があったことは習いましたが……」

「千年も前の話になります。その頃は、ルーデンはこの国に属していませんでしたから。……魔を屠る役目を負った一族は、それぞれが独自の発展を遂げたり、または衰退していったと思われます」

 老いた神官は穏やかに微笑む。

「魔物はこの地方から消え、やがて祓魔士もその役目を終えました。長い年月のうちに、彼らは薬師や聖職者へと職を移したのです。ヒュンケルの家系はわかりませんが、薬師としての才能に秀でておりましてな。もしかすると、彼も祓魔士の血を僅かに引いていたのではないでしょうか」

「父様が……、祓魔士の血を」

 神官の話にリリシアは驚きを隠せなかった。彼女はペンダントの石を彼に見せる。

「この石は父が、自分の父から継いだと聞きました。なにか、何かご存じですか?元はとても綺麗な金色なのです……!」

 老神官は目をすがめて黒く染まった石を見た。

「元は金石ということであれば、聖堂の宝物庫にある剣と同じかもしれませぬ。刃はこぼれてしまったが、魔を屠る剣として大切に祀ってありますのじゃ。金石は祓魔士にだけ伝わる、魔を祓う石と言い伝えられております」


 セヴィリスと数人の聖騎士はルーデンの祓魔士会についてこれからもさらに調べをすすめることを決めた。もしもまだ、祓魔士として生きる者がいれば、互いに協力できるからだ。聖騎士団としては上々の調査結果だった。

 そして、リリシアは。


 聖堂の静かな庭園から、彼女は父が過ごした孤児院を眺めていた。


「……貴女の父上のご先祖は、祓魔士だった可能性が高いね」

 セヴィリスは妻に歩み寄る。彼女も、ゆっくりと頷いた。

「とても、驚いています。……でも、なんだかすごく、誇らしいの。父は、立派な薬師でした。その精神には人々を助ける祓魔士様の血が流れていたのですね。ただ、父がそれを知っていたかどうかはもう、わからないけれど」

「そうだね……けれども、そんなことは問題ではなと思うな。貴女のご両親は二人とも、人間として素晴らしい方だったのだと思うよ」

 二人は寄り添い歩く。リリシアの目には、涙が光っていた。

「とはいえ、貴女にも祓魔士の血が流れているのだとしたら、魔印に抵抗する力があったのも当然かもしれないね。それに、そのペンダントも」

 彼は感慨深い声を出した。

「おそらく、金石の力は眠っていたのだと思う。ラギドの気配に触れて、少しずつ目覚めていったのではないかな。そして貴女を守ろうとして、黒く染まっていった」

 彼はすこしだけ不満げな顔をした。

「魔印の侵食が遅いのは私の手当が的確だからだと誇らしかったのだが、違ったようだね。そこだけは、ちょっと残念だな」

 貴女を守るのは私だけだと思っていたよ、と夫の拗ねた口ぶりに、リリシアは穏やかに首を横に振る。

「そんな……貴方様の優しい手当ては本当に心が落ち着きました。でも、途中からは、とてもどきどきしてしまっていましたけれど……」

 セヴィリスはぱっと彼女を見る。

「それは、私も同じだよ」

 二人は同時に頬を染めながら、さらに寄り添い歩き続けたのだった。


 **


 囮にして欲しい。


 リリシアの願いは聖騎士団に聞き入れられた。


 そして、空を覆う黒い雲から丸く巨大な月が現れた夜、ラギドは斃れた。


 肩をむき出しにした白い聖衣を纏って森の入り口に立つ彼女を見つけた魔獣は、目を爛々と輝かせ、舌舐めずりをして勝利の雄叫びを上げた。リリシアの魔印が恐ろしいほど光り、彼に獲物の位置を知らせたのだ。


 だがその雄叫びは一瞬にして絶叫へと変わる。


 一歩ずつ、悠々とリリシアの元へ近づく魔物の前に聖騎士長が立ちはだかり剣を一閃、ラギドの腹を裂いたのだ。


「お前の腹を引き裂く日を心待ちにしていたのだよ、憎きラギド」


 聖騎士長セヴィリス・デインハルトは全身の力を込め、もう一度、今度は魔物の喉元に剣を突き刺し、そのまま横へ刀身を横へ振り払う。どす赤い血を噴きながら彼の弟の命を奪った魔獣、ラギドはどさりと地面へ倒れた。


 聖騎士の瞳は赤々と燃えたぎり、全身から蒼い炎を立ち上らせていた。リリシアはこの時あらためて、穏やかで優しい夫が剣を持つと全く別人のようになることを知った。


 リリシアを護るべく側へついていた副聖騎士長のダリウスは自慢げに頷く。

「あれが我が甥っ子殿だ。貴女を妻としてから、ますます修練に余念がない。これからも、聖騎士団の誇りとなるだろうね」


 セヴィリスは胴体と首の離れた魔物の成れの果てを冷たく一瞥すると、つかつかとリリシアの元へ近づく。そして、彼女の肩に触れた。そこにはもう、かつて彼女を苦しめた醜い痕はなかった。

 彼は厳しい顔で、ダリウスと頷きあう。そして、ここに魔物が倒れたことを宣言した。

「撤収する。国王陛下へ報告だ」


 そして彼は、リリシアの前に恭しく跪いた。


「これで、貴女の魔印は消え、聖騎士の役目は終わった。はじめに話した通り、貴女はもう自由だ。館を出てもいい。グリンデルの地で何をして過ごしても、誰も咎めない」

「セヴィリスさま……」

「けれど、リリシア。改めて、貴女に請う……ここにいて?私のそばにずっと。お願いだ。愛する奥方殿」

 リリシアはにっこりと微笑み、頷いた。

「私こそ、おそばにいさせてくださいませ。セヴィリス様。貴方以外の場所など、私にはありませんもの」


 リリシアの手の甲にそっと口づけたセヴィリスの瞳は、いつもの真面目で優しい色に戻っていた。


 **


 数週間後、王宮では盛大な王妃の夜会が催された。王国の一年を通して一番華やかで賑わう舞踏会で、今回は大きな騒ぎがあった。

 今まで決して表舞台に出なかったグリンデル領の若きデインハルト伯爵が、奥方を伴い出席したのだ。

 それには理由があった。


 夜会に先立ち、国王は特別な祝典を開いたのだ。

 国王が神官との協議の末、長年、公にしてこなかった聖騎士の存在とその功績を皆に知らしめたのだ。


「長年、デインハルト家および聖騎士団は我が領土の民を魔物の脅威から密かに守ってくれた。これからは聖騎士の務めがさらに重要になると神官も諸侯も考えている。そのため、聖騎士団を正式に名誉騎士団とすることにした」

 この宣言の結果、現聖騎士長であるセヴィリス・デインハルトは、国王陛下により初代の名誉騎士長の栄誉を賜ったのだ。


 王妃の夜会に最高の賓客として迎えられたセヴィリスと、妻のリリシア。二人は注目の的となった。若い夫妻は慎ましい様子で、王妃の隣で皆からの賛辞を受けていた。

 それを遠くからほとんど涙目で睨んでいたのは、ベルリーニ家の姉妹である。

 こんなはずではなかったと二人はわなわなと震え、夫人は気分が悪くなる始末。

 どこからか、リリシアが実家で心ない待遇を受けていたことが出席者の中に流れ伝わっていく。皆が手のひらを返すようにベルリーニ家の人々から少しずつ、少しずつ距離を置き始める。

 ダンスが始まって、やがて夫人と姉妹はぽつんと取り残されることになった。

 リリシアは思わず彼らのところへ行こうとしたが、セヴィリスに止められた。

「あの方たちは少し、心の痛みというのを知ったほうがいいと思う。それでも貴女が苦しんだ年月は戻ってはこないが。でも、今は放っておくのが一番いいよ」


 彼女が戸惑いながらも頷いたとき、王妃がお供の夫人を数人連れて二人の元へやってきた。リリシアは慌てて腰を落とし頭を下げる。

「デインハルト伯爵、楽しんでいらっしゃる?」

「え、ええ。とても。本当に、このような場にお招きいただき、ありがとうございます」

 王妃は高く結い上げた髪にいくつもの真珠や宝石をつけていた。彼女が頭を動かすたびに、シャンデリアの灯りが反射して眩しいくらいだ。

「そうそう。夫から聞きましたわ。あなた、とても珍しいペンダントを持ってらっしゃるそうね。なんでも魔物を倒せるとか……ねえ、今度ぜひ、私の茶会にいらして? 名誉聖騎士長の奥方になったんですもの。皆が貴女とお友達になりたがっているわ。王都に部屋を借りなさいな。それに、旦那様さえよければ、私の側に仕えても良くてよ」

 王妃は羽のたっぷりついた扇を片手に優雅に微笑みかけた。

 茶会。それも、王妃殿下の。


 リリシアは一瞬ぱっと顔を輝かせた。楽しいお茶会は、彼女の長年の憧れだ。たくさんの貴婦人たちと華やかな席でおしゃべりを楽しむ姿が頭に浮かんだ。

 けれども。

「大変ありがたいお話ですが、グリンデル領は遠く、なかなかこちらへ伺うことはできないのです。本当に申し訳ありません……」

 彼女は慎ましやかに頭を下げた。

「あら……そうなの……では、ここに住んで仕えたらいいじゃない、ねえ?デインハルト伯爵」

「……申し訳ありません。私たちは新婚ですので、もう少し、二人の時間が必要でございます、王妃殿下」

「まぁ」

「あの方たちって新婚……だったかしら……?ねえ?」

 王妃と周りの貴婦人は顔を見合わせた。よほど愛し合っている夫婦でない限り、一年もすれば互いに別の楽しみを見つけるのが王都の人間の常だ。そして、愛し合っている夫婦などというのは幻想に過ぎない。

 だというのに、この二人は……。

 聖騎士が、魔物が、というのは貴婦人たちにはほとんど興味のない話だ。だがやはり、デインハルト家は変わっているという噂は本当だ、というのが彼女たちの今夜の結論だった。

 王妃とその取り巻きに半分呆れられながら、その後も二人は宴を楽しんだのだった。


 その夜。


「ねえ。リリシア。……本当に良かったのかな。王妃様のお誘いを断って。彼女の側仕えになることなんて、滅多にない良い機会だったんじゃないだろうか」

 貴族女性にとって、王妃の側に侍るのは確かに最高の名誉だ。だが、リリシアは首を横に振った。


「王妃様にお仕えする方は他にもたくさんふさわしい、素晴らしい夫人がいらっしゃいますわ。でも」


 彼女は夜着を羽織り、寝台に横たわっている夫の側に潜り込んだ。

「あなた様を支え、愛するのは私だけですから、これ以上に大切な役目はありません」

 リリシアは彼の頬に音を立てて口づける。

「どこにも行きませんわ」

 セヴィリスは大きく目を見開くと、リリシアに覆い被さり、激しく抱きしめた。

「貴女は、ほんとうに、可愛らしいね。すごく嬉しいよ」

 口づけの雨を降らせる夫を、はにかみながら受け止める。ふと、彼女の胸の上でセヴィリスが顔を上げた。

「今夜の貴女はとても美しかった。髪も、ドレスも、肌もその瞳もぜんぶ」

「あ、ありがとうございます……」

 彼はため息をつく。

「貴女は色々な人に見られていたのを知っている?私の隣に立っているのに、こんなに遠く感じたことはないよ」

「……え?ど、どういうことでしょうか」

 リリシアは首を傾げた。

 会場の視線はほとんど夫に向かっていたはずだ。セヴィリスの美しさは出会った頃よりますます輝き、最近は凛とした風格まで備わってきている。

 彼は自分に向けられた讃美の視線よりも、リリシアのことが気になったらしい。

「特に男性陣がすごかった。式典の時も、あんなに心配だったことはない。皆が、貴女を見て……」

 不意にセヴィリスは唇を噛み締め、彼女の胸に顔を埋めた。

「周りのことなど、気にしたことはなかった……。貴女のせいで、私は、どんどん変わっていくんだ」

「セヴィリスさま……」

 喜んでいいものか、困るべきなのか、リリシアはわからなくなってしまう。

(だ、だって、そんなこと、言われたことない……)

 リリシアはおずおずと彼の髪を撫でた。

「わ、わたしは、私ですわ……あなた様のそばにいられれば、幸せで」

「うん」

 私の勝手なわがままだね、と彼は目を閉じ、眉を下げた。剣を持った時と、今の彼の違いになんだか心の奥がむずむずとする。これは、自分だけに見せる姿なのだろうか。だとしたら、とても、嬉しいような、すこし、こわいような……。


 夫は、胸に埋めた顔をまたふいに上げた。美しい緑の瞳が今度は妖しく光る。

「口づけをしてもいい?」

「も、もちろんです」

「では、そのあとも……?」

「は、い……」

 恥じらいながら頷く。セヴィリスは、燭台の火を少し落とした。そして彼女の両手を広げ、敷布へ柔らかく押さえつけると唇で、リボンをゆっくりと解いていく。時々強く肌を吸われると、そこに赤い痕がついた。

「これは、私の印だ。あの魔物に貴女がつけられた印など忘れてしまうくらい、これからは私の印で貴女をいっぱいにする」

 深く、深く肌に口づけながら、彼は囁いた。

 小さく頷きながら、リリシアは幸せなめまいを感じていた。


 完


ここまでおつきあいいただきありがとうございました。

楽しんでいただけたらなにより嬉しいです。


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