第一話 大公のお仕事 ⑥了
都に流れるティグラト川より東部の区域には旧市街が広がっている。
十年前より始まった西部の再開発により王城が移され、都の中心が西部新市街に切り替わってきているが、いまだ旧市街で生活する人々は多い。
新市街は東西南北に正確に伸ばされた道路が碁盤目状に交差している整然とした都市構造である。
比べて旧市街は乱雑な道路と雑多な建築物で溢れかえっており、迷路のようになっている区画もある。
場合によってはそうゆう区画は犯罪の温床にもなりやすい。
時代遅れの旧市街に好んで根を張ろうとする者の中には良からぬことを企む輩もいるのだ。
今回向かう場所もそうした不心得者の住処である。
旧市街南東、蛇の輪通りの一角にアプリス商会の建物がある。
商会で取り扱っている商品の他にも商会主の個人的な収集物も保管されている倉庫だ。
禿頭の商会主が深い暗がりの倉庫の奥のコレクションルームで美術品を愛でていた。
希少なガラス工芸の器や、近年製造技術が伝わった極東風の陶磁器の壺。
人間神信仰の象徴である炎の意匠を施した銀の燭台。
そしてコスモニア北西の国、エリアス国の彫刻品であるキトンを着た女性像。
それらを眺めて商会主は満足げに下卑た笑みを浮かべた。
「ずいぶんとご満悦のようだな」
後ろから声が聞こえて振り向くと照明の火明かりに揺らめいて闇の中に蒼白い顔が浮かび上がった。
漆黒の装束は深い暗黒に溶けて虚空に飲み込まれ、その空間を左胸の銀蛇だけが翼を広げて揺蕩っている。
雪の如く白い肌と氷の如く冷たい灰の瞳がこちらを向いていた。
「こ、これは大公様。このようなところへご足労いただけるとは。ご連絡くだされば……」
「うちの医薬品を横流ししたな?」
言の葉が氷の刃となって商会主の言葉を切り落とした。
「な、何を……」
「エリアスのアディコス商会と組んで規定の八倍の金額で売りさばいただろう。そこの彫像はその成果ってわけか」
「誤解です! そんな……」
「しかも軟膏を水増しするために混ぜものをしたな? 塗った傷口が悪化していたぞ」
「っ……!!」
二の句を告げさせぬ追及に冷や汗と脂汗が止まらない。
「医薬品は既定の金額で、国内のみで販売する契約だ。その上商品の信用まで貶めた。違約金と賠償金、合わせて金貨3000枚を請求する」
「そんな!」
「そして今後うちの傘下の商会および我が家と取引している貴族、商人、職人はそちらと取引しない。実質この国で商売を続けることは不可能になる」
「お慈悲を! お慈悲をください!!」
近くに駆け寄り跪いて祈るように手を組んだ。
「駄目だ」
「商売ができないんじゃ首をくくらないといけません、どうか!!」
「勝手に死ね」
商会主の顔に絶望の色が浮かび、消え、歪んだ憤怒の様相が浮かび上がってきた。
「この、ガキィ!!」
手を伸ばしてルメスに掴みかかろうと跳びかかってきた。
が、次の瞬間。
「ブギャッ!!」
豚族でも上げないような悲鳴を上げて女性像に鼻からぶつかっていた。
ルメスが相手の勢いそのままに彫刻の前へ転送したのだ。
商会主は鼻を押さえてうずくまった。
「そんな石塊に甘えたくなったのか?お前が商売を続けたいのなら外国にでも行くんだな」
言い捨てると転送を行い、闇に潜るように消えていった。
ルメスの三歩後ろの陰からモリーは一部始終をじっと見ていた。
彼の貌をうかがうことはできなかったが、冷淡な言葉を放つルメスの新しい一面をまた知ることができた。
背筋が少し寒くなる感覚がしたが、毅然とした態度に心惹かれる感情のほうが強かった。
茜さす執務室の窓ガラスの光を背にして濃い影を落としたルメスがモリーに話しかける。
「今回不正を行ったアプリス商会の行いを商人ギルドへ通達して見せしめにする。明日その書類を書いてもらうよ」
先ほどまでの口調とは打って変わって柔らかさを感じさせる。
「はい。でもよかったんですか? 外国へ行けばなんて言って」
「どこへ行こうと金はきっちり取り立てるよ。それにあれも利用できる。だから誘導した」
「利用ですか? 信用できそうもない人でしたけど」
「そこだ」
モリーに向けてシャッと上向けに指をさした。
「奴は信用できない。また同じような不正をやらかすだろう。だがそれが外国でならば害があるのは相手の国だけだ。他国の痛みはコスモニアにとっての利益となる。裏から手を回してそうなるように仕向けてもいい」
経済、軍事、文化など、国家間で優位に立つことは外交や国防においても重要なことだ。
自助努力によって自国が強みを持つことが最も望ましいが、一番簡単なのは相手の足を引っ張ることだ。
他国で不正を行ってくれれば経済への、あわよくばより深く溝を残す人間関係へのダメージを与えることができる。
他人の不幸は蜜の味、というわけでもないが自分の手を汚さずに攻撃できるならばやるべきだ。
大公はそう判断した。
「……それがもし、友好国であるカーミスであっても?」
「そうだ。関係を長く続けるのならば、弱みは自分ではなく相手に押し付けるんだ。絶対にこちらが下になってはいけない。下に立てば、奪われるだけだ」
誠実さや謙虚さだけでは守れないものがある。
清濁併せ呑むのが大公爵の流儀なのだ。
ダーティな行為に嫌悪感を覚える人もいるだろう。
だが利害を納得して実行できぬ者にこの仕事は務まらない。
「そうですね……」
それを聞いてモリーは。
「それが聞きたかったんです」
笑顔で、そう答えた。
大公爵の秘書とは、そういうものでなければならないのだ。
「モリー、重要なことだ。これから君は秘書として、オレに意見や質問があったらどんなことでも言ってくれていい」
「どんなことでも、ですか?」
「可能な限り答えるよ。今何か言っておくことはある?」
「それじゃあ、大公様」
「なに?」
「ちゃんと寝てください。秘書として見過ごせないです」
「ああ……うん。善処する……」
秘書として自分にしかできないこと。
モリーはここから始めてみようと、そう思った。