久しぶりの対面
「久しぶりだな。リリシア」
ベルリーニ家の書斎で、リリシアの養父は娘に挨拶した。
「お久しぶりです。お義父様……お元気でしたでしょうか」
「もちろん元気だ。お前に心配されることもない……だが、娘よ」
伯爵はリリシアの隣に立つセヴィリスをちらりと見た。
「前もっての知らせもなく、突然の我が館への訪問とは、少々不躾だとは思わんか。よりによってこんな忙しい日に」
彼は不満げに腕を組む。何かの書類を見ていた途中なのか、立派な作りの書斎机には羊皮紙が何枚も重ねられている。
「お、お仕事中、ご、め……」
変わらぬ威圧的な態度に、一瞬で少女の頃の感覚に戻ってしまう。咄嗟にごめんなさいが口から出そうになったとき、セヴィリスがリリシアの手をぎゅっと握りしめた。
「ご無沙汰しておりました。義父上。突然となり誠に申し訳ありません。これまでにも何度かご挨拶に伺いたい旨をお手紙でお伝えしておりましたが、お返事を頂けず困っておりました。手紙が届いていないのではと妻が心配しまして、一度ご様子伺いにきた次第です」
セヴィリスは笑みを浮かべながら、一歩前に出て会釈した。リリシアは一瞬目を大きく瞬かせ彼を見て、同じように頭を下げた。
養父は気まずそうな咳払いを一つすると、それ以上はなにも返さなかった。
リリシアは思い切ってもう一度口を開く。
「お義父様。実は、お尋ねしたいことがあるのです」
「……お前が?私に?いったい何を尋ねるというのだ」
緊張で声が裏返ってしまいそうになる。だが、セヴィリスの手の力強さに背中を押され、リリシアは声にぐっと力を込めた。
「レイフィルの丘の、あの修道院のことです。取り壊すと聞きました」
「ああ、あそこか。その通り」
伯爵は表情を変えない。
「なぜそのようなことを聞く?」
「長年、たくさんの恵まれない子を育ててきた大切な施設ではありませんか。それを、どうして……」
「ふん、あれは曽祖父の娯楽だ。お前は知らないだろうが、当時地位と財産のある諸侯は慈善事業に躍起でね。陛下からお褒めの言葉を得るためにいくつも馬鹿げた孤児院だの療養所などを建てては潰していたのだ。レイフィルの修道院は珍しく長続きしたというだけのこと」
他と違い、地代を取り収入を得ることで自立性を持たせたからだという。
「だが、あの土地は葡萄畑にした方が収益がぐんと跳ね上がるそうだ。今のままでは、宝の持ち腐れなのでね」
伯爵はすました顔で説明すると、訝しげに彼女を見た。
「なぜお前にこんなことを説明しなければならん。話してわかるとも思えないが」
「で、でも、それでは子どもたちも、院長先生たちも行き場がなくなってしまいます」
「それがどうした。金を渡してある。いくらでも領内に行き場はあるだろう」
伯爵は肩をすくめた。
「まだまだ残っている子たちがいるのです。それに、ばらばらにされて幸せになれるとは限りません。お義父様、どうか、考え直してくださいませ。取り壊しなどやめてください」
「なに?」
彼は片眉をピクリと上げた。
「幸せ?幸せとはなんだ。誰の話をしてる?」
「お、お願いいたします! 身寄りのない小さな子たちは、このままでは帰る場所がなくなってしまうのです」
伯爵は大仰にため息をつくと、リリシアを睨んだ。
「お前の口出すことではない。いったい何のつもりだね。婿どの、ご自分の奥方の手綱をしっかりと引き締めてくださらないと」
「お義父様……、私は修道院で、とても良くして頂きました。このままではお気の毒すぎます。どうか、もう一度」
「では、お前が引き取れば良いだろう?お前の父親も修道院育ちだろう。幼児と爺さんくらいなら、グリンデルのだだっ広い領地にいくらでも住めるのでは?」
伯爵はからかいを含んだ声でリリシアに言う。
リリシアはぐっと言葉につまる。彼女にそんなことをする権限はないからだ。
「わ、私は……そのようなことをお願いする立場にありません。……ですから、どうか考え直してほしいと」
胸の前で両手を組み、リリシアは嘆願する。だが伯爵は冷たい表情をさらに固くするだけだ。
「失礼。親子の議論に割って入ることをお許しください」
セヴィリスがゆっくりと一歩前に出た。
「葡萄畑、とても良い考えかと存じます。あの土地だと良い酒ができるようになるでしょう」
伯爵は驚いた顔で婿を見る。
「と、当然だ。土壌調査でそのように決めたのだ」
「ええ。とても理にかなっていると思います。ですが」
彼は腰に帯びた飾り剣の柄にそっと触れる。
「理にかなってはおりますが、私や、お義父上含め貴族は陛下から領土を分け与えられる際、民を守る義務を負っているはずです。僅かな金品で、小さく弱い者を追い出すなど、領主としてあるまじき行為ではないでしょうか」
「は?我が領地の民をどう扱おうと、私の自由だ。彼らには今まで破格の値段で土地を貸していたのだ。契約書もある。契約更新がうまく進まなかっただけのこと。これは、正当な交渉だ!」
「そうでしょうか。寮をとり壊す際揉み合いになり、院長は怪我をしておりましたよ。とても正当な交渉とはいえないのでは」
伯爵の額に青い筋が浮かんだ。反論されることに慣れていない彼は、ぎりぎりと唇を歪める。怒りで顔が紫になっていた。
「妖精あたまが能書を垂れるな!ここは私の、ベルリーニの館だぞ。陛下の受けがいいだけの、この、若造が!グリンデルに引っ込んでおれ」
「お義父様! セヴィリス様は立派な領主ですわ。村も街もみな、デインハルト家を誇りに思っています。旦那様は、魔物の脅威から民を守るために……っ私のことだって」
リリシアははっと口を噤む。公にしていないことを思い出したのだ。
「ともかく、妖精あたまなどというのはただの偏見です。失礼な発言を撤回してください!」
「リリシア……お前は…、お前は恩を忘れたのか。身寄りのないお前を引き取ったのは私だぞ」
「そ、れは……」
リリシアは言葉につまる。
「セヴィリス殿。言っておくがこの子の出生はとても自慢できるものではない。我がベルリーニの血を……どこの馬の骨ともわからぬ男に捧げて生まれた娘だ。品性が卑しいからこうやって恩ある私にもたてつくのだ。あんな汚い修道院にしがみつきおって」
「彼女の生い立ちについていちいち説明頂かなくて結構。そもそも、出自に卑しいもなにもありませんが。我らはやるべきこと、なすべき義務のためにこの地位を授かっているに過ぎない。伯爵ともなれば、そのくらいはご存知でしょう?」
セヴィリスの鋭い言葉が書斎に響く。伯爵はさらに顔を紫にしながらも、次の言葉が出ないようだ。
まさか若造に言い負かされるとは思っていなかったのだろう。
セヴィリスは気を吐くと、普通の声に戻った。
「……本当はあの土地を買い上げようと提案するつもりでしたが、これでは後に禍根を残すだけの気がしてきました。まがりなりにもあなたは義父ですし」
「な、買い取る……? 一体どういうつもりで」
「もちろん、取り壊しなどという暴挙から妻の安らぎの場を守るためです」
彼は顔を上げ、まっすぐ伯爵を見た。
「……代わりに、行き場をなくした修道院の人々と寮の子どもたちを全員グリンデル領に引き受けてもよろしいでしょうか。お義父上。一人も欠けることなく」
「残った聖堂ごと引っ越しすることになるから、すこし日数がかかるだろうが、大丈夫かな、リリシア殿」
「……え?……あ」
リリシアは成り行きに呆然としてしまって、彼の言葉にうまく反応できなかった。
(ど、どういうこと……? セヴィリスさま、あの子たちを引き取る、の……?)
「あの、あの……ど、して……」
彼はにっこり笑う。
「君の望みは叶えるって言ってるだろう? シノにも少し話してあるから、とりあえず安心して?」
「あ、安心って……わ、わたし、なにがなんだか……」
「……セヴィリス、何が望みだ。お前に利などないだろう」
義父が低い声で唸る。
「ここまでしてなにがほしい。これのことを欲しがったり、お前の行動は不可解だ。我がベルリーニになにを企んでいる」
セヴィリスは肩をすくめた。
「利? 今回の件に関しては、私の利ならあります。妻の喜ぶ顔が見たい。それだけです。最も、我が父ならこう言うでしょうね。『利。そんなつまらんもので動かない人間もたくさんいる。そのことを忘れるな、息子よ』」
ベルリーニ伯爵の紫の顔が、赤く変わる。
「グリンデルではそのように教わりました。それでは失礼いたします」
リリシアの肩を抱き、セヴィリスは悠然とベルリーニ伯爵の書斎を辞去した。




