第二話 ファミリィ ① 軍事
貴族とは国王から下賜された領地の経営者である。
領地の防衛と治安維持と戦争への参加の義務を果たすために兵権を持ち軍隊を作り、
そのために必要な資金を得るための商業を行い、
そのために必要な商品を生産するための農業を行う。
軍事、商業、農業。三役こなさねば経営は立ち行かない。
故に大公爵ルメス家ではそれぞれの部門のトップと第一秘書のアリトを含めた四人の幹部が存在している。
モリーが大公の秘書として勤め始めて半月。
まだ十分に慣れてきたとは言い難いものの、仕事の流れはつかんできた。
まず秘書らしい仕事として大公のスケジュール管理がある。
しかしルメスは大体自分で予定を把握しているのであまり出番がない。
アリトが朝に今日の予定について確認の報告をしているが、彼のいない時でも特に困ってはいないようだ。
モリーも一応覚書にルメスのスケジュールを書いてはいるものの、活用の機会は今のところなさそうだ。
仕事の内容は専ら書類整理となる。
各部署からの報告書や収支の明細書。大公からの指示書。大公への面会や商談の申し込み。
経済支援の申請書や国からの連絡書など、数多くの書類を片付けていかねばならない。
コの字に並べられた机の角にあるテーブルに、一枚につき軽食一食分ほどの値段がする紙の束か積み上げられる。
優先度や重要度の高いものをルメスの手前側から順番に並べてゆくのだ。
主にその作業はアリトがやる。モリーにも横で教えながら大公の右手側に丁寧に配置する。
そして左手側のテーブルに処理済みの書類が大公館の内部へのものと外部へのものとに分けて積まれる。
そのうち内部への書類の一部をモリーが担当して各部署に通達、話し合いをしてくるのが基本的なデスクワークの内容であった。
「ではこちらの書類をお願いします」
アリトはまとめた処理済みの書類のいくらかをモリーに手渡した。
「ああ、こっちのも資料室の方へ保管しておいてくれ」
ルメスがモリーの持つ紙の上へと新たな書類を転送した。
昨日はちゃんと寝たそうで、少し声に張りがあるように感じる。
「わかりました。いってきます」
これからそれぞれの部門の責任者のもとへ届けに行くのだ。
大公館の奥側、練兵場へと続く渡り廊下の手前に軍事部門の事務室がある。
そちらへ向かっていたモリーは事務室から出てきた男性を見て取った。
「あ、オリエさん」
男性に近づいて声をかけた。
「どうした?」
オリエと呼ばれた男性は歳は二十代半ばを過ぎたぐらいの、体格のがっしりとした美丈夫であった。
短めの金髪と翠の瞳のコントラストが印象的だ。
彼こそがルメス家の軍事部門のトップであり、大公からその全権を委ねられた四人の幹部の一人である。
ただし彼自身は兵の調練をしたり指揮を執ったりすることのない、事務畑の人間である。
主に大公軍の武具や食料といった物資及び徴兵する人員の管理を行っている。
長命種でもない人間族の青年で、幹部の中では最年少だ。
「武具の調達に関しての納品書です。確認お願いします」
書類の中から取り出してオリエに手渡す。
「わかった。……斧槍四百に薄片鎧二百か。やはり素材の確保が厳しいか。――了解した。閣下にはなんとか配分を調整すると伝えてくれ」
「わかりました」
「それと持っていってほしい資料がある。資料室から取ってくるから待っていてくれ」
「あ、私も行くところだったんです。ご一緒させてください」
「ああ」
資料室は軍事の事務室より二部屋隣だ。内部は紙の保管のために暗室状態になっている。
火事になるのを警戒して中には蝋燭ではなく、手提げの魔石ランプを備え付けてある。
モリーは大公館に来てから覚えたとおりに、ランプの横のつまみを捻って点灯させようとする。
「あれ? ……あれ? おかしいな」
捻ってみても一向に点灯しない。
何度もつまみを回してみても反応はなかった。
「点かないのか? 貸してみろ」
オリエはランプを受け取って廊下の窓際の明かりの下で検める。
「魔石の魔力が切れてるな」
ランプ下部の側面にある蓋を外し、中にある魔石を取り出す。
青みがかった深い紫の滑らかな石は日光に照らされてまるで宝石のように輝いている。
指でつまみ上げた魔石をじっと見つめている。
すると突然魔石を持つオリエの指先が白く光り出し、魔石を包んでいった。
数秒経つと光が収まり、魔石の色がより鮮やかな薄紫色に変わっていた。
魔石を再びセットしてランプのつまみを捻ると、魔石ランプの中心は蝋燭とは比べ物にならないほどの強い光を放った。
「何をしたんですか?」
「魔石に魔力を充填したんだ。これを使え」
「ありがとうございます。魔力充填ってそんなふうにやるんですね。初めて見ました」
「私は専門じゃないがな。さあ、手早く済ませよう」
オリエは暗い資料室の奥へと入っていく。
「あの、オリエさん。これ使わなくていいんですか?」
手渡された魔石ランプを掲げて後ろから呼びかける。
「いや、いい。私にはこれがある」
右の手のひらを上にして念じるとそこに炎が生じ、球状に燃え上がった。
回転する火球は浮遊してオリエの頭上まで来ると、彼の移動に合わせて追従するようになった。
そうしてオリエは資料室に立ち並ぶ棚の奥側へと明かりを頼りにずんずんと進んでいったのであった。
オリエは炎の魔法使いである。
魔法使いとは自分と周囲の魔力を自分の意志でコントロールすることができる者のことだ。
種族を問わず約千人に一人の割合でその才能を持って生まれてくる。
訓練次第でより大きな魔力エネルギーを扱えるようになり、広範囲に強烈な破壊効果をもたらすことができる。
そのため国軍の魔導兵団では世界初の魔法部隊が設立され戦争に投入されている。
軍に入っていない魔法使いの場合は、主に魔石充填士として国家資格を取得して活動しているのだ。
自然界の余剰エネルギーである魔力はこの星のあらゆる自然現象のなかで発生する。
水ならば流れたときに、風ならば吹き抜けるときに、植物ならば生長するときに。
そして人間やあらゆる動物の体にも魔力は存在する。
このエネルギーを安定させるためには自然現象に則った形に変化させるのが望ましい。
魔法使い自身の相性にもよるが、オリエは炎を選択したようだった。
彼がどのような経緯で大公家の幹部になったのかをモリーは知らない。
東の敵国アドリオスをはさんでコスモニアの北東にある国、スタリアから来たらしい。
歴史上魔法使いは単独で強大な力を持つに至ることから危険視され、世界中で排斥を受けて差別の対象となってきた。
それはスタリアにおいても同様のことであった。
彼にどんな過去があってどのように生きてきたかなんて、わざわざ聞くことでもない。
大公ルメスは転送の力で世界中から人材をスカウトしてきた。
様々な異なる人生を歩んできた者たちがそれぞれの理由でコスモニアへとやってきたのだ。
ルメスと関わる人々は、多かれ少なかれ彼とつながりを持つに至る事情を抱えている。
それはモリーもオリエにも同じことだった。