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第十六話 君は山に勝てるか? ①

 龍族の村にたどり着いてから一行は村の集会所のような建物に通された。

 ヘルメスは「ちょっと調べてくる」と言って山を登っていった。今は戻ってくるまで待機している状態だ。

 族長であるクルノーグや村の上役も一緒にいる。ヘルメスと交流があるため事情を話したら円滑に察してくれた。

 当初の予定であった取引に関する話ができる状況でもなく、室内は重苦しい沈黙に包まれていた。

 そこへようやくヘルメスが息を切らせることも無く集会所に駆け込んできて大きく一つ息をはいた。


「大父様。いかがでしたか?」


 クルノーグが静かに口を開く。ベルゼルに会いに来た時よりも一層険しい表情と厳めしい口調だ。


「間違いない。大規模噴火の予兆だ」


 いつものにやけた表情は鳴りを潜め、横一文字に結んだ口元が事態の深刻さを物語っていた。

 一同に不安の入り混じった動揺の波動が響き渡る。


「以前観測した時よりも山の噴煙の量が増加していた。マグマが地表に近づいている。もうしばらく、あと半月と経たずに噴煙が止まり蒸気は火口へと向かい噴火に至るだろう」


 深刻な表情をした集会所の面々をぐるりと見回してから中央のクルノーグに目を止める。


「問題なのは溶岩じゃない。火砕流だ。あの山は今から約千六百年前、プリニー式……つまり噴出した火山ガスに火山灰とかのテフラが混ざって噴煙柱が出来上がる種類の噴火が起きた。山の標高よりも遥かに巨大に膨れ上がった噴煙柱はやがて重力崩壊して地表に降り注ぎ、牛乳をこぼしたように四方八方に火砕流が広がるだろう。その範囲は半径百キロメトロンにも及ぶ。その場にいればまず生き延びることはできねえ」


 龍族にひときわ大きくざわめきが広がる。

 口々に「なんてことだ」「一体どうしたら」と悲鳴にも似た嘆きの声が漏れ出し、開いた口が頬の皮膚を引き延ばし視線の置き所を探す目を丸くしていく。

 このセアベル山、彼らにとってのギーガル山が彼らの故郷であり唯一の寄る辺。

 それが遠くない未来にすべてが奪われてしまう。理不尽で抗いようのない自然現象によって。

 絶望と将来への憂いが呪詛そのものとなって龍族の心を蝕んだ。

 クルノーグもまた無念の眉間じわを深くし同胞にかける言葉を探してわずかに唇の形を変化させ続けているも、それが空気を震わせるに至ることができなかった。


「龍族の避難先はうちで請け負う」


 混迷のさなかルメスが鶴の一声を上げた。

 伸びきった弓の弦がピンと張られるようにざわめきが止み、一斉に白磁の如き少年の顔に視線が突き刺さる。

 クルノーグがようやく声帯を震わせ言葉を形にした。


「我らを……受け入れると? 本当にか?」


「これくらいは陛下から取引について委任された私の裁量の内だ。構わない。幸い土地はそれなりに余っているからな。ただ食糧の支援は行うがある程度自分たちの食い扶持は自分でも稼いでもらうぞ。こちらから農地と農具、そして農業の指導員を用意しよう。いや空を飛べるなら輸送の仕事を任せるのもいいかもな。対価は必ず相応の額を払うと約束しよう。いずれにしても村に帰れるようになる日まで、それなりの労働は覚悟しておいてくれ」


「おお……」


 族長だけでなく、他の龍族たちからも安堵の声と肩から力を抜く息が漏れ出す。

 どん詰まりで他に行き場のない不安の沼から拾い上げてくれたのだ。

 龍族たちにとって有り難かったのは、ルメスが先があると言ってくれたことだった。

 村で生活してゆくことができなくなるのは心苦しいことだがしょうがない。

 火山の近くで暮らしている以上こういうこともある。自然が相手では諦めるしかない。

 これからの具体的な身の振り方を示してくれたからこそ、そういうふうに心で区切りをつけることができたのだ。

 商売に必要な信用を築くことの第一歩である相手からの印象については上々の成果であるといったところだった。


「……これで終わりじゃねえんだ」


 ヘルメスが深刻な表情を崩さず言い辛そうに呻くような言葉を絞り出した。

 一瞬にして場に悪い予感のこもった静寂が訪れる。


「冷害だ」


「冷害、ですと?」


 それが何をもたらすのかをルメスに教えられて知っているリオンだからこそ、己の耳を疑いたくなった。


「火山灰などの塵が空を覆って日射量が減少。陽の光が届きにくくなる。そうなれば作物が育たねえ。飢饉が発生する。昔の噴火の時は十万以上の人間が死んだ。今よりずっと人口が少ない時代でだ。今なら何十万の人間が犠牲になるのか想像もしたくねえ」


「そんな……」


 リオンとて伯爵。相応に広大な領地を統べる領主である。

 研究者として忙しいので経営自体は代理人が請け負っているが、領民に対しての責任もその意識もある。

 いったいどれほどの自分の領民たちが飢え苦しみ死んでしまうのか、背筋が凍る衝撃に体が崩れ落ちそうだった。


「なんとか、何とかならないのでしょうか」


「……」


 ヘルメスがうなだれ、目を閉じている。

 これから起きる事態をよく理解しているからこそ、対策を講じようともできないのが歯がゆいのだろう。

 老人ではあれど若々しいヘルメスの表情がこの時ばかりはずいぶんと老け込んで見えた。


 龍族たちも同様だ。やっと光明が見えたかと思った矢先に奈落に突き落とされたかのようであった。

 生き延びても自分たちが食べるものが無いかもしれない。

 食糧を奪われることを心配して山への侵入者に神経を尖らせていた龍族にとっては目を覆いたくなるような暗澹(あんたん)たる心持ちであろう。

 泣きっ面に蜂というレベルではない。猿蟹合戦の猿が味わった苦痛のフルコース並みの苦しみの連続だった。


 何故、どうしてこんな目に遭い続けなくてはならないのか。

 憂いを通り越して怒りすら感じるが、悲しいかな長命種たる龍族はその年月で培った聡明な頭脳と精神力で、怒りを誰かに向けて発散する心の逃げ道を使うことを良しとせず、ただその遣る瀬無い想いを自分自身の運命を呪うことのみに費やす他は無かった。


 その場の全員が視線を落とし、あるいは瞼を閉じて思案に暮れるも、解明の秘策を打ち立て現状を打開する光明の剣を掲げる者は誰もいなかった。


 ただ、一人を除いて。


「一つ、よろしいでしょうか」


 大公爵の秘書、モリー。

 龍狩りの英雄の娘は龍を貫く槍ではなく、龍を守る盾を持ち得るのか。

 誇張でも過度でもなく、これが人類史上最大の作戦の始まりだった。




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