第二十三話 謀略の冥王政変 ⑥了
民衆たちはアセルの登場に、最初はただただ驚愕していた。
そして思考力を取り戻してきたころに、自分たちが途方もない神秘の最中にいるのではと思い始めていた。
カーミスに滅多に降るはずのない、そして夏前の暑い時期にはありえない雪が降った。
死人であるはずの王が雷と共に復活した。
しかも心に直接伝わるかのように王の声が内側に響いてくる。
もしかして自分たちは今、奇跡を目の当たりにしているのではなかろうか。
では冥府神に認められ王を越えた冥王とかいう地位に上ったというのも本当のことなのか。
王権を神より授かったというのか。
「ばかな! 死者が蘇るなど……有り得んことだ!!」
「言ったであろう? 冥府神に認められたとな。先ほどの氷の雨も雷も、すべて冥府神の力をお借りしたものであるぞ」
そう、これは神の引き起こした奇跡。
ではない。演出、エフェクト、音響。全部ルメスがやっていることであった。
協力者たちは知っている。アセルはあらかじめ打ち合わせをして死を偽装したことを。
それを受けてルメスは雪雲や雪雷を転送して雪を降らせたり、雷を一瞬だけ持ってきて祭壇上空に光と音を輝き響かせたのだ。
アセルの計画のためには、どうしてもこのようなペテンが必要だったのである。
「我が民たちよ!! この度のこと、余を暗殺したのはコスモニア大使ルメスではない!! ここにいるセティの謀である!! こやつは我が弟でありながら己の野心故に余を弑逆することで王位の簒奪を狙い、カーミスに再び戦乱を起こそうと目論んでいた痴れ者だ!! 将軍! こやつらを捕らえよ!!」
すぐさま将軍が首切り役の兵士たちに命令を飛ばすと、セティとその周りにいる神官たちに手にしている剣を向けた。
その神官たちの中からルメスたちを糾弾した大神官が進み出てアセルの方へ向かう。
「セティ様。これまでですな」
「将軍!! 大神官!! 余を裏切ったのか!?」
「本来ならば大罪を犯した汝には死罪が妥当であろうが、余とて弟を殺したくはない。汝とは違ってな。故に国外への追放処分とする。王になれぬ苦痛を生涯にわたって噛みしめるがよい」
セティは身体を震わせて杖を取りこぼし、膝をついたのだった。
「そもそもの問題は、カーミスの継承権にあったのだ」
バーメネス宮の一室でルメスたち三人は、アセルと将軍と大神官から今回の騒動の裏事情を聞いていた。
「カーミスの王になるために必要なこと。それは王家の女と結婚することなのだ。王族に、ではなく王族を娶った者に継承権が与えられる。故に余も妹であるアセトと結婚した。だが、それでは不具合があることが判明した。――余の顎を見てみよ。少々長いであろう?」
言われてみると確かに人間族の平均より長いようにも感じられる。
下唇も少し突き出ているような気もする。人間族に近い容姿のルメスやヘルメスと比べてだが。
「カーミス王家に生まれた子は、何故か生まれながらに病を抱えたり夭折してしまう者が多かった。これを憂いてルメスとヘルメスに相談したところ、王族同士での婚姻が重なりすぎたのではないかと言われたのだ。血縁が近しい者が子を成していけば病に罹りやすくなるのだ、と。この顎はその結果に現れる特徴かもしれぬ、ということらしい」
遺伝性疾患。近親婚を繰り返した結果、先天的に障害を持つ可能性が高まってしまったようだ。
アセルの顎はまだ軽度のものではあるが下顎前突症と呼ばれる症状である。
嚙み合わせたときに下顎全体が上顎よりも前に出てしまう状態をさすものだ。
このように外見の特徴が現れる場合だけでなく、近親婚には子供に癲癇、知的障害、虚弱体質、生殖能力の喪失といった症状が出やすくなるというリスクが伴う。
世界で最も古くからある国家を存続させていく義務を持った王であるアセルにとって、これは無視できない由々しき問題であった。
「だがこれに対処するには我が国の継承権を、すなわち王権の在り方を変えねばならぬ。歴史あるカーミスの伝統的なやり方を変革するのは並大抵のことではなかった。余自身の王権の正統性すらも揺らいでしまう危険があったからだ」
理屈に合わぬ効率が良くないと言ったところで、これまでやってきたことからスッパリ方針を切り替えて別のことをやろうとすれば反発が起きるのも半ば必然のことだ。
万人が納得できる事柄など存在しない。説得したところでわかりあえないやつはいるものだ。
王の在り方があやふやになれば内政に不安を抱えることになり、誰も彼もが王権を求めて国を割る事態にすら発展しかねないだろう。
「そんな折に、将軍からセティが余の暗殺を目論んでいるという報告を受けたのだ。今更ながらではあるが、将軍もよくやってくれたな」
「金や地位をチラつかされましたがね。でもアセル王には盗賊だった私を取り立ててくれた恩があります。それに軍に紹介してくれた盗賊王にルメス殿も含めて、三人もの恩人を裏切るなんてできませんから」
ルメスは将来の友好国への投資と考えて、カーミスにも人材の斡旋を行っていた。
元盗賊ならば利益で転びやすいとでも思ったのであろうか。
生憎信用のおけない人物を推薦するほど節穴ではない。
ヘルメスが「意外と面倒見良いんだなあいつ」とつぶやいた。
「うむ。そこでだな、余はこのことを利用できないかと考えた。ルメスと協力して一度死んだと見せ、それから復活することで余の神秘性と権威を高めることができるのではないかとな。そうすれば民たちは余をより特別な存在であると考え、新たな方針を受け入れやすくなるであろう」
セティのやろうとしたことはまるまるアセルの計画のために逆手に取られてしまっていたのである。
策士策に溺れる。謀略は力、つまり己の知力と他者との協力で勝負が決まる。
アセルに勝つにはセティに求心力が足らなかったということなのだろう。ルメスがいなかったのが敗因だった。
「冥王という地位を作ったのは諸々の問題を解決するためだ。これよりは王家と結婚した者が表向きの王となり、実際に政を行うのは王を越えた地位である冥王の座についた王族の者となる。これによって王家に新たな血を取り入れつつ、王族が実権を握ることができる政の形態へと変革することができる、というわけなのだ」
つまりアセルは、院政に近いことをやろうとしているのだ。
遺伝病への対策と王権の確立、王族の政治への影響力を子々孫々にも保たせ続けるための打開策。
継承権そのものを変えずにおくことで自身の王であった頃の王位の正統性も崩れることはない。
その他のメリットとして外部の者に権力を掌握されるのを防ぐ効果も見込めることだろう。
演出された奇跡の与えたインパクトがここまでの政変を可能としたのであった。
「それもこれもそなたの働きあってこそだ。よくやってくれたなルメス」
アセルは我が事成れりと嬉しそうに笑った。
そしてルメスもまた、悪戯猫のように瞳を妖しく煌めかせて笑った。
「陛下。まさかここまでやらせておいてねぎらいの言葉一つで終わらせるわけじゃあありませんよねぇ
? 今回のことでコスモニアも私も、評判が下がっちゃいましたよ。商売に影響出ちゃうかもしれないなあこれは」
わざとらしく顔を手で覆い隠して嘆いてるかのように見せかけた。
「なあ大神官殿。あのとき私は言いましたよね? 報復は覚悟しておけって」
うっ、と大神官も言葉に詰まって後ずさる。
長命種であるルメスはおそらく老人である自分よりも年上の老獪な相手。
そんな海千山千の男から見返りにどんな要求をされるのかと思うと冷や汗が浮き出てきた。
アセルもまたルメスのしたたかさを知っている。
だって自分にとって彼は父親同然の相手で、幼いころからの教師でもあった。
悪知恵の師匠とも言える。今回の謀略だってルメスの教育が下地に無かったら閃いてはいないことなのである。
「う、む。わかった、わかった。一体何が望みなのだ?」
「……蜂蜜」
「うっ」
「……没薬」
「うっうっ」
「いっぱいあるとうれしいなあ~」
悪魔のおねだりだ。
どちらもカーミスの重要生産物であり、貴重なものだ。
大量に持っていかれるとかなりきつい痛手である。それをわかって要求しているのだこいつは。
「やむを得まい……贈ろう」
「流石は陛下。気前がいい」
少々高い支払いとなったが特殊技能に対する手当であると割り切るしかない。
まあ結果だけ見れば大体思い通りに入ったのである上々の成果であろう。
「……それにしても、セティのやつも哀れなものよ。ラトムなんぞにそそのかされてその気になりおって。……余には、そなたがいて良かったぞルメス。どうだ、やはり余の元にこんか? そなたがいてくれればカーミスは安泰ぞ」
「簡単に主君を変える者を信用いたしますか? 私などいなくとも、信ずるに値する者たちがいることがもうお分かりになったでしょう。彼らを大事にしてやってください」
「……うむ。その通りだ。やはりルメスの言葉はためになる。だがいつでも来て良いのだぞ。ベルゼルのやつに愛想を尽かしたころにでもな」
「あと何十年かは大丈夫そうです」
自分の出生を助け導いてくれたルメス。父親同然という思いに嘘は無い。
アセルにとって彼は人生のよりどころであり、手放しで頼ることのできる味方であった。
冥王というシステムが今後機能し続けていけるのかどうかは今はまだわからない。
ただ後の世ではアセルの復活にあやかって、いつか王族が蘇るときのために遺体を保存する風習が生まれた。
あと衛生のために髭は剃るものの、王の権威づけのために長いつけ髭をつけるようにもなった。
それはアセルの突き出た顎をイメージしたものでもある。
つまりは後世において、彼は大きな影響力を持った偉大な王として伝えられていくことになるのだ。
増築したバーメネス宮の新しい壁面に彼の功績は刻まれ、国が続く限り、あるいは滅んでも残っていくことだろう。
だがその陰で彼を支えた誰かの名前は、きっとどこにも書かれてはいない。
なぜならその人物には己で定めた別の仕事があったのだから。アセルの行く道とは別の道を進んだのだ。
だから壁にある名前は別の言葉で刻まれている。カーミスにおける伝説上の人物の名前。
王を助け、知恵を出し、書物を作り、楽器を作り、魔法のような力を使った謎めいた人物。
その名を今は言う必要はないだろう。これはカーミスの物語ではないのだから。




