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館まで

 

 院長は前回と同じく、清潔だが、端のほつれた白の長衣を纏いデインハルト夫妻を迎えた。杖をつき恭しく頭を下げる院長は、この数ヶ月でかなり老け込んだように見える。彼はシノを下がらせてから、改めて挨拶した。

「このような姿で申し訳ありません。杖を持つことをお許しください」

「院長様!お怪我をなされたとか……大変でしたね」

 リリシアが労わるように声をかけると、彼は嬉しそうに眉を下げた。

「いえいえ、このくらい平気ですよ。しばらくすれば治ります。それよりも遠路はるばるよく来てくださった。奥方様。ご挨拶にも伺えず本当に申し訳ありませぬ。

 ……ご結婚、誠におめでとうございます」

 院長は優雅にお辞儀をした。

「あ、ありがとうございます……」

「少女の頃から、年に数回は訪れてくださり子ども達を可愛がってくださったあのご令嬢が、ご結婚とは……なんとも感慨深いです」

 初老の院長は満面の笑みを浮かべている。まるで父親のようなその表情に、リリシアはなんだか胸が詰まった。

「会えなくなるのは寂しいですが、お幸せそうで、本当に喜ばしいことです」

 リリシアは一瞬言葉に詰まってしまい『夫』をチラリと見てから、曖昧に微笑みかえした。セヴィリスも小さく頷くだけだ。彼は婚姻の理由までは知らないようだった。

「院長、お久しぶりです。妻がここへの訪問を楽しみにしておりまして、望みを叶えられてよかった。……ですが、すこしお尋ねしたいのだが」

「ええ。なんなりと」

「子ども達の住居が、取り壊されているのを見たのだが、あれはどういうことなのだろう」

 院長は目を伏せる。

「シノから聞きましたでしょう。この修道院は近いうちに取り壊されることが決まっておるのです」

「院長様。それは、なぜ?ここはベルリーニの……伯爵家の領地でしょう? 新しく建て直すとか、そういうことなのですか?」

 彼は悲しげに首を横に振る。

「お嬢様……いえ、奥方様。残念ながらそうでなありません。長年我々は地代を払い施設を運営してまいりました。牧草地からの収入でなんとかやりくりしていたのですが、この度地代の値上げを言い渡されました」

「まぁ……」

「すこしなら仕方ありません。従うつもりでおりましたが、なんと、以前の二十倍もの高値を申し渡されたのです」

 セヴィリスが真面目な顔になった。

「それは、この土地を手放せと言っているのと同じですね」

 院長は俯いて頷いた。

「伯爵家の使いの方から、払えなければ土地はこれ以上貸せないので、即刻退去するようにと言われました」


 院長たちはなす術もないまま、僅かばかりの支度金を渡されて、皆の受け入れ先や行き先を必死に探しているところだという。

「数人の子達が決まらず立ち退きを先延ばしにしていましたら、あちらの護衛の方々が寮を取り壊しに来たのです」

「……そんなことになっていたのですか?」

 リリシアは驚いて言葉も出ない。

「そうなんです!院長様は、その時に揉み合いになって、怪我されてしまったんです!僕たちのせいで」

 シノがいきなり飛び込んできた。話を聞いていたらしい。

「こら、シノ。大人の話に入ってくるんじゃないよ」

「僕はもう大人だし、働けます。でもどこも住み込みで雇ってくれない。十五にあと一年足りないから。養子が決まった子たちだって、望んだわけじゃない。みんなみんな院長先生と一緒にいたいのに、ここが家族の家なのに…!」

 彼は悔しさを滲ませている。狭い部屋に彼の啜り泣きが響く。リリシアは知らず、拳を握りしめていた。

(こんなの、許せない……)


「セヴィリス様、少しの間シノに周りを案内してもらってはいかがですか。珍しい「物」があるかも知れません」

 いきなり沈黙を破り、リリシアはにっこり笑ってセヴィリスを見た。

「いきなり、どうしたのかな?」

「シノはすこし興奮しているようですから、外の空気を吸った方がいいかも。私は少し、院長とお話ししますので」

 彼は少しの間黙って妻を見ていたが、やがて頷いた。

「わかった。では案内を頼むよ。シノ。聖騎士として、君のその後の様子も見せてほしいからね」

 セヴィリスはシノの肩を優しくたたき、外へと連れ出した。リリシアは彼らの後ろ姿を見送る。院長が穏やかな声をかけた。

「お幸せそうですね。リリシア様」

「……とてもとても、大切にしていただいています」

「いきなりご結婚となった時にはとても驚きましたが、デインハルト卿はシノの命の恩人でもあります。もちろんあなたも。私はどこへ行こうと、あなた方の幸せをお祈りしております」

「院長様……」

「できれば子どもたちと過ごしたかったが、もう難しいのでしょうな……これも、神のお導きなのか。ともかく、早く落ち着き先を決めてやることだけが私に残された使命です」

 諦めにも似た微笑みに、リリシアのなかで沸々とした感情が湧き上がる。

「……私、大切な用を思い出しました。また後ほど、戻りますので夫にはここで待つよう伝えてください」

「え、ええ。それは構いませんが、どちらへ……」

 彼女の剣幕に驚いたように院長は尋ねたが、リリシアはもう出口へと向かっていた。門の外へ駆け出し、待っている馬車に素早く乗り込む。

「屋敷へ、お願いします。なるべく急いでくださいませ」

 **


 聖堂の裏手にある小道を、セヴィリスと少年がゆっくり歩く。シノは俯いたままだ。

「君が無事で何よりだ。妻がとても心配していたからね。元気な姿にまずはホッとしたよ」

 彼は何か難しい顔をして聖騎士を見上げる。

「あの……デインハルト様。リリシア様は、あなたの奥方なの……?」

 「そうだよ。私の大切な妻だ」

「し、知らなかった。ご結婚されたことだけで……」

 ちょっとだけ睨んでいる。

「リリシア様はとてもお優しくて、そして勇敢なんだ……」

「知っている。素晴らしい女性だよね」

 にっこり微笑む。遠くで馬車が通り過ぎる音がして、彼は少しため息をついた。

「私は彼女を精いっぱい守りたいが、なかなかうまくいかないものだね」

「なぜ?あなたは聖騎士様でしょう?」

「そうだね。聖騎士だからこそ、かもしれないな。ところで、この施設の立ち退きのことで君に提案がある。それから、馬を一頭貸してほしいんだが」

 シノは目をぱちくりさせて頷いた。二人はすこし話をしたあと、セヴィリスは一人で歩き出した。


 **



 会いに行かなければ。


 リリシアは馬車の中で一人座り、じっと前を見つめていた。


 婚礼式以来会っていないし、なんの音沙汰もない養い家族。でも、修道院のこんな状況を放っておくなどできない。取り壊しを思いとどまってもらうようお願いしなければ。


 リリシアはぎゅっと目を閉じた。

 セヴィリスに迷惑はかけられない。きっと養父は居丈高に振る舞うだろう。夫を不快な気分にさせたくなかった。

 それに、ルーシーとセーラ。そして、夫人。彼女たちがもしいたら。

 正直、まだ怖いのだ。

(会うのなんて、平気だって思っていたけれど……。むしろ、一度ベルリーニを出てしまっただけに余計に怖くなるなんて)

 グリンデルの皆が恋しい。あの、優しさに溢れた館に戻りたい。

 でも、いま彼女は頼れるものはない。一人で立ち向かうと、決めたのだ。


「わたしに、勇気を貸して。父様……母様……」


 リリシアは祈るようにペンダントを握った。

「……?」


 なにか、違和感を覚えた。慌ててコルセットの隙間からペンダントを取り出す。見ると、嵌め込んである金の石に所々黒いシミができていた。


(なにかしら、これは……)


 幼い頃からつけているので肌と同じように感じていたペンダントの変化に、リリシアはざわざわとした気持ちになった。


(セヴィリス様に、お伝えした方がいいのかしら)

 けれども魔印と関係があるとは思えない。これは父からの贈り物、ただの綺麗な石なのだ。

(と、とにかく。今はお義父様のところへ行かなくちゃ)


 彼女がペンダントを再びしまい込んだとき、やけに近くで馬の蹄が響いた。

 馬の乗り手は馬車と並走する気らしい。リリシアは訝しげに小窓から覗いた。

「え……、せ、セヴィリスさま?」

 馬で駆けていたのは、夫のセヴィリスだった。

「一人でどこへ行くつもり?」

「え、ちょ、ちょっと……あの、何をなさっていらっしゃるの?」

 窓越しにリリシアは大きな声を出した。

「それは、私の質問だよ!ともかく、馬車を止めて」


 なんと、セヴィリスは彼女を追いかけてきたのだ。彼女が馬車から降りると、リリシアは半ば強引に馬のほうに乗せられてしまった。

「あの……」

「私はすごく、怒っているよ。リリシア殿。貴女は時に突拍子もないことをするね」

 リリシアを前に乗せ、セヴィリスは丁寧に手綱を操った。馬は常足(なみあし)で進む。

「……お義父上に、ベルリーニ伯爵に会いに行くつもりだった?」

 リリシアは前を向いたまま、素直にこくんと頷いた。

 彼は怒っていると言ったけれど、ダリウスの時のような、焦りや苛立ちを含んだ声ではない。むしろすこし寂しそうに感じられる。

「伯爵に挨拶に行くのになぜ私も一緒じゃないのかな?

 私は、夫だろう?」

「……で、でもこれは、ベルリーニ領での問題で」

「あなたは、デインハルトの人間だ」

 セヴィリスは言い切った。馬を止め、リリシアの背中を抱きしめる。そして、彼女の肩に顔を埋めた。

「だから、私と一緒に行くんだ」


 わかった?


 切なげな声。リリシアは息が止まりそうになってしまう。

「貴女を守るのは私の役目だ。魔印だけでなく、全ての脅威から。どんなことも、一人で背負わせたりしない。そう婚礼式で誓った」


 セヴィリスは彼女の髪をひとすくいして、そこへ口づける。

(でも、それは、この婚姻では……そうじゃないのに。どうして、そんなこと、言うの……?)


 彼の考えがわからない。わからないのに、どんどん惹かれてしまう。愛などない、そういう婚姻のはずだ。

 好きになったら、迷惑かけてしまう。

 何も答えられないまま、苦しさで、リリシアの胸は潰れそうになっていた。



 無言の二人の前に、やがて、ベルリーニ館の大きな鉄門が見えてきた。


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