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第十八話 男たち ①

 海岸の岩場の上に、大きな箱のようなものが打ち上げられていた。

 本来ならば海流の関係でそこに何かが流れつくことはまず無いはずなのだが、前日の嵐のせいで流れが変わったのか波に運ばれてきたらしい。


 ある男がその箱に目を止めた。男は奇妙に思い()から降り立つと、箱の前に進み出る。

 よくよく見ればこれはただの箱ではない。舟だ。上は木の板で平たく閉じられているが底のほうは曲線を描いている。

 それに見たことのない文字のようなものとともに、海の生き物らしき絵が所々に描かれている。

 手の甲でノックしてみる。反響音から中には空間があり、海水などで満たされている様子はなさそうだった。

 すると音を確かめるために近づけた耳に、思いもよらない異音が入りこんできた。


「んぅ~?」


 人の声だ。中に人がいる! 閉じ込められているのか!?

 男は慌てて(ふた)になっている釘打たれた木の板を素手で次々と引きちぎって()がした。


 その中には身体を横にして胎児(たいじ)のように(うずくま)り眠っている人物がいた。

 陽の光に顔を照らされて少し身震いした後、静かに目を開けて起き上がり、男を見た。

 それは(からす)の濡れ羽のような短めの黒い髪、儚く透き通るような白い肌、澄んだ優し気な灰の瞳をした、この世のものとは思えぬほど美しい女であった。

 絹のような上等な白い衣を(まと)い、青い緑柱石(りょくちゅうせき)、アクアマリンの首飾りをしている。

 女が男に微笑む。男はあまりの美しさに女から目を離すことができなかった。


 虚舟(うつろぶね)。閉じられた出口の無い舟の中から現れた神秘的な女。


 二人はこうして出会った。女の名前はメアリー。そして男の名前は、ザハーグといった。




 メアリーは何者なのか、どこから来たのか。彼女は語らなかった。

 ただ今はもう帰るべき場所も無く行く当てもないという。

 ザハーグはそんな彼女を龍族の村へと誘った。

 数年前村長になったばかりのザハーグは部族の仲間たちを説得して集落に置いてやれるようにと働きかけてくれた。

 部族のみんなは最初は渋っていたが、メアリーの美しさや明るくて思いやりのある人柄に触れていくうちに、次第に心を開いていった。


 そんなある日の明け方。ザハーグは家から外へ出てきていた。

 晴れた日には龍になり、朝日を浴びながら海の方を飛ぶのがザハーグの習慣であった。

 そうしたら目の前にメアリーが立っていた。

 彼の習慣を知ったメアリーが自分も一緒に空を飛んでみたいとザハーグを待ち伏せしていたのだ。

 しょうがないやつだとザハーグは龍の姿になってメアリーをその背に乗せることにした。

 背を向けて服を脱ぎ、その身から光が放たれると、そこに六枚の翼のある黄金の巨龍が現れた。


「格好いいなあ! でもさ、裸になんなきゃダメなの?」


 新雪のような頬を朱に染めてジトッとにらむ。


「仕方あるまい。この姿になるのに服は邪魔なのだ」


「身体おっきくなってるもんね。変身したら破けちゃうかあ」


「いや、全身から魔力を放出せねばいかんのが理由だ。これは私自身の肉体が変化しているわけではない。龍としての姿は、言わば魔力でできた鎧を纏っているような状態でな。服を着ているとその部分だけ上手く魔力を変化させて纏うことができんのだ」


 そう言うザハーグは魔力でできているという龍の口を動かしながら喋っている。

 本体の口と連動しているらしい。


「龍以外の姿にはなれないの?」


「なれん。さっきの理屈に当てはめるなら纏う鎧の形は何でもいいはずなのだがな。どれだけやっても何故かこの姿にしかなれんのだ。ただ、一度この姿になれば部分的に他の生物のように変化させて動かすことはできるぞ。そら」


 ザハーグは翼の羽を一枚、大きなかぎ爪で器用に(むし)ると、その羽を蝶々へと変化させた。

 金色の蝶がひらひらと飛んで、メアリーの伸ばした手の指先に止まる。

 それがもう一度羽へと変化してから金色の光の粒子のようになって霧散(むさん)した。


「すごいなあ……私も龍に生まれたかったよ」


 その表情には(あこが)れと、どこか(かげ)りが見てとれた。


「……龍にはなれん、が」


 ザハーグがメアリーを掴む。「わっ」と驚くメアリーを自分の背中へと乗せた。


「龍のように空を飛ぶことはできる。――行くぞ」


 ふわりと翼をはためかせ、彼女が降り落とされないようにできるだけゆっくりと上昇する。

 吹き抜けていく朝風をつかまえて空を漂う水をかき分けるように、飛んだ。

 最初は目を閉じていたメアリーもゆっくりと目蓋(まぶた)を開ける。

 その時自分の背後から日が昇ってきて、少しづつ大地を明るく塗り替えていった。


「もうすぐ海だ」


 山を横切り谷間を抜けてさらに上昇すると潮風の香りが滑るように髪を()でた。

 春の朝、少しづつ白くなりゆく山と、紫の雲。

 そこに薄桃色の空と(あわ)藍色(あいいろ)の海のコントラストがとても()えていた。


「綺麗だね」


 ため息をつきながらも、出せる言葉はそれが精一杯であった。

 初めての空。黄金の龍の背に乗って見渡す彼方の水平線。他に言葉が出なかった。


「私はな、この時間が好きなのだ。ここでこうして明けゆく空を眺めるのが。己の心も明けてゆくような、そんな気がしてな」


「うん。私も、好き」


 メアリーはザハーグの背に抱きつき、横目でその光景を見ていた。

 そうしていると、なぜだかとても安心できた。




 それからいくらかの時が流れて、二人は結婚した。

 男の子が一人産まれた。龍族の住むギガース山は他の地域ではセアベル山と呼ぶという話を聞いて、子供の名前にセアベルと名付けた。

 山の雄大さ力強さにあやかりたいというのと、ザハーグがメアリーと巡り会えたようにどこからか良きものがこの子に訪れてほしいという思いを込めて、外の言葉を名前にしたのだ。


「髪が赤いね。私は黒で貴方は金なのに」


「龍族はどんな色の髪色で生まれてくるかはわからんのだ。龍になった時には髪の色と同じ色の姿になる」


「へえ~。でも黒い角と金の眼はそっくりだね。耳の形も貴方に似てるかも」


「顔つきは君に似て美形だな。将来他の女たちが放っておくまい」


 我が子の誕生に二人は顔を(ほころ)ばせたのだった。




 だが、それから十一年後。メアリーは(やまい)(わずら)い寝込んでしまった。 

 それはこの地域では(まれ)(かか)ってしまうこともある風土病の一種であった。

 この病気には龍族に伝わる特効のある治療薬が存在していた。

 しかし不運なことにそれを(せん)じるために必要な薬草が見つからなかったのだ。

 ザハーグは必死に山を駆けまわって薬草を探したがどこにも見つけることができなかった。


 そしてある決断をすることになる。

 龍族たちの中で入ってはいけないと言われてきた禁足地、呪いの谷と呼ばれる場所があるのだ。

 踏み込んだ者は心を侵され邪悪な存在へと変じてしまうという。

 他の場所は探した。もうそこにしか薬草を見つけられる可能性は無い。

 自分にもしものことがあった時は族長を引き継ぐようにと弟に言い残し、止めるクルノーグを振り払い呪いの谷へと向かった。


 谷の奥に入っていくと、そこには目当ての薬草の群生地があった。

 これで妻の病を治してやれる。ザハーグは薬用と栽培用にいくつか薬草を摘むことにした。




 しばらく経ったとき、なにか心にチクリと刺さったかのような感覚を覚えた。

 その時はそれが何なのか分からずに、ただの気のせいだと思っていた。


 その時は、だ。




 メアリーの病は治った。龍族たちは彼女の快癒(かいゆ)とザハーグの無事を祝った。

 最初のうちは全部めでたしで終わったものだと思っていた。

 しかしザハーグはしこりが残ったような、奇妙な違和感を覚えていた。


 日常のふとした瞬間に、胸の内側をわしづかみにされたような重苦しい感覚を味わうようになった。

 己の内に耐えがたい激流のような衝動がうねっている気分になる。

 それはいったい何なのか。何らかの感情のようであるが一体どういうものなのか。

 ザハーグが経験したことのない未知の感情。それが徐々に彼の心を(むしば)んでいった。


 日を追うごとにいや増すそれを抑えようと行動した。

 気分転換になりそうなものを片っ端から試したり、心の病かと思って効きそうな薬を飲んでみたりもした。

 だが一向に良くならない。感情と衝動は膨れ上がり、ザハーグの様子はどんどんおかしくなっていった。

 よく眠れず独り言が多くなりイラついて、そんな有様だから行動にミスが増えて、その度にストレスがかさんでミスがまた増える悪循環に陥っているようだった。


 そしてついに、ザハーグはそれに耐えられなくなり、発狂した。

 叫び声をあげて頭を床に打ちつけ、家から飛び出した。

 その直前にメアリーとセアベルに「来るな!! 近づくな!!」と、残っていた理性で言い放った。

 誰もいない集落の外れの丘に駆けて行き、黄金の龍の姿へと変身して衝動のままに暴れ出した。


「私のせいでこうなったんです。せめて私だけはあの人の(そば)にいてあげたい。セアベルのこと、お願いします」


 セアベルに自分の首飾りをかけて抱きしめてから、メアリーは息子をクルノーグに預けた。

 龍は古代より神の如き存在として多くの国で民間信仰の象徴的存在であった。

 言うなれば彼女は神の、龍の巫女だ。その身を捧げてでも荒れ狂う龍を鎮めるべく、歩を進める。


 セアベルはクルノーグの手を振り払って母の元へと向かう。

 これから起きるかもしれないことへの予感に胸のざわめきが止まらなかった。


 近づいてきたメアリーを見て、ザハーグは動きを止める。

 両手を広げて夫へと伸ばす。彼の苦しみを受け止めようとするかのように。




 そして、そんな彼女を、大切なかけがえのない存在を。

 ザハーグはメアリーと多くのことを語り合ってきたその口で。


 噛み砕いた。




 セアベルはその光景を最後まで見ていた。




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