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第一話 大公のお仕事 ①

 咲き誇るアドニスの花が季節の到来を告げている。


 多種族統合国家コスモニア建国より十年目の春。

 大学を卒業したばかりの十五歳の少女モリーは、大公爵ルメスの館の廊下を進んでいた。


 彼女は人間族の父と、砂漠に住む兎族の母とのハーフである。


 肩にかからない程度の長さの少し灰がかった白のミディアムヘアと、それと対照的な明るめの褐色の肌が特徴的だ。

 顔つきは兎族よりも人間族に近い特徴を持っている。

 白いが先端が少し黒い長く丸みを帯びた耳をピンと立てて(いささ)か緊張気味の様子だ。


 本日この日より彼女は大公の第二秘書として就任することになったため、これから初出勤となっていた。


 大公爵ルメスは国王ベルゼルと共に三十年かけてコスモニア建国を成し遂げ、今も国王の右腕として国家繁栄のため心血を注いでいるという。

 実に四十年ものあいだ王のために尽くしてきた股肱(ここう)の臣である。


 本来若輩の小娘が会える相手ではないし平民出のモリーとは身分もかけ離れている。

 しかし彼女は幼少のみぎりに大公の使者が直接勧誘に来たことによってこの縁を得たのだ。


 モリーはその時の鮮烈な記憶を思い出していた。




 コスモニア建国間もないころ、モリーの実家である砂漠のテントへと大公の使者だという少年が訪れた。


 それはあまりにも美しい少年であった。


 年の頃は十代の半ばくらいだろうか。身長は低めのようで、かなり華奢(きゃしゃ)な体格だ。

 鴉の濡れ羽のような黒い髪、儚く透き通るような白い肌、そのどちらをも内包したかのような澄んだ冷たい灰の瞳。

 その身に纏った首まで覆う漆黒の装束は手袋やブーツまで黒く、首元のスカーフだけが白い。

 上着のコートの左胸には有翼の銀蛇の刺繍がされていた。


 モリーは初めて彼を見たとき息をするのも忘れて、少年から目を離すことができなかった。

 父より聞いていた静かに雪が降りそそぐ冬の夜の湖の話を思い出し、砂漠育ちのモリーはまだ見ぬ雪の情景が人の形を持って現れたのではないかと思ってしまった。

 冷たい雰囲気の少年とは逆に、自分の頬が熱を持ってゆくのを感じていた。

 テントの前で立ち往生しているモリーに使者は話しかけてきた。


「君と、君の家族と話がしたい。呼んでくれないか」


 モリーは答えようとしても口が回らず、両親を呼びに逃げるように駆け出してしまった。




 テントに招いた彼と家族三人で向き合い話をする。使者は(おおむ)ね次のようなことを言っていた。


 彼女には才能がある。コスモニアの大公爵ルメスの秘書としてお迎えしたい。

 教育や生活の費用に関して全てこちらで負担し、途中で辞めたとしても費用の返還は求めない。

 今回の話を断ったとしても、そちらに一切迷惑はかけない。

 単純に娘さんの将来の選択肢が一つ増えたものと考えてほしい。


 間にいくらか応答をはさんではいたが、モリーが記憶していた内容はこんなところだった。

 使者が話し終えると父親が口を開いた。


「この話を持ってきたのはこの子が私の娘だからですか?」


「いいえ。国の大事に関わる仕事ですから。血筋ではなく本人の能力のみを考慮しています」


 父が(けわ)しい顔をして考え込んでから「せっかくですが……」と断ろうとしたとき、

「やる!」

 と、モリーが声を上げた。


「おとうさん、わたしやるよ!」


「モリー!?」

 父はひどく驚いた。


「危ないよ。都会には悪い人もたくさんいるんだよ。怖い人に嫌な目にあわされちゃうよ」


「でもわたしにできるんなら、わたしやりたいもん!」

 彼女はそう言ってきかなかった。


 そのあと何とか思い直させようとあたふたする父だったが、母が「おかあさんは応援するよ」なんて言ってしまうものだから、ほとほと困り果ててしまっていた。

 使者はよく話し合うように言って「三日後に来ます」と帰っていった。


 モリーの動機は単純なものだ。自分にできることがあるならやってみたい。

 そして、あの少年ともっと一緒にいたい。

 大公爵の秘書になれば、またあの少年に会うことができるかもしれない。そう思った。


 モリーにとっては、これが初恋であったのだ。


 わずか五歳にしてはずいぶんと早熟であるように思うだろう。

 しかしこれは無理からぬこと。砂漠の兎族は短命種であるがゆえであった。


 人間族に比べて成長は早めだが寿命は平均してその三分の二程度しかない。

 見た目は成人してから先も長く若々しさを保つが、ある日病に(かか)って急に亡くなってしまう。

 人間族とのハーフである彼女にしてもそれは変わらなかった。


 だからこそ兎族はこれと思ったことを果敢(かかん)に成し遂げようとする。

 その短い生を必死に生きあがくかのように。


 彼女は自分の命の使いどころを、直観的に決めていたのだ。

 それ故にその想いは梃子(てこ)でも動かぬほどに強固なものであった。


 母子の説得についに父も折れて、認めるしかなくなってしまった。

 三日後に再度訪れた使者に了承の意を告げ、その五年後にモリーは都で寮生活をするようになった。




 そして寮で暮らしながら初等学校で二年、大学で三年勉強し、晴れて大公の秘書として召し抱えられた。


 王都より西の地、王城の目の前にある直通の道路を辿(たど)った先に大公領と大公の館がある。


 昨日到着して職員用の独身寮に荷物を運び管理人に挨拶も済ませた。

 今日出勤し、受付のお姉さんにも「これからよろしくお願いします」と挨拶した後、案内してもらった。

 大公館の廊下の最奥にある大公の執務室の前にたどり着くと、一度深呼吸をして気持ちを落ち着ける。


 自分はこれからここでやっていけるのだろうか。大公様はどんな方なのだろうか。

 あの少年にはまた会えるのだろうか。十年経ってどんな姿に成長したのだろうか。


 期待と不安は半々だ。目をつぶり右手を胸元でギュッと握って覚悟を決める。

 ドアをノックする。中から「どうぞ」と声が聞こえる。

 思い切ってノブを回し、モリーは新たな道のりへと一歩踏み出したのだった。


「失礼します。本日からお世話になります、モリーで……ええっ!?」


 そして一歩目から(つまず)いたのであった。




 何があったのかというとまず臭いが酒臭かった。


 大公の執務室は国一番の財力の持ち主であるにしては殺風景に過ぎた。


 扉側を向いてコの字に並べられた三つの机と椅子、机の間の角にある四角いテーブル、左奥には魔石ランプが置いてあるサイドボード、それと右奥に置かれた一台の長椅子ぐらいしかない。

 机とテーブルにはたくさんの紙が積みあがっている。

 装飾品や絵画といった調度品の類は一切無かった。光るものは向かいの壁の窓ガラスから差し込む光だけだ。

 紙もガラスもかなりの貴重品ではあるが、飾るためにあるものじゃあないだろう。


 部屋には三人の男がいた。


 一人は向かって左の机の前に座っている品の良い感じの初老の男性。

 白髪交じりの髪をオールバックにして、きっちりと新式の礼服を着こんでいる。


 もう一人は長椅子に横になりながら肘をついて木のコップからなにやら飲んでいる、妙に体格のいい筋肉質な老人だった。

 長い白の髪と髭をたくわえており、右肩を出した丈の長い白い服を身に纏っている。

 よく見ると長椅子の傍らに小さめの酒樽が置いてある。臭いはそこからきているようだ。


 そして三人目。向かい合って正面の机に座る人物は……首を90度右に傾けて口を開け白目をむいていた。


 そんな面々を見てモリーは混乱したのだった。

 誰が大公なのだろうか、そう思ったとき、


「閣下。モリーさんがいらっしゃいました。お目覚めください」

 と、初老の男性が正面の机の人物に呼びかけた。


 するとその人物は意識を取り戻したようでハッと目覚め首を直した。


「ああ、大丈夫、大丈夫だよ、たぶん……」

 

 言い訳じみたことを言って目をギュッと閉じ頭を横に軽く振った。


「すまないね。ええと、君と会うのは十年ぶりになるかな」


 正面の机の人物は寝ぼけまなこでモリーに向き直った。


「オレがコスモニアの大公爵ルメスだ。これからよろしくね、モリー」


 彼は十年前に出会ったあの少年だった。

 モリーは少年と再会したのだ。十年前とまったく変わらぬ姿の、あの少年と。




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