禊の場にしないで欲しい
先日、回転寿司チェーンで醤油さしをペロペロ舐めた少年に6700万円の損害賠償請求!というニュースが流れました。
まあ、それについてはスカッとしたという人もいればかわいそうという人もいたり、色々とあるかもしれません。
私自身も「ふーん」くらいなんですね。
ただ気になったのはある番組でタレントさんが「皿洗いをさせればいい」と発言した事なんですよね。
皿洗いをすることで自分を見つめ直し反省……これってスシローで働いている方に失礼だなぁと。
別にそんな醤油さしをペロペロした少年が更生の為にしっかり働いてますって聞いても美談とも何とも思わない。単に気持ち悪いなぁと思うだけです。
ウチの利用者でスシロー大好きなお年寄りが居て先日、ようやく数年ぶりに家族と外出してスシローに行けたんですね。
もし仮にその先で『ここって醤油さしペロペロ少年が皿洗いしてるんだぁ』って聞いて『凄い、感動した』とはなりません。むしろ『気持ち悪い』し『知りたくない』ですよね。
話は少し逸れましたがそもそもあれだけの損害賠償なのに『皿洗い』がどうのという精神論。『皿洗い』=罰って職業に関する差別ですよね?
それでなんか既視感あるなぁと思ったらあれです。不祥事を起こした芸能人の禊の場として介護の仕事が選ばれるあれに似てますよね?
芸能人が介護施設を選ぶ理由としてまず『介護の仕事をしているなんて偉いね』と言われる所にあると思います。
確かに言われるんですよこれ。でもこれ、実は『なんて』って言葉がある。これって『私は出来ないけどね』というどちらかというと下に見ている感謝なんですよね。
あ、もちろん純粋に感謝されていることだって多いですけど根底にはそういう差別意識、有ると思うんですね。
それでいて重労働や低賃金。テレビという花舞台に立っていた芸能人から見れば対極に位置する仕事ですよね。
ただ、それでもイメージ戦略としては美談に出来たりするんですね。テレビは『美談』とか『感情』が好きですから。
被害妄想が過ぎるでしょうか?あながち間違いじゃない気がするんですけどね。
介護施設を禊の場に選んだ芸能人たちでその後、考えが変わり自分で経営し始めたとかそういう人っていないですよね?
何か刑務所入っておつとめしてきた的な感じである程度やるとバイバイ、なんですね。
スシローでの『皿洗い』も何だか同じ様な視点で言われている。そんな気がしちゃうんですよね。
私達の仕事は罰ゲームじゃないんだけどなぁ。
そう思う今日この頃でした。