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青の光源  作者: 伊勢祐里
一章「記憶」
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2話

 鏡に映っているのは、慣れないスーツを着た自分だ。大人っぽさを演出してくれるはずのこの衣装も、自分が着るとどこかちんちくりんに思えてくる。リクルートスーツとしても使える地味なはずのデザインに、小柄で子どもっぽい自分は完全に飲み込まれてしまっているのだ。

 

 鏡越しに隣を見やれば、紺色のスーツを可憐に着こなした女子が丁寧に化粧を直していた。先程まで一緒に学部別の説明を受けていた子だ。まるで同い年に見えないと、普段よりも濃い化粧を纏った自分の顔を眺め、碧はため息を漏らす。

 

 鏡の前に立て掛けたカバンを手に取り、トイレをあとにした。沙耶香と待ち合わせしていたカフェテラスはどの辺りだったか、と入学式の前に配られた大学案内の資料が入った黄色いナイロン製の袋を探る。袋の中は、体育館を出てすぐに配られていたサークルのチラシでいっぱいになっていた。

 

 何百もある中から一つを選び抜くことは難しい。限られた中からの選択肢であっても、碧はチョイスを迷ってしまう。


 むしろ、自由を感じられなくなってしまうほど、この世界には選択肢が溢れている。今も、この狭い袋の中から、構内の地図を見つけ出すことにすら手間取っているのだ。スポーツ系のマネージャー募集に登山部、キャンプやクイズサークルまで。あらゆるチラシが顔を出し、これではないとまた袋の中へ戻していく。そうこうしているうちに、カバンの中でスマートフォンのバイブレーションが鳴った。


 ごちゃつくチラシを袋の中に押し込み、碧は電話に出る。着信は沙耶香からだった。

 

「もしもし」

 

「今どこにいるの?」

 

「えーっと。どこやろう?」

 

「こっちが聞いてるんだけど? あーっ、……近くにあるもの教えて」

 

「茶色の建物……これ食堂かな? 大きい階段を上っていくところ」

 

「分かった。そこで待ってて、近くにいるからそっちに行く」

 

 通話が途切れたところで、ふいに後ろから声が掛かった。知らない男性の声に「はいっ」と声を上擦らせながら碧は振り返る。

 

「天体観測興味ありませんか? よければ新歓やるんでどうぞ」

 

 悪いと思いながらも、突き出されたチラシを手に取ることなく苦い笑みを浮かべて、碧は小さく会釈した。そういう反応は珍しくないのか、男性は作った笑みを崩さないまま、そそくさと次のターゲットへ向かっていく。

 

 もうこれ以上、選択肢を増やすことはしたくないのだ。言い訳がましく心の中で独りごちっていると、また背中越しに声をかけられる。

 

「ダメだよ。人見知りは直さないと」

 

 ぽん、と頭の上に手が乗った。せっかく直したばかりの髪が無造作に乱される。先程まで電話越しに聞いていた声を間違うことはない。碧はその相手が誰か分かり、わざとぶっきらぼうな声を出した。

 

「何?」

 

「せっかく迎えに来てあげたのに何ってひどくない?」

 

 髪がさらに乱れるのを覚悟で碧が振り返れば、沙耶香は一緒にいた女子に手を振っていた。同じ学部の子らしい。初日だというのに、すっかり仲が良さそうだ。

 

「もう友達できたんや」

 

「碧は?」

 

「私は、まだやけど」

 

「まぁ、初日だしね」

 

「沙耶香はすっかり友達作っちゃって」

 

「あれぇ嫉妬? 心配しなくても、私の親友は碧だけだよ」 

 

「もう、すぐそうやってからかう。思い出したんやけど、沙耶香ってそういう子だったよね」

 

「ようやく思い出した?」

 

 碧の反応を楽しむような沙耶香のごきげんな笑みが腹立たしく、碧はふんと鼻息を漏らす。その反応を楽しむように、沙耶香の指が碧の頬を撫でた。くすぐったくて、碧は思わず笑みが溢れる。

 

 こんな風に、小さな碧は沙耶香にいつもからかわれていた。だけど、沙耶香に小馬鹿にされていた印象はない。どちらかといえば、じゃれ合うような感覚に近かった。そう思えるのは、彼女に悪意がなかったからなのか。そういった遺恨を寝ると忘れてしまう碧の性格のせいだろうか。

 

 少なくとも、彼女が誰かから恨まれている話は聞いたことがなかったし、碧がいじめられているなんて思う人はいなかったはずだ。愛嬌のあるからかいと大人っぽい見た目、その絶妙な塩梅が彼女の魅力だった。それはきっと今も変わっていない。現に、大人っぽくなった今の沙耶香と子どものままの碧は、あの頃の関係を助長しているようだった。

 

「でも流石に疲れた。東京からこっちに来て、色々整理とかして気がついたら入学式って感じ。そっからサークルの勧誘にもみくちゃにされ、学部別の説明会と来て、来週から講義でしょ? 弾丸ツアー過ぎる」

 

「たしかにね」

 

 どっと疲れた顔をした沙耶香を見て、碧は頬を緩めた。時折、見せる子どもらしい彼女の表情と、普段の大人びた表情。どちらが本当の彼女なのか。離れていた時間が、それを知るにはあまりにも深い溝を作っていた。食堂の方を指差し、沙耶香の赤い口紅を纏った艷やかな唇が言葉を紡ぐ。

 

「もう夕方だけど、学食食べてかない?」

 

「うーん。いいけど、もうすぐ晩御飯やろ?」

 

「だからだよ。私は自分で作らないといけないんだよ?」

 

「そっか」

 

 その溝は、すぐにでも埋まる。沙耶香が浮かべた笑みは、そう思わせてくれるほど懐かしいものだった。

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