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第7話「ママのパンケーキは食べられないかも知れないけれど、私、もとの世界へ帰って来ました! 」


 様々な色が交ざり合い揺らめく空間。

 これは見覚えがある。……そう、マカロンタウンの空間移動装置のドアの中に見たものと同じだ。

 その中に、硫黄はいた。

 周囲を見回してみる。

 天井も床も壁も無く果てしなく広がっているように見える場所だが、安定して立っていられるのだから、とりあえず足場だけは確実にしっかりとしている。

(…ここは……? 空間移動装置の中……? …いや、入ってないし……。ぴいたんがテレポを使ったから……? )

 目にしているものが不規則に揺らめいているためか乗り物酔いをした時のように、クラクラして吐き気がする。

 たった今まで一緒にいたはずのクランとぴいたんの姿は無い。

(…どうなってるんだろ……? これ、この状況って、オレ、無事なのかな……? )

 不安を紛らすべく、ブツブツと声に出して忙しく考えを巡らせ続ける硫黄。

(……? )

 不意に背後に何か感じるものがあり、振り向くと、3メートルほど向こうに、ポッカリと闇があった。

 様々な色が交ざり合い揺らめく模様のついた、形も大きさもバラバラな、ごく薄い板が、闇の中に散らばり浮かんでいる。

 硫黄の立っている様々な色の空間と闇の境目部分が四角い形をしていることから、様々な色の空間が、ハッキリと上下左右のある四角い形をした、少なくても断面を構成する辺と平行な方向には、それほど大きくない空間であると知った。奥行き……垂直方向へは、どのくらい続いているか分からないが……。

 と、硫黄の見ている前で、境目部分が上下左右ともに1メートルほど、音もなく大きく砕け、その破片が闇の中に散らばり浮かぶ。

 闇の中に浮いていた様々な色の交ざり合った模様の板は、硫黄の立っている空間の破片だったのだ。

 そうして見ているうちに、再び1メートルほど砕け、続けて、もう1メートル。闇が、本当の目の前まで迫った。足場は、爪先5センチ先までしか無い。

 次に砕けたら、おそらく足場が無くなる。

(…そうなったら、オレは……? )

 闇が現れるまで、様々な色の空間が果ての無いものに見えていたが、この闇こそが、今は、本当に果ての無いものに思え、硫黄は恐怖を感じた。

 このまま足場が崩れたら、自分は破片と一緒に浮かんで宙を彷徨ってしまうのか、それとも落ちるのか、色の空間が安全とも分からないまま、硫黄は踵を返し、色の空間を奥へと走る。




 振り返らずに走って、走って……いつの間にか、目の前に見慣れた天井があった。

(…天井……? )

 そう、硫黄は知らず知らずのうちに足を止め、仰向けに転がっていた。転がっていた場所は、フローリングの床の上。

 起き上がり、辺りを見回すと、見慣れたベッドに見慣れた机、その上に鎮座する愛用のパソコン画面に映し出されているのはSFF。

(…オレの、部屋……? )

 そう、人間の世界の。

(帰って来た……? …って言うか、もともと夢…だったのかな……? …って、そりゃそうか……)

「オヤツでーす」

 遠く、おそらく階下のダイニングからの、母の声。

 自室を出、パンケーキとコーヒーの匂いのする階段を、

(夢でよかった……)

これまで一度だって意識したことの無かった幸せを噛みしめながら、硫黄は下りていく。


 ダイニングテーブルが視界に入るところまで下りてきたところで、

(っ? )

硫黄は足を止めた。

(ぴいたんっ? )

 パンケーキとコーヒーが用意されているダイニングテーブルの硫黄の席の向かいの、妹・燐の席に、何故か、ぴいたんが座り、同じく用意されていたパンケーキを食べコーヒーを飲んでいたのだった。

(どうしてっ? )

 しかし、そのぴいたんは、すぐに燐に姿を変えた。

(…なんだ、見間違いか……。…そっか、ぴいたんって、誰かに似てるって、ずっと思ってたけど、燐に似てるんだ……。夢の中だけど声も似てたし……)

 そんなことを考えながら、何となく燐を見つめてしまっていた硫黄。不意に硫黄のいる階段方向に視線を向けた燐と目が合う。

 すると燐は、突き刺すように一言。

「何、見てんの? キモい」

 硫黄は、たった今の、ぴいたんが燐に似ているとの自分の考えに、心の中で、

(まだ今みたいに生意気になってない、可愛い頃の)

と付け加えた。

 思い出されるのは、硫黄の学校やバイトなどからの帰宅を待ち構えていたかのように、お兄ちゃん、お兄ちゃん、と言いながら家の中をついて回り、頻繁に部屋を覗きに来る燐。むしろ、その頃は、硫黄のほうが燐をうっとおしく感じていた。

(ホント、ちょっと前までは可愛かったのにな……。いつの間に、こんなふうになっちゃったんだろ……? いや、今となっては、今の燐のほうが自然だけど……)

 可愛い燐を思い出し……と言っても、本当にちょっと前のことなので姿は現在と全く変わらないが、溜息を吐きつつ階段を下りきり、席につく硫黄。

 視界の隅を、それまでカウンターの向こうのキッチンにいた母が、母自身の分のパンケーキとコーヒーを手に歩いて来、それらを燐の隣の席に置き、座る。

 そこで、ダイニングに下りて来て以降、初めて、硫黄は、母であるはずのその人物をまともに見、

(誰? )

 母であると思い込んでいた、その人物は、母ではなかった。

 年の頃は30歳前後。椅子の座面に届く長さの金色のソバージュヘアに、薄茶色の瞳の、柔らかな雰囲気を持つ超美人。

(…いや、「誰? 」じゃないよな。だって、オレ、この人を知ってる……。マロン様だ……)

 そう、ついさっきまでの夢の中で人間の世界へ帰るためにクランと共に目指していたスーパーモンブラン山頂にいる、実は観光庁長官である女神様の。

「……マ」

 マロン様、と言いかけて、硫黄、

(いやいや、そんなワケ無い。たった今だって、燐がぴいたんに見えたばっかだし、オレ、きっと、ちょっと寝ぼけてるんだ……)

と判断し、

「…ママ……? 」

と、誤魔化す。

 途端、目の前のマロン様の外見をした人物は俯き、

「ママでは、ない」

低く低く、注意深く聞かなければ聞き取れないほどに低く掠れた声で呟いた。

 硫黄は、何となく、程度だが、違和感というよりは少し強めに、嫌な感じを覚えた。

 硫黄の視線の先、顔は下を向いたまま、金色の髪が根元から毛先へ向かって黒く変化していく。

(どうして、髪が……? )

 マロン様の外見の人物の隣で、燐は、ごく普通にパンケーキを食べている。

(…どうして……? おかしいのは、オレ……? あ、でも、確かにママの髪の色は黒っぽいし、燐がぴいたんに見えたのが、今、ちゃんと戻ってるみたいに、マロン様に見えたママが戻ってるだけ……? )

 髪の色が黒に変化しきった。

 直後、

(っ! )

 下げたままの頭のてっぺんから、真っ直ぐに、30センチメートルほどの角のような鋭利なものが、2本、突き出る。

 長さ的にも角度的にも全然届かないのだが、驚き、反射的に、座っていた椅子を倒してしまいながら飛び退く硫黄。

 燐が大きな大きな溜息まじり、

「…うっさ……」

 完全に黒髪になり角を生やしたマロン様の外見だった人物は、ゆっくりと静かに顔を上げる。その顔には、無表情な赤い仮面。そしてやはりゆっくりと立ち上がると、首元からワサッと藁が現れ、マントのように体を覆った。

(…ナマハゲ……? )

 あの、秋田県の民俗行事の。詳しくないのでザックリとしたイメージでしかないが、それに似た姿だ。体の大きさは、マロン様の外見だった時から変化なく、母と同じくらいの身長で、硫黄より頭1つ分ほど小さい。

 ゆらりと燐のほうへと体の向きを変えるナマハゲ。体を覆う藁の中へと右手を潜らせると、中から出刃包丁を逆手に持って取り出し、徐に頭の高さまで持ち上げて、切っ先を燐へと向掛けた。

(……! )

 燐は、ひとりで騒いでいる硫黄に不快感を示しつつも、手は止めずにパンケーキを口に運ぶ。

 出刃包丁が燐へと下ろされた。

 何を考えるよりも先に、硫黄の体は勝手に動いていた。

 ダイニングテーブルの上を越えて燐に飛びつき、その頭を掌で庇いながら、一緒に床に転がる。

 ナマハゲの前を通過する瞬間、出刃包丁の切っ先が硫黄の肩を掠り、服に血が滲んだ。

 身を起こしつつ、燐のことも支えて起こし、一瞬どこかへ行っていた「自分がおかしいのかも」「寝ぼけているのかも」といった考えが戻ってきたが、それは間違いであると、自分がおかしいワケではないと、確信した。

 起き上がった燐が、ナマハゲを見上げて固まっているためだ。

 それに、出刃包丁に引っ掛けた肩も痛む。

 ほぼ空振りとなった出刃包丁を、ナマハゲは再び頭の高さまで持っていきながら、硫黄と燐のほうへと、ゆっくり歩いて来る。

 硫黄は急いで立ち上がり、すっかり固まってしまっている燐を半分引きずるような格好で抱えて、最も近い出口である、庭に面した大窓へ。

 鍵が掛かっていないことをチラッと目だけで確認しつつ、手を伸ばして開けようとするが、

(何でっ? )

 窓はガタンと揺れただけで、開かない。

 もう一度、力を込めてみるが、同じだった。建付けが悪いとかは、あれば母が騒ぐはずなので、ないと思うのだが……。

 ゆっくりと迫って来るナマハゲ。

 大窓は諦め、そもそも室内なので限界はあるが少しでも多くナマハゲと距離を取るべく隅に寄って、大窓とはダイニングテーブルを挟んで反対側、キッチンの向こうに位置する、玄関へ通じるドアへ向かう。

 硫黄たちの移動に鈍く反応して、ナマハゲも方向転換。何故か、やはり不気味にゆっくりと迫って来た。

 ナマハゲもゆっくりだが、燐を抱えている硫黄も、どんなに頑張っても、結果的には当然ゆっくり。ドアまで辿り着き、ノブに手を掛けた時には、ナマハゲの手の届く範囲内。

 しかし、このドアは外側へ開くので、ギリギリ通れるだけ開けて向こう側へ出、すぐに閉めれば間に合う……はずだったのだが、

(開かないっ? )

 ノブは動くのだが、ドアが開かない。ノブを回した状態で寄り掛かるようにして体重を乗せてもビクともしない。

 完全に追い詰められた。

 ナマハゲは足を止め、逆手に持ち頭の高さを保ったままでいた出刃包丁を、特に狙いを定めていない感じで硫黄たちへ振り下ろす。

 硫黄は燐を自分の体で覆い隠すように、低い姿勢でナマハゲの刃を掻い潜り、キッチン方向へ逃げた。

 そこは、人など到底通れない小さな窓が奥にあるだけの袋小路。しかも、システムキッチン部分と、向かいの食器棚や冷蔵庫に挟まれて、幅は1メートルも無い。分かっていたことだが、とりあえずではあっても他に逃げ場は無かったのだ。

 またしても空振りしたナマハゲは、ゆーっくりと硫黄たちのほうへ体の向きを変える。

 ゆっくりゆっくり、1歩、また1歩とナマハゲが進んでくるのに合わせて、硫黄のほうは燐を庇いつつジリジリと後退。

 夢が妙にリアルだったので癖のようになってしまっていたのか、胸の飾りをステッキに変形させようとして、

(何やってんだっ? オレっ! 出来るワケないのに……っ! )

 ここは人間の世界。硫黄だって、本来の硫黄。当然、胸にステッキに変形する飾りなどついていない。

 また1歩、ナマハゲが前進。硫黄も、燐と共に1歩後退。このままの歩幅で退がれるのは、あと5歩までだ。硫黄の腋を、嫌な汗がシットリと濡らす。

(…どうしよう……っ! )

 と、シンク横の水切りカゴの中に、包丁があるのが目に留まった。

 硫黄は右手を伸ばして掴み、切っ先をナマハゲに向ける。

 構わず前進するナマハゲ。

 物理的より先に精神的に追い詰められた硫黄。ワーと叫びながら、デタラメに、手にしている包丁を振り回した。

 何処をまともに狙えてもいない、当たるはずもない、攻撃とはとても言えないような攻撃。

 しかし、

「うぁ……っ! 」

 その外見からは想像し難い高めの叫び声を上げ、ナマハゲは、肉片となって散らばった。

 肉片となる一瞬前に、母の姿になり、悲しそうに硫黄を見つめ、小さく、

「…どうして……」

と呟いてから……。

(…ママ……)

 ショックを受ける硫黄。

(…ママ……)

 返り血に濡れたまま立ち尽くす。

 その目の前、散らばっている肉片がモゾモゾ動き集まっては、合体していき、次第にムクムクと大きくなっていった。

 硫黄は、その様を、ただ、目に映す。

 やがて肉片はナマハゲの姿に戻り、出刃包丁を頭の上の高さに、再び硫黄たちに迫ってきた。既に射程内。

 それでもなお、それを目に映すだけの硫黄。

 ナマハゲが、硫黄たちへと出刃包丁を振り下ろす。

 突然、燐が硫黄のウエストに抱きついた。ぼんやりとした硫黄の目に、また、燐がぴいたんに見えた。

 ぴいたんの姿の燐が叫ぶ。

「テレポ! 」




 周囲は真っ暗だった。

 しかし、すぐに、

(……)

 自分が目を閉じているために暗いのだと気付き、目を開けると、見慣れた天井。

(…オレの、部屋……)

 硫黄は、自分のベッドの上で、しっかり掛布団まで掛けて横になっていた。

(…夢……? )

 燐がぴいたんに見えたり、母であると思い込んでいた人物がマロン様で、そこから更にナマハゲの姿に変化して襲いかかってきたりといった、ほんのちょっと前と思われる出来事を軽く振り返り、

(そりゃ、そうか……)

起き上がってベッドから出、そう言えばオヤツだと呼ばれた気がする、と、部屋を出る。

 ダイニングへと階段を下りながら、

(…呼ばれたような気がしたんだけど……)

特に甘い匂いもコーヒーの香りもしていないことに首を傾げつつ、

(なんか、やけに静かだな……)

ダイニングの様子が見えるところまで下りると、普段は昼間でも点いている明かりが点いていないため何となく暗ぼったい空間に、生臭いような鉄臭いような独特の臭いを纏った生ぬるい空気が漂っている。

 そこには母も燐もおらず、あるべき、その姿を求めて、視線を少しキッチン寄りに動かした。

 瞬間、

(っ! )

硫黄は固まった。

 いつものキチンと整えられたキッチンと比べたら少しだけ乱れているキッチンの、その床に、血溜まりが出来、肉片が散らばっている。

 母と燐は見当たらない。

(…夢、って……。どこから、どこまでが……? )

 何だか、クラクラする。

 何だか、とても疲れた。

 硫黄は踵を返して、下りてきたばかりの階段を上り、自室へ戻ると、ベッドに潜った。

(とりあえず、寝るか……)

 もう何も考えられないし、考えたくなかった。

(もう一度寝て、目が覚めたら、また何か変わってるかもしれないし……。…とりあえず、人間の……もとの世界へ帰っては来れたワケだし……)







                                                                                                                                                                                                                                  


                                                                                                                                                                                                                                                

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