決戦の日 14
「柳生十兵衛だ。存分に来い!」
左眼に眼帯の武士が張りのある声をあげる。もはや動揺するという感覚を麻痺させたかにみえた聖斗だったが、やはり――身体を畏れと興奮で震わせたのであった。
聖斗、今度はおのれから先に構えた。もちろん、 <傍点> 今までの流れ </傍点> からして、新陰流の相手に対して、中段の基本形である。それを見届けてから、十兵衛が刀を抜く。彼もまた当然のごとく中段で──その瞬間。空気が張りつめ、この二人の組み合わせこそ、息をもつかせぬ剣技の応酬が始まる予感を、見る者に与えたのだった。
とはいうものの──
ここで自在に動けたのはやはりというか十兵衛の方。彼の方が積極的に間合いを詰めていく。聖斗は、それに応じて位置と形を変えていく、という具合である。もちろんただ動かされているわけでなく、その対応に隙あらばの強い意志が現れていた。数瞬のうちにその技量が計れたらしく、満足げに言葉をかけた、十兵衛であった。
「源氏の貴公子よ、魔術は使わんのか? この分では圧勝できるやもしれぬぞよ」
ニカッとする。対して聖斗、迷いない即答であった。
「できるゆえ、使いませぬ……」
小憎らしくも、ニコリ、という笑顔も付属している──
聖斗にしてみれば、柳生十兵衛とやり合えているこの状況そのものこそが、イコール、魔法の現れであったろう。また、十兵衛の前の、二人との勝負でも“命”しか使っていないこともあり、今この奇跡のような状況に、さらに魔法を重ねることは、運命の巡り合わせというものに対する冒涜、とも考えているのかもしれなかった。
となれば、対等に応じることこそが、残された出来ることの全てであり、今の不遜ともとれる返答は、その現れだったのかもしれない。
なんだか推論ばかりの解説だが、勿論、十兵衛は全てわかっているのだろう。彼はただ、苦笑するのみだ。
「わしは、容赦はせんぞ」
「望むところです……!」
言葉の熱さとうらはらに、着実に“刀術の間合い”を詰めるのだ──
互いの間合いの縁にまで到達し、そこから十兵衛の剣先が神妙に動き始めた。
切っ先が、まるで小鳥の尾羽のように小刻みに振れ動き――
それに対応して聖斗、細かく細かく──構えを修正し、立ち位置を修正し――
かつ、気合いで攻めるのを忘れず、なんとか相手の体 <たい> を崩そうと、圧力をかけようと――
いつのまにか聖斗、顔面が汗だった。だがその表情は変わらず、粘り強く、最善と思われる対応を積み重ねて行く。十兵衛相手に、圧力を張り続けていく。
呼吸が相当困難になっているはずである。その苦しさを毛のほども見せず、平時とかわらぬ顔つきで、必勝──すなわち必殺のチャンスをものにするために、剣勢を整え続けていく。
粘り強く、粘り強く──!
※
ここにいたって、十兵衛の目に賛嘆の色が宿った。
かつて──
十兵衛を相手にし、ここまで保った相手は、マレであった。ほとんどの対戦相手は、彼の剣理の圧力に屈し、途中で暴発し、自滅したものなのである。
聖斗のこの超人的な粘り──
たやすく“才能”やら“天才”の言葉だけで、説明がつくものではなかった。そんな道場稽古だけで身に付いた物ではなく、実戦の積み重ね、現実の修羅場をくぐり抜けてきた人間だけが身につけた気骨というものを感じさせるのだ。
十兵衛──
誰にも聞こえぬ声が、その口から漏れた。
「流石は、わしらの“先達”殿よ──!」
それは一時の気まぐれだったのであろうか──
彼の方から、はじめて大きく動き出したのである──
※
剣先の揺らぎが止まった──
とたん──恐るべし! 掛かっていたのだ! いつの間にか──見守っていた全員が──!
ケレンじみていた、リズミカルな揺らぎ──
ただの目くらましだと思いこんでいた、その剣先が停止した代わりに──全員が、呼吸が詰まって──身体が前のめりにふらついて──
無拍子での神速の面打ちィィィィィィィ――ッ!!
この瞬間、聖斗の対応こそ見事であった! ケレンに引っかからず、冷静迅速に、引き合わせての、小手打ち――!
十兵衛の剣先が空を切り、聖斗の刃の先も空を走り抜けていた。
どちらも、わずか数ミリの間隔で──
いくら攻撃されても、当たらなければ、避けなくて良い。いたずらに下がれば、それは反撃 <カウンター> の距離を自ら遠くさせることに直結する。だから、移動距離は必要最小限であるのが理想なのだ。
すなわち、ここで恐るべきは、二人の距離感、『見切り』のその技量だった。
互いの刀が走って──
次の瞬間、ピタリ、と何事もなかったように、二人は中段の姿に戻っている──
※
「ブラボー……」
という、空気が漏れ出たような、小さい声が聞こえた。隣のシンディの声だった。
玄人による、明らかな、称賛の声。今のは、それほどのものだったのだろう。ところが――
※
ところが――
いままで心の内を見せずに相対していた聖斗が、顔をはっきりと赤くさせたのだ。それは明瞭に、恥の色、または不満、苛立ちの色、悔しさの色、というもので──
これには十兵衛、隙は見せぬままに、さすがに小首をかしげたのだ。その距離感覚が十兵衛と同等だと誉めそやされて、なにが不満なのであろうや、と――
そして、その回答はすぐに明らかになったのである。
聖斗が、片目を瞑ったのだ。左目を――!
「……クククッ」
十兵衛が楽しげに笑った。その右の一ツ目が、柔らかく聖斗を見つめている──
※
その瞬間、シンディが、頭を抱えた。
むこうで、秀麿とジャンヌが、ぽかんを口をあけている。
チャコはというと、このばかーっ、という自分の声が、頭の中に反響していたのだった。
なんで、なんでなんで有利な条件を自ら捨てるのだ!? 一体なにを考えているのだ──!
このクソばか男──! アンタそんなんじゃ、生き馬の目を抜く魔女の世界じゃ、一秒たりとも生きてらんないんだから! わかってんのか! こらあああ──!
「──!」
聖斗 <あのひと> は、なんでああなんだろう!? あまりにも、あまりにも、くそばかばかばかマジメすぎる――!
ほんとうに、ほんとうに、あのひとは――!
チャコ、涙──
好きなんだ! こんなにも──!
──
──死なないで。お願いだから!
※
いや──
それがなんかしたか?
みながどう見て、そしてどう思おうと関係ない!
ふんっ!
俺も片目を瞑る!
……なのであろう。ともあれ、これぞ、源聖斗の真骨頂であった──
※
が──
片目を瞑ったことで、事態は一気に加速する。アドバンテージを自ら放棄し、正真正銘、後が無くなった聖斗、聖斗は、その右目に急に決意の光を宿らせたのである。
十兵衛も同じ思いだったようで──ここに。
一瞬で、時が至った──
動いたのは、二人同時だった。
互いに真っ向から渾身の斬撃を送り込み――
勝ったのは――
「ジューベーッ!」
──
聖斗! ……だった。
聖斗の刀が十兵衛の正中線をまっすぐに斬り落ち、同じように降ってきた十兵衛の刀身を弾き、頭から唐竹割にしていたのだ! ああ聖斗の、聖斗の勝ちだった! 間違いなく! だが──!
だが──!
──
「ジューベーッ! ああ、ジューベーッ!」
気がつくと、秀麿に抱きすくめられたジャンヌ・ダルク・カザンザーキスの絶叫が、辺りに響き渡っている──