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12話 新婚生活の始まり? ②

 


「奥様、リリシア様。本日はどのようなお食事がお好みでしょうか? 料理番が腕によりをかけますのでなんでもお好きなものをおっしゃってくださいませ」

「リリシア様、衣装部屋はこちらです。今日は仕立て師を呼んでおりますから、お好きな生地でドレスから狩の服まで、なんでもお作り頂けますよ」


 婚礼の翌日から、館では全てこの調子だった。皆、リリシアの好みを尋ね、なにをしたいかを聞いてくる。日中のデインハルト邸はほぼ彼女を中心に回っているような感じだった。リリシアは環境の目まぐるしい変化についていくのに必死で、ただただ戸惑い、感謝の言葉を口にするので精一杯だった。歴史ある伯爵家の奥方となった者が大切に扱われるのは普通のことなのかもしれない。だが、リリシアは世話をやかれたり傅かれたりすることに全く慣れていない。何をしたいか、何が好きかなど聞かれたことがないのだ。


「奥様、今日はセヴィリス様の公務で、グリンデルの街や村の首長との会合があります。ご挨拶の席でのお召し物はなにがよろしいですか?」

 今朝もサラはうきうきとそう尋ねてきた。

「あの、私は……なんでも大丈夫。本当にありがとう」

「夜には広間でリュートの演奏会がありますから、それに合わせたドレスが……、……リリシア様……もしかしてお疲れですか? 印が痛むのでしたらすぐにセヴィリス様にお伝えします。早くお休みに……」

「いえ、平気です。元気よ」

「さ、ようでございますか……では、失礼ながら私がお見立てさせていただきますね」

 サラはすこし残念そうに肩を落として、ドレスを選びに向かった。

 リリシアはほっと息をついて彼女を見送る。


 サラを始め、家令のアンドルや使用人は皆、リリシアをとても大切に扱ってくれる。魔印のことも知っているようだった。普通ならそんな不気味なものを持つ者の世話などしたくないだろうに、皆気遣いに溢れた態度で彼女に接してくれた。ありがたさと申し訳なさで、リリシアはその度に胸がいっぱいになってしまう。

(形だけの妻なのに、みなさんは……)


 そして、夫であるセヴィリス・デインハルトは。


 すらりと背の高い夫は歩く姿勢も凛としていて、廊下のはるか遠くからでもすぐに彼とわかる。日中は館のなかでセヴィリスを見かけることは滅多になかったが、彼は朝の挨拶で必ず彼女の体調を確かめてきた。


「顔色はとてもいいね」

 リリシアの顔を覗き込み、満足げに頷くとまたどこかへ去ってしまう。そして、在宅中は夕食時になると広い食堂へ現れるのだ。

 長く大きな食卓でリリシアと二人で腰かけ、食事をとる。優雅な手つきで食事を口に運ぶその姿は、魔の物を屠るという豪胆な騎士にはやはり見えない。


(本当にこの方は何度もあんな獣と戦ってらっしゃるのかしら……)

 美しい横顔の輪郭と、あの時の獰猛な姿が重ならなくて、リリシアはいけないとおもいつつ、つい彼を見てしまう。

(いけない。あまり見ては……失礼だわ)


 夫にはたくさん聞きたいことがある。聖騎士の役目とはどのようなことなのか。この館の離れにかなり大きな建物があるがあれはなんなのか、とか他にもたくさん。

 だが、リリシアが口を開こうとするたびに頭の中で警鐘が鳴り響くのだ。


『口を開くな、リリシア』


 ベルリーニ家の食事では、巨大な長卓を家人が囲んでいた。だが賑やかな会話が弾むなか、リリシアは一人、長い食卓のほぼ角に座らされていた。彼らの会話の内容までは届かない、離れた席。どんなに人数が少なくとも彼女の席が夫人や娘たちと近くなることはなかった。少女の頃は話に加わろうと身を乗り出したりもしたが、その度に冷たい視線を投げられてきた。だから、俯いて食べるのが習慣になってしまっていたくらいだ。


(ほら、お皿に集中して……。とっても美味しいし、盛りつけも素敵だわ)


 彼女は俯き自分の食事に専念しようとすると、セヴィリスの声が聞こえた。


「館の食事はどう?美味しい?」

 彼は穏やかな表情で尋ねる。

「はっはい!とても、珍しい食材ばかりで」

「よかった。ほら、彼らも君の感想を待っているよ」

「え?」

 セヴィリスは暖炉の側に並ぶ使用人に目を向けた。

「みんな、奥方のお褒めの言葉を待っているんだ」


 そのおちゃめな言い方に彼女は驚いて、思わず顔を綻ばせた。食卓で笑顔になることなど、もうずっとなかったのに。

「あ、あの、とっても美味しいです。このお肉、口の中でほろほろに溶けて……香草の香りもすごく爽やかで」


 リリシアは思いつく限りの感想を言ってみる。すると、初老の家令と執事は目を輝かせ、頭を深く下げた。


「光栄です。奥方。料理番に必ず伝えます。次はさらに、リリシア様のために腕を振るうことでしょう」

「グリンデルの森はたくさんの木の実があるからね。香辛料も有名なんだよ」


 セヴィリスも誇らしげに料理を見る。そして彼らに「今日も美味いね」と笑いかけた。


 不意に、リリシアは胸がいっぱいになる。

 自分の「美味しい」を喜んでくれる人がいる。そしてすぐそばに「夫」がいる。名ばかりだとしても、仮初だとしても、リリシアは幸せを感じずにはいられなかった。


「本当に、いつも美味しいお食事をありがとうございます」

 リリシアは改めて心からの感謝を伝えた。

 セヴィリスはこほんと咳払いをして、大きなグラスから水を口に含んだ。

「……屋敷の向こうの森は、野生で食べられる実もたくさんある。あなたが良くなったら、森を案内しよう」


 穏やかな食事が終わり、夜が更けると就寝の時刻だ。

 毎夜、リリシアがサラと寝支度をしていると夫は遠慮がちに扉を叩く。彼の手には銀のトレイが載せられていて、そこには薬茶と、そして薬壺が準備されている。セヴィリスは魔印の手当てにやって来るのだ。

 サラは恭しく辞去し、ここからリリシアの世話は、夫であり聖騎士のデインハルト卿に委ねられる。


 彼の冷たい指がリリシアの肩にそっと触れ、透明な軟膏を禍々しい印に塗り込んでゆく。意識してはいけないと思いつつ、緊張してしまう。知らず、彼女は息を止めていた。

「滲みない? 痛くはないかな」

「ええ、ありがとうございます……」

 不思議なことに、初夜にあれだけ熱を持って暴れていた魔印はすっかり大人しくなり、ときおりちくちくと疼くぐらいになっている。

「……魔印の手当ては何度もしてきたのだけれど、貴女のはこの数日でとても静かになったね。珍しいことだよ」

 彼は不思議そうに呟いた。

「ありがとうございます。本当に、最近は夢もほとんど見ません」

「お茶が効いているんだね。今は時期もいいから。満月近くなるとまた不調が表れて来るはずだ。少しでもおかしかったらすぐに伝えてほしい」

「はい……」


(このお薬って、どんなものなのかしら……)

 相変わらず質問することに躊躇ってしまう彼女を察してか、セヴィリスが説明を始めた。

「この塗り薬はね、聖騎士に代々伝わる秘薬なんだ。

 魔物につけられた傷にしか効かない。領地の森深くにある泉の聖水で作られているんだよ」

「そ、うなのですね……わ、たしは知らないことばかりです……」

 森の聖水に、聖騎士……リリシアの想像もつかない話だ。だが彼女は不意にあることを思い出した。

「あ、で、でもっ」

 セヴィリスが形の良い眉を上げ、リリシアを見た。

「聖騎士様がドラゴンから聖水を取り戻すお話をきいたことがあります。寝る前の、おやすみのお話でした。私はとてもあのお話が好きで……」


 おとぎ話をたくさん知っていたのは薬師だったリリシアの父親だった。幼いリリシアは母と一緒に布団の中でワクワクしながら父の話にじっと聞き入ったものだ。

「ふふ、そうなんだね。私が知っているのはドラゴンに聖水が湧く泉を教えてもらったという聖騎士のお話だよ」

 彼はにっこり笑った。

「まあ……、ぜ、ぜんぜん違いますのね」

「聖騎士の伝誦は各地にいろいろな形で残っているから、貴女の話もその一つだろうね。このグリンデル地方は聖騎士が生まれた地だから、伝説もたくさんあるんだ」


 彼は少し嬉しそうに答え、再び彼女の手当てに集中した。

 静かな時間が流れる。ある意味でこれは、毎夜繰り返される夫婦の営みともいえた。


 リリシアは、いつもは恥ずかしくて手当ての間俯いているのだが、今夜はつい夫の手に見入ってしまった。

 セヴィリスは、陶器のような端整な顔つきに似合わないごつごつとした手を持っていた。決して筋骨隆々ではないが、手首の筋がしっかりと現れている。鍛えられて引き締まった、間違いなく、力強い剣士の手だ。


 それが丁寧に彼女の肩に触れていく。リリシアは急に頬が熱くなるのを感じて、思わず身を引いてしまう。


「……ごめんっ。強すぎたかな」

「い、いえっ、こ、今夜は、もう大丈夫ですので……」


 彼は純粋に役目として手当てをしてくれているというのに、心臓がドキドキとする。

 リリシアは目を伏せた。


 どうかどうか、この胸の音が聞こえませんように。


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