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初夜をもう一度

 

「おお、おお…、なんと。慈悲深いことか」


 院長は胸の前で両手を組んだ。修道院へついたセヴィリスが彼らを受け入れることを話したのだ。


「あなた達にとっては、突然のことの連続になってしまって申し訳ない。この土地を買い取るつもりでいたのだけれど、ここはグリンデル領から遠いからね。万が一嫌がらせなどが起きた場合、すぐに対処するのが難しい」

 セヴィリスはすまなそうな表情になった。養父に対して感情的になったことを恥じているようだった。

「慣れ親しんだ土地を離れるのはとても名残惜しいだろう。ここはあなた方の生産拠点でもあるから」


 院長はだが、大きく首を横に振る。

「子供たちは寮の取り壊しがあった時からひどく傷ついております。夜寝るのが怖い子も大勢いますし、それは修道院の者も同じです。先の見えない不安に押しつぶされそうになっていました。この土地のことは大切ですし、感謝しておりますがこうなっては、前を向くしかありません。あなた様のお話は彼らの心を救うでしょう……本当に、ありがとうございます」

「それならよかった。……だがもし、他に案があるのなら遠慮なく教えて頂きたい。善処する」

 彼は窓から心配そうに覗いている子どもたちに目を向けて優しく微笑んだ。その姿にリリシアも思わず笑みが溢れ、院長と同じように頭を下げる。

「本当にありがとうございます。旦那様……でもやはり、院長も不思議に思っていらっしゃるかと……なぜここまでなさるのかと」

 彼は院長に向き直った。

「もちろん、我らにも利があるからだよ。できればシノを聖騎士団で指導したいんだ。それに、他にも希望者は聖騎士団で預かりたい」

「聖騎士団へ?でございますか。そんなことができるのは、由緒ある御家柄のお子様だけなのでは」

「いや、聖騎士団は爵位や身分に関わらず人員を必要としている。シノのように魔獣に遭遇した経験のある男子はすごく伸びるんだ。もちろん、訓練は厳しいし命をかける役目だから、本人の意思確認はするつもりだが」

 聖騎士団に所属できれば、これからの暮らしに不自由はなくなる。

「それに、他の子供たちもきちんと自立できるようにしたい。もちろん、あなたの指導のもとで。私を助けてくれたら嬉しい」

 セヴィリスは礼儀正しく手を差し出した。

「すぐにでも使いのものをグリンデルから派遣する。なにか要望があれば言ってくれ」

 院長は肩を震わせ、聖騎士長の手を取る。

「まことに、ありがたいことです。あなたに神のご加護のあらんことを」

 外では、雲が急激に厚くなり始めていた。雨が近い。

 彼は穏やかに頷くと、リリシアの方を見た。

「では、失礼しようか」

「……はい」

 **


 二人は手を握り合い、街の宿屋へと向かった。今にも降り出しそうな黒雲が湧き、遠雷が聞こえるなか高級宿の主人がいそいそと迎える。

「おかえりなさいませ。デインハルト様。本日もお部屋はふたつお取りいたしますか?」

「あ、ああ……いや」

 そこで彼は急に言葉に詰まった。

「ええと、変更を頼む。最上階を貸切にすることはできるかな」

「上を……?貴賓室は四つほどありますがそちら全てにお泊まりで?」

「そう。頼めるかな」

 セヴィリスの耳はなぜか赤い。主人は奥方の方をちらりと見て、大きく頷いた。

「かしこまりました。今夜は雷雨になりそうです。すぐにお荷物を移しましょう。どうぞご自由にお使いくださいませ」

 街の旅館には貴族のために建てられたものも多くある。宿の主人たちは、彼らが何を望むかをよくわかっていた。清潔と、利便と、なにものにも妨害されない空間だ。

「風呂も整えてあります、ごゆっくりとお過ごしください」

 夫妻を最上階の豪華な部屋へと案内すると、主人は恭しく下がっていった。

「セヴィリス様? なぜお部屋の引っ越しを? 私たちは二人だけですのに」

 扉がゆっくりと閉まると、リリシアは不思議そうに尋ねた。この旅の間じゅう、セヴィリスはどこの宿でも部屋を二つ取り、妻の魔印の世話をした後には別の部屋で休んでいたのだ。

 セヴィリスの形の良い耳はいっそう赤くなった。

「だ、だって、その……私たちは、さっき互いに想いを伝え合っただろう?」

「……は、はい……っそ、そうです」

 馬車のなか、セヴィリスの柔らかな唇が触れたことを思い出して、リリシアの頭でぽんっと恥ずかしさがはじけた。

 修道院で大切な話し合いをしている時には考えないようにしていたせいで、急にしどろもどろになってしまう。夫も、先ほどまでの凛々しく真面目な態度とは打って変わって忙しなく瞬きを繰り返している。

「だから、その……、あの日にできなかったこと、を……、もう一度、貴女を、私の花嫁として、」

 リリシアは目を見開いて、彼を見つめる。

「初夜を、本当の初夜を迎えたいんだ。館に着くまでなんて、とてもじゃないけど待てない」

 リリシアの若き夫は美しい瞳を潤ませ、妻を抱き寄せる。彼の胸のなかはあたたかくて、熱い。すっぽりと包まれてしまえばもう、彼の心の臓の音しか聞こえない。

 どくんどくんと脈打つ音がリリシアの音と重なり、響きあって二人の身体を駆けめぐる。足が床についているのに、ふわふわと浮いているような心地に、リリシアは思わず彼にしがみつく。

「わ、わ、わたしも……同じ、です……」

「ほんとうに?私と一緒の寝台は、嫌じゃない?」

 彼は心配そうに尋ねる。そう、今までふたりは一度も隣同士で眠ったことなどないのだ。

「ぜ、んぜんっ!そんなこと、ない……」

 リリシアは小さな声でそう言ってふるふると首を横に振る。髪に、セヴィリスの手が触れる。気持ちを確かめるようにそっと撫でられ、額に、耳に、頬に、彼の手が触れる。手当のために丁寧に肩に触れるだけだったセヴィリスの指が、リリシアの顎をそっと持ち上げた。

 唇が引き寄せられるように近づく。

 遠慮がちに重ねられた唇が、互いの熱で赤く染まってゆく。

(セヴィリス様の唇、柔らかい、とっても、なんだか、気持ちいい……)

 甘い感触に、リリシアのふわふわした感覚はさらに大きくなる。初夜という言葉に、この先に待ち構えることを思い出して緊張していた身体のどこか奥の方でなにかが疼く。

「……好きだ。いとしくて、たまらない。リリシア」

「セヴィリスさま……っ……っぅ」

 だんだんと深まる口づけに、二人は夢中になって抱き合い、寝台へと重なりながら倒れ込んだ。

 セヴィリスはひだのあるシャツを脱ぎ捨て、リリシアに口づけながら彼女の胸のリボンをほどきにかかる。

「わ、私は、女性の身体にあまり詳しくなくて……、叔父上の講義もおざなりにしか聞いていなかったから、もし痛かったり、嫌だったらすぐに教えてほしい。も、もちろん、優しく、あなたを喜ばせるようにするけど」

「は、はい……っ……、え、……よ、よろ、こばせる?」

 リリシアは一瞬きょとんとした。

(わたしを、喜ばせるって、どういうこと?侍女はそんなこと言ってなかった。大切なことだから痛がったりしてはダメだと……大人しくして旦那様を喜ばせるのだと)

 初夜は夫婦の証となる大切な行為なのだから、恥ずかしくても、痛くても我慢するのだ。そうすれば大切にしてもらえる、と婚礼前にそう教わった。だが、なんだか彼の言うこととは違う気がする。リリシアはどきどきとする心臓の音のもっと奥で、感じたことのない感覚が生まれ始めていることに戸惑いながら、セヴィリスの指を見つめた。

「叔父上はなんだかいろいろ言っていたのだけれど、ちゃんと聞かなかったことを今すごく後悔しているよ。……でも大丈夫、貴女を大切に思う気持ちは誰にも負けない」

 リボンを解き、コルセットを外す彼の指がかすかに震えている。セヴィリスが息を呑む。のどがこくりと上下したのが見えた。

「すごく、綺麗だ。白くて、すべすべしている……石なんかより、ずっとずっと、美しい……」

 それは、彼にしてみれば最上級の褒め言葉だったのだろうが、リリシアは思わず微笑んでしまった。

「ご、ごめ、ん……申し訳ない。比べるべきではないよね……」

「いえ、とても、嬉しいです……」

 彼の言葉で、すこし緊張が解けた。リリシアはそっと息を吐く。そのとき、しゃらりとペンダントの鎖が小さな音を立てた。

「こ、れは……?」

 不意に、セヴィリスの声音が変わった。リリシアはペンダントを持ち上げ、夫に見せる。金色がランタンの光に照らされる。

「これは父からの贈り物です。あ、そういえば、お話ししようと思っていました。この石なのですが、黒くなって滲みのようなものができているのです……」

 彼女が身を起こすと、セヴィリスはペンダントを手に取った。

「幼い頃につけてもらってから、肌から離したことはありません。私にとってはお守りなので、黒くなったのがすこし心配で」

「とても珍しい石だね。宝石でもないし、鉱石とも違うようだ。私は見たことがない。それに、この滲みは……」

 シャツを脱ぎ、締まった上半身を露わにしたセヴィリスは物憂げな表情で彼女のペンダントにじっと見いっている。その姿がとても官能的で、リリシアは思わず顔を逸らした。手近な布を探して自分の肌を隠そうとしていると、

 セヴィリスがはっとしたように彼女の手を止めた。

「す、すまない、今は、これじゃないよね」

「い、いえ、わたしは……お話ししたのは私ですから……」

 思わぬ展開に、二人はぎこちなく固まってしまう。窓の外では、雨音がざあざあと二人を急かすように響いていた。

「冷えてしまうから、これを……」

 リリシアが夫に肩掛けを渡そうとした時、激しい稲光が部屋を青白く照らした。

「きゃ……っ」

 小さく悲鳴をあげた妻を、セヴィリスが抱きしめる。

「だ、大丈夫。そんなに近くないから」

「……」

 震える彼女の肩に、セヴィリスはそっと口づけた。そして、また唇を重ねる。

「セヴィリスさま……」

「こうしていたら、すぐに雷も止むよ……」

 彼女はかすかに頷いて、セヴィリスの腰に手を回す。彼の優しさにくらくらとする。もっと、もっと近くに彼を感じたかった。

ゆっくりと、再びリリシアの体は寝台に横たえられる。

「あいしてる、リリシア」

 稲光に照らされて、彼の瞳が妖しくゆらめいた。






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