第十七話 セアベルの海嘯 ①
噴煙が、止まった。
観測していたヘルメスは強くそう念じると、ヘルメスの思考を自身に転送してそれを受け取ったルメスは急ぎエーシュの元へと向かう。
穴だらけになった岩山の頂点に座り、深く長く呼吸を繰り返すことによって体内の魔力を練り込んでいる。
彼女に時が来たことを告げ、共にセアベル山へと転送して消えた。
すでに近隣の領の民衆らはコスモニア西端であるセアベルから離れ、より内地側への疎開を完了していた。
避難民への物資の支援は南西の上役であるザガンは勿論だが、ルメス側からも多く供給された。
食料をパインが、それ以外をアマイが用意し、オリエが大公家の私軍を使って支援物資の配達のため人員を派遣して、それら一連の手配をアリトが行う大公家総出での作業になった。
このとき商業部門の新人として入ったばかりのアリトの息子も初仕事ながら活躍している。
季節はまだ春先であるため食料品は去年の備蓄を粗方はき出すような形となったが、国の胃袋を支える大穀倉地帯であるプラテス川周辺を領地として預かっている以上はこれぐらいの急な支出は想定の範囲内であった。
まだ例年通りの収穫を今年も得ることができれば十分賄える段階だ。
ただし、収入が順当に得られるかどうかについては、今これから行う作戦の成否にかかっている。
それでも今はそういった後事の懸念は片隅に追いやり、自分たちがこの瞬間やるべきことに集中しなくてはならない。
「ここだ。ここから斜め下に一番深い穴を、そうだな……相手の腹に拳を振り下ろして叩き込む感じでぶち抜いてくれ」
ヘルメスが非常に感覚的な説明で新たな噴火口を開けるポイントを指定する。
山の中腹、切り立った崖の下あたり、森林限界の境目くらいの標高にある垂直に近い壁の前だ。
「いけるか? エーシュ」
エーシュは自分の手を何度か開いては閉じて、感触を確かめ集中を高めている。
一つ大きく息をはくと、ルメスに向き直った。
「ルメス様。昔貴方に命を救われてからずっと、自分がどう生きればいいのか、生きていていいのか、自分の命なんてすぐにでも終わらせるべきなんじゃないか、それを考え続けてきました」
かつて暗闇の中、声なき声で悲鳴を上げていた彼女の心。
「まだ答えは出ていません。ただあの日以来、もしもこの体に取り付けた魔術が駄目になったとしても、二度とあんなことにならないよう魔力の制御をひたすらに練習してきました。もう大切な人たちを失わなくていいように。父さん、アシュタール、リオン、魔導兵団のみんな、この国のたくさんの人たち、モリー、……そして、貴方も」
表情すらも無くし、身を引き裂くような絶望のなかで、彼女を呼び止めた声があった。
「この力がみんなと、貴方のために役立つことができるなら、今まで生きてきたことにも意味ができる。私はそれが嬉しいんです。今日力を使い尽くして死ねたならどんなに最高だろうって。だから私、やってやります!」
命を求められ、投げやりに預けてみることにした数年間。
その日々の中で会えと言われて会ってから仲良くなった二人の友人。
やってくれないかと頼まれてやってみた魔導兵団の団長。
いつしかそれらは一度崩れてしまったエーシュを支え立ち上がらせようとする心の柱になった。
それでも楽になりたい、あの子に詫びたいという気持ちは消えないけれど。
自分を生きながらえさせて大切なものを得る機会をくれたルメスへの感謝の念はどんどん募っていった。
どうせ死ぬならこの人のために死にたい。そう思えるくらいに。
大切な人のために死ぬこと。それこそがエーシュの本懐であった。
「頼んでいるオレがこう思うのはおかしいかもしれないが、それをありがとうとは言いたくない。死ぬと決めたなら自分のためだけに死んでほしい……それもオレのわがままかもな。ただな、エーシュ。うまくいけば祝宴で酒とご馳走をたっぷり用意するつもりだ。みんなを集めて盛大にな。景気のいい音楽も鳴らして。だからさ……来なきゃ、損だぜ」
人生はそれを歩んだ人だけのもの。そしてその死に様も。
人が必死で生きて真剣に死ぬことに文句や要求をするような恥知らずなまねができるものか。
だからルメスは口をはさまない。それでも、去りゆく者を惜しむ気持ちは消すことができないのだ。
できることなら今を乗り越えた先で喜びを共に分かち合いたい。
ただそれだけを霧散しようとするエーシュへの心の楔として手向けに贈った。
「……それもいいかもしれません。命が祝福されて終わるというのも。私にはもったいないくらいに。――それじゃあ、ルメス様。どうか見ていてください。今私ができる全部を」
エーシュはどこか寂しそうに少しだけ口角を上げて笑顔を作ると、自身の装身具を外し始めた。
黄金のネックレス、ブレスレット、アンクレット、そして頭のターバンを外してそれらを一つに包む。
魔力吸収を阻害するための魔術が組み込まれたそれらを取り去った後には飾り気のない、それでいて黄金の穂波のように風に揺られた短い髪が眩しい乙女が残った。
かつてのころから繊細で力強く成長した、少女というにはもう大人の、今となっては頼れる千人前の魔法使いだ。
静かに目を閉じゆっくりと呼吸をする。すると山から白い靄のようなものが流れ出てきた。
拘束を外したエーシュはかつて家族を死に追いやった魔力吸収を人々を守るために全力で行おうとしている。
靄はするすると次から次へエーシュを包んでいくように取り巻き始め、彼女はやがて光り輝く白い繭のような魔力で満たされていった。
中心にいる彼女の中に魔力は吸収されて、一瞬にして光は何もかも消え去る。
そして強く握りしめた両手を脇で思いっきり引き絞ると、先ほどよりもより強い光がその拳から輝きだした。
「オオオオオオオオオーーッ!! らあっ!!」
両の拳を壁に思い切り叩きつけると金属を打ち鳴らしたような鈍い音が鳴り、光が収まる。
不意に訪れた静けさ。失敗してしまったのか?
「ルメス様! 離れて!」
その言葉にルメスは即座にエーシュとヘルメスを連れてその岩肌を横から眺めることのできる百メトロンほど離れた位置に転送した。
途端に地鳴りのような音がして、それが徐々に拡大してゆく。
実際に大地をわずかに揺らし始めた段階でエーシュが魔法を使ったポイントから勢いよく大量の土煙が飛び出した。
轟音がドドドドと鳴り響いて、まるでカーミスにあるダムの放流のようだ。いや、それよりも勢いが圧倒的に強い。
除塵の魔法によって空気中から沈殿した塵が流水の魔法で搔き出され飛び出る様は、言うなれば土の矢を撃ち出す弩弓の如しだ。
土煙は凄まじい速度で遠く数百メトロンもの距離を飛び越え、海まで届いていった。
「良し! いけそうだな。エーシュちゃん、どうだ? まだやれるか?」
エーシュは肩を上下させながら大きく二、三度呼吸をした。
「もちろん! 行こう!」
「できればでいいが、無理はするなよ。次の場所に向かうぞ」
後二か所。ここで辞めてしまっては効果は不十分だ。
気合を入れて命を振り絞り、次なるポイントへと転送して消えるのだった。




