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13話 奥方の望みは?

 

 次の夜。夫妻はまたリリシアの寝室にいた。ゆったりとした手当ての時間が流れる。そして夫は席を立つと、今度は側のテーブルでお茶の準備を始めた。スパイスのつんと来る匂いが鼻をついた。薬葉の説明をしてくれたのだが、今夜もドキドキしてしまって頬を赤くしているリリシアの耳にはさっぱり入ってこない。


「リリシア殿。……リリシア殿?」

 リリシアははっと顔を上げた。

「は、っ、はい!」

「できたよ。どうぞ、熱いから気をつけて」

「い、頂きます……」

 セヴィリスはティーカップを彼女に渡すと、再び椅子に腰を下ろした。また、きっちりと膝をそろえて座る。そして、少し躊躇いがちに妻に尋ねた。


「貴女をここに迎えてそろそろ二十日ほど経つけれど、なにか、やってみたいことなどはないのかな?」

「……え?」


(やってみたいこと、って、どういう意味かしら)


 リリシアは言葉の意味がよくわからなくて、ティーカップを掲げたまま首を傾げる。

 セヴィリスは長いまつ毛を忙しなく瞬かせ、困ったように眉を下げた。

「ええと、侍女のサラや、家令のアンドルから何度か頼まれているんだ。貴女に尋ねるようにと。ここの生活に馴染んでもらうためにも、なにか楽しみを見つけるのはとてもいいことだと私も考えている」

「私の……楽しみ、でございますか?」

「そう。貴女は、何をしたら一番楽しいのかと。たとえば芝居を観たいとか、吟遊詩人を呼びたいとか。そう、豪華な庭園を作りたいとかね。貴女はその、あまり自己主張をされないと聞いたから」


 ともかく、奥様はなにかお望みはないのでしょうかと迫られるというのだ。

「そんな、私はなにも……本当に良くしてくださって、これ以上望むものなどありませんわ」

 セヴィリスはリリシアをじっと見る。

「私は貴女をここに迎えたときに言ったよね。好きに過ごしてほしいと。みんなで望み通りにするからと。これは館の者皆の気持ちなんだ」

「え、ええ……」


 リリシアは微笑もうとしたが、かえって頬がぴくぴくと引き攣ってしまう。自分の望みなんてそんなもの、伝えても鼻でせせら笑われてきた。それに、望みをなんでも言っていいなんて、そんな価値は自分にはない。


「わたしはなんでも、なんでもだいじょう、ぶ……」


 言いかけたところを、セヴィリスが優しく遮った。

「『大丈夫』、ではなくて、貴女のやりたいと思うことを尋ねているんだ。ゆっくりでいい。何かしたいこと、ほんとうにないのだろうか?」

 もちろん、無理にとは言わないけれど。


 遠慮がちなその言い方に、胸がきゅっと詰まる。

(本当に……、お伝えしてもいいのかしら)

 ずっと気になっていることがひとつある。だが伝えてもいいのか躊躇う。セヴィリスはただ、静かにリリシアを待っていてくれる。


「で、では……」

 彼女は薬草茶をこくりと飲み、息を吸った。


「ベルリーニ家の領地にある修道院のことです。シノ達の無事を確かめたくて……」

 セヴィリスは一瞬大きく目を見開く。だがゆっくりと納得したように頷いた。


「……なんだか実に、貴女らしいな。森でのこと。あの少年たちのことが気になるんだね」

「ええ。もしかして、あの子達まで魔印に苦しんでいたらと思うとずっと心配だったので……」

 リリシアはカップを持つ手に力を込めた。

「も、申し訳ありません。楽しい催しなどではなくて」

 セヴィリスは首を横に振った。

「そんなことはない。気になっていることを教えてくれて嬉しいよ。だが、彼らの安否については問題ない。私たちはあの後、修道院を訪ねたんだ。……実はそこで貴女の素性も教えてもらったんだよ」

「ま、あ……!そうでしたのね」

 セヴィリスは慌てて付け加える。

「も、もちろんこれは聖騎士として正式な手続きだよ。魔物に遭遇した者への聞き取りだから」

「ええ、わかっております」

 

 聖騎士は存在を公にしないと言っていた。だから、話が闇雲に広がったりしないよう注意深く配慮されているのだ。

「たまにしか訪れることはできませんでしたけれど、私はあそこで子供たちと一緒にいるのが楽しくて……でも、挨拶もできないままこちらに来ましたから」


 あの修道院はリリシアにとって唯一の心安らぐ場所だった。最後にもう一度金を寄付できなかったのが少し心残りだが。


「でも、それを聞いてとても安心しました。ありがとうございます!」


 リリシアは夫に礼を言う。セヴィリスは顎に手を当て、考えるそぶりをしていた。

「では、今度一緒に修道院を訪ねるのはどうかな」

「え?」

 リリシアは驚いて寝台から立ち上がる。

「よ、よろしいのですか?」

「もちろんだよ。こちらも色々と手続きを急かしてしまったからね。貴女に申し訳ないことをした。気になるのは当然だよね。真っ先にあの少年たちを守ろうとしたのは貴女なのに」

「そ、そんな……。でも、ありがとうございます、旦那様……」

 ねぎらいの言葉に、彼女は思わず涙ぐみそうになりながら夫を見つめた。

「とても、嬉しいです……」

 セヴィリスは緑色の瞳をぱちくりとさせた。

「……う、うん。わ、私も貴女が望みを伝えてくれたことが嬉しいよ。……あっ、あのほら、他にもないかな、なんでもいいんだ」

 夫が目に見えて慌てだしたので、リリシアもつられてどぎまぎとしてしまう。セヴィリスの凛とした風貌が焦った表情になると、とても。

(可愛らしい……)

 リリシアの頭にそんな言葉がぽわんと浮かぶ。彼女は慌ててそれを打ち消した。


「え、ええと、で、では、もうひとつだけ」

 リリシアは頬を染めながら長年の願いを口にした。セヴィリスは期待を込めて頷く。


「できれば、お茶会を」

「茶会? ご婦人方が興じる、あの催しのこと?」

「ええ……」

 彼女は気恥ずかしそうに頷く。

「その、私はあまりお茶会の経験がないので」

 最後に侯爵夫人に招かれた時は、水をかけられてしまった。

「すぐ家令に手配させよう。どなたか招きたい人はいるかな?この館は王都から離れた辺鄙な場所にあるから、街の館で開催した方がいいだろうか。私は貴族の知人はほとんどいないんだ。だが、誰かつてを辿って招待しよう」

 リリシアは首を横に振った。

「あの、サラさんや、私の世話をしてくれる方たちをご招待したいのです」

「サラ? 侍女の?」

 リリシアは頷いた。侍女や使用人を茶会に招くなど聞いたことがない。だが、これが彼女の望みでもあった。

「皆さん、ほんとうに良くしてくださいます。私の体調を気遣ってくれるのがほんとうに嬉しくて」

(少し大胆すぎたお願いだったかもしれないわ、困ってらっしゃる)

 リリシアは肩を小さくした。出過ぎたかもしれない。

「それは……」

 セヴィリスはなにか言いかけてやめた。

「わかった……彼女たちも喜ぶと思うよ。楽しい茶会になるといいね」

「あ、ありがとうございます!」


 セヴィリスは柔らかく頷くと、席を立つ。今宵の魔印の手当ても滞りなく終わったのだ。夫は、豪華な寝台のある部屋を出ていく。


「じゃあ、ゆっくり休んでね。おやすみ」

「おやすみなさいませ」


 夫婦はそう言い合って、互いの部屋へと別れる。夜が更けていくなか、満月へと向かい始める月が淡く光っていた。


 


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