第5話「She is クラン・ベリー」
(……? )
何やら焦げたような臭いが、カヌレ村内クランの祖母宅のベッドの中で眠る硫黄の鼻腔を刺激し、覚醒を促した。
その臭いの意味するところを寝ぼけた頭で理解するのには少々時間を要し、理解して、
(火事っ? また魔物かっ? )
飛び起きる。
臭いはするが、煙が充満しているほどではなく、火の手も見当たらない。
ベッドを出、部屋を出て、小さな家なので、そこはもう、玄関から直接つながるリビングダイニングキッチン。
正面のキッチンスペースに、パジャマ姿で髪も下ろしたクランの背中があった。
煙はクランの向こうから上がっている。
(ああ、そういうことか……)
クランが何か料理を作っていて焦がしたのだ。
火事ではないと分かってホッとする硫黄。
ホッとしたことで周囲が見える。
窓の外が明るい。
(もう朝か……。そんな長い時間、寝てた気がしないんだけど……)
「おはよう」
硫黄が声を掛けると、クランは頭だけで振り返る。
その動作に髪が揺れる。腰までの長さの艶やかなストレートの髪。
(結んでないとこ初めて見た……。キレイな髪だな……)
「おはようございます。今、朝食が出来上がりますので」
(……)
硫黄は数歩前進しつつクランの手元の見える位置へと回り込む。
クランの正面には、煙が立ち上っているフライパン。中身はパンケーキ。パッと見、美味しそうに焼けているので、裏側、今焼いている面が大変なことになっているのだろう。
フライパンのパンケーキ以外には、卵の殻などのゴミや、まだ中身の入っている「パンケーキの素」と書かれた紙袋と「牛乳」と書かれた瓶、割れていない卵、あとは道具類が散らかっているだけで、他に「今出来上がる朝食」らしき物は見当たらない。
(ってことは、このパンケーキがオレの朝食か……)
もう充分に火が通っていると思われるにもかかわらず、何故かフライパンを火から下ろす気配の無いクラン。
もったいないので、可食部を少しでも多く確保するべく、硫黄、
「クランさん。それ、もう焼けてると思うよ」
するとクラン、硫黄の指摘に気分を害したのか、、ちょっと面白くなさそうに眉を寄せ、
「あなたは、料理が出来るのですか? 」
「SFFの中では、やったこと無いけど」
(いや、もとの世界でも、箱や袋の裏に作り方が載ってるようなナントカの素みたいなのを使った物しか作ったこと無いけど……。あとは、学校の調理実習くらいだけど、そっちは、ほぼ皿洗い係だったし……)
それでも、
「そうですか」
人間の世界ではやったことがあり、一応出来ると知ってか、硫黄の言葉を受け入れ、ようやくフライパンを火から下ろし、皿に移す。
皿に移して初めて、裏が焦げていたことを知ったらしく、気を落とした様子で俯いた。
「ちゃんと火が通っているか心配で、ちょっと長めに加熱していたのですけど……」
(うん、火を通さなきゃ食べれない物が、ちゃんと火が通ったか心配で、長めに焼きたくなるのは、気持ち分かるなあ……。さすがに焦がしはしないけど……)
「昨日の夕食は、家の中にいるにもかかわらず携帯用保存食で済ませてしまいましたので、何か、ちゃんとした食事をと……。祖母が居りましたら、きちんとした物をお出し出来たのですが……」
(…オレのため……っ? オレのために、慣れない料理を……っ? )
硫黄は驚いた。
「オレのために、作ってくれようとしてたの? 」
「え……! 」
今度はクランが驚いたように硫黄の顔を見、みるみる顔を赤らめて、その上で、急いだ感じで視線だけを逸らす。
「か、勘違いなさらないで下さい。あくまでも、この家の主人代行として、客人を持て成さねばというだけのことです」
本当は照れているのに一生懸命に素っ気無い態度をとって誤魔化そうとしているのが、ありありと分かってしまって、何だか可愛く感じられた。
(…何か、クランさんって、ゲームSFFのNPCとして画面の外から見てた時とか、SFFの中に入ってから最初に会った時の印象より……)
直後、グウッキュルルルルル……。ものすごく大きな腹の虫。硫黄ではないので……。
目の前のクランがますます赤く、もう真っ赤になり、腹を押さえて下を向いた。
(ホント、クランさんって思ってたより……)
何となく愛しさを感じていたことと、たまたまパンケーキの素の袋が目に留まったことで、ある考えが浮かんだ。
パンケーキの袋の裏には作り方らしき文字があるのが見える。牛乳と卵もともに、仮に人間の世界で1人分のパンケーキを作る時に必要な分量は確実に残っている。
硫黄はパンケーキの袋を手に取り、その重さで残量が充分であることを確認しつつ、やはり作り方であった裏面をザッと斜め読み。人間の世界のものとほぼ変わらない、その作り方に、
(うん、これなら出来そうだ)
心の中で頷いてから、
「クランさん、オレも作ってみていい? クランさんがオレのを作ってくれたお礼に、オレがクランさんの分を作るよ」
「え? ですが私は主人代行として持て成しているのであって……」
そう言うクランを、いいから、と、そっと押し退け、火のついたままのコンロに使用後の状態のまま戻されたフライパンに視線を落とし、
(多分、鉄だよな……。このフライパン……)
フライパンが鉄製であることを確認後、焦げついてはいないので、油を引いた。
材料を混ぜ合わせてタネを作り、濡れ布巾を用意してコンロのすぐ横に広げ、もう油が充分に温まっているはずなので、一旦、フライパンを布巾の上に下ろし、ジュッとやる。フライパンが鉄製の場合はそうするよう、調理実習でパンケーキを作った時に、家庭科の先生が言っていた。そうすることで表面がキレイに仕上がるのだと。
そうしてからフライパンをコンロに戻し、タネを流し込んだ。
火が少し強い気がしたので、調節……しようとして困る。
コンロを上から見ている分には人間の世界の物とそう変わらないが、正面に通常あるべき着火や火力の調節に使う、押すタイプだったり回すタイプだったりするアレが無いのだ。
困っている硫黄に気付き、クラン、
「どうかされましたか? 」
火力を弱くしたいんだけど、と話すと、
「それなら」
すぐ横の棚から小さな円筒型の缶を取り、コンロの火に近づけて蓋を開ける。
すると、コンロから、表面に薄く炎を纏ったビー玉大の球形の生物(? )が転がり出て来、空き缶だったその中へと納まった。
クランは缶の中へと向かって、
「ありがとう、お疲れ様」
と言ってから、蓋をし、もとの棚へ戻した。
コンロの火を確認してみれば、これまで中火くらいだったのが弱火になっている。
「今のは? 」
硫黄の質問に、クランは首を傾げる。
「今の? 」
「今、仕舞った、丸いの」
「火の子のことですか? 」
「火の子? 」
「火の子を知らない? 人間の世界では、火を使わないのですか? 」
「いや、使うけど」
「火の子を使わずに、どうやって? 」
(どうやって、って言われても……。そう言えば、ちゃんとは知らないな……)
「仕組みはよく知らないけど、多分、物と物の摩擦熱で出来た火種を燃料に引火させて大きくしてる…とかかな……」
「多分? 」
「うん、だってオレは世代的に、昔の人が作った便利な物を使って生活してるだけだから」
そこまで言って、硫黄は、ちょっと反省の念を抱いた。
「こんな話でも出なけりゃ考えることも無くて恥ずかしいけど、仕組みを知らないどころか、オレは普段、その便利な物を生み出してくれた昔の人への感謝の気持ちすら持ってないよ。なんか、当たり前になっちゃっててさ……」
「私も同じです。私も自分で新しい何かを作り出すことはしませんし、すっかり当たり前になってしまって、普段使っている物を作り出してくれた方に感謝の気持ちも持ちません。
どうして、慣れると当たり前と感じてしまうのでしょうね。物に限らず……。
これまでいつも、私がこの家に客人を連れて来ると、祖母が上手に持て成しておりました。昨日の夕方から今現在、私はあなたを持て成そうと努めておりますが、上手くいきません。祖母のしてくれたこと……して『くれた』なんて表現をするのも実は初めてなのですけど、当たり前ではなかったと痛感いたしました。
誰かが自分にしてくれる何かに、身近に存在してくれている何かに、当たり前のものなど何ひとつ無いのかもしれませんね」
(クランさん……)
硫黄はクランに共感した。母の顔と、母の作ったパンケーキが思い出される。
(オレも、当たり前になってたかも……)
日常的に感謝を言葉や態度で表してはいたが、表面的ではなかったか?
自分の感謝の言葉や態度もセットで当たり前になって、今になって思い返すと、本当に感謝出来ていたか怪しい。「オヤツでーす」と呼ばれて、「えー? 今? 」とか「タイミングがなー……」とか、オヤツ自体は食べたいくせに、贅沢な不満を、もちろん口には出さないが、確かに抱いていた。
そんな話をしている間に、フライパンの中のタネがブツブツ。更にそこがそのままクレーターとなり乾いてきたので、フライ返しで裏返す。
(うん、キレイに出来た)
それほど厚く焼いているワケではないので、裏返してから焼き上がりまでは、少しだけ待って、フライパンを揺すると中で滑るのを確認後、皿に移した。
「よし、食べるか」
言って、硫黄は自分の焼いたパンケーキの皿とクランの焼いたパンケーキの皿を持って回れ右。部屋中央の食卓へ移動。昨日の夕食時に勧められた席の前にクランの焼いたほう、その向かいの、昨日クランが座っていた席の前に自分の焼いたほうを置いた。
クランはコンロ脇のスペースでお茶を淹れている。
その背中に、
「クランさん、何か手伝えることある? 」
「もう済みますので、お掛けになってて下さい」
頷き、昨日の夕食時と同じ席に着く硫黄。
言葉のとおりクランも、すぐに、カップ2つが載っているのが見えるトレーを手に食卓へ。カップをトレーから食卓に移しながら、硫黄の前に置かれたパンケーキに目を留め、
「本当に、焦げたほうでよろしいのですか? 」
「こっちがいいんだよ。だって、せっかくクランさんがオレのために焼いてくれたんだから」
クランはまた赤くなり、
「そうですか。それなら、よいです」
硫黄から視線を逸らして、カップのように背が高くないため運んでいる最中には見えなかったが実はトレーに載っていたバターとバターナイフを食卓中央に置き、目は合わせないまま押し付けるように硫黄にフォークを手渡した。それから、自分も席に着く。
硫黄と目が合わないようにするためか、クランは、ずっと下を向いて、しかし、行儀よく手を合わせ、きちんと「いただきます」を言って食べ始めた。
硫黄も、いただきますを言ってから食べ始める。
少し焦げているくらなら、香ばしくて、むしろ好きだ。
クランお手製のこのパンケーキに関しては、少し焦げている、というレベルではないが、せっかく作ってくれたのだし、完全に炭になっている裏側2ミリほどの部分も、避けることはせず味のアクセントだと思って残さず食べる。
だって、作ってくれた人の目の前で残すって、何かカンジ悪いし、したくない。
食品の焦げた部分は発がん性がナントカ聞いたことがある気がするが、それは極端に焦げばかり大量に食べた時の話だろうし、発がん性を気にするなら、喫煙者である父や学校の担任やバイト先の店長と積極的に距離を置いて副流煙を避けるようにすることが先だと思う。
クランは俯き加減で静かに静かに食べている。
硫黄がこれまで何度か作ったことのある中で、多分、最高の出来の1枚。
美味しいとも何とも言わないが、そんな言葉より、頬を緩めて少し笑みさえ浮かべ、ひと口ひと口大切そうに、ゆっくりと味わってくれている、その様子が嬉しかった。
*
「クランさん危ないっ! 」
朝食後、身支度を済ませて、クランの祖母宅を、港町・ボーロタウンへ向けて出発。カヌレ村を囲う森を、クランが斜め半歩先に立って抜けたところで、突然、イヌの形をした1体の魔物が飛びかかって来たのだ。
黒く短い体毛をした、細身だが筋肉質のイヌ。ストレイドッグ(LV22)だ。
その向こうに、同じくストレイドッグが、まだ数体、グル……と唸りながら、こちらを見据えている。
硫黄は咄嗟にクランの手首を掴んで強く引っ張り、自分の後ろに隠すと同時、胸の飾りをステッキに変形させて、ストレイドッグの腹にチョンと触れざま叫んだ。
「マジカルミニハート・エクスプロージョン! 」
体内部で爆発を起こし、飛び散るストレイドッグ。
すぐ次の瞬間、空中に散った同胞のその血と肉片を目眩ましとして利用する知恵があったか、たまたまか、赤いカーテンを突き破って、目の前に、残り数体のうち2体が現れた。
再びミニハートで対処しようとしたところを、いきなり、
(! )
後ろから手首を掴まれ強い力で引っ張られる硫黄。
今度は硫黄がクランの後ろに隠された。
クランは抜刀ざま、2体を一度に薙ぎ払う。
その隙に、
「マジカルヘビーQハートシャワー! 」
硫黄は頭上にピンクの雲を発生させた。
降り注ぐピンクのハートの凶暴な雨が、クランが腹から真っ二つにした2体もろとも、残りの全てのストレイドッグを一掃。
硫黄は、ホッと安堵の息を吐く。
(クランさんと一緒に戦うのは初めてだったけど、なかなか良い連係が取れてたな……)
それから周囲を見回し、そこに出来た血溜まりに嘆息した。
(…まだ、こんなことが暫く続くんだよな……。…って、始まったばかりか……)
そう、スーパーモンブランまでの道のりは、まだまだなのだ。
隣でクランが呟く。
「魔物も馬鹿ではないので、これまでは自分たちよりも確実に強いような相手はきちんと嗅ぎ分けて、むやみに襲ってくるようなことは無かったのですが、しかも、まだ朝の、こんな時間帯に……。本当に、凶暴化しているのですね……。それに、強さ的にも……」
それから、一度、息を吸って吐き、気持ちを切り替えた様子を見せてから、
「さあ、行きましょう」
歩き出すクラン。
硫黄も深呼吸で心の中を換気し、続いた。
直後、前を行くクランの体が、フラフラッと不安定になる。
(? )
膝がカクンとなり崩れそうになったところを、
「クランさんっ? 」
硫黄は反射的に受け止めた。
青ざめた顔。しかし頬は不自然に紅潮し、額には汗がビッシリ。呼吸も荒い。ただ事ではない。
慎重に支えながら、ゆっくりと地面に座らせ、自分の胸に寄り掛からせる。
よく見れば、二の腕の僅かな露出部分に、真新しい小さな傷。
(まさか……! )
硫黄はハッとする。
(今のはストレイドッグじゃなくて、マッドドッグ……っ? )
マッドドッグとは、以前、イベント時限定で、とある理由から町の中に現れた魔物。ストレイドッグと同じLV22で、外見的にも、目が血走っていて唾液を垂らしているくらいしか違いが無い。ただ、その牙や爪に少しでも触れると毒状態となり、時間の経過とともにHPが削られていくので、ストレイドッグに比べ危険度は高い。
と、クランが喘ぐように何かを言おうとする。
途切れ途切れ掠れ気味の小さな声。
懸命に聞き取ろうとする硫黄。
「…私、の……カバ…ン、に、万能薬、が……」
聞き取って、
「じゃあ、開けさせてもらうよ」
クランの四次元バッグの中をあさり、万能薬の瓶を見つけてクランに飲ませる。
飲み干した瞬間に呼吸は静かになり、顔色も、何となく良くなった。
(うん、少し休めば大丈夫そうだな)
ひとり頷いて、万能薬の空き瓶をバッグに戻そうとし、間違って万能薬と一緒に取り出してしまった魔物除けスプレーも仕舞うべく手に取って、ふと、その缶の裏側の効果・効能の欄が目に留まる。
そこには、「LV20までの魔物の忌避」。
(そうか。そういうことだったのか……)
昨日、カヌレ村内でプリドラゴンに襲われたことは、こちらから仕掛けたのだから当然として、マカロンタウンを出発後カヌレ村到着までは一度も襲われなかったのに、何故、今日は襲われたのか、と疑問に思っていたが解決した。
魔物除けのスプレーの効果は、プリドラゴンまででギリギリ。もともとボーロタウンへの道中に出没する魔物には効かなかったのだ。
要因はそれだけとは限らないが、マカロンタウンからカヌレ村の道中とカヌレ村からこれまでの道中の明確な違いはそこだ。
(スプレーが効くなら……)
キチンと、その場所に出没する魔物のレベルに合ったスプレーを用意出来れば、無駄な戦闘を回避出来るかも、と希望を持てた。