期待外れ
ヴァッサゴー。ソロモン七十二柱の魔神の一柱で二十六の軍勢を率いる序列三番の地獄の君主。召喚者の前に現れる時の姿は不明。過去・現在・未来の出来事に関して詳しく、隠されたものを発見すると言われている。
「やあこんにちは。君が僕を呼んでくれた人だね! お望みとあらば私は何でも見通すから安心してくれたまえ!」
そう言って、ある女の前に現れた少年は自信に満ちた笑顔を浮かべた。
「……驚いたな。地獄の君主だと言われているから、てっきりもっとおどろおどろしい老爺を想像していたのだが」
「なんと失敬な! 私は向こうではとんでもなく偉いんだぞ!」
「ははっ、本当かな?」
「意外と空気を読まないタイプなんだね! 私は魔神の一柱にして二十六の軍勢を率いる序列三番の地獄の君主、ヴァッサゴーだよ! ソロモンさえ余計な事をしなければもっと偉かったんだ!」
「ずいぶん物騒だなぁ」
「魔神だから当然だな! というわけでどんどん敬ってくれたまえ!」
「ああ、分かった、分かったよ。済まなかったな」
「まあいいよ、久しぶりに呼んでくれたから大目に見ようじゃないか! ……さて、では伺おうか仮初の契約主? 私は過去・現在・そして行末を知り、秘められし物を暴く者。君は、私に何を求める?」
問われた女は、貼り付けたような柔和な笑みを引き剥がし、苦悶が色濃く滲む、それでも口の端を歪つにあげたまま、悪魔に乞うた。
「……地獄より出でし偉大なる君主殿。どうか私に、この国の行く末を。そして永久の泰平を呼ぶ術を、私にお教えいただけないか」
少年はぱちくりと双眸を瞬かせ、一瞬だけ困ったような表情をした後、先程と変わらぬ明るい調子で答えた。
「正直に申し上げよう。行く末の方ならばハッキリ教えられるんだが、永久の泰平の方は正直無理だね」
「……何故?」
女はぽつりと尋ねる。
「だって、僕は地獄の君主だよ。悪しき魂が無くなってしまったら、僕だけじゃなくて地獄自体が消えてしまうからね!」
「……君を呼んだ時、一見とてもそうは見えなかったが、成程、矢張り禍つ物のようだ。しかし、これは契約だ。叶えてくれ」
「期待してくれるのは嬉しいが、僕達だって万能ではないんだ。そういうのは天の上の方にいる方々の領分だから。あ、でも、頼んでもよっぽどの事がない限り聞いてくれないからお薦めはしないな」
「そう断ずる理由は何処にあるんだ、君主殿?」
「向こうの方達は私達地獄の者より好き嫌いが激しいのさ。あの方達は人間なんてある程度の数が生きてれば、お気に入り以外どうなろうとどうでもいいのさ。その上、君はどうも残念ながら、お気に入りというわけではないようだね」
「……そうか。では、この国の行く末の方を頼めるか?」
「ああ、そちらは任せてくれたまえ! ああ、後で思っていたのと違うとか文句を言うのは駄目だよ! 最近多いんだぞ、そういうの!」
「分かった、誓おう」
その言葉に少年はにこりと微笑み、それからすぅと目を細め、女の背後にある国土を見下ろした。
「……君の望む世は来ない。人が平和に飽きれば再び戦は起こり、そうでなくても人は同族で争い死んでく。いつの世も人は変わらないんだよ」
「……嗚呼、そうか。そうなんだな」
「そうさ。君が諦めていた通り」
凪いでいた女の瞳が揺れる。
「僕はヴァッサゴー。過去・現在・そして行末を知り、秘められし物を暴く者。君の押し込めた、いいや、押し込めようとしている本心だってお見通しさ!」
地獄より出でし、美しい少年の姿をした禍つ物は、そう言って白い花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「では、望みは叶えたぞ! でも今回、あまりお役に立てなかったようだから、対価は天寿まで待っておこう!」
「ずいぶん、良心的だな」
美少年はふふんと胸を張る。
「ははは、禍つ物は親切なんだぞ! それに、この国の戦乙女の魂を頂けるのだから多少の融通は利かせようじゃないか」
「それではさようなら、この国を総べる生き神よ!」
少年はそうやって軽やかに女に笑いかけると、その姿は黒い霞のように変じ、それは魔法陣に吸い込まれ、遂には其処にいた証すら残さずに消え失せたのだった。国の救済者と讃えられた女傑だけを、たった一人残して。
その邂逅から幾度もの四季が巡り、そうしてある日、生涯独身を通し、国土を見渡せる山で隠匿生活をしていた彼女は山火事により命を落とし、たくさんの人々から死を嘆かれ、雄姿を讃えた。自宅も彼女自身も、まるで地獄の業火に包まれたかのように、一夜で無に還ったという。