第十一話 バルヴェラードの戦い ③
吠え狂う砂塵嵐の断崖を背にしてコスモニア軍が目の前にずらりと隊列を組んでいる。
鋼の斧槍を手に持ち腰には青銅の短剣。青銅の板で補強した革の兜、硬い革の薄片鎧、前腕部を覆う革のグローブに膝下までの長さの革のブーツを装備した様々な種族の兵たちが、首の亜麻布のスカーフをマスク代わりにして整然と号令の時を待っている。
対してアドリオス軍は突如として現れた敵軍に驚愕し慌てふためくばかりで統制を欠き、その有様は醜態と表現するのが相応しかった。
もしこの状態のままコスモニア軍が一気呵成に全軍で攻め込んできたならば、それだけで勝敗を決してしまうには十分な戦果を得られるのではないかと思えてしまう。
が……コスモニア、動かず。
相手が混迷を極める絶好の潮であるはずのこの状況でコスモニアは攻めず、ただ静かに敵をにらむばかり。
一体この機を逃して何を待っているのか。それとも多勢を前に臆し、ただ怯え縮こまっているだけとでもいうのだろうか。
否、そんなわけはない。これまで夜襲を警戒させることによって相手の疲労を蓄積させ、一番きついタイミングで攻め込むことで戦いの主導権を握ることができたのだ。
今更先手を相手に譲ったりなど絶対にしない。すべては冷徹な計算に基づいて行われていることである。
そう、ここで頭に入れておきたい概念が主導権という言葉についてだ。
古今東西あらゆる戦争や、あるいは対人のゲームにおいても言えることだが相手のやりたいことに合わせて行動するよりも自分のやりたいことを押し付けた方が事を有利に進められる場合が多いのだ。
主導権を握られるというのは相手の思惑に合わせて自分が行動させられること。これは自分のやりたいことを相手に事前に潰されてしまうということである。
アドリオスは今回も戦場はルナインとカラハルの両砦のあたりと考えて攻城戦の装備や機器を持ってきた。
しかし思いがけない夜襲に想定してない位置での野戦で、コスモニアのやりたいことを押し付けられる、つまりは主導権を握られている状況にある。
有利でありたければ常に先手を取り続けること。戦いの必勝法と呼べるものが存在するならばこれに尽きる。兵は拙速を貴ぶとはよく言ったものだ。
さて、静観するコスモニア軍を前に急いで陣形を整えてなんとか戦闘態勢に入ることができたアドリオス軍。
両軍は南北に伸びるようにして東西に平行になって相対する。二本の棒が向き合うような形である。
いよいよこれより七万千四百と六万の軍勢による大激突が始まる。緊張が高まる瞬間だ。
アドリオスの指揮官が全軍前進の号令を出そうと角笛を持って控えている部下に指示を出そうとした、まさにその時。
ジャーン! ジャーン! ジャーン! ジャーン! ジャーン! ジャーン!
どこからか、目の前のコスモニア軍からではない三三三拍子の銅鑼の音が鳴り響いてきた。
どよめく兵士たちはいったいどこから鳴っているのかときょろきょろと周囲を見渡す。
すると何やら土煙が上がっているのが見える。南だ。南方から波のように何かが迫ってくる。
赤の秋桜の旗に赤いスカーフ。あれこそはコスモニアの斬り込み隊、赤の突撃兵団だ。
先頭をひた走る団長ゼルに率いられた紅蓮の狼たちがアドリオスの側面をボクシングのフックのようにぶん殴るために駆けつけてきたのだ。
偵察部隊をすべて潰されているアドリオスはこれに気づくことが全くできなかった。
大きく弧を描くようにして移動しておいて離れた位置から南方にスタンバイしていたのだ。
コスモニアは突撃兵団の動きを気取られないように、あえて行動しないことで前方へと注意を引き続けていたというわけだ。目前の敵に早く対処しなければという焦りを利用したのである。
しかも狙いは側面と背面を同時に突ける斜め後方目指してやって来る。これを許せば正面からコスモニアに当たられたときに前後をはさまれて左翼を食い破られるだろう。
だがアドリオスもそう簡単に側面攻撃などやらせはしない。すぐさま右翼の騎兵をさし向けてこれに当たらせた。
左翼騎兵と合流し、軍全体がL字を描くようにして突撃兵団を食い止めた。
ひとまずはしのげたか。そう思ったのもつかの間のこと。
ジャンジャーン! ジャンジャーン! ジャンジャーン! ジャンジャーン!
先ほどとは違うリズムの銅鑼の音が今度は正面に展開しているコスモニア軍から鳴り響く。
それを合図になんと、コスモニア軍が隊列を組んだまま右翼を先頭にして全員でアドリオス左翼へと突撃しだしたではないか。
全軍での大移動。これを許せば突撃兵団と合流して、左側面から包囲されてしまう。
アドリオスは左翼を外側に伸ばしてこれを防ぎたいのはやまやまであるが、そうなると今左翼斜め後方にいる赤の突撃兵団に背後をさらす形となってしまい、そうなれば突撃してくるコスモニア軍に前後をはさまれて左翼が壊滅してしまう。
やむなくコスモニア軍に合わせてアドリオスも自軍の右翼でコスモニアの左翼を弧を描くような軌跡で追いかけた。
そしてコスモニア右翼は赤の突撃兵団に合流し、最終的にはコスモニアとアドリオスが西と東で向かい合っていたのが南と北に位置を移動した、という結果になった。
これはいったい何が変わったのであろうか。ただ単に二本の棒が縦から横に置き換わっただけではないのか。
奇襲は仕掛けたものの決定打を与えておらず、依然として数の不利が残ったままである。
この行動に何の意味があったのか。移動の際に巻き上げた塵埃が砂塵嵐の色を濃くしていっただけなのでは。
……砂塵嵐、砂塵嵐といえばこの日は特に強い風など吹いているわけでもなかったのに岩壁と見まごうばかりに濃い砂塵嵐が起こるなど、全くもっておかしいのではないか。
そういえば砂塵嵐はコスモニアがいた場所の後ろから起こっていたのにそれがアドリオス側まで押し寄せてくることなどなかった。
嵐が吹き抜けることなくその場にとどまるなどという自然現象がこの開けた荒野でいったいどのようにして発生するというのか。
見れば砂塵嵐の壁はコスモニア軍が移動した後もその場で変わることなく吹き上げている。
まるで間欠泉のように。……ということはもしやあれは横からではなく地面から発生しているということなのか。
そんな奇妙な砂塵嵐が、唐突に、止んだ。




