食事時の婚約破棄。メシマズ案件ですわ
世界はそれでも美しい。
私の師匠が言った言葉だった。
読書家であった師匠の事なのでどこかの受け売りだと考えていた。実際そうだった。
そんな風に世界を形容した師匠は呆気なく、戦争で帰らぬ人となった。
まあ、そんな時代だ。剣を持ち、鎧に身を包み、国の為に獣のような雄叫びを上げて死にゆく。
どんな実力者であっても圧倒的な人数差の前では原始時代のマンモス同然である。罠に嵌められ、一方的に攻撃を受け、反撃の余地も与えられずに物言わぬ屍となる。
そんな世界であっても美しいのか。
どこまで見聞を広めてもその考えは到底理解出来なかった。
多分。これからもずっと。
グリアレス王国。
圧倒的な武力を持つヴァーレス・グリアレスが治める大国である。
戦争に次ぐ戦争で勝ち取った広大な土地は地平線を描き、遥か遠方の村でさえ望めそうな程であった。そも内二割の領土を治める大貴族、ファーレン家。
圧倒的な美的センスで工芸品、美術品を作りあげ、有り余る資産を手に入れた当主ヨウシュ・ファーレン。
その容姿はさながら彫刻の様。完成された美を持つ。
だが、この場においては主役は娘であった。
クレアンティ・ファーレン。
父親譲りの完成された造形美さながら、流れる髪は飴細工の様。白く、透き通る髪は印象強く、十五の年齢にして見れば大層な「雪の精」の愛称で広く知れ渡っている。
場はファーレン家敷地内。
その中でも使用人が多く集まる食堂内。
普段は数十名を超える大人数で賑わいを見せる食堂であったが昼過ぎ、食事の時間に見合わない静けさがあった。その原因は中心に陣取っているクレアンティ、改めクレアとその兄、リョウジュの二人が原因であった。
そもそもの貴族が使用人の食堂で昼を過ごす、と普通じゃない光景なのだがファーレン家の中では「場所に囚われず自己を見せよ」の言葉を胸に生きている為、あまり関係がなかった。
一番の原因がクレアの声であった。
「…もう一度言ってもらえますか?」
「ああ、君が理解してくれるまで何度でも言ってあげよう。君の婚約の話は無しになったそうだ」
両者とも透き通る良い声である。
こんな雑多な場所でも聞こえる声なのだが今回は言葉に含まれる感情が違った。
婚約破棄。
クレアの脳内に浮かんだ。
何が悪かったのだと。ファーレン家か? いや、それは無い。二割の領土を占める大貴族の婚約を破棄するとは到底思えない。では、自分のせいなのか? いや、それも違う筈だ。家への否定より少し時間がかかったがほぼノータイムで否定した。
クレアは自分が大好きである。
目鼻立ち整った容姿が。他者とは違う透明な白髪が。女らしい華奢な体が。
伊達に毎日一時間弱、鏡を見つめているわけでは無い。
伊達に毎日欠かさずランニングやストレッチで最高の体を維持しているわけでは無い。
伊達に健康に気遣い、食事に気を使っているわけでは無い。
自慢であるが故に保つ努力は惜しまないのだ。
だから、自分が好きだし、自分が自慢なのだ。
他者から見ても劣っている部分はなく、寧ろ優れている所の方が多い。何故? そんな疑問が頭を埋め尽くす。
「君の婚約の話は無しになったそうだ。…君の…」
無言を思考停止、と受け取ったのか繰り返し言い始めた兄の言葉を遮る。
「いえ、理解しましたので理由を聞いてもよろしいですか。正直、破棄される理由がわからないのですが」
理解しても理解しきれない。意図が分からなすぎるのだ。
婚約の相手はウェイル・グリアレス。
第三王子である。
関係をより深める為の婚約と、当主に聞き、理解し、納得した筈だったのだが。急な話である。
そんな妹を見て、一口。ステーキを口に運ぶ。使用人であってもファーレン家の身内である。食事は劣らず勝らずの物が出される。
一口噛めば肉の旨味が溢れ出し、包み込む様に消えてなくなる。喩えるなら脂のシャボン玉である。
カチャ、とナイフとフォークを置く。
「真実の愛を見つけたそうだよ。まあ、それが他の貴族ならまだ…」
「まだ? …まさか」
歯切れの悪い兄を見て、思い付く。最悪な未来予想であった。
「そのまさか。庶民だ。大商人の娘とかでは無く、極々一般的な宿屋の娘らしい。流石にこれには当主もカンカンでね…輸出に制限を掛けるとかなんとか」
最悪な予想程当たる物である。
初対面、王族ながら失礼な相手だと思っていたがここまで夢物語の青年だとは思っていなかった。冷や汗が背中を伝う。
第三、と言えばお飾りもお飾りで良いところである。
主な権力は第一と第二が持っている。名目上、貴族と繋がりがある、そんな文句を信じたばかりの大失態である。
最悪。
いや、恐らく…と言うか確実にだが、第三位王位継承者である大馬鹿の独断だと思うが…それでも大失態である。
婚約は一月ほど前から社交場などで公布しており、周知の事実な筈である。
王家を叩くは御法度。なら標的はファーレン家である。どこか無礼を働いたのでは無いか等様々な憶測、噂、真実のしの字もない虚無が襲ってくるだろう。お先真っ暗である。
今後のファーレン家を思い、徐々に顔色が薄くなっていく。
そんな妹を見て安心させる様にリョウジュは言う。
「色んな所から非難が来るだろう。だけど…僕達はファーレン家の血が流れている。君は君の通りにやれば良い。バックアップは任させて欲しい。ただファーレン家を侮った事を後悔させてやる、そう考えてれば良いさ」
良い笑顔で言って除けるリョウジュに表情を見てより一層顔色が悪くなる。それもそうだ。
「兄様の王国兵、副団長入りは確実してますもんね…そしてお父様の輸出制限…完全にバカを根っから崩しにかかっていますよね…」
父の工芸品。まあ、美術品は国内ではなく、国外に多くの支持者がいる。基本的には王国が買い取り、それを輸出しているのだ。一目で分かる王国のお財布事情。
そして第一位王位継承者直属の王国兵の副団長。兵、とは言え指揮官クラスなのだ。土地だけデカい貴族よりは圧倒的な権力を持つ。
そんな今後が分かる未来予想図を思い、冷えてきたスープで喉を潤す。芋のねっとりとした感触が洗い流される様な錯覚を見せる。
自分の事を棚に上げた他者の評価を聞き、リュウジュは乾いた笑いが出る。
一番厄介な当事者がいるのに、と。
「そんなクレアは最強戦力、と名高い第二位…ああ、フェリイズ様と親しい関係じゃないか。いや、戦友、と言った方が良いかな?」
「それ以上の言葉は…」
個人の領域に一歩踏み入った兄を氷の様な冷たい視線を向ける。
最強戦力、と肩を並べ戦った「不死の姫」そんな異名はもう噂すら流れていない。
物理的に行こうとすれば最適の人物名を出され、さっきまでの顔色はどうしたのか笑顔混じりに言葉を返した。
「それはもう、過去の話です。お互いに無かったことになっています。私が求めても向こうは助けてくれないと思いますよ」
「それはどうかな〜? 前は常夏の様に熱々のカップルだったじゃない」
「…もう、子供の話です。私は明日の準備がありますのでこれで」
返事を待たずに立ち上がり、後にする。残されたリュウジュは近くにいた使用人を捕まえ、雑談を始めていた。
明日は学園の登校日である。
数日ぶりの能天気王族との対面が楽しみであり、ソイツを誑かした相手と会うのも楽しみである。結局楽しみである。
同年代は貴族位を持つ人は必ず入る事になっている学園だ。恐らくその女も入ってくるだろう。そう言うのをしてくるのが能天気の王子だ。頭の中が花畑すぎて花粉症になれば良いのに、とそう思いながら花の学園生活に夢を見る。
まだまだ昼だが。