第十五話 龍来たる ④了
思いがけない言葉にモリーだけでなくその場にいた全員が一瞬硬直し、それから水面に波紋が広がるようにしてどよめきが起こった。
「ザハーグ?」
「ザハーグだって? あの……」
「生贄と財宝を求める毒の龍……」
「何故あの娘が?」
調査隊の面々は口々に困惑と動揺の声をもらした。
無理もない。かつてテオニアとカーミスを脅かした邪龍の話は当時の人は勿論、子供たちも親から寝物語に聞かされているのだ。
人によってはザハーグへの貢物のために生きてゆくだけの貯えを全て奪われた者や身内を生贄に取られてしまった者もいるだろう。
さらに言えばザハーグが死んだ後、集められた財の宝庫となったザハーグの領地を手に入れようと二国間で激化した領土奪還戦争によって多くの人々が死に、その死体は財宝の代わりに堆く積みあげられた。
数多くの死と苦痛を振りまいた邪龍ザハーグの存在は今なおこの地に生きる者にとっては災厄と恐怖の象徴なのだ。
その公に口に出すのも憚られる名を、よもや龍族の口から兎族の小娘に向けて呼ばれることになるとは完全に意識の範疇外、青天の霹靂の如き衝撃であった。
「ザハーグは私の父の兄、私の叔父さんで先代の族長だったの。あの人が呪いのせいで邪龍になって村から出ていってしまうまで、小さいころとてもお世話になった。あなたからは少しだけザハーグと同じ匂いがする。あなたは……何者、なの?」
「私……私は兎族です。父は人間族ですけど。私が龍と関わりを持ったことはない、と思います。確かにザハーグがいた国境からそれほど遠くない砂漠の出身ですが、ザハーグが死んだのは私が生まれるより前の事ですし、気のせいでは……」
「そうなの? でもあなた、魔力の資質もザハーグや私たち龍族に似てるかも。どうしてなのかな……」
疑問符を浮かべるファムティアもそうだが、モリー自身も突然の話にただ困惑するだけであった。
匂いだの魔力の質だのと言われても自分は自分だ。会ったことも無い相手に似ているといわれてもそれが何だというのだろう。
モリーはそのように思ったが周囲にいる調査隊からの痛烈な視線は彼女を突き刺していた。
それは心に垂らされた一滴の毒にも似て、純白の布に猜疑と嫌悪、恐怖と憎悪の濁った色の染みがにじんでゆくかのような感覚であった。
「大公閣下、これはいったい……」
「……」
調査隊の年配の研究者が疑念を口にするが、ルメスは腕を組んで沈黙を保っている。
だがそこへ思いがけない人物が文字通り駆け込んできて皆の背後から声を上げた。
「それはこの俺が説明しよう!!」
「おや? ヘルメス殿?」
「あ! 大父様!」
「おう! リオンもファムちゃんも久しぶりだな」
誰あろうヘルメスであった。どこにでも現れる上に妖精族のみならず龍族とまで面識があるようだった。
ヘルメスは素早くルメスとアイコンタクトを交わすと、少し芝居がかったような口調で揚々と語りだした。
「皆の衆よく聞け。こちらのモリーちゃんからザハーグの匂いを感じるのは、これは当然のことだ。何故ならばモリーちゃんの父君はザハーグを討ったときにその返り血を浴び、ザハーグの魔力をその身に宿した。それが娘であるモリーちゃんにまで伝わったのだ!」
「え? ではその娘の父親は」
「その通り! かの伝説の邪龍を打ち倒した大英雄、龍狩りファリー!! それがこの子の父親の名だ!」
その場の全員が一瞬水を打ったかのように静かになったかと思うと、それから徐々にざわめきが大きくなって、おおおおと感嘆の声がもれだしてきた。
それは先ほどまでの不信感に満ちたものとは全く逆の感動と尊敬の想いであった。
恐るべき邪龍の伝説あらばそれを屠る英雄譚あり。
軍隊でも手出しできなかった毒の龍をたった一人で退治した英雄の話はザハーグの名と共に語り草になっている。
「曰くザハーグに奪われた家族を取り戻すために一人戦いを挑み、神々の加護を得て毒をはねのけ、鋼も通さぬ鱗を神より授かった槍で貫いたという。そしてザハーグを倒した後は槍をテオニア国王に献上してどこへともなく消え去ったとか。まさかモリーさんの父君があの英雄だとは……」
リオンも目を開いて大いに驚いている。子供のころに人づてに聞いた英雄譚の登場人物に縁のある者が目の前にいたならばそうもなろう。
兎も角先ほどまでのよろしくない雰囲気は一変し、モリーに対する疑念は払拭することができたはずだ。
「……」
「……」
ルメスとヘルメスが目で語っている。思念の転送をせずとも四十一年の付き合いだ。
お互いの言いたいことは言わずともわかっていた。
本当に言うべきでないことは、言わずにおくべきであるということも、だ。
「そうだったんだ……。ちょっと複雑だけど、あなたのお父さんがザハーグを止めてくれたんだね。変な言い方かもしれないけど、ありがとうね」
「あ、は、はい! どうも……。その、実は私も今初めて知ったんですけど。確かに父の名前はファリーですが、本当に父にそんな過去が……」
「事実だよ」
ルメスが口をはさむ。ある種の諦めにも似た表情がその白い顔に浮かんでいた。
「君の父上がザハーグを倒した。それは間違いない」
「大公様……」
事実。そうならば、そういうことなのだろうか。
一年経って、大公のためにやれることを探して、自分のできることを考え続けて。
未だ答えの出せない自分なんかをどうして選んだのか。それはもしかしたら……。
「私を秘書に選んだのは――」
「違う」
ルメスはきっぱりとそう言って、真剣な目でモリーを見つめた。
もしかしたらこんなにも力強く真正面からまっすぐにルメスに見つめられたのは、これが初めてかもしれなかった。
「最初に父上にはっきりと言ったよ。それは違う。国の大事を任せるんだから、血筋ではなく本人の能力が必要なんだと。変な勘繰りをされたり余計な疑念を持ってほしくなかったから周りや君には伝えなかったが、親がどうとかなんてのは関係ないんだ。君の父上もそう思ったから君に何も伝えなかったんだろう。今回は話さざるを得ない状況になってしまったが、悪い噂が広まるよりはましだと考えよう」
諄々と諭すようにしてモリーに言い聞かせる。
英雄の娘だからではなく、最初からモリーだけを選んでいたのだと、改めてそう言った。
「モリー。いずれ君の力が必要になるときがくる。秘書にしたのはその時に備えてのことだ。君が嫌でないなら今後ともよろしく頼みたい。いいだろうか」
「……はい」
必要とされている。言われてそれを実感することで呼吸が楽になるような気がした。
至れない自分でも伸びしろがあるのか、それを信じてくれるのか。
少なくともこの人のもとでなら働き甲斐がある。自分も捨てたもんじゃないと思えるようになった。
「そろそろ行こうか。案内を頼む」
ファムティアにそう促すと、彼女は「うん!」と元気に返事した後「行こう」とモリーの肩に手を置いてくれた。
山へ向かって一時間ほどしたところでルメスは膝に手を置いて肩で息をしていた。
体力が限界に来たらしい。汗をダラダラ垂らして、転送してそれをすっきりさせることもままならないほど消耗しているようだ。
「悪い、オレは椅子に座って移動するからどんどん先行ってくれ……」
本当に椅子に座ったまま椅子ごと自分を転送してパッパッと行く先々の椅子を置ける場所に現れるようになった。
目の前の風景に椅子に座る美少年が加わるだけで風雅に見える。猫背になってなければ。
一行は時折足を止めて植物や虫に鉱物のスケッチしたりメモをとったり、地図を描きながら進んでいた。
採取は村に着いてから龍族の許可をもらった上でとなる。下準備のようなものだ。
「あっコハの木」
ファムティアはあごの下くらいまでの高さの低木に目を止めた。
「どんな植物なんだ?」
「葉っぱがワビク虫の餌になるんだよ。ワビク虫の繭から糸が取れるんだ。丈夫で肌触りもいい服が作れるんだよ。私も今日はおめかしに着てきたんだ」
纏っている緑の衣は確かにきめ細やかな上等な繊維であることがうかがえた。
染色技術も相当なものだと思える鮮やかさで若草のような爽やかな色合いである。
「絹のようなものかな。これは龍族の目玉商品になるんじゃないか。そうだな、龍人織という名前はどうだろう。希少だから高値が付くし、貴族向けに贈り物にできるな。生産数を増やせないだろうか。コハの木の植樹に職人の力を借りて……」
椅子に座りながらルメスはもう商売の算段をつけるべく頭の中の算盤をはじきだしていた。
「ちなみに俺の服はその龍人織だぜ。龍族に作ってもらったんだ。着心地抜群だぜ」
ヘルメスが両手を広げてファッションをアピールしている。
「お前も汗かくなら上着脱いだらどうだよ。首巻も」
「これは仕事着だから。それにこの外套だってアシュタールが作ってくれたんだよ。刺繍も。外回りの仕事中は着続けるって決めてるんだからほっとけよ」
娘がアップリケを縫ってくれたハンカチを大事に使い続ける父親のような言い方である。
「まあいいけどよ。それにしてもこの山も久しぶりに登るなあ。六年くらい前だっけ前来たの。セアベルも相変わらずの佇まいで……」
そこまで言って、ヘルメスは急に押し黙った。
「ヘルメス?」
見ればその表情は彼らしくなく険しさを増し、じっと山の頂を睨むようにして見つめている。
「……噴煙、多くないか?」
「なに……?」
龍族の訪問から端を発した今回の話はあくまでも種族の異なる人同士での問題であった。
それはこれから起こることの前兆に過ぎず、話の通じない自然という強大な現象を相手取る真の困難への挑戦が今、始まろうとしていた。




