始まり
不定期投稿になりそうですが、よろしくお願いします。
「総理、次の予定は二十一時から総理官邸にて会食となっています。参加者は奥様とご子息、各国務大臣とその関係者、招待者二名です」
「ああ、今日がその日だったか。分かった、ありがとう。君は先に官邸に戻って、会食の準備の手伝いを頼みたい。何人か護衛も連れて行ってもいい。警備も徹底するように向こうの担当者に伝えておいてくれ」
「畏まりました。それでは失礼します」
秘書が一礼し、部屋を出る。
それを確認した総理は、一度ため息を付くと、椅子に深く腰を掛けた。
「今日はいろいろな意味で気が抜けない日になるな」
徐に手を伸ばし、執務机の上にある内線電話の受話器を取り、電話を掛けた。
「もしもし。お世話になっています。和泉です。お久しぶりですね、先生」
総理が電話をした相手は、自身の国家公務員として働く道を示し、長年秘書官としても登用して貰った恩人ともいえる人で、前総理大臣だった内藤宗次郎の父、内藤源二である。
『久しぶりだな。元気にやってるか?』
「はい、おかげ様で。私をここまで育ててくれたのは、先生だと言っても過言ではありませんよ」
総理がそう言うと、源二は受話器の音声が音割れするほど大きく笑った。
源二は根性と体力があれば何でもできると豪語していた男で、前総理は父の影響からか、体力はあったものの、何処か理論的な考えで物事を進めていた。
時々、横腹を抑えて、こめかみを顰めていたので、息子からする父親は問題の種でもあったのかもしれない。
『私がお前を傍に置いていたのは秘書の時だけだ。その後の頑張りは全てお前の努力が実った結果だろう。現に国のトップとして、国民からも多く支持されている』
「ありがとうございます。しかし、先生が私を育ててくれたのは間違いありませんよ。私は貴方の背中を見て、ここまでやってこれたんですから」
源二はその言葉に、再び大声で笑った。
数回ほど社交辞令とも言える雑談が続く。本題は源二の方から切り出された。
『さて、雑談も良い所だ。お前から私に電話を掛けたという事は―――何かあったのか?』
最後の言葉にどこか力強さを感じつつ、総理は答える。
現職の総理大臣に対して、「お前」と言えるのは両親と源二ぐらいしかいないだろう。
「いえ、今のところは何も起きていません。しかし、これから起きるかもしれないと言っておきます」
『ほう、これから起きる、か。もう夜だ。これからあるとすれば会食だとか、晩餐だろう?』
「はい。一時間もすれば会食が始まります。先生にも話は行っている思いますが……」
『ああ、参加する予定だ。だが、その前に電話をかけてきたという事は、私に公には出来ない相談事があると考えているが?』
総理は先生の前で失礼だとは思ったが、一つため息を付く。
これからの事を考えると、ため息を付いてないとやっていられないほど思い詰めているからだ。
『お前がため息を付くときは、何かしらの厄介事を持ち込んだ時だ。言ってみろ。私にできることなら、手伝ってやる。引退した元議員に出来ることなんて、少ないだろうがな』
「そんなことはありませんよ。先生、一つ質問なのですが、息子さんか、先生が総理の秘書を務めていた時にとある事を聞いたこと、若しくは関与したことは無いですか?」
『とある事、とは?』
「実は前総理の引継ぎ資料の中に、厳重に保管された木箱がありました。皇室を示す菊花紋章が入った漆塗りの上質な箱です」
『……』
源二は聞いているが、相槌を打つだけで、何も言葉を発しない。
「その中には、とある公文書が入っていました。表には〈特別機密〉と名打ってある物です。作成日時は不明となっています」
『……この電話は大丈夫か?』
「……ええ、専用回線と特別暗号化処理が行われています。外から聞くことは不可能です」
『分かった。ではその質問に答えよう』
源二は珍しくため息を付くと、何かを思い出すように語り始めた。
『それは私が総理の秘書として働いていた時に、既に存在していた文書だ。誰が作ったかも、いつから存在しているのかも分からない。だが、確かにその公文書は本物だった』
「という事は、内容は間違っていないと?」
『そうだ。実際に会ったことは無いが、総理は公文書通りに実施し、彼らはそれを守った』
「なるほど……。では、今日は会えるかもしれません」
『まさか今日の会食が』
「はい。私が総理になってから、始めたの会食です」
総理の執務室には金庫がある。
それは市販されているようなものとは違い、何重にも解除方法が仕組まれた特別製。
その中に、例の公文書が保管されていたのだ。
『つまり、今日は彼らが来る日という事か』
「そのはずです。公文書の内容が事実であれば」
総理が引き継いだ特別機密の公文書の表題は〈国政及び国家存続に関する締結書〉と書かれている。
中身は歴代の総理大臣の直筆のサインが並んでおり、簡単に言えば総理ととある組織のトップとの契約書のようなものだ。
『なるほど。ならば今日の会食は一層気合を入れて望まねばならんな』
「ええ、そのつもりです。妻と息子には、会食中に私を訪ねてきたものが居たら直接伝えるように言ってあります」
『受付に入れるのか?』
「会食とはいっても、名ばかりのモノです。ずっと受付に居てもらう訳でありませんが、息子と交代で常にどちらかが受付に居てもらうようにしました」
『……家族が一番信用できるからか?』
「……今日の会食は普段とは違います。いつから続いているか分からないものですが、前総理から引き継い公文書に残っていた通りであれば、秘書や警備のモノが対応すると、事が大きくなる。そんな予感がしているのです。本当に来るか分かりませんが、一応招待者として私が直接会うつもりです」
『私が一緒に立ち会うのは、何か問題があるか?』
源二は会食中の招待者に、一緒に会うのは問題ないかと尋ねる。
それは源二の好奇心でもあるが、自身の娘と孫が関わっているとなると、父親としては心配でしかないのだ。
「一応、公文書の中には、締結時の会談には、二名の同行を許可するとあります。相手は二名で来るとされているので、こちらも二名で臨むつもりだったんです。もちろん、先生にお願いしたい」
『分かった。現職の総理であり、娘婿であるお前の頼みだ。出来ることは無いかもしれないが、同行しよう』
「ありがとうございます。相談事は以上です」
『分かった。そしたらまた会食の時に』
「はい。では、失礼します」
総理はそう言って、受話器を置く。
その表示には緊張と安堵が入り混じった、複雑な表情をしていた。
「先生を巻き込みことになってしまったが、私が唯一心から頼れる者の一人だ。いざというときの備えも考えてあるから、大丈夫だと思うが……」
部屋の隅を見ると、何処から入ったのか、蛾が止まっていた。
時計を見ると、既に二十時を五分ほど過ぎている。
総理は帰り支度を済ませると、外で待機している警護官に処理することを頼み、総理専用車で官邸へと向かう。
その車の中でも、会食の事を考えており、事務仕事は思うようには進んでいなかった。
現内閣総理大臣、遠山有仁は、不安で胃が痛くなっていたのだった。