魔導王アナスタシア(3)
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「それで何が聞きたいんです?」
「そう焦らないでよ、あと、敬語はやめて欲しいな、年同じくらいでしょ?私は十六歳」
「…俺も十六だ」
エルが答えるとアナスタシアは満足そうに椅子に腰かける。脇にあった葡萄酒の瓶を掴み、二つのグラスに注ぎ入れた。
アナスタシアが椅子に座るように促すとエルは大人しく椅子に座る。二人はそれぞれグラスを手に取った。
と、アナスタシアが手を振りエルを指さす。
「何だ?」
「もう、喋ってくれなきゃ乾杯の一つも出来やしない、オフにしたり出来ないの?」
「出来ない」
「そっか、それはそれとして、私たちの出会いに---
「俺の声より大きな声は出せないぞ?」
「…かんぱぁい」
些かグダグダとしてしまったが、二人はグラスを合わせる。チンと心地の良い音が辺りに響き、音が消えた。
一口二口とかなり上等な葡萄酒で喉を潤す。アナスタシアは焦れているのか少し落ち着きがない。しかしエルが口を開くまではどうすることもできない。
アナスタシアが一杯目を空にし、再びグラスを満たしたところで漸くエルの口が開いた。
「それで?魔導王様は一角の冒険者にどういったご用件で?」
「珍しいスキルだしそのおかげで今日は助かったからさ、お礼を兼ねてお話ししたいなって思って」
「酔狂な事だ。俺なんぞより強い奴も珍しい奴も幾らでもいるだろうに」
エルの言った強い奴これは確かに居るだろう。冒険者でも格上は居るし、勇者は勿論目の前の魔導王にもエルは勝てない。自分より強い生物が山ほどいるという事実はあの日以降、嫌という程味わってきた。
しかしエルは知らなかった。スキルが他の誰かに影響を及ぼす事は稀であるという事を。その事は幾らか冒険者として活動していれば知ることであるし、何より誰かが珍しいと教えるものだ。しかしエルはそうでない。アナスタシアはそこを少し不思議に思った。
幸い音はまだ消えていない。少し急いで口を開く。
「あら、エルのそのスキル、とっても珍しいのよ?具体的に言えば辺りにスキルの効果を与える物は。この国だとSSランクに一人、Sランクに二人とAランクにあなた一人しかいない」
「…そうか」
「それだけ?」
「珍しかろうが何だろうがこのスキルと生きるしかないんだ、別にどうでもいい」
ここに来てアナスタシアは漸く考え付いた。
スキルは発現すれば死ぬまで共にある。人を超えた強力を得れば年老いてもその力は在り続ける。遠くを見通す目を手に入れたのなら視力が落ちることは無い。
つまりエルは今後、今日浸った静寂と共に生きるしかない。
アナスタシアは背筋が凍るような感覚を覚えた。
今日はそのスキルに助けられた。その静寂は鼓膜を突き刺すような轟音からその身を守り、うざったらしい男どもを退け、つかの間の安穏を与えてくれた。
でもそれが毎日だったら?
心を温かくするような語らいは聞こえない。町行く誰かの噂話は耳に入らない。一度外に出てしまえば五感のうちの一つは無い。
かなり昔に難聴を回復させる魔術は完成している。銅貨が一枚もあればあらゆる町で受けることが出来るだろう。だがスキルである以上そういった物も意味を成さない。
それなのにAランク?エルは一体どれほどの才能が有ったのだろう、努力をしたのだろう。
声をかけようとして改めて気付く、エルが話しかけなければ誰もエルに声をかけることは出来ない。
いかに親しくなろうが、いかに憤ろうが、エルからでなければ会話は始まらない。
ただ便利な、或いは強力なスキルだと思っていたそれはとても軽々しく語れるものでないとアナスタシアは気が付いた。
当のエルはグラスを空にし、丁度注ごうとしているところだ。どこもおかしなところは無い。まさしく日常といった様に今日を過ごしていた。
聞けば毎日のようにクエストを受け、様々な魔物を打ち倒しているという。前にいた町でも同じように多くのそこそこに強力な魔物を切り伏せ、十二分に他の冒険者で対処できるようにして、そのまま今の町に来たという。ここまですれば普通市民からの人気も得られるだろう。しかしエルはそのスキル故に寧ろ恐れられる毎日を送っているという。
既に手にした報酬で楽な暮らしは出来るだろう。スキルの影響を減らすため、自分のために日々を過ごしても良いはずだ。それなのにエルは冒険者を続けている。名声無くとも剣を振るっている。
これこそ探している英雄なのではないか?アナスタシアはそう考えた。
確かに実力はアナスタシアたちに比べて劣るが少しの修練で使い物になるだろう。スキルの詳細は知らないが、使い方次第で十二分に渡り合えるかもしれない。
そう考えたアナスタシアはエルを見つめる。視線に気が付いたエルは声を出す。
「何か?」
「ねぇ、エル。私と、私たちと一緒に旅をしない?」
「…は?」
「本当になれるかは分からない、けどきっとあなたには英雄の素質がある。ハルたちには私が説得するからさ、一緒に来てよ」
何一つ悪意のないアナスタシアの誘い。普通の冒険者ならば一も二もなく同行を頼み込むだろう。しかしエルの胸に湧き上がったのはあの日に似た感情だった。
…怒りと、悔しさと、少しの憎悪。
それらを押し込め、エルは口を開く。
「……断る」
「え、断る?どうして?」
断られるとは思っていなかったのかアナスタシアは聞き返す。それに少し冷静になったエルは立ち上がりながら口を開いた。
「断るのに理由が必要なのか?勇者様達は随分とお偉いようで。悪いが話はここまでだ……楽しかったよ、アナスタシア」
まごうことのない本心であった。いつぶりかの会話。それは確かにエルの錆びついた心に少しばかりの癒しをもたらした。
「ちょ、待って、怒らせたのなら謝るわ、だからはな---
「俺より大きな声は出せないんだ。悪いな。おやすみ」
エルがアナスタシアから離れ、扉を開く。その瞬間世界に音が戻った。町中の騒ぎ声が小さく聞こえる。風が窓を叩き音を鳴らす。それら全てエルの耳には届かない。
エルはアナスタシアを見ることなく扉を閉めると自身の部屋に戻った。
残されたアナスタシアは深い溜息を吐き、後片付けを始める。されどその瞳は決して諦めてはいなかった。
一方エルは、服を脱ぎ、軽くふいた後ベッドに潜り込んだ。藁とはまるで違う上質なベッドはその眠りの良さを保証しているかのようだ。
静寂の中目を閉じる。思い出すのはつい先ほどの語らい。一般から見れば凡そ語らいなどと呼べないそれは、今のエルにとっては間違いなく、いつ以来かに感じた楽しい時間であった。
しかし勇者の名が出た途端、胸を締め付けられた。あの日の自分に怒り、あの日の弱さを悔しみ、あの日の全てを恨んでいた。
「…やっぱ立ち直れてなかったんだ」
手を目の前に突き出す。あの日よりも大きく、強く、何より傷の増えたその手。
何一つ掴む事の出来なかった手は少しくらい何かを掴めるようになったのだろうか。
何もかもを失ったあの日の事を思い出しても、思い出しても帰ってこない時。
いつの間にか青年になった少年は、今も静寂の中にいる。
エルくん幸せに出来るのだろうか…
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