会食と来訪者
「総理、準備の方は順調です」
「分かった。引き続き、よろしく頼む」
総理官邸に戻ると、そこには会食上の準備をしている者達が忙しく動いており、厨房では会食用の料理が次々と作られている。
今回は立食式を考えており、主催はもちろん総理大臣である遠山である。
参加人数としては百人行くか行かないかぐらいであり、そのほとんどは総理や国務大臣の関係者である。
「あなた、お帰りなさい」
「ただいま、紗悠。裕斗」
有仁の妻である紗悠と息子の裕斗が出迎える。
紗悠は先生である内藤源二の娘で、華奢な見た目だが、実は剣道と柔道を納めており、そのどちらも師範という武道の達人である。
勿論教えたのは、源二であり、源二はあらゆる武道を納め、その全ての頂点に君臨すると言われている有名な武闘家でもあるのだ。
息子の悠斗は高校二年生で、筋肉質な体形をしており、ボクシングと総合格闘技を趣味としている。
同じく先生は源二だ。
「あれ、弘斗はどうした?」
「お父さん。弘斗は今日学校で体調を崩して、今は部屋で休んでるよ」
「そうか、体調は大丈夫なのか?」
「保健の先生に見てもらったけど、夏風邪だって」
「今は安静に寝ているわ」
「分かった。後で見舞いに行ってくる」
弘斗は同じく有仁の息子で、悠斗の弟だ。
生まれつき体が弱く、長時間運動することができないのだが、その代わりと言っては何だが頭が良い。
学力としては、既に大学を卒業レベルであり、研究者として実は名が売れている。
「総理、午前中の会議以来ですな」
「お、武藤じゃないか。もう来ていたのか?」
「ええ、俺は時間に疎い部分があるのでな。遅れるよりは良いかと思って早めに来た」
有仁の元にあいさつに来たのは、防衛大臣を務める武藤忠之助だ。
武藤は有仁とは幼馴染で、共に学業で争った仲である。
議員としては武藤の方が先になっており、有仁に何かとマウントを取ろうとしていたが、総理になった有仁に完敗したと告げて、今は酒を酌み交わすほどの親しい付き合いをしている。
「お前の時間感覚の疎さは、昔からだもんなぁ」
「うるせぇ、お前だって自衛隊入隊の時の緊張しすぎて代表の挨拶が噛みまくっていたの、忘れないぞ」
「おま、それを言うなって」
二人は互いに過去の古傷を抉って、共に笑った。
こういったことは出会うと当たり前のように行っており、紗悠や悠斗の前では日常茶飯事であった。
会食予定時間の二十一時前に、続々と人が集まって、準備が完了した。
有仁は秘書が司会を務め、その指示にしたがい壇上に上がる。
「今日は集まっていただき、ありがとうございます。私が総理として職務に従事してから半年ほどですが、やっとの思いで開催できましたことを、うれしく思います」
実はここ数ヶ月、隣国の動きが活発化しており、その対応の為、なかなか思うように時間が取れず、ここまで長引いてしまったのだ。
本当であれば、総理就任後の一週間後には行うはずだった。
「さて、今宵は二時間ほどの会食なのであまり長く喋ると皆さんの貴重な時間を無駄に奪ってしまうことになるので、早速ですが乾杯の音頭を取らさせていただきます」
そう言って、総理は右手に持っていたワイングラスを掲げる。
「では、今日の良い日を記念して―――乾杯!」
『「乾杯!」』
それぞれが互いにグラスを軽くぶつけて、早速だが近況報告だったり、ちょっとした仕事の話だったりが繰り広げられ、会場は直ぐにざわつきを取り戻していた。
有仁は壇上を降りて、紗悠と悠斗と共に料理を食べ、挨拶に来た人と短い時間だが話をした。
「有仁、来てやったぞ」
「お久しぶりです。先生」
「お父様、紗奈、久しぶりです」
次々と話していたために、疲れが見え始めた頃、源二が姿を見せた。
その後ろには、紗悠の妹である紗奈が一緒に来ていた。
「先生はよせ。儂はもう議員でも何でもないただの隠居だ」
「そうですか……では、お義父さんと呼びますね」
「そうしてくれ」
源二は有仁にそう言って、紗悠と軽くハグをする。
紗悠や紗奈は源二に男手一つで育てられたため、何処か男勝りな部分がある。
そのため見た目よりも力があり、更には武道を納めているため並大抵の男ならば一瞬で投げてしまうほどの技術を持っているのだ。
源二の妻で紗悠や紗奈の母親は若くしてガンを発症し、他界しており、娘達はしっかりとした母親との記憶は殆ど無い。
なので、寂しくないようにと源二が目一杯甘やかしたのだ。
「紗悠、有仁との生活はどうだ?」
「はい。有仁さんは毎日忙しそうに働いていますが、家族の事もしっかりと考えてくれる優しくて立派な人ですよ」
「そうかそうか。ならお前がその分、しっかりと家の面倒を見なければならないぞ」
「心得ています」
二人の会話に、何処か武闘家の血が騒いでいるような気がして、有仁は苦笑いをする。
「そう言えばさっき、受付で悠斗君を見たけど、弘斗君は?」
紗奈が質問した。
「弘斗は今日、学校で風邪をひいて、今は私室にて安静にしています」
「なら後で見舞いに行こう。孫の風邪など、儂が飛ばしてやる」
「父さん、そんな興奮しないの。また頭に血が上って倒れたら、大変なんだから」
「お、おう、すまんすまん」
紗奈の注意で、源二はどこか気まずそうに頭を掻いた。
紗悠は笑顔を浮かべ、有仁は変わらず苦笑いをしていた。
そんな家族の会話をしていると、秘書が有仁の肩を叩き、耳元で静かに呟いた。
「総理、受付にて「総理に挨拶をしにきた」と男性と女性の方がお見えなのですが、如何いたしましょうか」
秘書の報告に、遂に来たかと源二に目配せする。
源二は娘達に気づかれないように、静かに頷くと、何事も無かったかのように娘達を別の場所に誘い出す。
「分かった。対応しよう。地下の特別応接室へ案内してくれ」
「畏まりました。そのように」
秘書はそう言って、会場を後にし、受付に戻っていく。
有仁は少し責を外すことを何人かに伝えて、同じく会場を後にして、地下の応接控室に向かう。
扉を開くと、そこには源二と紗悠と紗奈が待っていた。
「お義父さん。紗悠や紗奈は一緒には……」
「あなた、分かっているわ。私と紗奈は此処で待っているだけ。誰かと話をするみたいだけど、無理やり話を聞こうとは思っていません。むしろお父さんが何か足早に私達と別れようとするので、怪しく思って付いてきただけですので」
有仁はしまったと内心で考えた。
源二は人を騙すという事が苦手なのだ。
昔から正直に正面からぶつかる人で、武闘家としてはそれが一番なのだろうが、こういった秘密事には全然向いていなく、何かを企んでもすぐにバレてしまい、毎回娘の紗奈に怒られる。
議員時代をどうやって切り抜けてきたかが分からないが、人付き合いは良い方なので、多分人脈と人情で乗り切ってきたんだろう。
「すまない、有仁」
「いえ、お義父さんがそう言ったことを苦手としているのを、忘れていました。話を振ったのは私からなので、紗奈さん。あまりお義父さんを怒らないで上げてください」
「……はぁ、分かりました。今回は有仁兄さんに免じて見逃してあげます」
「すまんなぁ、紗奈。心配をかけた」
紗奈は源二にどれだけ詰め寄っても、源二が吐かなかったのが珍しく、何故か拗ねていた。
もう立派な社会人として働いており、良い歳なので、未だにその子供っぽさが抜けていないな、と源二は苦笑いしつつ、その可愛さに紗奈の頭を撫でた。
「総理、案内しました。隣の部屋でお待ちです」
「分かった。ありがとう。君は此処で私の妻とその妹の相手をしてくれ。くれぐれも部屋に入ってくるなよ。誰一人通すな」
「畏まりました」
そう言うと有仁と源二は立ち上がり、隣の部屋へと姿を消した。
紗悠と紗奈は心配そうにその扉を見つめ、秘書はどこか鋭い目を向けていた。