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苦手な方はご注意ください。

ソライロハグルマ系列の小説

ソライロハグルマ

作者: くろこげめろん

「……!」

 菱暮慧(ひしぐれけい)は飛び起きた。強く握りしめていた手を開くと、汗でじっとりと湿っていた。

(またあの夢だ……)

 この一か月、しょっちゅうこの夢を見る。薄暗い森の中で、何かから一生懸命に逃げる夢だ。なんでこんな夢を見るのか慧にはさっぱりわからないが、夢とはそういうものだと慧は思う。

 なんだかマイナスな思考に陥りそうな気がした。頭をぶんぶんと振って考えを振り払う。

 喉が渇いたので、台所に行き水を飲む。ひんやりした水は疲れていた体を適度に癒してくれた。

 目が覚めてしまったし、寝る気も起きないのでなんとなくスマートフォンを手に取ると、ちょうど着信がきた。慧の姉、(ゆめ)からだ。彼女は高校生の慧より十ほど年上で、テレビ局のリポーターをしている。

「もしもし」

『やっほー慧くん! ちょっと明日からしばらく夏休みで終わったら仕事だから、そっちに行くからさー、おうちにお邪魔するねー。慧くんも一人暮らしで寂しいでしょ?』

「寂しくない。姉さんが来るとうるさくなるからホテルにでも泊まって」

『つれないなー。でもあと十分くらいで着くから、待っててねー!』

 夢はそれだけ言うと返事を待たず通話を切った。慧はホーム画面で待機しているスマートフォンに向けて姉の愚痴を言う。

「来るなら前もって言ってよ。準備ができて、ない……はっ」

 慧はとあることに思い至った。

 夢はブラコン、つまり弟大好きである。美人でやさしいため、中学、高校、大学と通して告白も何度もされたのに、今まで恋愛経験がないのもそれが理由だ。

 そして以前からこちらに泊まりに来るたび、一緒に寝ようとしつこく言ってきていた。その時は毎回布団を別室に用意していたため難を逃れたが、直前に言われた今回はそうもいかない。

「わあああ! おのれ謀ったな姉さん!」

 頭を大きく振ると、慧は大急ぎで布団の用意を始めた。


 十分後。

 物の詰め込まれたクローゼットから布団だけを抜き出し、なんとか雪崩を抑えられたところで、無情にもインターホンは鳴った。

「入るよー」

 一階からガチャリと鍵が開く音がして、扉が開き、だんだんこちらへと足音が近づいてくる。

 布団を一階の夢の部屋に運ぼうと階段を下りる途中に夢と遭遇した。

「やっほー。なんで布団を持ってってるのかな?」

「……姉さんを別の部屋で寝かせるため」

「だめ! だよっ! 今日こそは一緒に寝るんだからね! それと……」

 夢は背負っていた少女を抱っこし、慧に見せた。

 少女は真っ白なワンピースを着ていて、茶髪がきれいだ。だが、体中に傷があり、ところどころ服に血がにじんでいる。そしてなぜか頭の上に、黄色のわっかがあった。

「おうちの近くで倒れてたの。お医者さん志望の慧くんなら手当てしてあげられるでしょ」

 夢は慧から布団を奪い取ると、かわりに少女を押し付けた。

「救急車を呼ぶっていう考えはなかったの?」

「……あー、えっとー……えへへっ。ちょっと慧くんのことで頭がいっぱいで、思いつかなかったなあー……」

 これでも、日本各地にファンの多い人気リポーター、通称『菱暮お姉さん』なのだから世間というのは不思議なものだ。

 慧は心の底からそう思った。

 それと、布団は夢によって雑にクローゼットの中に放り込まれた。もちろん雪崩が起きた。


 少女の傷を消毒し、薬を塗ってから包帯を巻き終わった。依然として少女の頭上には黄色のわっかが一定の距離を保ってくっついている。これを見た夢の感想は『地上に落っこちた天使』といったところである。というかだいたいの人はそう思うだろう。

 しばらく二人でテレビを見ていると、少女がすこし唸ってから目を覚ました。

「こ、こは……?」

「僕の家」

 少女は上半身だけを起こすと、周りをきょろきょろ見回した。

 そして、どこからか弓矢らしきものを取り出し、慧に向けた。

「私は天使ですよ! 家に連れ込んで何をするつもりぐえっ」

 慧は一瞬で間合いをつめると、少女のみぞおちに右ストレートを叩き込んだ。こんなあどけない少女に全くためらいもなく叩き込んだ。一応手加減はしているが。

「命の恩人になんてものを向けるんだ。これは没収」

「わー! 慧くん強ーい! かっこいー!」

 夢は慧に向かって拍手した。普通の人なら何かしら言いそうなところだが、夢の頭の中では『慧のやること=正義』なので仕方がない。

 ソファーに倒れこんだ少女は、ものすごい形相で慧をにらむ。ただ武器はあの弓矢ひとつだけだったようで、何もできない。

「私を殴るなど正気の沙汰ではありません! 天罰が下りますよ!」

「弓向けられて、おとなしく射られろという方がおかしい。これは正当防衛」

「ぐっ……!」

「わー! 論破! 慧くんてんさーい!」

 少女は言葉に詰まった。それでもなお敵意のこもった目で慧をにらみつける。

 慧は大きくため息をつくと、家の固定電話の方へ歩いていき受話器を取った。

「なっ、何をする気ですか!」

「僕のできる処置は終わったし、救急車でも呼んで病院に連れて行ってもらおうかなと」

 慧の口から『病院』という単語が発された瞬間、少女は土下座した。よく見ると小さく震えている。

「そ、それだけは許してください! ごめんなさい! 本当にごめんなさい! なんでもしますので!」

 少女は本気で嫌がっているらしいので、慧は受話器を置き、またため息をついた。

 病院に連れて行かないとなると、ここに置いておくしかないわけだが、慧は金銭的に余裕があるわけではない。夢に言えばいくらでも、というか全財産を軽々しく渡してくれそうだが、もう既に必要最低限の金額を毎月貰っているし、それは夢に申し訳ないのでしていない。

 かといって少女はまだ小学生とかそのくらいの外見だし、自分で金を稼ぐことは難しそうである。

(となると、姉さんに頼むしかないだろうか……うーん……)

 でも、まだ少女のできることどころか、名前さえも分かっていないのでとりあえず質問することにした。

「名前は?」

「ふぁいっ!? あ、えー、ミ、ミラです。ミラ・クリスタです」

「歳は」

「さ、三十七です」

 まさかの年上。ミラは少女どころではなく、夢よりもはるかに年上だった。慧と夢は同じタイミングでそっくりの表情をする。やはり姉弟は似ている。

「……ごほん。特技は」

「ま、魔法です」

「もっと具体的に」

「爆弾を作り出したりとか、ちょっと未来を見たりとか、えーと……怪我を治したりとか、です」

 慧はこれだと思った。

「あ、いや、でも、下界では魔法を使っちゃいけない決まりになってるので」

「使えない」

「ひどい!」

「それ以外の特技は」

「ないです」

「使えない」

「ひどい!!」

 とはいえ、特技がないとなると仕事など何もできなさそうである。慧はいっそ救急車を呼んでしまおうかと考えたが、ミラが泣きそうな顔をしたのでやめた。

「特技がなくても仕事はできるんじゃない? ほら、スーパーマーケットはいっつもアルバイト募集してるし」

「確かにそうだ」

「えっ?」

 というわけで、ミラの予定が決定した。


 一週間後。

 今日はミラのバイトの面接の日だ。戸籍とか身分証とかは天使パワーで何とかなるらしいので、バイトの申し込みでもミラが取り出した免許証を使った。ちなみにゴールド免許だった。

 現在夏休みのど真ん中で、家から一歩も出たくない慧は、自分でもぞっとするような猫なで声を出して夢にスーパーマーケットの案内役を押し付けた。猫なで声を出さなくても応じてはくれるのだろうが、出した方が夢は喜ぶ。

「じゃあいってらっしゃい」

「またあとでねー」

「行ってきまーす」

 夢とミラがスーパーへ向かったのを確認すると、慧は戸締りをしっかりして居間のこたつに潜った。スマートフォンを取り出して動画投稿サイトを開く。

 同級生の輝神坂(かがやきかみざか)流星(りゅうせい)が配信者もどきをやっているので、慧はちょくちょくそれを見ている。最近は『夏休み特別企画』と題し毎日朝から晩までぶっ通しでゲーム配信をしている。

 案の定今も配信中だったので『視聴』ボタンを押し、表示されたチャット欄に『おはよう』とあいさつを入力する。すぐに『おー、おはよう!』と年齢の割に高めな声が聞こえた。

 流星は現在、ホラーゲームを実況していた。ゾンビとかでっかい虫がわらわら出てくる結構グロめのゲームだ。流星の好きなジャンルは格闘ゲーム、RPGだそうだが、なぜかファンの中にホラゲー愛好家が多く、その要望にこたえる形となっている。

 脳の半分を考え事に使いながら、ぼーっと実況を見る。これが最近の慧の活動時間のおよそ五割を占めている。

(ミラは面接、ちゃんとできるかなあ)

 今の慧の脳の残り半分はミラのことを考えていた。


 * * *


 慧の自宅からスーパーマーケットまでは歩いておよそ十分。このあたりでは最も大きな店である。

「ところで」夢はミラと手をつなぎながら呟いた。「なんで病院が嫌いなの?」

「注射が怖いです」

 夢は吹き出した。

「私より十歳も年上のくせに、注射が苦手って……」

「な、なんですか。悪いですか」

「いや、面白いなあって」

 ミラは笑われたことに対し、すこしむすっとした顔になった。

 しばらく歩くと、公園がある。ただ、公園とはいってもそれほど広いわけでもないし、置いてある物がベンチ二つしかない。

 ミラは公園をちらっと横目で見て、動きを止めた。

「どうしたの?」

「あれ」

 指さした先を見ると、ベンチに寝っ転がっている女子高校生くらいの人がいた。黒髪を腰のあたりまで伸ばし、ぶかぶかのジャケットとデニムを着ており、頭には黒い猫の刺繍がされた帽子をかぶっている。美人のようだが、完全に不良にしか見えない。

 夢が首をかしげたが、ミラはそれを無視してベンチへ向かい、女子高校生の頭をつんつんして起こした。

「んー……なに……あっ?」

「やっぱり! 死ねぇ、天誅ですっ!」

 ミラが弓矢を向けた。夢が慌てて止めようとするが、その前に女子高校生が弓矢を蹴飛ばす。その蹴りは夢が全く目で追えないほど速く、気づいた時には弓矢が空を飛んでいた。

「起こされたかと思ったら」女子高校生は大きなため息をつくと、タバコを取り出してくわえ、桃色のライターで火をつけた。「いきなり弓って。礼儀というものを学んだらどうなの」

「うー……あの恨みは忘れませんよ! いつかぶっ殺します! ぜったい! 覚悟してむぐっ」

「ごめんなさい! 何やってんの!」

 夢がミラを取り押さえて、女子高校生にぺこぺこ謝る。

 女子高校生はようやく不機嫌そうな顔をやめた。タバコを指で挟み、煙を吐き出す。女子高校生のわずかに虚ろな視線は、夢やミラではなく青空へと向かっていた。

「あのー……ミラとどういう関係で?」

「知り合いかな。こないだ天界に遊びに行ったとき、ウチとミラがぶつかってこけて、その拍子にミラが地上に落っこちたの」

「夢さん違います! こいつが私を意図的に落としたんでむぐっ」

 夢が慌ててミラの口をふさぎなおす。

「あー、天界? って何ですか?」

「えーとね」女子高校生は右手で青空をまっすぐ指さした。「神様のいるところ。雲よりもすごく上のところに、実際の空間と重なり合って存在してる。この世界とは空間的なつながりがないから、空間に干渉する能力がないと行けないけど、ウチはこれがあるから行ける」

 女子高校生はジャケットの内ポケットに手を突っ込み、直径二センチほどの歯車を取り出した。それは桃色で、ステンドグラスのように透き通っていた。真ん中の穴には細いチェーンが通してある。どうやらネックレスらしい。

 ただ、夢は女子高校生の説明をいまいち理解できていなかった。夢はわからないことは置いておいて、そのうち忘れる人なので、このネックレス綺麗だなあとしか思っていない。

(でも……神様のいるところに行けるんだったら、この人すごい人なのかな。もしかしたらミラみたいに年上かも)

 そんなことを考えているのがばれたのか、女子高校生は少し不機嫌そうな顔をした。

「ウチはれっきとした女子高校生だよ。今年高校二年生」

「あ、それは失礼しました」

 じたばたしていたミラがようやく動きを止めた。夢がミラの口から手を放すと、またミラが騒ぎ出したので塞ぎなおした。

 女子高校生はさらに不機嫌そうな顔をして、ミラをにらんだ。ミラはしかめっ面でにらみ返した。

「じゃあ、これから面接だからそろそろ」

「うん」

 女子高校生はタバコを地面に投げ捨て、踏みつけて火を消すと、またベンチに寝転んだ。


 * * *


 霧島優(きりしまゆう)は悩んでいた。

 高校生らしく、恋愛だとか自分の進路だとかではなく、クラスメートの黒猫蓮(くろねこれん)の持つ桃色の歯車をどうやって奪うかである。

 それは立派な犯罪なので、バレると最悪逮捕される。なので、いかに証拠を残さずいかに見つからずに連から歯車を奪い取るかを、数日前からずっと考えている。

 優がここまでして歯車を渇望する理由は、彼女の持つ、黄色の歯車にあった。

 色付き歯車は何かしらの能力を所有者に与える道具だ。その代わりに、何かデメリットも与える。

 黄色の歯車のデメリットは『独占欲に駆られる』というもの。欲しい物があれば何としてでも手に入れたくなるし、好きな人がいればどんな手段を使ってでも付き合いたくなる。今回はたまたまそれが桃色の歯車に向かったのだ。

「……どうすれば……」

 桃色の歯車の能力は『空間干渉』。テレポートしたり異空間に行ったりできる。

 一方黄色の歯車の能力は『物質創造』。土やコンクリートから、ダイヤモンドまでどんなものも作り出せる。

 これまで欲しい物があれば、所有者を壁で囲い、そのすきに奪い取るという方法を取ってきたが、蓮のテレポート、空間削除の前にはどのような壁も意味を為さない。

「あれは絶対に手に入れる……絶対に……あれの所有者にふさわしいのは私しかいないのよ!」

 机を全力で殴りつける。家中に大きな音が響き渡った。

 そして優は思いついた。

 ただ取るのが無理なのなら、殺してでも奪えばいい。

「そうよ。なぜ今までこれに思い至らなかったのかしら? 殺してしまえばいい!」

 今度は家中に、狂気じみた笑い声が響き渡った。


 * * *


「ねむい」

 三十分ほど流星のライブ配信を見ていたら、急に眠気が襲い掛かってきた。

 スマホの電源を切り、頭だけこたつの外に出して目を閉じる。

「いっ!?」

 頭を置いた場所に何か落ちていたらしく、側頭部に痛みが走る。

 その場所を手で探ると、小さなギザギザしたものが落ちていた。

 それは水色の歯車だった。半透明で、真ん中の穴には細いひもが通してある。ネックレスのようだ。

(なんでこんなものが落ちてるんだろう? 姉さんが持ってきたのかな)

 しばらく眺めていると、いきなり歯車の真上に人型の映像が飛び出してきた。それは徐々に鮮明な画像になっていく。

 現れた人は、身長およそ二十センチほどの男子だった。髪は右半分が灰色、左半分が歯車と同じ水色で、色の境目はグラデーションのようになっている。目は両目とも水色だ。顔や体形などはどう見ても小学生にしか見えないが、服装だけは紺色のスーツでびしっと決めていた。ただし髪がぼさぼさなのできっちりしているようには見えない。なんともアンバランスである。

「やっほー。おれっちはスペルワンダ。フルネームはスペルワンダ・アサイド『ツインタプル』ファンク・コードティーディーだぞ」

「長い」

「だからおれっちのことはスーくんって呼んでネ」

 スーはウィンクし、右手を顔の横に持ってきてピースした。

 慧はため息をついた。せっかく寝ようと思っていたのに眠気がすべて吹き飛んでしまったからだ。だが、名乗ってもらったので一応自分も自己紹介しておく。

「僕は菱暮慧」

「ふむ、慧くんか。いい名前だね」

 スーは頷きながら、ポケットから取り出したメモ帳にすらすらと何かを書きこんだ。メモ帳をポケットにしまうと、スーは大きく伸びをしてから話を始めた。

「この歯車は魔法の歯車なんだ。持ってる人は魔法が使えるようになるけど、かわりになにかデメリットもある。これの場合は『防御』で、デメリットは……そうだな、『手加減ができなくなる』くらいかな。慧くんの身体能力から考えれば、今のところは心配はいらなそうだけどネ。鍛えすぎちゃダメだぞ、喧嘩したら殺しちゃうから」

「はあ」

 慧はいきなり魔法だのデメリットだの手加減だのと言われてもいまいち飲み込めていない。それに、慧は現実にしか興味がなく、神だとか地獄だとかそういうのは全く信じていない人である。

 反応を見たスーは「信じられなくても仕方ないよネ」と肩をすくめた。

「実際にやってみればわかるヨ。左手をパチンって鳴らしてみて」

 言われた通りに指を鳴らすと、不思議な、暖かく優しい感覚が慧を包んだ。大好きな母親にハグされているような感じだ。

「ちょっとこたつに頭をぶつけてみて。痛くないから」

 再び言われた通りに頭を打ち付ける。ごつんと鈍い音がしたが、慧の頭には何の感触もなかった。だがなぜか、こたつが触れたことだけは分かった。

「ね? わかっただろ。これがこの歯車の魔法なんだ」

「ふうん」

 実際に魔法を体験した慧は、一瞬にして意見をひっくり返し、魔法の存在を信じた。

 スーは満足したように頷くと、またメモ帳を取り出して何枚かめくった。

「えーと、歯車を初めて持った人には説明する義務があるんだよね。めんどくさいと思うけど聞いてネ」

 そこから、およそ十分にわたるスーの説明が続いた。


 長ったらしい説明を終えたスーは、ふらふらと空中をさまよった後、ソファーの上に軽くぽすっと音を立てて墜落した。よほど疲れたらしく、体が半透明になって消えかかっている。触ると今にも崩れそうだ。

 そしてその長ったらしい説明を集中して聞き続けた慧もソファーに倒れこみ、特大のため息をつく。

 説明の内容をまとめるとこうなる。

・所有権は所有者が死ぬまでずっとそのまま。盗まれても魔法が使えるし、盗んだ人は魔法を使えない。ただし魔法の威力が弱まったりする。慧の場合は、『絶対無敵』から『ダメージ軽減』になる。

・歯車の所有者は全世界に数十人いるそうで、お互いが出会うと、お互いに『歯車の所有者だな』と分かる。

・歯車は壊れても自動で復活する。元に戻るのは最も大きな破片だけで、残りは自動的に消滅する。だから売って金稼ぎはできない。

・『防御』魔法は、自分だけでなく、周囲の最大五人にも適用できる。ただし離れすぎると効果が切れる。

 こうまとめると簡単だが、スーがとても説明が下手で、慧が何度も同じことを聞く羽目になったことや、説明する事柄に大量の実例などが含まれていたため、それに時間を取られたことで、十分もかかった。

「じゃあ、おれっちはちょっと寝るぞ。おれっち、太陽光エネルギーで動いてるから、歯車を直射日光のあたるところに置いててネ。それじゃー」

 スーは光の粒子となって消えた。

 慧が窓際に歯車を置くと同時に、家に夢が帰ってきた。

「慧くーん! 大変だよ!」

「なに」

 玄関に行くと、今度は別の人を背負ってきていた夢が丁寧に床に下ろした。

「だからさ、家に連れてくる前に救急車を……えっ」

 その人は、慧のクラスメートの黒猫蓮だった。

 服は背中の部分が大きく破れ、後頭部は血で真っ赤に染まっている。体中に泥が付いており、呼吸をしていなかった。

「姉さん、救急車」

「りょーうかい」

 夢が素早く鞄から電話を取り出すと、慧は連の顎を上げ気道を確保し、急いで胸骨圧迫を始めた。

 人がいないので仕方ないし服越しとはいえ、会話さえほとんどしたことがない人の体に触れるというのは多少悪い気がする。人工呼吸はなおさら。できるだけしたくない。

「救急車すぐ来るって」

「わかった」

 毎分百回程度のテンポを乱さず、力も同じようにする。

 腕の疲労を激しく感じながらも三分続けたら、救急車が到着した。

 心臓マッサージをやめ、救急隊に任せる。蓮は担架に乗せられて、救急車に運ばれた。

「ご家族ですか」

「クラスメートです。姉さんが公園で倒れていたのを発見したそうで、なぜか救急車を呼ぶ前にうちに連れてきました」

 救急隊の男性が、すこし呆れを含んだ目を夢に向ける。夢は舌をぺろっと出し、ウィンクした。


 この短い間で充電は完了したらしい。

 スーはこたつの上で反復横跳びをしていた。

「わあ何この子ちっちゃい! 小人さん?」

「おれっちは小人じゃないぞ。おいつっつくな、やめて!」

 こたつの上で逃げ回るスーを夢は興味津々な目で見つめる。

 慧は窓際に置いていた歯車を拾うと、夢に見せた。

「これはスー。この歯車が作るホログラム」

「正確には違うけどな」

 夢は歯車を見て、すこし考えるそぶりをすると、思い出したことを言った。

「さっきの不良の女の子、クラスメートなんだよね。それの色違い持ってたよ。ピンクの」

 スーと慧は顔を見合わせた。

「慧くん、そいつを見た時なんか変な感じがした?」

「した」

「じゃあ、そいつが所有者なのは確実かな。その変な感じが、所有者の判別方法なんだヨ。えーと、ピンク、桃色は……『空間干渉』だったっけ」

 世界に数十人しかいない珍しい人が、この田舎町に二人もいたようだ。

 慧とスーは驚き、いまいち話が理解できていない夢は一人で首をかしげた。


 昼過ぎ。

 ミラが帰ってきた。

 そしてミラはスーを発見した。

「ああ! スー! なんで出れたんですか?」

「だって慧くんが所有者になってくれたからネ」

 ミラは、プリンを食べながら野球中継を見ている慧をにらみつけた。

「何」

「空色の歯車はもともと私のものなんです! どろぼう!」

「じゃあなんで所有者になってないの」

「うっ」

 言葉に詰まったミラに代わり、やれやれといった感じでスーが答えた。

「歯車は人間向けに作られてたんだ。だから、少なくとも人間のクオーターじゃないと使えないし、所有者にもなれない。ミラは生粋の天使だから使えなかったんだヨ。代わりにいろんな魔法が使えるけどネ」

「ふーん」

 ちょうど今、フルカウントの状況から背番号十八番の夕条龍三郎がスリーベースヒットを打ち四対三で逆転した。慧は会話を三分の一ほど聞き、残りは野球に集中している。だからスーの説明を理解していない。

 ミラは慧を恨めしそうににらむと、自分も野球中継を眺めた。

 会話がなくなったのでスーも野球中継を見る。だが、おやつに食べようとしている、身長のおよそ四分の一ほどあるみかんの皮をむくのに苦労しており、あまり野球を見れていない。

「慧はどの選手が好きなんですか」

「別に誰も」

 三人とも暇しており、なにかしたいと思っているのだが会話が全く続かない。

 慧は野球中継を見ているが、あまり野球が好きではないしルールも知らない。面白い番組がなかったからこれを見ているだけだ。

 プルルルル……

「ん」

 自分のスマホを見る。知らない番号だ。

 とりあえず通話を開始する。

「もしもし」

『菱暮慧?』

 慧があまり聞いたことのない声だ。だれだっけと頭を必死に回転させるが、答えは出てこなかった。

「そうだけど誰」

『ああ、ウチ黒猫蓮。救急隊の人に聞いたけど、慧が心臓マッサージとかしてくれてたらしいじゃん。してもらってなかったらウチけっこうやばかったらしいし、お礼を言わないとって思って』

 慧は思い出した。この低くてよく通る声は蓮の声だ。ほとんど頭を働かせず、野球中継を眺めながら納得がいった。

「どういたしまして」

『それと、慧って歯車持ってるよね』

「うん」

 やはり話を聞かず、適当に返事をする。

『ウチ、襲われたんだよね。別の歯車持ってる人に』

「えっ」

 慧の脳が野球を捨て、通話に集中する。

『ほら、ウチらのクラスにいるでしょ。優だっけ。暗くてジメジメしてるなんかヤなやつ』

「ああ、うん」

『優は、「物質創造」の歯車持ってる。ウチの歯車のチビッコが言ってたから間違いない』通話越しに蓮が大きく息を吐くのが聞こえた。『それで、なんかめっちゃ硬いやつを体中にぶつけられてさ、桃色の歯車を盗まれたんだよね。なんでか知らないけど、慧も注意しといたほうがいいよ』

「わかった。忠告ありがとう。気を付けるよ」

 それ以上話すこともないので、蓮が通話を切った。

 通話で得た情報をスーたちに言うと、スーはみかんの果汁で口のまわりをオレンジ色に染めながら動作を停止し、ミラは目を新幹線もかくやという超高速でしばたかせた。

「『物質創造』って言ったら……黄色だっけ。単純で扱いやすく、攻めも守りもできるから優秀なんだヨ」

「防御専門の空色とは違いますからね」

 ミラはまだ恨めし気な目を慧に向けた。

 だが、スーはその意見を一蹴した。

「そうでもないぞ。無敵だから、捨て身の特攻を何回でもできるんだ。相手がナイフ持ってようがライフル持っていようが戦車だろうがやっつけられる」スーはみかんの半分を食べ終わり、深呼吸した。もうこれ以上食べられないらしい。「原理的には、外側をコーティングするんじゃなくて、周囲の空間まるごとバリアにしちゃうから体の中までしっかり守られるんだ。桃色の魔法で空間を削られたり、黄色の魔法で体内に水銀を入れられることも絶対にないし、空色は優秀だネ」

「へえ」

 そう聞くと、空色の歯車は最強に聞こえる。

「でも、いくらダメージが来ないからっていくら殴っても戦車は壊せません」

「武器持てばいいじゃんか。持ってる武器も防御の範囲内だから、絶対に壊れないんだヨ」

「ぐっ……」

 ミラは返す言葉が思いつかないため、ようやく慧とスーをにらむのをやめた。再び実況者の声だけが聞こえ、暇な時間が戻ってくる。


 * * *


 個室のベッドの角度を調節し、半分寝るように座っている蓮はスマホをベッドの隣にある小さな移動式の机に置いた。

「はあ……これからどうしようかね」蓮はタバコを日本の指で挟むと、煙を吐き出した。「歯車が奪われちゃったから、魔法の精度が大幅ダウン、って感じだしね」

 蓮は頭と背中のけががだいぶひどく、手術の必要があるらしい。蓮は痛むだけだし問題ないと言ったが、医者に説得されて三日ほど入院することになった。

 彼女の持つ桃色の歯車は別のところにあるが、それに宿っていたコペルフック・レ・ディエゴ『サンタ』ソルティ・メッド――通称コペル――は主の所にいる。歯車というエネルギー源が遠く離れているため、今はコンセントにひもを差し込み、それを握って電力を供給している。

「いっそ、慧って人に助けを求めてみたらどうっスか。歯車を取り戻すのに協力してください、って頼めば。蓮は美人だし、だいたいどんな人でもイチコロっス」

 蓮もそうしたいのはやまやまだが、慧とは親しいどころか、会話すらもまともにしたことがない。そういう相手に自分の都合で危険を負わせるのはあまり気が進まなかった。そもそもコペル自身も本気で提案しているわけではない。

 やることのない蓮はテレビをつけた。野球中継が映し出されたが、蓮が見るのはニュース番組だけなのでチャンネルを変える。

 四番のチャンネルではちょうど銀行強盗のニュースが流れていた。数日前から神奈川県内の銀行が立て続けに襲われている事件だ。犯人の身元は監視カメラの映像や目撃証言により判明しているものの、まったく事件後の足取りが負えていないらしい。

「そーいや」コペルは小さくあくびをした。「先代の持ち主が、こういう事件があるたびに、魔法で犯人を捕まえてたんスよね」

「ふうん。ていうか、コペル何歳? よく先々代とか、もっと昔の話するし」

 問われたコペルは顎に手を当て、すこし考えた。

「はっきりとは憶えてないっスけど、三千年くらいは生きてるっスかね。昔っからいろんな人の場所を転々としてたっス」

「へえ。長生きだ」

 蓮はタバコを灰皿に押し付けると、箱から新しいタバコを取り出し、ライターで火をつけた。

(ほんとにどうしようか。歯車がないとなんか不安だし、また優に襲われたら今度こそ殺されてしまう)

 いくら悩んだところで、何も思いつかなかった。


 夕方。

 病室のドアが開いた。

 入ってきたのは蓮の兄、零太(れいた)だ。耳に髪がかからないくらいの短髪で目は切れ長。服装は白いTシャツに右ひざの破れたデニム。蓮の尊敬している人でもあり、蓮がタバコを吸い始めた原因でもある。

 彼は東京のとある大学の教授だが、妹を心配するあまりわざわざ大急ぎで飛んできたのだ。

「ゼロ兄」

 蓮は入ってきた零太の方を向いたが、その視線は零太ではなくそのすぐ隣にある小窓に向いていた。

「相変わらず、人を直接見れない癖は直らないんだな」

「癖じゃないよ。生まれつき」

 コペルは、自分でも少し遅いような気がしたが、見つからないようにそっとベッドの下にヘッドスライディングで飛び込んだ。

 それには気づかなかった零太が蓮に心配そうな目を向ける。

「大丈夫か? 大けがしたと聞いたが」

「大丈夫、痛いだけ。手術しないといけないって言われたけど」

 妹の口から大丈夫と聞いて、零太はいくらか安心し、ほっと息をつく。零太は飛行機の中、意識が飛びかけていたほど妹が心配だった。

「それにしても、なんでそんな大けがをするんだ」

「いや……」蓮は答えに詰まったが、何とか無難な答えを出した。「ちょっと公園でふざけてて。木から落ちた」

 蓮はもうそんな馬鹿なことをするような年齢ではないし、言った後で怪しまれるかと思ったが、零太はあまり疑うそぶりを見せず静かにうなずいた。

 だいぶ心が落ち着いた零太は、持っていた紙袋から透明なケースに入ったたい焼きを二つ取り出し、机に音を立てず載せた。

「これでも食べろ。けがしてるんだから、よく食べてよく寝て早く治せ」

「ありがとう」

 零太が病室の椅子に腰を下ろしたのを見て、コペルは「今夜はベッドの下暮らしかな」と内心ため息をついた。


 * * *


「なんで!?」

 優は机を全力でたたいた。ギシッと嫌な音がする。

 それに答えたのは、黄色の歯車に宿る、ポケタルク・サンシティ『ロケット・ツー・ダイナ』ロッキン――優からはポケットと呼ばれている――だ。

「元の所有者が死なないと、所有者権限は移らないからねえ」

 ポケットは本日何度目かもわからない、大きなため息をついた。

(ここまで歯車の嫉妬心に蝕まれた人は、優が初めてだよ。ここまでくるとおいらじゃどうしようもない。あーあ、疲れた……)

 ポケットが桃色の歯車をちらっと見た。ポケットはこれまで何度も歯車の所有者同士が争うのを見てきた。魔法というものは強力すぎるがゆえに、お互いにとんでもないダメージを与える。だから、所有者同士の争いは、両者ともに無残な姿で死を遂げる。首から上が何も残さず消え去ったり、体が破裂し周囲に人だったものが飛び散ったりと、凄惨な結果をあげればきりがない。ポケットはいつも、主にそうなってほしくないと願っていたし、今も優にそうはなってほしくないのだが、自分たちではもうどうしようもなかった。

「じゃあ、蓮を確実に殺さないと……」

「そうだね……」

 ポケットは争いを好まない気質だ。だが、歯車に宿る者として主のすることをサポートしなければならない。この二つの間に挟まれ潰されそうになりながら、ポケットは日々心を痛めていた。いつかストレスで気が狂うかもしれない。ポケットはそれが何より怖かった。

 優が寝ている間に、こそっと歯車を返してくれば許してくれるだろうか。いや、蓮は許してくれても、優はまた奪いに行くだろう。それに、なんてことをするんだと、ポケットも攻撃されるかもしれない。

 優の精神状態はだいぶヤバい。何をしでかすか、何をしてくるか全くわからないから、ポケットはおとなしく従っている。

「ふう……ポケット、蓮が今どこにいるのか調べてきてくれる? たぶん、入院でもしてるんじゃないかしら」

「わかったよ」

 ポケットは家の窓から、ふらふらと外に出て行った。

 優はそれを満足げに見つめると、置いてある桃色の歯車に視線を移し、二つ目の魔法を得た自分を想像し、その喜びに浸った。


 * * *


 その夜、およそ深夜一時。

 慧はインターホンの音で目が覚めた。

「だれ」

 玄関を開いたが、誰もいない。

 いたずらか、と思ってドアを閉じようとしたとき、上の方から声が聞こえた。

「やあ少年! 今日は君の手助けに来たぞっ!」

 くるくると回転しながらその男は降ってきた。地面でシュタッときれいに着地を決めると、慧に向かって親指を立てた。

 慧に男は二十歳ほどに見えた。つやのある黒い髪を耳にかかるほどに伸ばし、顔には白黒の仮面をつけている。タキシードを着、シルクハットをかぶったその姿は、誰が見ても紳士に見える。

「私は栃木那覇(とちぎなは)! いかにも『栃木県』という雰囲気だろう?」

「いや、わかりません」

「まあそうだろうな。しかし、私は東京、八王子出身だ! 小学生までをそこで暮らし、中学時代は親の都合でニューヨークへ。高校時代は北海道、北京、パリなどを転々とし、大学、つまり現在はここで暮らしている!」

「大変ですね」

「分かるか、私の苦労が!」那覇は大げさに泣いたふりをした。「引っ越してばかりで友達もできず、いじめられていた時期もあったのだ!」

 ぺらぺらと自分の事ばかり喋る那覇を慧はジト目で見つめる。しかしその視線に気づかないようで、その後も十分ほど自分の話を続けた。

 さすがに聞き飽きた慧はドアを閉じ、再び寝ようとする。だが那覇はドアを閉じさせなかった。慧の両手をもってしてもみじんも抵抗できないほどの馬鹿力で、むりやりドアを開かせた。

「まあ待て少年。私は今日、手助けに来たのだよ。私は歯車の所有者だ」

「!」

 この町には所有者が四人もいるらしい。この事実に慧は驚きを禁じ得なかった。

 ふと、家の中から足音が聞こえてきた。ミラだ。

「何やってるんですか、こんな夜中に」

「おや美しいお嬢さん。私は、少年の手助けに来たのだ」

 美しいと言われたミラは、喜ぶではなくしかめっ面をした。

「いきなり初対面で『美しい』とか、気持ち悪いですよ。もうちょっと見え透かないお世辞を言ったらどうですか」

 那覇は胸を押さえて崩れ落ちた。外見だけは年端もいかない少女に「気持ち悪い」と言われたのがつらいようだ。なかなかお豆腐メンタルな男である。

 そのまま十秒ほど声を上げて泣くふりをした後、すぐに立ち上がり、元の姿勢に戻った。

「話を続けよう。私の歯車は『探索』の能力。ほかの所有者の位置や、現在の状態がぼんやりとだが分かる。そこで、だ」那覇はびしっと指を、慧から向かって左に指した。「なんと、優とやらが明日、確実に蓮とやらを殺害しに行くことが分かった。少年よ、君は『防御』の魔法の所有者であったな。ならば明日、いや今すぐにでも護衛に行くがいい。私は戦闘は苦手だが、一応私も同行しよう」

「じゃあ私も行きます」

「お嬢さんは歯車の所有者ではないようだ。危ないから、家で待機していなさい。私と少年で、必ずやいい結果を持ち帰るだろう」

「で、でも!」ミラはなおも食い下がった。

「ダメ。魔法が禁止されてるなら、正直言うと足手まとい」

「っ……!」

 慧のセリフは、本心だ。しかし、ミラを危険な目に合わせたくないという気持ちもある。一週間ほど同じ屋根の下で暮らしたのだ、僅かながら慧はミラを家族のように思い始めていた。それに、寝る前に面接に受かった通知も来た。ミラは仕事をしなければならない。

「姉さんが起きたら伝えておいて。慧はちょっと旅に出ました、って」

「わ、かりました……」

 ミラは、自分が何も手伝えないことが悔しかった。だが駄々をこねて迷惑をかけるわけにもいかないので、素直に寝室へ戻った。

「行こう」那覇は自分のバイクにまたがりながら言った。「私につかまっていなさい。落ちては大変だ」


 病院は、真夜中でも明るかった。

 駐車場にバイクを止め、病院に入る。

 蓮のクラスメートだといい学生証を見せると、すんなり許可され、部屋に案内された。

 慧は扉をノックする。

「誰?」

「慧」

「入っていいよ」

 慧は部屋の中に足を踏み入れた。那覇は「レディの部屋に、許可なく立ち入るのは失礼だ」と言って部屋の外に待機している。

 病室には蓮以外誰もいなかった。蓮は一人でニュースを眺めていた。

 慧はベッドの隣にある椅子に座ると、話を始めた。

「今日、歯車の所有権を奪いに、蓮が襲撃してくる」

「!」

「だから僕と、僕の……えーと、知り合いが護衛か何かをしに来た。彼も入れていいかな」

「……うん」

 那覇は優雅な仕草で病室の扉を開け、慧の隣に座った。

 そして長ったらしい自己紹介を始めた。

 自己紹介が終わると、蓮は小さくため息をついた。

「なんで、知り合いぐらいでしかないウチをそこまで構ってくれるわけ?」

「そりゃあ、知り合いが死んだら嫌でしょ。しかもさっき、僕が助けた命を無駄にされるのは嫌だしね」

「ふうん」

 ベッドの下から、眠っていたコペルが起きてきた。

「初めまして、コペルフックっス。コペルって呼んでくださいっス」

 慧の歯車からスー、那覇の歯車からは、先端だけ青い黒髪を三つ編みにし、那覇と同じくタキシードを着た少女、エミリア・ティアー『トワイライト』シグマノイズが出て、それぞれ自己紹介をした。

「スペルワンダだぞ。よろしくね」

「あたしはエミリア。よろしく」


 慧と那覇はいつ襲われてもいいように交代で仮眠を取り、朝日が昇った。

 運ばれてきた朝食を蓮が食べる。慧と那覇は、那覇が持ってきていたサンドイッチを二つづつ食べた。ハムの中にスクランブルエッグ、レタス、マヨネーズが入っている。那覇が作ったそうだ。

 食べ終わって一息、というところで……病室に、大きな土の塊が突っ込んできた。壁を吹き飛ばし、病院の廊下も一部吹き飛ばして、土の塊は地平線へ向かって飛んで行った。

「少年は魔法を使うんだ! 二人で壁を作る!」

 病院のサイレンがけたたましい音を立てる。

 三人の視線の先には、不敵な笑みを浮かべた優がいた。厚さ五センチほどの、紫色のじゅうたんに乗って宙に浮いている。

「優……! 正気!?」

「私は正気よ。さあ、おとなしく死になさい。いくらゴミどもを何人連れていようと変わらないわよ!」

 そう言って優は大きく高笑いした。

 慧は、優のまわりに何か違和感を感じ、目を凝らした。すると、優を透明な何かが覆っていることが分かった。

「蓮! 攻撃!」

「もうしてる! でも当たらない!」

 那覇はぎりっと歯を食いしばった。

「なに……唯一のアタッカーが当たらないとなると、このままではジリ貧だ!」

 その様子を見た優は、にやりと笑うと、透明な何かの説明を始めた。

「そうよ。これは、私が創り出した『魔法の効果を封じる』ガラス。しかも強化してあるからあなたたちの攻撃じゃ破れはしないわ。いくらどれだけ強い攻撃でも、当たらなければ意味は――」

 ガラスが、高い音を立てて砕け散った。

 優が振り向くと、そこには、弓を構えたミラが、背中から純白の羽を生やし、空をふわふわ漂っていた。

「これで攻撃が当たりぎゃあーっ!」

 ミラは、優の放った土の塊によって遠くに飛ばされていった。

 しかしミラの攻撃によりユウの防御は無くなった。蓮が何発も攻撃を叩き込む。

「ぐうっ!?」

 歯車が奪われているせいで精密性が大幅に減少している。全身を狙った攻撃は、優の左足を消滅させるだけにとどまった。

 真っ赤な鮮血が噴き出す。

 だが、優は瞬時に義足を生み出し、止血まで行った。義足は神経を生身の体と接続しているため、結局攻撃はほとんど意味を為さなかった。

「よくもやってくれたわね。でも、これで終わりよ!」

 慧と那覇の足元から鉄の柱がせり上がってきた。これに対応できなかった二人は宙へと放り出された。

「スー!」

「あいよ!」

 スーが即座に反応し、慧の体を支える。

 しかし遅れた那覇は、エミリアに助けを求める暇もなく、悲鳴すら上げずに地面に落ちて行った。

「しまった! 魔法の効果範囲から外れる! スー!」

「無理だ! おれっちのパワーじゃ慧くんを運ぶほどの力が出せない!」

「そうよ。そこで、蓮が無様に殺されるのを眺めているがいいわ。はははははっ!」

 優が、わざとゆっくりとした動作でナイフを構え、蓮に向かって素早く投げつける。

 蓮の避ける暇もなく、

「蓮ーーーーーーーッ!!!!」

 吹き出た鮮血が、病室の床を赤く染めていった。


 * * *


「ぐふっ」

 那覇は、アパートの二階の屋根を突き破ると、床に墜落した。

 しかし那覇は、体のどこにも傷を負っていない。持ち上げることをあきらめたエミリアが、なんとか那覇の下に潜り、那覇のダメージをすべて吸収したからだ。

「あ……えっと、誰?」

「私は那覇だ、少年。確か君は黄色の、ポケタルクであったな」

「うん」

 那覇がゆっくり起き上がると、下に敷かれていたエミリアも匍匐前進もどきではい出てきた。

「エミリア」

「何十年ぶりかな、ポケタルク」

 ポケットは二人を見て、状況を推測した。その推測はおおかた正解だった。

 全員話す内容もなく黙っていたが、ポケットが机の上に置いてあった桃色の歯車を二人に見せた。

「これ、おいらが持っていったら、優のこと許してくれるかな……?」

「うむ、おそらくは。蓮は優しい。届けたら、私も共に謝るとしよう」

 ポケットは那覇に向かって小さくお辞儀をする。

「じゃあ、おいら、これ、持ってくよ」

「そうするのがいいだろう。蓮たちはおそらく、あの病院の十八階にいる。壁が壊れているからすぐわかるはずだ」

 ポケットは小さく、しかし力強く頷くと、那覇の開けた穴から外に飛び出していった。


 * * *


「え?」

 蓮は困惑した。

 なぜなら、ナイフがいつになっても来ないどころか、目を開ければ、ベッドの前にだれか立ちはだかり、蓮をかばっていたからだ。

「……ゼロ兄!?」

「木から落ちた訳じゃなかったんだな」

 零太は大きくため息をついた。ナイフが腹を貫通したのに、顔色一つ変えず。

「なんでここに!? 大丈夫なの!?」

「『飛んで』来た。問題ない、すぐ治る」

 その言葉に間違いはない。文字通り零太は空を飛んできたし、腹の傷も見る見るうちに塞がっていった。

 慧も優も蓮も、大きく目を見開く。

「以前、黒猫家の名字の由来を聞かれたことがあったな」零太はひとつ伸びをして、続けた。「あの時は答えをはぐらかしたが、今教えてやる。黒猫家の十二代前の先祖に、人間ではなく人に化けた猫又がいたからだ」

「……猫又って、妖怪の?」

「そうだ。だから、黒猫家、親戚の灰猫家、白猫家の人間は、二十歳になると魔法を使えるようになる。俺の場合は『タービュランス』という空を飛べる魔法と『ビンクウェーブ』、自己再生の魔法だったわけだ。ちなみに『タービュランス』は他人にも付与できる」

 慧とスーの体が一気に軽くなった気がした。

 試しに慧が前へ動こうとすると、体はふわりと宙に浮かび、前進した。

「ふうん。まあ、これから死ぬんだし、苗字の由来なんか知ったところで何も変わらないわよ。もうちょっと役に立つ知識を持ってきた方がよかったんじゃないかしら?」

 優が指を鳴らすと、ふたたびそのまわりを薄いガラスが覆った。

 止まっていた土の塊や鉄球、ナイフなど様々な形のものが飛び交う。

 だが蓮と零太は慧の能力の効果範囲に入ったため、全ての物質が耳障りな音を立てて弾かれてゆく。優は顔をしかめた。

「こっちにはガラスを砕く手段がないし、あっちも僕の防御を破る手段がない……どうする?」

「どうするって言われてもね……あれ?」

 蓮に向かって、小さな何かが軽く投げつけられた。それは、桃色の歯車だった。

「それ、返すから……」おずおずと、到着したポケットが蓮を見上げた。「後で優のこと、許してやってくれないかな……?」

 蓮は小さく頷いたが、それを優が見つけた。

「ポケット!? 何やってんのよ! ふざけんじゃないわ!」

「わあああごめん!」

 ポケットは慌てて蓮の後ろに隠れた。直径五センチほどの金属の塊が、直前までポケットのいた場所を貫く。

「埒が明かないな。俺が仕掛ける」

「ゼロ兄!」

 いきなり零太が優に向かって飛び出す。

 優は零太に向かって山のような金属片をぶつけ、その頭と右腕、両足をすべて潰した。だが、零太の体は一瞬で再生した。

「っあああああ!」零太が全力でガラスを殴りつける。しかし、割れるどころか傷一つ入らなかった。「マジかよ……クソが……」

「そうよ! ゴミがいくら何をしようと、私にはかなわないの! これでわかったかしら?」

「分からねえな。知ってるか? この国は多数決で物事が決まるんだ」零太は深呼吸した後、ポケットからタバコを取り出し、火をつける。「ここら辺の人間で多数決を取れば、お前の方がゴミだってことはほぼ確実だ」

「黙れぇ!」

 零太が無数の金属片を浴びる。零太は一瞬だけ蓮の方を向くと、金属片の波に飲み込まれた。

「ゼロ兄が時間稼ぎしてくれてる! 今のうちに何か考えるよ!」

 優が金属の波に釘付けな間、慧と蓮はいろいろ考えた。

 しかし、特にいい案は出てこなかった。

「どうすれば……」

「とりあえずぶん殴ろう」慧はストレッチを始めた。「何事も挑戦だ」

「……そうだね」

 優が慧たちの方へ向き直ると、二人は同時に飛び出し、

「「くらえぇえええッ!」」

 全力の全力で優のガラスを殴りつけた――!


 * * *


「ふう」

「室内でタバコ吸うのやめて」

 慧と蓮、零太に那覇、それとスーやコペルやエミリアやポケットたちは、ちょっぴりおしゃれな喫茶店でケーキを食べていた。

 この集まりは、慧が『戦友の会』と称し、共に戦った仲間たちで何かをするでもなくのんびり過ごす集まりとして提案したものだ。

 ここにいない戦友はミラだけ。ミラは現在、天界の学校の指導室で、魔法を許可なく使用した罰として反省文を書かされているそうだ。普通なら原稿用紙十枚分だが、今回は事情があったため三枚にまで減らしてもらえたと、ポーラスというミラのいとこを名乗る人から慧にショートメッセージがきていた。ちなみに電話番号は数字ではなかった。

 そしてここには、戦友ではない人が二人いる。まずは夢。未だに事情を理解していないが、慧に「みんなで食事会やるんだ」と聞いた後無理矢理ついてきたのだ。理由は慧がほかの女性についていこうとするのを防ぐためである。

 もう一人は。

「ねえ、君、誰?」

「……優よ」

 あの後慧と蓮にこてんぱんにされ、その過程で蓮が手加減を忘れ左腕まで義手になってしまった優だ。

 夢を除いたみんなが、彼女が優であることは何となく察しがついていたが、質問せずにはいられなかったほど雰囲気が変わっている。

 後ろで束ねていた長い髪はばっさりと短く切り、肩の長さにまで短くなっている。地味な暗い色のセーターだった服装も、決して派手ではないが地味でもない、ひまわり色のワンピースに変わっていた。

「なんでそんなイメチェンしたの」

「なんでって……したいからしたのよ。何か悪い?」

「いや別に。あ、ウエイターさん。この『羽場スペシャル』とかいうパフェを一つください」

「じゃあおれっちもひとつ」

「おいらもー」

 この『羽場スペシャル』というのは、この喫茶店で最も高級なパフェである。ボリューム満点で観光客にも人気だ。ちなみに名前の由来は、喫茶店のオーナーの名字が羽場だからという単純な理由である。

 話を戻そう。

 この『戦友の会』は、一応優の謝罪会も兼ねている。これから優がみんなに謝るのだ。

「謝りなよ。迷惑かけちゃったでしょ」ポケットがそっと優に耳打ちする。

 優は小さく頷くと、席を立って、華麗な土下座を決めた。

「この度は! すごく迷惑をかけて! すいませんでした!!」

 なんとなく予想していたポケットと、偶然ニュースで謝罪会見を見たため日本の謝罪は土下座が常識だと勘違いしているコペル以外、全員が驚いた。いきなり土下座するとは思いもよらなかったのである。

 しかし何か言わないとずっと土下座していそうな感じだったので、わざわざ偉そうにふんぞり返った蓮が声をかける。

「面をあげよ。というかそんなされるとやりにくいし」

「でも」

「いうことを聞く」

「……」

 優は、少し悔しそうな顔をしながらも蓮の言葉に従い、元の位置に戻った。

 次に立ち上がったのは零太である。

「とりあえず一発殴らせろ。あれ結構痛かったんだぞ」

 零太が全力で頬をぶん殴る。バチィイインと痛そうな音がして、優は気を失った。ガクッと崩れ落ちる優をコペルが支える。

「……やりすぎたか」

「ちょっとゼロ兄……」

 それ以外は特にハプニングもなく、『戦友の会』はのんびり終了した。ちなみに優はその日ずっと目を覚まさなかった。


「今日は楽しかったネ」

「うん」

 ベッドに入ると、スーが話しかけてきた。

 スーは歯車を光らせる能力を習得したとかで、さっきから枕元で歯車を点滅させている。おかげで慧は全く寝られない。

「また今度集まろうか。みんな、ミラもちゃんと呼んで」

「おー、いいぞいいぞ。おれっち、次はゲーセンに行きたいかな」

「よし、じゃあ次はあそこのゲーセンにしよう」

 楽しい夜も更けていく。

 その日は朝日が昇るまで、二人でしゃべり続けた。

 初めての投稿です。ぱっと思いつきで描いたので、短いし面白くない可能性が高いです。すいません。

 投稿した理由は特に見当たりません。すいません。

 見てくれてありがとうございました。


 それと、あらすじが異様に短いのは、本編が短すぎて、これ以上長く書くとストーリーが全部わかってしまうからです。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 最後の戦闘のラストシーンをもう少し書いた方が良いのでは?と思いました。 [一言] ありよりのありだと思います。 他のも見させてもらいます。
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