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初夜は明ける

 雷雨はいつのまにかおさまり、窓の向こうから聞こえるのは穏やかな雨音だ。

 二人は寄り添いながら、じっと動かなかった。

 

 心地の良いだるさに、リリシアはいつしか眠りに落ちていった。


 ふと目をあけると、夫と目が合った。

 彼は穏やかな笑みを浮かべ、肩肘をついてリリシアを見ている。

(や……セヴィリス様、ずっと、起きてらっしゃったのかしら)

「も、申し訳ありません、寝てしまったみたい……」

 慌てて掛布を鼻のあたりまで引き上げると、優しく押し留められた。

「そのまま寝ていて。……でも、顔は隠さないでほしいのだけれど……」

「そんな……っ」

 彼は緑の瞳を煌めかせた。

「寝顔、初めて見たから……ずっと見ていたくて」

「は、恥ずかしいです……もう、眠れなくなってしまいます」

 彼は微笑む。リリシアの指に優しく自分の指を絡めた。

「では、すこし話をしよう」


 セヴィリスは、故郷グリンデルの様々なお伽話や、聖騎士の修練の話など、いろいろなことを妻に語った。彼の声は心地よく、聞いているだけで気持ちが穏やかになる。リリシアは目を大きく開いて時に驚き、時にくすくすと笑いながら楽しんだ。ふいに彼が呟く。


「貴女は、弟とすこし似ているね。……彼も私の話をすごく楽しんでくれたんだ。あまり人とつきあいのない私は、レイスが喜んで聞いてくれるのが嬉しかった」

「セヴィリス様……」

「彼は、父の後妻……義母上の息子だった。年が離れていたからか、本当に皆に可愛がられていて、私も彼をとても大切に思っていたよ」

 亡くなった弟を偲ぶように、セヴィリスはそっと瞳を閉じる。胸がキリキリと痛んだ。リリシアは彼の手をぎゅっと握りしめる。

「お辛かったですね……私、私もレイス様にお会いしてみたかったです」

「ありがとう……彼も、貴女を好きになると思うよ」

 夫はリリシアの額に口づけた。

「さあ、今度は貴女が話して」

「わ、私……?私は、話なんて……」

 リリシアは口籠ってしまう。自分の幼いころなど、詳しく尋ねられたことなどない。楽しく話せる気がしなかった。

「貴女の母上はベルリーニの令嬢だったのでしょう?どうやって父君と出会ったの?」

「そ、それは、母が狩りに出かけて、怪我をして……その手当てをしたのが父だと聞いています」

「狩りを?母上はとても活発な方だったのだね」

 セヴィリスは驚いたように眉を上げた。この国ではよっぽどのことでないと女性は狩りなどしないのだ。

「ええ、そうみたいです。三人で暮らしていた時にも、よく父と森で過ごしたそうなので……」

 彼女は幼い頃のことをポツポツと話しだした。胸にしまい込んでいた思い出が少しずつ、彼女の口から辿々しく語られるのを、セヴィリスは愛しげな表情でじっと聞いていた。

「お二人は、とても仲が良かったのだね。薬師は様々な知識が必要とされる、人々のために働くとても大変な仕事だ。それを令嬢ながら支えた母上も、強い心の持ち主だ。……貴女のご両親は素晴らしい方だね」

 リリシアははっと彼を見た。

「ほ、ほんとうに?……本当にそう思われますか?」

 セヴィリスは強く頷いて、彼女の髪を撫でる。

「ああ。本当だよ。それに、貴女のことをとても愛していたのだとよくわかる。心から尊敬するよ。ぜひともお会いしたかった」

 リリシアの瞳から大粒の涙がほろほろと落ちる。彼女は肩を震わせ、セヴィリスの胸に顔を埋めた。


「ど、どうしたの? 大丈夫?どこか痛い?」

 彼は慌てて彼女の涙を拭こうとしたが、リリシアは彼の腕の中で子どものように声を上げ、ただ泣き続けた。


「……、……あ、ありがとうございます……」


 幼いころから、あの館では誰も父の話なんて親身に聞いてくれなかった。孤児院出の父を馬鹿にして罵倒する家人の誰一人として、二人を素晴らしいと褒めたりしなかった。そんなリリシアにとって、セヴィリスが心から彼らを思ってくれるのは何ものにも変えがたい幸せだったのだ。咽び泣くリリシアの背中を、セヴィリスはぽんぽんと優しくたたく。

「また、たくさんお二人の話を聞かせてほしい。私も、レイスのことを聞いてほしいな」

「は、はい……っ」

 涙が枯れるまで、リリシアは彼の腕の中に包まれていた。

 やがて空が白み始めるころ、リリシアはペンダントのことに触れた。


「父様は私の誕生日に、この石を贈ってくださいました。幼い私には、金色がとてもキラキラして、妖精の宝物みたいに見えたのです。必ず、肌に直接つけるように言われたのをよく覚えていますわ」

 彼女は嬉しそうにペンダントを手に取った。金の石は黒く濁りながらも、輝きは衰えていない。

「お父上は、石の由来など何か仰っていたかい?」

 彼女は眉を寄せ、思い出そうとする。

「父も、自分の父からもらった、とだけ。あまりに幼い記憶で、詳しいことは父にもわからなかったようです」

 リリシアの父は二つか三つのときに孤児院に引き取られたらしい。その話は、彼女もあまり聞いたことがなかった。

 彼はリリシアの首にかかるペンダントを手に取り、黒い斑点を再びじっと見つめた。

「これは、私の憶測だけれどもしかしたら貴女に対するラギドの魔印の力が弱いのは、この石が関係しているのかもしれない」

「……え?で、でも、あの、婚礼式の夜までは私は、とても嫌な夢を……それに、肩の疼きもひどくなるばかりで」

 彼女は嫁ぐ前の苦しい状態を思い出して俯く。

「そうだよね。そこは、私もよくわからないんだ。ただ間違いなく、グリンデル領に来てから魔印の力は弱まったと思っている。聖騎士領にいるという以上の力が働いているんだと思うよ」

 それにはお父上からの贈り物が関係しているはずだ、とセヴィリスは考えながら答えた。

「リリシア殿、父上のご出身は?」

 彼はテキパキとした聖騎士の口調で彼女に尋ねた。

「両親が出会ったのはルーデン地方、とだけ。その頃はベルリーニ家の別邸があったそうです」

「ルーデンか……かなり遠いね。グリンデルからだと、王国の端と端になってしまうな」

「父が育った孤児院も、その辺りだとは思うのですがあまり詳しくなくて……ごめんなさい」

 彼女は項垂れた。

「貴女が謝ることはないよ。あちらは私たち聖騎士の活動範囲とは違うけれど、調べればなにかわかるかもしれない」

「調べる……?父のことを」

「お父上のこともだけれど、その石についても気になるから、できればルーデンに行きたいと思っている」

 聖騎士は魔獣に関わることであれば王国のいずれの地も調査できる。リリシアは彼の腕を掴んだ。

「わ、私もっ! 私も行きたいです。ルーデンに、父様のこと、すこしでも知りたいの」

「リリシア……でも、ルーデンはとても遠い。今回以上の長旅だし、聖騎士団として向かうのだから、女性の貴女を同行するのは……魔印もあるし」

「セヴィリス様……お願いいたします。けして、邪魔になったりしませんから」

 彼女は目を潤ませ嘆願した。今までずっと行ってみたかったのだ。

「貴女を邪魔だと思うはずなどないよ……わかった、皆に言ってみよう。この石の力が魔物に対抗できるのなら、我らの役に立つに違いないからね」

「ありがとうございます……っ」

 リリシアは夫の首にがばりと手を回し、形の良い唇に何度も口づけをした。彼は驚いたように目を瞬かせ、妻の腰を抱き寄せる。

 雨が止み、夜明けの光が差し込み始めた部屋で、二人は何度もなんども唇を重ねた。

 **


 数日間の帰り道の末、ようやく二人がデインハルト館に戻ったとき、デインハルト家の皆は驚きと喜びに満ちた顔で二人を出迎えた。

 リリシアとセヴィリスが固く手を繋ぎ、ぴたりと寄り添いながら馬車から降りてきたからだ。

 叔父であり副聖騎士長のダリウスは片眉を上げ、家令に何事か囁く。家令のアンドルは破顔して深く頭を下げた。

「仰せのままに、ダリウス様」


 そうして、その夜は華々しく宴が催されたのだ。婚礼式の夜よりもさらに倍の花が所狭しと飾られ、吟遊詩人はリュートをかき鳴らし、ありとあらゆる料理が食卓に並べられた。蝋燭の火がゆらゆら楽しげに揺れる。見事な宴の中心に座らされたセヴィリスもリリシアもぽかんとしていた。

「ええと、アンドル……これは一体どうしたの。今夜はなにか祝いごとでもあったかい?」

 彼は戸惑いながら陽気な音楽を奏でる楽団と踊る人々を見ている。リリシアも訳がわからないと言った顔だ。ただ、二人の手は繋がれたまま。片時も離れたくないのだ。

「もちろん、大きな大きなお祝いでございますよ。婚礼式でございますから」

「婚礼?……だ、誰の?」

 アンドルは深々と礼をする

「我がデインハルト家の主人、セヴィリス様と奥方、リリシア様の、ご婚礼にございます」

 二人は目をぱちくりとさせ顔を見合わせた。

「そ、それは……もう、祝ってもらったはずだが……」

 家令は恭しく首を横に振る。

「恐れながら、あれは仮の宴にございます。ダリウス様の命により、もう一度、本当の婚礼の宴を開くよう申しつかりましたので」

 まことにおめでとうございます。と、アンドルはニコニコと笑う。その向こうの席から、ダリウスがグラスを片手に掲げ、片目を瞑ってみせた。

「間違いじゃないだろう? 甥っ子よ」

 悪戯っぽい目つきで二人を見る。二人はぎゅっと握り合った手に気づき、真っ赤になった。

「……あ、ありがとうございます……叔父上」

「気にするな。お前が幸せなのは、私も、兄も、皆、幸せだ……レイスもな」


 セヴィリスは皆に向かい、グラスを掲げた。その目がすこし、潤んでいたのをリリシアだけが気づいた。

 その夜の宴は空が白み始めてもなお、華やかに続いていた。

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