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第十八話 男たち ⑨ 月影の少年

「友達……」


 横並びに座る二人をいつの間にか真上にまで登った月が照らしている。

 そよ風が髪を揺らし、月影の隙間からのぞかせるジェフの顔は得体の知れない怪しげな男という印象ではなく見た目相応か、もしくはより幼い少年のそれであるようにも見えた。


「そうだ。友達……だったはずだ。オレは長命種でね。お前よりもずっと長い時間を生きてきた。オレの故郷、故郷と言えるのか……かなりろくでもないところでさ、(つら)いことも苦しいこともいっぱいあった。そこで生まれて、人生に、世界に何の希望も持てなくなった」


 希望の持てない故郷。あの秘密の谷を思い出す。


「なにもかも嫌になってそこを逃げ出してから、ずいぶんあちこちいろんなところを彷徨(さまよ)っていた。他人の命も、人生も、どうでもいい無意味なものだと思っていた。でも何年か経ったころ、あいつに出会えたんだ。生まれて初めての大切に想える他者、友達に」


「……どんな、奴だった?」


「壊れた人形みたいなやつだったよ。あいつはさ、女の命を守ることに必死になるんだ。自分の骨が砕けても手足が千切れても文字通り命を張って守ろうとする。オレはそのたびにあいつの身体を治していたな。そんなにもなってまで女を守ろうとするのに、その相手が死んだときには()やみもせずにあっさり諦める。全身から血を流しながらため息をついて、まただめだったか、っていつも大したことじゃなかったみたいにそう言うんだ。命さえ守れるならそれ以外の、心とかを守ることには関心も無かったしな」


 友人とはどんな人物なのかと思えば、かなり頭のおかしいやつだった。

 そんな相手となぜ共に行動していたのだろうか。


「狂っていたのか? そいつは」


「いいや。狂気に(おちい)るほどあいつの心に波がたつことはなかったよ。決められた行動をぎこちなくとり続けるだけの、生物としての精神の枠組みを外れかけた人間。そういうものさ。でもそんなやつだったからオレは、オレたちは一緒にいられた。あいつを通して、心に触れて、オレは初めて物事や命に価値を見いだせるようになっていったんだ。あいつはオレにとって友であり、父のようであり、兄のようであり、そのほかの親しく思える他者との関係の全てであるように感じていた」


 なんだか似ているかもしれないと、アリトには思えた。

 全てを無意味に感じていた自分と、それを変えてくれるかもしれなかったエギュンとの関係に。


「あいつがいたから、本来なら共にいられるはずがなかったジンやニイルとも一緒に行動できた。オレたちはその二人と合わせて四人で旅をしていたんだ。楽しかったよ。あの頃は。綺麗な景色を見てまわったり騒動に巻き込まれたり、みんなで農業や釣りをして収穫できたものでご飯を作ったりして。毎日が充足感でいっぱいだった。その時みんなで過ごしていた拠点は、今でもオレの実家として使っている。……もう、オレの他には誰も帰ってこないけどな」


 遠い目をして心底楽しそうに、そして寂しそうに語るジェフ。

 もしも、エギュンが生きていてくれたなら。

 自分もそんなふうにたくさんの楽しいことを体験できたのだろうか。アリトはそんな想像をしてしまう。


「でもな、ある時その生活は終わってしまったんだ。オレは、あいつに置いて行かれてしまった」


「なにがあった」


「……言葉にしたくない。言うのが、怖いんだ。ただ、オレたちはもう二度と会うことができなくなった」


 目をきつく閉じる。指を組んだ手が震えている。わき上がってくる苦痛を耐え忍んでいる。


「それからまた一人で生きていかなきゃいけなくなった。他の二人とも別々になった。子が親の元から巣立つように、あの頃の思い出だけを支えにして長い年月を過ごしてきたよ。(さび)しさに押しつぶされないよう徹夜して仕事をしたり、趣味にできそうなものをみつけてひたすら没頭したりした。……それでもあいつを忘れられない」


 天を(あお)ぎ見る。太陽の光を見ていたアリトのように、月の光を瞳に映す。


「今だってオレは他人と食事をしないようにしている。供応(きょうおう)を受けないためなんて言ってるけど、本当は友達としか一緒に飯を食いたくないからだ。いつかまた会えるかもなんて、ありもしない期待をしながら。未練だよな、まったく」


 アリトはそんなジェフを見て、頭では否定しつつも感覚でこう思っていた。

 似ている。こいつと自分はどこか似ていると。

 そう思わせているだけかもしれない。似ている部分を自分に当てはめているだけなのかもしれない。

 だが、寂しさとその苦しみを、共感することはできた。

 同じではないが、似ている傷を、二人はその胸の奥にひび割れのように刻まれているのだ。


「お前の友達の名前はなんていうんだ?」


「セロ。本当の読み方じゃなくて渾名(あだな)みたいなものだけど、オレにとってはセロだ。オレのジェフって名前もセロにつけてもらったんだ」


 アリトは知らなかったことだが、仕事をするにあたってジェフがヘルメスから名前を借りてルメスと名乗るようになったのは、人前で食事をしない理由と同じで友人にしかセロにつけてもらった本名で呼んでほしくないからであった。

 あえてアリトにジェフと名乗ったのは彼なりの誠意を示したかったからである。

 ジェフは立ち上がり、アリトを真剣な表情で見つめる。


「アリト、一緒に来いよ。今オレたちはこの国を作り変えるために活動している。お前もオレたちの国で自分の生き方を見つけるんだ」


「俺が? 俺は、暗殺しかできない。人殺しだけしか能のない、この俺に何ができるっていうんだ」


「なら暗殺をすればいい」


 見ている者の心を()てつかせるような、冷たいけど優し気な死神のような微笑みを浮かべた。


「エギュンが言ってたんだろ? 子供たちに太陽の下で胸張って生きれる人生をおくらせたいって。今のテオニアではそれは望めない。金のためじゃなくて、子供たちの未来のために殺しをするのはどうだ? そして子供たちには暗殺を受け継がせない。オレたちの世代で全部(かた)を付けるんだ。そういう契約を、オレと結ばないか?」


 月光に照らされたジェフは太陽光に照らされたエギュンとは違う。

 それはアリトの、自分自身の心により近い光であった。

 太陽の光を反射する輝き。エギュンの光に()がれる己を映し出す輝き。

 ジェフはアリトを投影する鏡だ。自分の人生と命に意味を見いだすために(のぞ)き込む、自分によく似た鏡像。

 ドッペルゲンガー。見た目は似ていない。だけど似ている痛みを持ってる。もう一人の自分。


「自分と同じというつもりは無いが、お前を見ているとまるで自分自身のことみたいに胸が苦しくなるんだ。だから、お前をつれていきたい。この手を、とってくれ」


 ジェフがアリトに向けた感情、それは(いつく)しみであった。

 誰かと共感しあえること。それは痛みであれ苦しみであれ、誰かが理解してくれるならば、あるいはそれが救いとなる。

 エギュンと同じようには思うつもりはない。だけど、きっとそれでいいのだろう。

 俺は俺のために生きる。ここから始めてみるか。

 そうしてアリトは差し出してきたジェフの手を握る。

 自分だけではできなかった。だからアリトは、鏡の向こうの自分と、握手をすることにしたのだった。




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