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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彼女の自白

作者: 雪

※少し残酷な表現を含みますので、苦手な方は読まないでください。


R15させていただきましたので、良くない表現が多分に含まれております。

感化されることはないと思いますが、この文章の中に出てくる行為を行うことおやめください。



私は自分にあるルールを課して生きてきた。


1.人を傷つけそうになったら、その場からすぐに離れる。

2.相手に負の感情を向けてしまいそうだったら、その感情を自らに刻み込む。


そうすることで相手も私も守ってきた。




いつからだろう。

誰かに対して強い怒りを感じたとき、その感情を相手に向けるのが怖いと思うようになったのは。


ああ、そうだ。

あのときなんてものじゃない。

私は常にその感情を向けられてきたからだ。

だから人に怒りの感情を向けてはいけない。父親と同じ血が流れているから。

同じように人に向けて物を投げたり、物に当たったり、人に暴力をふるったり、怒鳴ったり、怖がらせてしまうかもしれない。


そう思うのが自然だったのだ、小さい頃の私にとってはあの世界がすべてだった。

年を重ね、学び、知識を得ていくほどに、自分の体は汚れているものだと、血は呪いだと強く思った。


だけど、怒りはごくごく自然に生きていれば、人と関わっていれば生まれてしまう感情だ。

でも、それでもこの怒りの感情は相手を傷つけてしまうかもしれないから、それが怖くて、その場からまず逃げる。


自室に入り、扉を閉め、目的の物を手に掴み、チチチチチ…と鋭い銀色が顔を見せる。

そして、ゆっくりと細く浅い線を腕に刻む。


その間は痛みは感じなくて、どんどん傷つけてしまう。

その行為を行いながら、どうすればこの線は目立たないか考えるけど、ここを刻めば綺麗になるんじゃないかと線を重ねる。

いつの間にか怒りは一種の芸術活動へと昇華される。


いくつか刻み込んだらその線の周囲の皮膚を左右に広げる。

鈍く滲む血が、少しずつ線を浮かび上がらせる。

そこで、もう少しここに線を引けば綺麗なんじゃないか、そう思い線を引く。

そして我に返り、



「ああ、誰も傷つけなくてよかった」



と。





だいたい数分するとヒリヒリとした痛みを感じる。

空気がゆるゆる線を撫で、自らに課した戒めを体感させる。

一回で刻むのは、だいたい5~7回。

程度によるけど治るのに2週間はいる。

傷をつけてから3日くらいすると少しジクジクと痛み出す。

あのとき相手に、この感情を向けてしまっていたのかと思うとぞっとする。

鈍く後を引くこの痛みを相手に向けてしまわなくてよかったと、心底安心する。

それと同時に、世間一般では良しとされないこの行為を行うことへの罪悪感。


そして背徳感。


誰にもこの芸術を邪魔させない。

私だけの秘密。

私だけの痛み、私だけが私に与える罰。

誰にも分からない。誰にも知らせたくない。

気づかせてなんかやらない。気づいてほしいなんて思わない。

私だけの私のための秘密。


この芸術活動は数年にかけてゆっくりと私を侵食していた。

そして、その活動の幅は怒りの感情以外でも見られてしまうようになった。


例えば、ストレスになり得る事象が終わったら

腕を切ってもいいと思うとストレスをうける出来事に対しても向き合えた。

他者から向けられる負の感情。

私にとってその感情は、常に父親をフラッシュバックさせる。


私は知っている。怒られることは、傷つけられることだから。

私は知っている。傷つけられても、誰も守ってくれないことを。

結局、みんな自分が可愛いから、自分が大事だから。

自分の命が脅かされることに誰も首を突っ込みたくないのは当たり前だろう。

私だってそうだ。誰かが怒られている場面に遭遇したら見て見ぬふりをするはずだ。

それが、普通。

ただ公共の場で度が過ぎたものを仲裁させなかったり、第三者を呼び寄せなかったりすれば、途端に世間からたたかれる。

大衆がいる場所では、そういった出来事を自分ではない「誰かが」きっとあれをどうにかするだろうという考えを互いに押し付け合うがために誰も行動しなくなる。


話が逸れてしまった。

どこまで話していただろうか。


そう、あれは先生から呼び出されたとき。

正直、悪いことをした覚えも提出物を忘れたことも思い当たる節が何もなかった。

こんなことを言うと世間体は良くないだろうけど、私は学校という小さな社会の中で所謂模範生である。

成績も上位で毎年表彰され、生徒会でも役職に就き、先生方との交流も多く、生徒としての印象は良い。

後輩にも同輩にも慕われ、頼られる。

しかし、そんな優等生の私が呼び出された。

どんなに先生方との交流が多く、印象がよくても苦手な先生が当然ながらいる。

だって、先生方に見せている私はただの虚像だもの。

自分の考えと、もともとその先生に抱いていた怖いイメージが先行して、妄想が止まらなかった。

胃が痛くなり、息を吸うのが辛くなるくらい。

薬を飲んでも、深呼吸をしても何一つ回復せず、より悪化していく。

そのとき初めて一つの考えが頭をよぎった。




「これが終わったら腕を切っていい」




そう考えたらすっと気持ちが楽になった。

先ほどまでの苦しさも耐えられるほどに治まった。

このときはじめて怒りという感情以外でも自分を傷つけてもいいと思った。


結果として、呼び出しはお叱りではなく、先生の話をただ聞かされるだけのものであった。

拍子抜けした。

そんなことくらいでわざわざ呼び出さないでくれと思った。

ただそれと同時に「ストレスを感じたら腕を切ってもいい」という考えに至った自分をそのとき初めて怖いと、そう思った。

だってそれは、頑張ったご褒美と何ら大差ないだろう。

「勉強を頑張ったから、ゲーム買ってあげるわね。」

という子どもに甘い親のやる手口と何が違う。


そして、私はおかしいんじゃないかとも思ったけど、

そうするしかないという考えの方が頭の中をしめていたし、それに納得している自分もいた。

泣いてもいいのは分かっている。

夜中になれば勝手に涙が流れることが多い。

泣くことでストレス解消しているのも分かる。

泣くことは血を流すこと一緒だから、私のやる行為と何も変わらない。


けど、あくまで泣いていいのは夜一人でいる時だけであって外では泣いてはいけない、人目に付く場所では決して。

他人に迷惑かけたり、心配させたりするのは何より格好が悪い。

そのくらいで泣くの?と幻滅されてしまう。


怒られることを殴られ危害を加えられると思ってしまうから、必要以上に体もこわばって昔の映像が頭の中をめぐって心が死にそうになる。

でも、自分の体を傷つけてもいいって思っているだけで、私の心は救われる。

結局怒られなかったのに、学校のトイレに籠って行為に至った。

もうそのときは衝動が抑えられなかった。

痛みとともに少しの達成感と安心感を感じてちょっぴり戸惑った。


そういえば、人を傷つけてしまったと思い、反省の意を込めて切ったこともある。

もうただの自己満足でしかない。

けれど、あの言葉はなかったな。きっと傷つけてしまったな。とか考えて戒めと懺悔。

きっと相手はもっと痛かっただろうから、謝罪と贖罪の意味を込めて一つずつ丁寧に。


でも、あくまで自分の想像の域でしかなくて、それも自分の思い上がりだし、

相手からしたら迷惑この上ないけど、でもそうしないと気がすまない。自分で自分を許せない。

罪の意識、というかもともと欠陥品、不良品の私が完成品を傷つけていいわけがない。

そういう想いが強いように思う。

この行為は赦しの儀式のようなもの。

ただ頻度が多いと切る場所がなくなってしまうから、跡が残るくらい爪をたてたり、爪で皮膚を抉ったりするだけにとどめることが多くなった。

その場で物が使えなくても手軽にできて、人に見られることもないからいい。

見られても、寝ないようにしてたとか適当なことを言えば何ら問題ない。


自傷行為は中毒や依存に近い。一種の麻薬。

一度始めてしまったらなかなか断つことは難しい。本当にそう思う。

だって、何度もやめようと思ったの。

何度も。この前は半年もしなかったのよ。


頭では分かっている、馬鹿なことをしているって。

このご時世、世間一般でいったらメンタルヘルスが不安定であるとか、

人に自白してい皆に白い目で後ろ指を指される行為であることも分かってる


でも、誰も傷つけず




自分自身も切ることで安心感を得て自分の心が落ち着けるなら




それが、私自身ストレスが解消されると認識できる唯一のストレス発散方法なら


























見逃してもらってもいいでしょう?


















ただ行為の頻度が高くなったり、傷が深くなったり、手首を切り始めたら終わりだと思う。

腕だってよく見たら傷跡がわかってしまう。それだけは気をつけなきゃ。



さて、私は今までこの一連行動の原因を書き連ねてみたけれど、結局はやっぱり自分が他者の感情をコントロールできるとか傲慢なことを思い、相手を傷つけただの傷つけないだの分かりもしない他者の気持ちを自分の尺度で推し量り、ただの自己満足をしてきた。


そんな子どもみたいな万能感、本当に烏滸がましい。

でも、そうしてでしか生きられない人もいる。

ああ、普通に生きるのって難しいわね。


今日も赤い線が腕に這っている。

まるで蜘蛛の巣みたい。

こんなに絡まり合って、獲物を待っているの。

それとも私はこんな小さな蜘蛛の巣に絡まってしまった馬鹿な獲物?

それも面白いわね。

蜘蛛にとっては、いくら食べても食べきれないごちそうでしょう。

ああ、でも早く食べてね。腐ってしまうのは嫌だから。

早く私の全身にその糸をはびこらせて、

私の全身をその糸で包んで、早く私を食べて。



これが私の日常。



初めて書いたので、なかなか文章はまとまらない。

稚拙だし、終わりが分からない。

そんな出来になってしまいました。


お読みいただきありがとうございます。

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