第二十二話 怒れる大公と魔法使いの進路 ①
ルメスが本気で怒ったところを、モリーは初めて見た。
かつてルメスが怒りを露わにしたのは、ベリルがちょっかいかけてきたときだけだった。
だがそれはベリルが好意を持っているから構ってほしくて突っかかってきているのだ、ということは解っていることである。
それを非常に鬱陶しく思ってはいるし、相手に対し憤慨しているポーズもとったりはする。
でも正直なところルメスは、こいつはもうどうしようもないと半ば諦めて受け入れてしまっているため、実は本気では怒ってはいないのだ。
モリーも秘書としての仕事を始めて間もなくのころは何度かミスをしてしまうこともあったが、その度ルメスは次気をつけてくれればいいと言って励まし、怒ったり怒鳴ったりしたことなど一度として無かった。
他の部下に対しても失敗には寛容な態度を見せて後のフォローを欠かさなかった。
ただし怠慢からの過失には厳しく、解雇された者も何人かいた。
それでも、いずれも仕事上においては彼は感情を震わせることはなく、何事も事務的に処理して済ませていたのだ。
そんなルメスであったが、教え子のリオンが魔導学園の学園長を辞めさせられたとあっては、さすがに冷静ではいられなかった。
モリーが大公館に勤めだして三年目の春。この日二人はリオンに会うために魔導研究所を訪れた。
ルメスは表面上いつになく落ち着いているように見える。ただその表情は石膏で固められたかのように硬い。
無遠慮に研究室のドアを開け入室する。すると奥から「誰~?」と間延びした声が聞こえてきた。
声のしたところを見れば、そこには緑色の肌をした頭に蓮の花が咲いている、見た目十歳くらいの女の子がいた。
女の子は水の張られている大きめの鉢から自分の両足を外に出すと、こちらの方へ歩み寄ってきた。
「あれ~? 初めて見る人だあ。ここの人たちじゃないの~? おとうさんの知り合い?」
首をかしげてこちらをしげしげと見つめてくる。
「え、えーとですね……」
モリーがなにかしら説明しようとした。その時。
「お待ちください。パドミニ」
これまた奥の方からもう一つ別の人物の、妙に淡々とした声が聞こえてきた。
今度の人物は背の高い、銀の長髪をした女性だ。
ただし、その肌は無機質な印象を受ける灰色をしていた。まるで柔らかい陶器のようである。
額にはガラスのような光沢の球体があり、それがまるで三番目の目であるかのようにこちらを見ているようだった。
「お父様の研究を盗みに来た不審者かもしれません。警戒してください。特にその少年の魔力は私にも観測できません。人間に擬態した未知の生物である可能性があります」
「え~? 悪い人たちなの? ねえそうなの?」
「違いますよ! 私たちは……」
そのときどたどたと足音が聞こえて彼女たちがいた場所から反対側の、研究室からつながっている隣りの部屋との扉が開き、中から白いコートの男性、リオンが現れた。
「おお! 閣下! モリーさん! ようこそいらっしゃいました」
「あ! おとうさん!」
「お父様。彼らは不審者ではないのですか?」
父。二人の女の子はリオンのことを父と呼んでいる。
「違うよ。前に話しただろう? こちらの方はこの国の大公で、私の――先生だよ」
「リオン……」
ルメスはリオンにどう話しかけていいか、考えあぐねていた。
それから五人は椅子に腰かけ、緑の娘と灰の娘はリオンの両隣りに座った。
彼は蓮の花の娘はパドミニ、柔らかい陶器のような娘はエメレーという名であると二人を紹介した。
パドミニは以前研究室を訪れた際に見せてくれた、泥炭の中から種子を見つけて栽培した人間の絶滅種、植物族の娘だ。
両の手のひらで収まりきるほどに小さかった身体もずいぶんと大きくなり、蕾だった頭の花も美しく咲き誇っている。
エメレーは古代の遺跡を発掘した時に発見した、伝説上にしか記録の無かった超希少種、人形族だ。
遺跡内の棺のような箱の中で眠っていたらしい。持ち帰って調べていたら目覚めたそうだ。
彼女の言語は今使われているものと違っていたらしく、最初は意思疎通に苦労したがすぐにコスモニアの言葉を覚えて会話できるようになったとのことだ。
何故遺跡の中で眠っていたのか、それ以前何をしていたのかといったことについてはまったく記憶がないらしい。
二人の名前はリオンが名付けた。娘らはリオンのことをよく慕っているようだ。
その様子を見てルメスは彼女たちに質問を投げかける。
「君たちは、リオンのことが好きか?」
「すき~」
「好意があります」
「……そうか」
二人に対して、ルメスは頭を深々と下げた。
「どうかこれからも、リオンのことを支えてやってくれ」
ルメスが王であるベルゼル以外に頭を下げているところなんて見たことがない。
それだけリオンのこれからについて心配しているということなのだろう。
「か、閣下! お顔をお上げください! 私はまったくもって大丈夫ですから!」
慌ててリオンが両手で空中を掻きながら止めてくれるように懇願する。
「だけどリオン、あんなことがあったのに……」
「……いいんですよ。私に責任があることなんですから」
リオンが学園長を辞職しなくてはならなくなった理由。
それは、魔導学園で暴動が起きたからであった。
魔導学園は魔法使いと魔術師、二つの分野の生徒たちを教育する場である。
魔力を直接コントロールして魔法現象を引き起こせる魔法使いと、複雑な魔法陣をもって魔法現象を探り当てる魔術師との間には深い溝が出来上がっていた。
魔法使いの適正を持つ人間はおよそ千人に一人程度しか生まれてこない。
そのため魔法使いたちには少なからぬエリート意識が根付いているのだ。
曰く我々は選ばれた人間であると。魔法の使えぬ只人とは隔絶した存在であると。
とりわけ同じ魔導に関わる魔術師たちに対しての侮蔑的な意識は根深いものがある。
それは魔法使いでもないのに魔法現象が起こせる魔術師が生意気だ、気に入らないといった子供じみた妬みからくるさもしい感情によるものであった。
だがそういった思いも心の内に秘めているうちは良かったのだ。誰しも思うだけなら問題は起きない。
しかしある日、学園内でほんの些細な言い争いから事態がどんどんエスカレートし、ついには何十人もの生徒を巻き込んだ殴り合いの暴動にまで発展してしまったのである。
大勢の生徒が傷つき、骨折などの重傷者まで出た。この時代の骨折は完治が非常に難しいものとされていた。
きっかけは魔法使いの生徒が相手の魔術師の生徒をからかって馬鹿にしたことであった。
魔法が使えない凡人が、魔術が国にどれだけ貢献しているか解らない阿呆が、そう言い合ってそれぞれにどんどん他の生徒が加勢してこのような事件が起きた。
しかも魔法使いの生徒の中には魔法で相手を攻撃しようとした者までいたのである。
実行される前に教師らが止めることができたのは不幸中の幸いであった。
リオンは今回のことは両者の間の溝を埋めることができず、事件を未然に防げなかった自分の指導力不足が招いた結果であるとして、責任を取り辞職を申し出たのである。
「どうにか生徒たちの意識を変えようと工夫をしてきたのですが、至らず……。魔法使いでも魔術師でもある私こそが食い止めなければならないことでしたのに。無念です」
七三分けの銀の髪を額に垂らして、己の無力さに打ちひしがれている。
とても見ていられなかった。
パドミニとエメレーがリオンの頭や背中を撫でて「おとうさんは悪くないよ」「生徒が悪いです。会ったらぶちのめしてやります」そう言って慰めた。
「ありがとう。でも私は痛くしてくれた方が気持ちが晴れるかな」
「じゃあ絞めてあげるね」
「捻ってあげます」
そして二人に関節技を極められて、リオンは楽しそうに身悶えた。
「あああ~~~っこれこれ!」
女の子二人に組みつかれ悦ぶ変態にしか見えない。実際そうなのかもしれないが。
「ははは、閣下。私はこの通り元気にやっています。心配しないでください。それにほら、これからは時間に余裕もできますから研究に没頭できるってものですよ。いいことづくめです。だから閣下……」
作っていた笑顔の仮面をスッと下ろして、穏やかな表情を見せた。
「どうか生徒たちには、寛大な処置を、お願いします」
それからいろいろと雑談を交わして、そろそろ帰るからと席を立ち研究室から出たときのこと。
廊下に立ちどまるルメスはモリーに背を向けてうつむいている。
一瞬、声をかけるのをためらったが、意を決して話しかけてみた。
「大公様……っ!?」
そのときだ。全身の毛が震えるような怖気立つ感覚がモリーを襲った。
生まれてから今まで感じたことのないほどの、心が握りつぶされるような圧迫感。
それは怒鳴るどころか声一つ発していない、目の前のルメスから伝わってくるものだった。
彼の表情は分からない。鬼神の如く恐ろしげな顔なのか、逆にまったくの無表情なのかも、うかがい知ることはできない。
ただ、これが本気で怒った時のルメスの様子なのだということは理解することができた。
「オレは、生徒共を、許さない」
許さないとは、多分、何があってもどうなってもどれだけ時間が経っても許さない、そういうことなのだ。
「思い知らせてやる」
それから数日後。魔導学園で魔法使いの生徒への特別授業が行われることとなった。
講師は、大公爵ルメス。
教室に入って生徒たちを睨め回し、騒つく生徒たちが黙るのを待って重々しく口を開いた。
「今日は君たちに……お金の話をしに来た」




