久瀬と橘1「たまにはこういう日があってもいい」
同じクラスの橘さんは、頭がいい。テストの点数は知らないけど、授業で当てられた時いつもすらっと答える。だから先生も難しそうな問題はいつも橘さんを当てたりする。私と彼女は別に仲良くもなければ悪くもない。そもそも話したことさえ無かった。
そんな彼女を放課後に寄った本屋で見かけたとき、なんとなく隠れてしまうのも仕方なく。
「うーん、気まずい」
橘さんも学校帰りでそのまま来たらしく、いつもの制服姿のまま漫画を物色していた。参考書とか見てそうだなという私の勝手なイメージはどうやら見当外れだったらしい。橘さんにはまだ気付かれてないと思うけど、どうしようか。このまま見つかる前に帰ってもいいが、続きが出ているか気になる本もあったりする。
「いやいや、別にやましいことはないんだし」
まあ、なんとかなるか。
少し悩んではみたものの、とりあえず流れに任せようと私も漫画コーナーへ向かった。
私は悩んだときはいつもこうだった。考えるのが苦手だからとりあえず行動してみて、後は周りに任せて流されて。いいことだとは思わないが、別に悪いことでもないだろう。それが楽なんだから仕方がない。
漫画コーナーに来てみて、当たり前だが橘さんがいる。ここまで来ると流石に向こうも気付いたようで、本棚から視線をこちらへ向けて彼女と目が合う。
「…………」
「…………」
お互い何も話さず、微妙な空気が生まれる。目が合って一、二秒経った後、私が根負けして目を逸らした。橘さんも何も言わずに私を視界から外し、知らないふりをする。無視されたと怒ってないだろうか。いや、向こうも話しかけてこないしお互い様か。橘さんと話したことは無かったが、こういうところは変に気が合うなと思った。
「……久瀬さんも、それ好きなの?」
この漫画まだ続いてたんだ、と小さい頃に読んでいた少女漫画を手に取ると、いきなり橘さんが声をかけてきた。どうやら、変に気が合っていた訳ではないらしい。
「好きっていうか、昔読んでた。橘さんは?」
「私は読んだこともない」
ないのかよ。じゃあ何で話しかけてきたんだ。
「でも妹が読んでるから。久瀬さんも好きなのかなって」
「いやー、私は橘さんの妹じゃないし」
そりゃそうだ、と橘さんは笑って私の手から漫画を取る。
「妹に買ってきてって頼まれてるの。最後の一冊みたいだし、譲ってもらっていい?」
なるほど、そういうこと。だから話しかけてきたんだ。妹のために頑張る、いいお姉ちゃんじゃないか。
「別にいいよ、見てただけだから」
それならば協力しよう。欲しい訳ではなかったし。あと、お姉ちゃんしてる橘さんが見られて何となく応援したい気持ちもあった。
「ありがと」
簡素なお礼とは対照的に、橘さんの顔はゆったりとした、とても優しい笑顔だった。
「……かわいい」
「え?」
「あ、いや……」
ぼそっと、つい思ったことが口に出た。何をやっているんだ私は。橘さんがちょっと困惑気味に顔を歪めたのを見て、私はすぐさま取り繕う。
「い、いや別になんでも。なんでもないよ」
「ふーん、まあ本当にありがとう。妹も喜ぶよ」
上手く誤魔化せたつもりはないが、橘さんも言及するつもりはないようで、ほっとした。彼女は再度お礼を言って、困り顔からさっきの可愛い笑顔に戻った。
橘さんと会って最初はちょっと気まずかったけど。
それでも、たまにはこういう日があってもいいんじゃないかと、素直にそう思った。