14話 望んだお茶会
「このお茶、蜂蜜の味がするわ、ね、サラ、とっても美味しい!」
「マーサさん、それは朝からリリシア奥様が準備してくださったのよ。蜂蜜をたっぷり塗った焼き菓子もあちらのテーブルに籠いっぱいあるわ」
「素敵ね!こんな広いお庭で食べられるなんて……いつもより断然美味しく感じるもの」
「お庭の飾り付け、お花がいっぱいで……それにほら、貴女のドレス、刺繍が可愛らしいわ」
「母のものなの。思い切って自分用に丈を詰めたわ」
女性たちのはしゃぎ声が太陽の降り注ぐ緑の庭園に響く。リリシアが提案したお茶会に集まったのは普段はグリンデル領で使用人として働く男女合わせて三十人ほどだ。皆、思い思いのお洒落をしてやってきている。
はじめは招待状を手にみんな緊張した面持ちだったが、知り合いばかりなのと、リリシアが手ずから皆をもてなしたのでだんだんと笑顔になっていった。
「お茶会に招かれるなんて、貴婦人になったみたいよ」
「私も、最近は忙しくて、自分のためにおめかしするのは久しぶりだわ」
使用人たちは、休暇にはもちろん村や町で自由に過ごしているが、伯爵家の館での宴に出席するとなると皆初めての経験だ。料理人たちは文句を言いつつも、同僚のために上等な菓子を山のように作った。
「今度は、あなた方もご招待させてくださいね」
奥方に頭を下げて感謝されては、厨房も張り切らざるを得ない。皆が笑顔で過ごせるお茶会が、リリシアは嬉しくてたまらなかった。
(そう、私が出席したかったのはこういうお茶会だったんだわ……)
ここでは誰もリリシアを見てコソコソ笑ったりしないし、誰かの不確かな噂話を嬉しげに披露するような令嬢や令息もいない。ましてや、水をかけたり足を引っ掛けたりして毎度彼女を途中で退席させるような者もいないのだ。
優雅な猫足の白い椅子に座り、リリシアは帽子の鍔の下から皆の様子を眺めて幸せな気持ちになっていると、初老の紳士が現れた。ぴっちりとした燕尾服に身を包んでいる。家令のアンドルだ。彼だけはいつもと変わらず生真面目に給仕を指揮し、全体を取り仕切っている。
「奥様、お茶のお代わりは?」
恭しく尋ねられる。
「いえ、今は結構です。……あなたもお座りになったらいかがですか?」
リリシアは席を立ち彼に示した。家令は穏やかに首を横に振る。
「とんでもございません。私には仕事がございますので、お気持ちだけ、ありがたく頂戴いたします」
「でも……」
もしかして、今回のことで気分を害してしまったのだろうか。伯爵邸の執事や家令は使用人の中でも特に地位も高く、その館の全てを取り仕切る役職だ。皆矜持を持って勤めに励んでいる。この国の慣習に照らせばリリシアの茶会は使用人と雇い主の関係を履き違えていると思われても仕方のないことでもある。もしベルリーニ一族で誰かがこんな茶会を言い出せば、伯爵や夫人は慌てて医者を呼ぶだろう。
「あの、私、出過ぎた真似を……」
アンドルはそこで初めて表情を変えた。彼は「とんでもございません。リリシア様。私は心から感謝しておりますよ。奥方様」と笑ったのだ。
リリシアは家令を見つめた。
「え、と……」
もう何度目になるだろうか、やっぱり彼女はどう返していいかわからなくなるのだ。この館の人々はなぜこうも自分を肯定してくれるのだろう。魔物に襲われ不気味な印がある自分に。セヴィリスの名目上の妻でしかない私に。
家令は穏やかにリリシアを見つめる。
「失礼ながら貴方様は、ご自分がなぜ、この館で歓迎されるのか不思議に思っていらっしゃるようですね」
「……っは、はいっ!そうなんです!私、わたし……」
リリシアは思わずアンドルに大きく頷いた。
「セヴィリス様がご自分の責任を強く受け止めてらっしゃるのはよくわかります。それでも、こんなに、なんといっていいか……良くしてもらえるなんて、私やっぱりわからなくて……こんな」
ベルリーニ夫人がかつて幼いリリシアに放った『恥知らずの子』の言葉が思い出され、彼女は口籠った。
「奥様。侍女のサラは、幼い頃、両親を魔獣に殺されております」
「……え?」
「彼女の住む村が獣の群れに襲われたのです。小さな村はあっという間に炎に包まれたといいます。村人はちりぢりになり、行き場をなくしたサラと数人の者を前デインハルト伯爵が引き取り、グリンデル領へ連れ帰ったのです」
リリシアは言葉を失った。
(そんなことが……?)
サラは今、大きな口で笑い、皆と冗談を言い合っている。
「私の村も小さく辺鄙な場所にありまして、獣の恰好の餌食となりました。妻を失い自暴自棄になっていたところ、セヴィリス様のお祖父様に助けて頂きました」
アンドルは穏やかに続けた。
「私たちは皆、この国の様々な土地からこのグリンデルにやって来ました。そのほとんどが、私やサラと同じような体験をしております。紹介状も確かな身元もなく困り果てていたところを皆、聖騎士団に助けられここを安住の地としているのです。行き場のない者を受け入れてくれたデインハルト家には感謝しかありません。だからこそ、デインハルトの館の主人がなさることに、最大限お応えするのが一生の恩返しだと胸に刻んでおります」
「そ、うだったのね……」
リリシアは膝に置いた拳をぎゅっと握りしめた。皆、どんなに怖い思いをしたのだろう。
「セヴィリス様は先日騎士団の長の座につかれました。お小さい頃から私はあの方の鍛錬する姿を見てきております。必ずや立派な聖騎士になられるでしょう。尊敬する聖騎士様が選んだ奥様ですから、悪い方であるはずがないのです」
アンドルは自信ありげに頷く。
「そ、れは……でも、私は、そうではないの。魔印のこと、ご存知でしょう?私とあの方はなにも……」
彼はにこやかに微笑んでそれには答えなかった。代わりにこう言ったのだ。
「セヴィリス様から伺っております。貴女は少年を守るために魔印に侵されたと。あのような獣に向かっていくなど、それも血の繋がりもない者のために……」
彼は真面目な顔つきになった。
「私たちは皆、魔のものの容赦のない恐ろしさを肌で知っております。ですからたとえ旦那様の奥方でなくとも私どもは、心の底から、人としての貴女様を尊敬し、歓迎いたしておりますよ」
アンドルは瞳に力を込めて、リリシアに腰を折り頭を下げた。見ると、いつのまにか周りの皆も彼女に笑顔で礼をする。そこには嘘偽りのない素直な気持ちが滲んでいた。
「……あ、……」
知らないうちに、涙がぽろぽろと落ちてくる。こんなふうに言われるなど、思ってもみなかった。
「あ、りがとう……」
リリシアは顔を歪ませて嗚咽をこらえようとした。泣き顔がみっともないと笑われ続けてきたので、隠すためにじっと俯く。
「ま、まぁっ!奥様が!」
サラが小さく叫んで駆け寄ってくる。皆口々に、「お茶をお飲みになって」とか「焼き菓子をどうぞ。甘くて落ち着きますから」とか、わいわいと彼女を取り囲んだ。
「ご、めんなさい。泣いたりして。ありがとうございます、みなさん」
春のあたたかな風が木々を楽しげに揺らす。青々とした草地を皆の楽しげな声が流れる。
泣き笑いして幸せそうな妻の様子をそっと見守っていたセヴィリス・デインハルトは知らず微笑を浮かべ、館の向こうへと消えていった。