聖女の帰還
幕間的なものです。書いてて楽しかったです。
『勇者』、それは人類の希望であり、人類の象徴であり、人類の危機である。
これまでの長い歴史で『勇者』と呼ばれる者は何度か現れている。何れも人類の存亡が脅かされた時にである。
今世の勇者もまた、魔族。ひいては魔王という人類の脅威に立ち向かうべく剣を振るう。
幾つもの村を救い、町を歩み、国を守っているのが『勇者』だ。
時には魔族の潜む地に赴き力を振るうこともあれば、逆に襲い掛かってくる魔族を退けることもある。
その道の先には魔王の討伐ないし魔族の撃滅という目的が掲げられていた。
その旅は何も勇者一人で歩むわけではない。勇者、剣帝、魔導王、英雄、そして聖女。
その五人で構成されるパーティーは始まりの勇者のころから変わらぬ掟だ。
勇者は十二柱全ての神々の加護をその身に宿す。歩んだ標が御伽噺となる、明確なる世界の希望だ。
剣帝は並び立つ者の居ない剣術をその身に得る。何もかもを踏みつぶしその先に往く勇者の足だ。
魔導王は全てを破壊する大魔術を自在に操る。その圧倒的な才を持って行くべき道を指す勇者の頭だ。
英雄は自らの弛まぬ努力で得たスキルを十全に扱う。歩むべき道を切り開く勇者の腕だ。
聖女はその慈愛を持って傷付いたもの全てを癒す。止まることない歩みを支える勇者の心臓だ。
この中で英雄以外は神々の意志によって称号を与えられることで決まる。
その名を与えられた者は例外なく圧倒的な力をもって世界を守るべく戦う。その一人一人は出逢うべくして出逢い、行くべき場所が道となる。
勇者ハルは十歳の誕生日にその名を得た。幾度と無く死にかけたが、その幾倍の魔族を屠って来た。
剣帝ヴォルフは五歳のある日、剣に触れたときに名を得た。勇者と出逢い、魔を断ち切るためにその剣を振るう。
魔導王アナスタシアは生まれ産声を上げるその時、魔導の極みと共にその名を得た。勇者を助けるために地位も名誉もかなぐり捨て、勇者と共にその力を振るう。
聖女ラピスは元より持っていた力を勇者との出会いで開花させ、その名を得た。御伽噺の様な、英雄譚。憧れていたその世界に足を踏み入れるのは仕方のないことだった。
お気付きの通り、『英雄』は未だ彼らのパーティーにはいない。『英雄』は称号として神より賜る物でなく、その時代に生きる人類が縋る、言うなれば世界を救うに足る二つ名を持つ人物がその時代の『英雄』となる。例を挙げるのであれば初代勇者、『勇者ライオネス』の隣にいたのは『魔王ウルファード』だ。初代勇者たちが立ち向かったのは地に眠っていた侵略者、世界を救ったその物語は今も語り継がれている。
無論別の勇者の時には魔王を止めるべく戦うこともあった。時に選り打ち倒すべきモノが違う。今世は魔王が敵であった。それだけの話だ。
そんな勇者パーティーだったが、『英雄』を探し始めて半年が経った。聖女ラピスが一員に加わってから実に一年だ。
聖女の加入によりそれまでより安定して戦うことが出来るようになった彼らは更なる高みを目指す。毎日のように魔物を屠り、魔族を手にかける。初めのころは誰もが耐えきれなかった。それでも励ましあい、背を押しあい、時に泣き声を上げながら戦いを続けていた。
そんな彼らではあるが、剣帝を除けばまだ十代も半ば。いかに殺戮の日々を耐えたとてたまに両親の顔を、故郷の声を聴きたくなるのはごくごく自然なことであった。
故に決まったひと時の休息。英雄を各々が探す事を約束し、彼らは自身の故郷へと帰ってゆく。
「もう少しで街につく…パパとママ、元気かなぁ」
一際大きな六頭立ての馬車に揺られながら聖女ラピスは呟いた。他のメンバーに比べれば短い期間ではあるが、一年ぶりの帰郷に心を躍らせていた。
馬車の中にはラピス一人、その他は所狭しと積まれたお土産ががたがたと音を立てている。
見慣れた街道に辿り着き、まだかまだかと忙しなく窓の外を覗く。大好きなその町が見えた時は飛び上がって喜び、天井に頭をぶつけそうになった事は内緒だ。
辺りが夕日に染まる少し前に馬車が町を囲む壁に辿り着き、門へとやってくると馬車に詰められたお土産の確認作業が始まる。待ちきれないラピスは馬車とお土産を着いてきていた従者に任せると大通りを駆けだした。
一つ、二つと道を曲がり、すぐそこにある我が家に思いを馳せる。辛いことがたくさんあった、楽しいこともたくさんあった、その全部をパパとママに、そして大好きな幼馴染に聞いてほしくて。
(パパはなんて言うだろう、旅立つときには笑って送り出してくれたから、きっと大声で笑いながら聞いてくれるだろう。あ、でも大声で泣いちゃうのかもしれないな。
ママはどうかな、こないだの魔族との戦いの事を話したら驚いて失神でもしてしまいそうだ。それでもきっと頭をなでてくれるはずだ!それから私が大好きなご飯も作って貰おうっと!
エルはなんて言ってくれるかな、急に旅に出ちゃったのはちょっと悪かったなぁ…でもあの後エルの家に行っても誰もいなかったんだもん。エルのパパは騎士団の人だし、町の片づけでも手伝っていたのかな、でもきっと大丈夫!エルがそれくらいで怒るなんて想像もつかないもん!あぁ、やっと帰ってこれた…!次の角を曲がればっ!)
そう考えながら、ラピスは町の中を駆けた。勇者や剣帝よりは遅いとはいえ彼女の速度は凡そ常人が出せる速度ではない。
まさしく一陣の風となり、軽やかに我が家の建つ通りに飛び出したラピスは、一歩、二歩と歩み、その足を止めた。
「…あ…あれ?」
間違いなく見慣れた、自分の家がある。家の向かいのパン屋さんはいつも通りに煙を立ち上げ、おいしそうなにおいを辺りに振りまいている。
我が家の二軒隣のおばさんが子供を叱る声が聞こえてきた。町行く人々は勇者の話題を話している。『聖女様』も時折名前が出てきている。
いつも通りの日常、少しだけ知っていた時と少しだけ町を飛び交う噂話は違うけれど、ラピスの大好きなその町。
「あれ?…ない?あれ?」
そんな町の風景は、ただ一つだけラピスの記憶と異なっている。温かいその記憶。いつも隣にいた、隣にあったモノが無い。
愛する我が家、家の中からは夕食には少し早いにも関わらずお腹の空く風を辺りに吹かせている。
左隣の家、長らく空き家のその家は未だに空き家のようで人の気配はしない。月に一度掃除に人が入っているからか汚れは見えず、特に変わったところはない。
おかしいのは右隣り。そこには家があった筈だ。我が家と同じくらいの大きさで、同じくらい温かくて、誰よりも大好きな人がいたその場所は無くなっていた。
文字通り何もないわけでは無い。あるのは僅かな瓦礫と、石造りの十字架、そして幾束かの花。
ラピスの心がどす黒い何かに染められる。足に力が入らず思わず座り込んでしまいそうになる。
「う、ううん、きっと引っ越したんだわ」
脳裏に浮かぶのは旅立ちの日の朝。家の半分ほどが勇者の戦いで崩れていたあの家。泣き腫らした目で出てきた大好きな幼馴染。
あの日は舞い上がっていた。自分が御伽噺の登場人物だと知り、主人公から旅に誘われた。幼いころから旅に出るのが夢だった。何故かは忘れてしまったが。
嫌な想像ばかりが浮かんでは消えずにまた浮かぶ。よろめきそうになる足を前に出し、我が家の扉を押し開けた。
「たっ、ただいま!」
「おぉ!ラピス…!お帰り…!」
「無事でよかった…お帰り、ラピスちゃん。もうすぐご飯が出来るわ、お腹空いたでしょ!たくさん食べるのよ」
思っていたよりも、ずっと温かい我が家、パパは駆け寄ってきて頭を撫でてくれた。ママは台所から心底ほっとした表情で歩いてきて優しく抱きしめてくれた。
それで終わりにしたかった。このまま眠ってしまいたかった。それでも今聞かなければならないことがラピスにはあった。
「ね、ねぇ…パパ、ママ、エルは?エルのお家は?どこ行っちゃったの?」
その言葉を聞いたパパとママは驚きに顔を見開き、直ぐに悲痛な、見るだけで心を抉られるような表情になった。
その先は出来る事ならば聞きたくない。それでも聞く義務がラピスにはあった。
「…エルくんの居場所は分からない」
沈黙に耐えかねたようにパパが口を開いた。
「どういう事…?エルのパパとママは?」
「エルくんのお父さんは…」
パパは言いよどみ、ママの顔を見る。ママは涙を流していた。パパは覚悟を決めたかのように息を吐き出すと口を開く。
「エルくんのお父さんはあの日、勇者様と魔族が戦ったあの日、その身を盾にして町の人を逃がした。勇者か魔族の物かは分からないが、魔術を正面から受け止めて…」
そこまで言うと再び苦し気に息を吐き出した。その一瞬はラピスにとってはとても長く感じられた。
「…亡くなったんだ」
ラピスは足元がぐらりと揺れた気がした。人の死にはこの一年間で嫌というほど触れた。『聖女』の力をもってしても治せない人の死に心を壊しかけた事もあった。
あの時と同じ、いや、それ以上にラピスの心に今の一言は重くのしかかる。
「ママは?…エルのママは?」
口をついて出た言葉だった。どこそこに避難したよ、あそこで働いているよ、そう言って欲しい、そう願いながら目をぎゅっと瞑った。
「エルくんのお母さんは…あの日の後、町の片づけをしていた時に大通りで亡くなっているのが見つかった。何かを、誰かを…誰かを守るような姿だったそうだ」
パパは一度喉を悲しげに鳴らすと一息のうちに真実を告げた。
ラピスは床に座り込んだ。気が付けば涙が頬を伝った。
でもまだ、まだだ。彼の事を聞いていない。最初に居場所が分からないと言った。少なくとも死んではいないのではないだろうか。そう思い顔を上げるとパパもママも今までで一番苦しそうな顔をしていた。
「エル君はラピス…お前が町を出る前、勇者様と旅に出る前に町を出ていったらしい」
「…どうして?」
「私たちが悪いんだ。もっと早く二人の事を知っていれば一人になんてしなかった!彼をあの夜一人きりにしてしまった!きっと彼は二人の死を間近で見たんだ…」
パパがそう言うとママは声を押し殺せないほどに涙を流す、パパも喉を小刻みに震わせ、強く歯を食い縛っていた。
ラピスは何も言わなかった。ただ涙は頬を伝い続けている。浮かぶのはあの日の彼の顔。どんな表情をしていたのか思い出せない。彼の声は、笑顔はしっかりと思い返せるのに、その前で記憶が途切れてしまったかのように顔が浮かんでこない。こんなに鮮明に自分の声は浮かぶのに。
どんな気持ちだったのだろうか、一人きりで、あの家にいたエルはあの時何を思ったのだろうか。一人で町を出ていくとき、何を考えていたのだろうか。
エルは今、どうしているのだろうか。
幾つもの死に触れた。多くの生を知った。そんなラピスは今、生涯の中で最も強く願う。
「エル…どこにいるの…」
ラピスの呟きは両親の耳に届き、三人は声を上げて泣いた。
この時から、『聖女ラピス』の旅の目的は一人の男に、ただ一人の幼馴染の声を聴くためになった。
次回からはエル君に戻ります。
もし多少でも良いと思っていただけたらブックマーク/評価して頂けると嬉しいです。
お読み下さりありがとうございました。