第1話:「無双」
前回のあらすじ、普通の男子高校生俺君は、異世界転生してしまったのであった。俺を待ち受ける世界は果たして、どんな世界なんだろうか。
自分の訳分からん上に貧弱なステータスを見て、少し考える。
スキルが《不明》なのは置いておくとしても、HPとMPはどう見ても初期値、いやそれ以下の可能性が高い。
「俺TUEEEE系ではなかったかぁ…」
密かに主人公無双ものの展開を期待していたが、流石にそう上手くは行かないようだ。
ま、それはいいとして気になるのは名前だ。俺にだって名前くらいある訳で、何故こんな表記になっているのだろうか。
タッチすれば入力できるかとも思ったが、触れるタイプのUIではなかった。
仕方ない、行くべき道もスキルも、果ては自分の名前さえ分からないが、それを聞くためにも人里、せめて第一村人発見くらいはしたい。
そう思い歩き出すや否や、草むらからひとつの影が飛び出してきた。
初めて見るのでよく分からないが、恐らくはオオカミだ。
獰猛に牙を剥いてこちらを睨みつけている。
さっきうろついてた時に気配もなかったのは何故なんだろう。
「とか考えてる場合じゃない!」
前から飛びついてきたそいつを、運動不足のもやしの全力のサイドステップでなんとか左に回避。
しかし後ろに回られているので次を回避するのは不可能に近いだろう。
転移早々詰みかけてるんですが…
「…っ!」
左に避けていた体を、そのまま全力で右に引き戻す。何とか攻撃を躱せたようで、オオカミが俺の左横を通り過ぎて行った。
諦めかけていたが、人間案外頑張ればなんとかなるものだな。
そんな風に考えながら敵を再度補足して…脳が、エラーを吐いた。
「?」
アレは、なんだ。ヤツが咥えているモノは。
布を纏った肉塊。切断されているようで、その切断面からは血が滴っている。どうやら切断されて間もないようだ。
腕、だろうか、気持ち悪いな。だいたいどこからそんなもん持ってきた。
ここには俺以外人なんて、1人も居ないハズだ。
俺、以外。
「あ。」
気づいた。気づいてしまった。
「あ゛あ゛あ゛あああああああァァ!」
痛みに体が支配された。
左腕を、丸ごと持っていかれている。肩口からゴッソリと体が抉り取られている。
強烈な吐き気を催したが、それ以前に痛みと恐怖で口が忙しかった。
「ア゛ア゛あああぁぁ!が、ァああああああああぁぁぁ!!」
余程鋭利な牙なのか、切断される感覚がなかったことは幸いだった。命だけは残っているが、このまま戦っても勝てないだろう。
「…クソッッ!!」
よろけながら俺は走り出した。オオカミは俺の腕を放り捨てて追いかけてくる。
「はぁ、はぁ…!」
出血のせいで視界が狭くなり、どんどんと黒く染まっていく。
今までにないほど全力で走っているが、どれほどの距離走ったのか分からない。数十メートル、いやもう数百メートルは走ったような気分だ。
しかしまだヤツの気配を背中に感じる。もっと、遠くへ行かないと…!
「ぐぁッ!?」
突然、身体のバランスが崩れて転んだ。
そりゃあそうか、走り慣れてない奴が、走りにくい場所で、走りにくい状態で走れば転ぶか。
「ッ…ふ、ぅ…」
うつ伏せで倒れていた身体を何とか仰向けにすれば、眼前には真っ黒な空と、その真ん中で輝く蒼い月が見えた。
他には星の1つもないクセに、やたらと綺麗に輝くその月を見たら、もう、どうでも起き上がる気も無くなってしまって
「あーあ、俺が、何したって言うんだろうな?」
誰にとも無く問いかける。ふと見ると、俺の左腕が落ちている場所からは十数メートルしか離れていなかった。バカみたいだ。
オオカミは腕の1本くらいじゃ許してくれないようで、ジリジリとこちらに近寄ってくる。
俺は何もしていない。何も悪いことなんかしちゃいない。
そりゃ、点滅してる信号を渡ったりとか、落ちてる手袋を見て見ぬふりをしたりだとか、そういったことはした。
でも俺は人をいじめたり、貶したり、尊厳を踏みにじったことは1度もない。殺すなんてもってのほかだ。
そんな俺が、なんで死ななきゃならない?
「そっか、俺、死ぬのか。」
やっとその事実を真正面から認めたとき、俺の胸にあったのは後悔だった。
──ぱちり、ぱちりと、心の中で何かがはぜる。
いやだ、死にたくない、だって、
「だって、まだ何もしてない…!」
──火花が、心に燃え移った。
今までの18年間、自分は何かを為しただろうか?
レールの上を走って、それがなくなったら運が悪かったと自分に言い聞かせて、自分でやったことなんて、なんにもない。
「巫山戯んな。まだ、死ねない…!!」
──ぼう、と、音がした。きっとあるべきものを焼き尽くして。
よろよろと、力なく立ち上がる。
今更何が出来るわけでもないだろうが、このまま流れに任せて死ぬのは、それこそ死んでも御免だ…!
「…なんだ?」
さぁどうやって足掻いてやろうかとオオカミの方を見ると、不思議なことにさっきまでと同じ場所に居る。
俺に興味を無くした訳では無いのは、俺の事を睨みつけていることから明らかなのだが、近づいてきていない理由が分からない。
いや、アレは…
「怯えている…?」
視線もどこか俺の顔を見ている訳では無いような気もする。
その視線を追うと、
「うぉっ、なんだ!?あっつ…く、は、ない…?」
意味がわからなかった。
左腕がもげた肩に黒い炎が燃えている。いや、熱くはないから『黒い炎のような何か』か。傷口が焼けている様子もない。
直後、そのまま黒い何かが無くなった左腕を象る。
そして黒い何かはその姿を変え、寸分違わず俺の腕そのものになった。しかも拳から前腕部にかけて、黒い何かを纏ったままだ。
「これは、一体…」
左手を握ったり開いたり、腕をブンブン振ってみたり、なんの齟齬もなく稼動する。
不用心にも黒い何かを右手で触ってしまうが、それもなんともない。それどころか実家のような安心感を感じる。左腕は完全に治ってしまったようだ。
「何が起きて…いや、」
何となく察しはついた。《不明》とやらの効果なのだろう。何だかよく分からないが傷は治るし、炎も出る。そういう力か。
…ははは、いいね。しかも黒い炎だ。最高じゃあねぇの。
「これなら、厨二病な俺も大満足だ…!」
──この時、きっと何処かイカレてしまった。常人の精神性と俺のソレは違ってしまった。
ギシリ、と音が鳴るほどに拳を握りしめ、今度は俺がジリジリとゆっくりとオオカミに近づいていく。
「俺の、前からァ…」
オオカミはこの炎が怖いのかなんなのか、怯えて1歩も動けないようだった。
──でも、それを後悔することはできないし、する必要も無い、
「消えやがれェッ!」
ああ、やっと見えたような気がする。人生ってヤツが。
「無双」とは本来、並ぶものがないこと、唯一無二の存在であることを表す言葉。