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第十八話 男たち ⑤

 昼の太陽の下を避け、夜の訪れとともに()い出す自分が、なんだかカナヘビか何かのようにも思えた。

 小さな川の流れる谷の底は暗く湿(しめ)っていて、そこから見える空はまるで井戸の中から見上げるようにとても狭かった。


 アリトは秘密の谷に生まれ、十歳で最初の殺人を行った。

 普通の子供のように振舞い近づいて毒針を突き刺す。さほど難しくはない。

 子供の仕事ぶりを両親は()めたが、その両親は間もなくして暗殺に向かい失敗して帰らぬ人となった。

 殺人にも両親の死にもなんの感情も()きあがることはなかった。


 教団の祭司たちが話す神々の物語は寓話(ぐうわ)的でお話としてはまあ面白いが、割とろくでもない連中ばかりが登場するのでそんな奴らを尊敬する気持ちにはなれなかった。

 特に教団で最も重要な神である冥府神に対しての自分たちの行いには疑問を持った。


 物語での冥府神は神々の中では比較的良心的で人間に対しても情け深い性格をしていた。

 教団は暗殺を、死者の魂を冥府神に捧げ自分たちの死後の世界での位階を高めるための行いだとしている。

 冥府神の性格が前述の通りだとすれば、冥府神はそんなことされるのを望んでいないのではなかろうか。


 そうは思うがそれを言ったところで何にもならない。結局暗殺の仕事を請け負わなければ暮らしてはいけないのだ。

 つまるところ方便でしかないのだろう。神々の墓碑銘(ぼひめい)を語り継ぐだけの古臭い教団が生き残るための。


 聞こえのいい言葉で自らの行いを誤魔化(ごまか)す。とても(みにく)いと思った。


 アリトは教団のやることにも関心を抱くことはできなかった。


 そうやって何事にも興味を無くし、一人で小さな空を眺めている時間が多くなった。

 仕事をし、戻って、一人で過ごす。その繰り返し。やれと言われたことをやるだけのつまらない日々。

 きっと死ぬまで変わらないのだろう。しくじるか、病か何かで倒れるか、その日までの。


 だが決まってそんなアリトの隣に座って、エギュンは話しかけてくるのだった。

 

「アリト、見ろよこれ。青銅製の薬入れだ。表面の模様結構()ってるだろ? 蛇の絵が刻まれているんだ。良い買い物したよ。売ってくれた行商人の人、嫁さんと小っちゃい娘さんがいてさ。エーシュちゃんっていったっけ。かわいい盛りだよなー」


 エギュンはこうやってあちこち出向いて行って、あった出来事を話してくる。

 妙な奴だった。こんな殺伐とした商売やってる人間だとは思えないほど(ほが)らかで、いいやつだ。


 暗殺者としては右に出る者はいない。アリトでもかなわない。

 以前木のナイフを使った模擬戦をしたときは、まったく知覚できないままにいつの間にか首にナイフを当てられていた。

 それだけの実力を持っていながら仕事にやる気を見せない。仕事は遅いしよくサボる。

 自分と同じで谷の変わり者。そんなふうに思っていた。




 あるときアリトはエギュンと合同で任務を受けた。

 一つの屋敷の人間を全員始末する大()かりな仕事となった。

 二人はそれぞれ別方向から侵入して中の人間を半分ずつ担当することにした。


 しばらく経って、自分の分を全て片付け終えたので、アリトはエギュンの方の様子を見に行くことにした。

 屋敷の奥の寝室、寝台の上で眠るように死んでいるここの主たちの前には、それを見下ろして(たたず)むエギュンの姿があった。


「どうした? 仕事は済んだのか?」


 空気を波立たせないように静かに声をかけてのぞき見る。

 そこには一回り小さな寝台があり、それにちょうどいい大きさの小さなものがすやすや寝息を立てていた。


「赤子か。何故殺さない?」


「……実は、さ。子供を殺したことがないんだ。今まではうまく誤魔化してた。どうしても子供の命を絶つことができないんだ」


「人間は人間だ。体の大きさと生きた年数が変わるだけだ。俺たちが殺してきた人間と何が違う」


「違う。違うんだよアリト。子供にはこれからいくらでも可能性があるんだ。いいやつにも優しいやつにもなれるんだよ。本当ならそうなれるようにいろんなことを教えて、守らなくちゃいけない存在なんだ」


 少し、声が震えている。どうしようもない何かを前にして己の無力感に打ち震えるような、無念の声だ。


「なあ、アリト。頼む。この子だけは見逃してやってくれないか」


「……この屋敷に入る前にそれぞれが半分を担当するように取り決めた。俺は俺の分の仕事を片付けて先に帰った。――そういうことだ。上手くやれ」


 アリトは(きびす)を返し、音も無く闇に融けるように消え去った。


「ありがとう……」


 エギュンは後始末を済ませて急いでアリトを追いかけ二人で谷へと戻ったのであった。




「アリト。いつか二人でこの谷を出ていかないか」


 いつものようにアリトが一人でいるところにエギュンがやってきて、突然そう切り出した。


「俺さ、自分の子供が欲しいんだ。自分の子供を育てたい。こんな暗がりの中で殺しなんてろくでもないことをやらなくていい、太陽の下で胸張って生きれる人生を子供にさせてやりたい。俺一人じゃ不安だけど、お前と一緒なら何とかなりそうな気がするんだ」


 いつものように朗らかで、優し気な笑顔。信頼が形になったような温かな表情。

 こいつはどうしてそんな顔ができる。


「……なぜだ? なぜ俺なんだ? どうしてお前はいつも俺なんかに話しかけようとするんだ?」


 つまらない日々を繰り返すだけのこんなつまらない自分を。


「だってお前は、いつも空を見ていたじゃないか。暗い谷底じゃなくて、あのどこまでも続く光輝く空を」


 そうだ。アリトはいつだって空を見ていた。

 求めていたのだ。ずっと、自分の現状を変えられる何かを。

 どこへ行けばいいのか、何をすればいいのか。

 それが分からなかったから、自分だけで歩き出せる道を空の彼方に探していたのだ。


 その時、登ってきた太陽がエギュンを照らし出し、それは今まで見てきたどんなものよりも輝いているように思えた。




 ――空が、いつもより暗く目に映る。

 谷を吹き抜ける風が、いつもより冷たく感じる。

 

 エギュンは、帰ってこなかった。


 国庫が擦り減っていくことに危機感を持ったテオニアの王が、ザハーグ暗殺の依頼をしてきたのだ。

 教団で一番の暗殺の腕を持つエギュンがその役目を任されることになった。

 いつものように何でもないかのように谷を出て、そして戻らなかった。


 いつかこうなる日が来ることは分かっていた。自分の両親だってそうだったのだ。

 だが両親の時とは違い、アリトは胸の中に(なまり)が溜まっているかのような重苦しい気持ちに(さいな)まれていた。


 それでも少しだけ、その重みを軽減してくれる(うわさ)が秘密の谷のアリトの耳にも届いてきたのだ。

 かの邪龍ザハーグを討ち取ったという龍狩りの英雄、ファリーの話が。

 こんな辺境の谷底にまで彼の名声は響いてきていた。


 アリトは邪龍を倒した英雄の話を聞いて、心から良かったと思えた。

 エギュンはザハーグに殺されたのだろう。

 だがそのザハーグが死んだのならば、エギュンの魂もきっと悔恨(かいこん)の想いから解き放たれて救われていったに違いない。

 そうだ。きっとそうだ。そう思うことで安心することができた。


 アリトは生まれて初めてかもしれない感謝の念を、友の(かたき)()ってくれたファリーに対して抱いたのだった。




 それから間もなくして、アリトにファリーの暗殺命令が下った。




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