プロローグ
夜の森に脇目もふらず一心不乱に走る一人の男がいた。
名をエヴェルス・ユーリ。この国の王子だ。
彼を追い立てるのは四つ足の魔物のハウンドだった。
いつも通りの魔物の討伐の筈だった。
自身が指揮する隊で定期的に行う討伐。各地に軍を派遣してそれぞれ魔物が増えすぎないよう間引いていくのだが、後衛ばかりにいては腕が鈍ってしまうと思い、比較的危険度の低いヘーザルド森林の討伐部隊に同行した。
危険度が低いと言っても、今回の討伐対象は夜行性の魔物を目的としていたので、入念な準備と緊張感を持って挑んだつもりだった。
しかし、いざ森林に行ってみると、想定以上のハウンドに囲まれ隊は乱れ、更には報告に無かったヘルハウンドまで襲いかかってきて皆と散りじりになってしまった。
一人森を走りながら、頭の中で地理を思い出す。
この先には魔物が近寄らないと言われる大きな泉があった。
元々討伐の休息地として予定していた地だ。逸れた隊員と合流できるかもしれないし、一人でも其処ならば位置取りさえ気を付ければ囲まれることは無い。
ユーリは追ってくるハウンドに気を配りつつ、なんとか泉にたどり着き辺りを見回す。隊の誰かがいれば僥倖だったが、まだ誰も来ていないようだった。
予想はしていたことなので、気持ちを切り替えると素早く身を翻し反撃に出る。数頭のハウンドを斬り伏せると、残りの奴らは距離をとって威嚇の唸り声を鳴らすだけで、それ以上近づいてくる様子は無かった。
泉の効果に思わず一息つきそうになったその時、一際大きな気配が近づいてくるのが分かった。現れたのはやはりヘルハウンドだった。
ジリジリとこちらに近づいてくると、泉など関係ないと言わんばかりに大きく吠える。ほかの魔物は距離を保ったままなので効果が無くなった訳ではないようだが、一匹とはいえ毒性のある爪や牙を持つ奴を相手にするのは、毒消しも持っていない事も相まって気が滅入った。
どう対処するべきか算段を立てていると、背後の泉に変化が起こった。異常とも言える。
不自然に波が立ったと思ったら、水が渦を巻き勢いよく水飛沫を撒き散らしながら空へ向かって上がり始めたのだ。
ユーリが動くより先にヘルハウンドは泉から素早く離れていった。しかしユーリを狙うのを諦めていない様で、泉の水が及ばない茂みまで下がると様子を伺っている。
ヘルハウンドの方にも気にしつつ、ユーリは濡れるのも構わず、まるで竜巻の様になった泉に向き直った。この隙にここを離れる事も出来たが、魔物除けの泉に魔物が入り込んでいるなど聞いたことがない。討伐隊を率いるものとして情報が必要だった。いつでも退避できる様に低く剣を構え備える。
次の瞬間、水の竜巻が突如弾け飛び、僅かに宙に浮いた女が現れた。
大きく広がるドレス。白くきめ細かい肌。薄づきの頰に対比するように艶かしい唇。豊かで鮮やかな青紫の髪をなびかせ、瞳を伏せた表情は淑やかな印象で、淡い光を身に纏う姿はいっそ神々しくもある。
ユーリは今まで数多の女性と会う機会があったが、この時ほどの衝撃を受けた覚えは無かった。
背後には自分を狙う魔物の群れ。隊と逸れて孤立状態。こんな危機的状況だと忘れさせるほど、
ただただ美しいと感じた。