第一話 大公のお仕事 ⑤
執務室に戻ってみるとルメスは白目をむいて首を左に90度傾け気絶していた。
声をかけてみると、はたと気がついて「大丈夫ほどほどに大丈夫」と目をしばしばさせていた。
身体をほぐし服装を整えじゃあ行こうか、と転送を行った。三回目ともなるとだんだん慣れてきた。
切り替わった場所は、おそらく製鉄所らしかった。春先にしてはえらく暑い。
並んでいる炉にふいごを踏んで送風を行っている。中で鉄鉱石と木炭が燃えているのだ。
鉱山で採れた鉄鉱石は酸化鉄であるためこの作業によって還元し金属鉄にする必要がある。
さらに奥では赤熱化した鉄を金槌で打って鍛えている。
不純物を絞り出し純粋な鉄へと近づけてゆく。
できたものを炭に包んで再び熱し、鋼へと作り変えるのだ。
そんな作業風景か広がるところへ声をかけると責任者が対応してきた。
今回ここへ来たのは製鉄所の経営に関わる案件らしい。
なんでも話を聞くに都への輸送路に問題があるようだ。
切り立った狭い断崖の道を進まねばならず、馬車を使えないため一度に多くを運びきれないとか。
以前よりも鉄鉱石の採掘量は増えているのだがこれでは宝の持ち腐れ、だそうだ。
ルメスは手元に周辺の地図を転送してきた。
広げてみるに崖を迂回するルートはあるにはあるが、湿地帯を進まねばならないようだった。
湿地のふちをなぞるようにしてぐるっと深みを避けて行くルートだ。
舗装は一切されておらず泥濘に足をとられ楽には進めない。
道路を整備し輸送路を開拓する必要があった。
だが正直採算がとれるか怪しいものである。資金も人員もリソースが馬鹿にならぬ。
利益だけを望むなら崖ルートで良しとし、輸送要員を増やすにとどまるだろう。
だがルメスは舗装工事を行うことを決断した。
理由として大きいのは軍事に関わることだ。鋼は主に武具の生産に使用されるためである。
鋼の量が軍事力に直結すると言っていい。安定した輸送路の確保は国防の観点からも必須なのだ。
さらなる理由として大公ルメスは経済活動の支援を大々的に行っているというのがある。
今回の話も支援申し込みの窓口に持ち込まれたものらしい。
必要と判断できる懸案ならば対処しなければ体面上もよろしくないのだ。
「輸送路の整備はする。ただ聞いておきたいんだけど……誰にそそのかされたんだ?」
ルメスが責任者を問い詰める。
「えっ!? えっと、あの、そのう……」
責任者の中年はしどろもどろだ。
「ハァ……あの野郎。わかった、建設大臣に話を通しておこう。舗装用の砂利はベリル公爵から買い付ける。これでいいな?」
手で顔を覆いベリルという名を強調して憎々しげに言った。
「は、はいそれはもう」
「……ところで木炭を使うために樹木の管理はしているのか?」
「え? いえ特には」
「わかった。林業の技術者も手配しよう」
木炭の製造のために木々を伐採し、採り尽くしたら製鉄所を移すこともよくあることだった。
せっかく道路を通すのに移設されては無用の長物になってしまう。
森林のケアも考えねばならないのが頭の痛いところであった。
「北東地域は鉱業が盛んなんだ」
いったん執務室に帰ってきた。
ルメスの眉間にしわが寄っている。新雪を踏んだ跡みたいだ。
「はい。大学で習いました」
「うん。そんでそれらを牛耳ってるのがベリル公爵で、本来今回みたいな懸案への対処はそっちがやるべきなんだけど……」
苦虫を煮詰めたグミを噛んだような渋面をした。
「あんちきしょう全部オレに丸投げしやがった。工事費用こっち持ちで、どころか砂利売って利益まで出して。こうなるって解かってやってんだよアイツ……!!」
静かに怒りを露わにして腕を支えに机にもたれかかる。
初めて見る表情と感情であった。
(大公様でもこんな顔するんだ)
眉目秀麗なその貌が崩れるのは翡翠でできた仮面にひびが入るような心持ちになる。
だがそれとは別に胸の内に湧き上がってくる気持ちがあった。
これまでモリーは自分の理想が形になったようなルメスのことをどこか異邦の、架空の人物を描いた絵画のように感じていた。
本当に存在しているのかも確信が持てない、触れ得ざる遠き存在。
だがこのときの彼を見ていたら、相手も自分と同じ感情を持った生き物なのだと感じることができた。
新しいルメスを知れて身近に感じて、嬉しかったのだ。
「その、大公様。次のことを考えましょう。他の事やってるうちに嫌なことなんて忘れちゃいますから。おかあ……母も父によく言ってました」
元気な口調で励まそうとする。
恐れ多い気もしたが、就任したての緊張からようやく少し解けて自然な自分らしい言葉を形にできた。
「……ありがとう。もう大丈夫だ」
その貌は元の眠たげな雪化粧に戻った。
それをほんの少しもったいないと思ってしまったが。
いつか他の表情も見れるのであろうか。彼を知っていけば、いつか。
モリーはちょっとだけ期待をしてしまうのだった。