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魔物の棲む家にさよならを

 美術品の像や鎧の並ぶ長い回廊を進み、リリシアとセヴィリスは玄関の間へと向かう。相変わらず豪華な装飾で飾られている館だ。従者や召使いが向こうからやってくるたびにリリシアを見て驚いたように傍へ下がり頭をさげる。皆「お気の毒なお嬢様」のことを気まずそうに見つめ、そしてセヴィリスの美しさに目を瞠っていた。


「ベルリーニ家の蒐集品はすごいね。あの像など叔父上が好みそうだ。もしかして、珍しい石も置いていないだろうか」

 無邪気に廊下や天井の装飾を楽しむ様子の夫の横で、リリシアは呆然としたまま歩いている。

(さっきのは……いったい)

『妻の喜ぶ顔が見たい』から、修道院ごと引き取る?

 そんなこと、あるだろうか。

 リリシアは夫におそるおそる声をかけた。

「あの、セヴィリス様。本当に、修道院の人たちを……グリンデルへ」

「ああ、本当だよ。もちろん、院長にはこれから話すんだけれど。悪い話ではないと思う」

  やはり、この方は、相当変わっている。ベルリーニ伯爵が面食らうのも無理はない気がしてきた。突拍子もないことをするのは夫の方かもしれない。

 彼はリリシアの顔を見てくすりと笑う。

「その顔。変人でも見ているようだよ」

「も、申し訳……ありません。とても、とてもありがたいことですのに、なんだか、その、夢のようで」

「貴女が守りたいという形とは違ってしまって、ごめんね」

 リリシアは首をぶんぶん横に振った。

「そんなこと……でもやはり、私の希望だからといってそこまでして頂くのは、いえっ、あの人たちが喜んでくれるならこんなに嬉しいことはないのですけれど、でも……」

 申し訳ない気持ちがどこかにある。リリシアはどう伝えていいかわからなくて困り果てた表情になった。

「私も、すごく腹が立ってしまったから。数ヶ月前、ラギドと遭遇したあと聖騎士団として修道院へ向かった。その時、訪れた我らをとても歓迎してくれたんだよ」

 聖騎士団は公に知られてはいない。そのため、魔獣の調査などという名目だと胡散臭く見られることもあるという。

「シノともう一人の少年の証言があったからだろうけど、院長はじめ皆は終始協力的だった。宿も提供してくれて……あそこは善意の塊のような場所だ。貴女にとって大切なのも良くわかるよ」


 私が望んだことだ。貴女が重く受け止める必要はないよ。


 セヴィリスはリリシアを安心させるように見た。

「でも、ごめん。勝手なことをしたね」


(この方は……ほんとうに)


 騎士道精神に溢れた夫の振る舞いに、リリシアは再び胸をぎゅっと掴まれる。そして、その時になってやっとまだ互いに手を握り合ったままだったことに気づいた。

「あ」

「あ……」

 ベルリーニ館の煌めく調度品の中で、二人は見つめあう。

(こんなところで。手を離さなきゃいけないのに、……離したくない、わ……)


 彼女はとうとう、自分の気持ちを認めた。自分は、セヴィリスのことが好きなのだと。

(……馬鹿ね。好きになってはいけないと誤魔化してきたのに。だめだわ。セヴィリスさまのこと、大好きで、愛しくて、たまらないもの……)

 愛のない婚姻生活と言い渡されてきたのに。守るためだと言われて、納得したはずなのに。

(迷惑をかけてしまうだけなのにね)


 彼の優しさに勘違いした自分が情けない。

 リリシアの口元が自嘲気味に歪む。

「リリシア殿……?」

「いえ、なんでもありません、本当にありがとう、ございます、セヴィリス様」

 リリシアはそっと手を離した。せめて、悟られないようにしなければ。彼女が顔を廊下に向けたとき、向こうに三つの人影が見えた。

 彼女の思考はそこでぴたりと固まった

 それは、あまりにも見慣れた光景だった。


 ベルリーニ夫人とその娘たち。相変わらず、派手な装いの三人だ。その華やかさは人を惹きつけるが、ついてこれないものは容赦なく振り払う。彼女たちはこちらに向かってまっすぐにやってきた。


「リリシア。リリシア! 元気だった? あなたが来てると知って急いできたの。顔を見たくて」


 ルーシーたちはニコニコと笑いながら近づいてくる。だがその目は鋭く、二人の身なりや装飾品を品定めしている。

 リリシアたちは旅の支度のままだ。華美に着飾ってはいない。夫も、腰に聖騎士の剣を身につけてはいるが簡素な外衣を纏っているだけだった。夫人は蔑んだ視線を二人に送り、挨拶がわりにかすかに頷くのみ。二人の姉妹はゆっくりと笑みを深めた。

「あのね、私たち今夜は公爵夫人の夜会に招待されてるの」

「今度のはすごいのよ。特に大きいの。名のあるおうちは皆来るんじゃない?ご夫人はこぞっておしゃれしているから、負けてられないのよ。ね、お母様」

「……ええ、そうね。かわいい娘たち。貴女たちもそろそろ本気で殿方を選ばなければならないわ」

 数ヶ月ぶりに会った身内に、新婚の暮らしはどうかとか、馴染めたかとか、そんな質問は一切せず彼女たちは自慢げに近況を語る。


「ああ、そういえばあなたは?あなたのところにも招待状来てるでしよ?」

 社交の場に出ないことで有名なデインハルト家ではあるが名家なことに違いない。だが、リリシアはそういったことは知らされていなかった。

「一ヶ月も前に来てたはずよ。知らないの?」

「ええ……」

 隣で黙って彼女たちを見守っていたセヴィリスを窺う。彼は穏やかに首を横に振った。

「当家では、王都からの大抵のお誘いは断っているのです」

「まぁ」

「あら」

 二人はくすくす笑った。

「それは残念。貴女もせっかくいろんな宴に出られるようになるかと思っていたのに、ねえ?」

「そうそう、いつも途中で帰っちゃうから」

「わ、私は素敵なお茶会をしていただきました。デインハルト家は、素晴らしい場所です」

「……ふうん?そうなの?」

 二人は片眉を上げいかにも蔑んだ様子でリリシアを見る。「妖精あたま」だと決めてかかっているセヴィリスに対しては、まるで彼がこの場にいないかの如くの振る舞っている。


 リリシアのなかで、なにかがぷちりと切れた。


「私には、そのようなことより大切なお役目がありますから」

「そのようなこと?……って、高位の方に招かれる舞踏会や観劇会より大切なことっていう意味?あなた、変なこと言うのね。あんなに楽しいことないじゃない」


 姉妹は揃って首を傾げた。どうやら、心底そう思っているらしかった。リリシアの脳裏に、辛い過去を持ちながらも明るく生きるデインハルトの人々や、今にも住処を失いそうな子供たちがよぎる。

 こんなに底の浅い彼女たちの、何をいったい怖がっていたのだろう。リリシアの中に長年巣食っていた恐怖心がひゅるひゅると萎んでいく。


「セヴィリス様……旦那様は人々を護るという大切なお仕事をしておりますので、私は、この方を支えることが役目なのです。これからずっと、ずっと、そうするつもりですわ」


 顔を上げて彼女たちをまっすぐ見据える。迷っていたリリシアはいま、心を決めた。

 魔印によって繋がった形だけの夫婦としても、夫を支える。できることはたくさんあるはずだ。自分もデインハルト家の一員となって、彼を助けていく。


「な、に言ってるの。急に変な宣言しないでよ」

「いままで、大変お世話になったことはとても感謝しております。けれども謂れのない嘲りや、人を無視したような振る舞いは決して、褒められることではありません。お二人とも、お義母様も、社交の場においてはそのことをもっと心に銘じて楽しまれた方がよいように思います」


 凛として、リリシアは言い切った。

「な、なんですって……」

「私たちがいつ、誰を蔑んだっていうのよ。あんたはそうされて当然なのに……父親の」


 口がだんだんと歪んでいく。彼女たちがさらに言いかけた時、リリシアの体がふわりと持ち上がった。


「ご婦人がた。お話し中失礼。妻の具合が悪いようですので、これにて辞去いたします」

「な、に突然」

「お屋敷の美術品、大変美しく見事でした。ですが」


 彼は声を顰める。緑の瞳が煌めいた。


「どうやらここには魔物が住んでいそうです。ほら、空気がどんよりと濁っています……嫌な匂いまでしてきました」

「え、な、なに……ま、もの?」


 彼女たちは顔をこわばらせて周囲を見渡す。

「よほど醜い怪物なのでしょう。私は役目柄、魔の気配には敏いのですが……これは私の剣では滅することはできぬ類のものです。こんなところに愛する妻を留めておけばどんなことになるかわかりません」


 腰の剣が美しい音を立てた。彼は妖艶に微笑む。


「私たちは早々に立ち去ります。どうか、皆様ご無事で。ごきげんよう」

 軽々とリリシアを両腕に抱き、セヴィリス・デインハルトは颯爽と歩いて出ていった。


 その姿を三人の女性は魂を抜かれたようにして見つめるばかりだ。


「……怪物……ってなに」

「……」



 馬車のなか。


 待っていた馬車に妻を乗せると彼は自分の乗ってきた馬を修道院へ返すよう馬番に伝える。そして、妻の隣へと乗り込む。


 彼はリリシアを無言で強く強く抱きしめた。


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