第2話「本当は怖いSFFの世界」
森の小鳥のさえずりが聞こえる。早朝の冷たい空気が、寝不足の、微妙に熱を帯びた頬に心地よい。
「お姉ちゃん、また来てね! 」
ラムと共に村の入口の門まで見送りに出てくれたアプリコットが、その大きな両の目を潤ませて、硫黄を見上げる。
硫黄は腰を屈めて彼女と目の高さを合わせ、
「うん、また来るよ」
意識して優しく優しく言い、彼女が頷くのを確認してから頷き返して身を起こした。
「お気をつけて」
アプリコットの隣でラムが右手を差し出す。
「色々と、お世話になりました」
硫黄はその手を、硫黄の出発に間に合うようにとラムが急いで洗濯し乾かしてくれ真っ白に戻った手袋の手で、握り返した。
本当に、世話になった。
泊めてくれて手袋を洗濯してくれただけではない。
今後のことで悩んでいたら相談に乗ってくれ、彼自身「私ではお役に立てそうもございません」と言うなりに、とりあえず次に行くべき道を示してくれた。金は持っているが四次元バッグの中身がほとんど空であると知ると、商店の無いカヌレ村では貴重であるはずの回復系の薬を中心とする様々なアイテムを持たせてくれ、昼食用にと弁当まで用意してくれた。
名残りを惜しむ視線から、外からゲームとしてプレイしていた時には感じ取れなかった、ラムの情の深さを感じる。
硫黄は一度、握った手に力を込め、深々とお辞儀をしてから手を放し、背を向けて、村の外へと歩き出した。
一晩中続いたプリドラゴンの断末魔の叫び。それから察するに、村の外、森の中は……。
覚悟をして門を出た硫黄だったが、行けども行けども、プリドラゴンの死骸どころか血の一滴も見当たらず、そのまま森を抜けた。
森を抜けてから目的地・マカロンタウンへは、ひたすら平坦な一本道。しかし、距離が長い。
テレポを使えれば一瞬で着く。だが、躊躇われた。
外側からゲームとしてプレイしていたものを、内側で現実として生きている今、このSFFの世界は、現実ならば普通のことで溢れている。例えば、ゲーム内では決められた動きしかせず決まったことしか喋らないNPCが、現実を生きる存在となった時、まだ、カヌレ村の人々としか接していないが、決められた言動など、そもそも存在していないかのように、自らの意思を持って話し、動き、感情が表情や声色に表れる。例えば、出血を伴うほどの傷を跡形もなく消してしまうような強力な傷薬が酷く沁みる。例えば、これは極力思い出したくないが、魔物……生物を傷つければ血が流れ、程度によっては、その死骸が転がる。
いざカヌレ村を出発する時に、ダメもとでテレポを試してみようとした瞬間、テレポの「現実ならば普通」が頭を過ぎり、怖くなったのだ。常識的に「そんなことは不可能。使えない」で済めばよいのだが、昨日、実際に攻撃魔法は使えているし、使えるものとして、しかし、以前何かで読んだことのある、某有名猫型ロボットのアニメに登場するひみつ道具・どこでもドアを実現するための、その仕組みは、ドアを入った後、一度、体を分子レベルまでバラバラにして、ドアから出る時に再構築するというものだった。それが、どの程度信用出来る文章なのかは分からないが、それも信用出来るものとして、失敗して死ぬことになったら……? ゲームとしてプレイしていた時であれば、死んでも最寄りの教会で生き返るだけだが、死んだら死んだままなのが、現実ならば普通のこと。気軽に試せるものではない。
……そのような理由から、テレポは使わず、長い距離を徒歩で進む硫黄。
もっとも、長い距離、と言っても、初めてSFFをプレイする初心者にとって最初の町となるマカロンタウンと、プレイする上で必須である四次元バッグを手に入れるために2番目に必ず訪れるカヌレ村を結ぶ一本道。まだテレポなど覚えていない彼らが歩きで行くのが当然な道のりなので、それを長いと言ってしまうのは、テレポでの移動に慣れて普段歩かない者の、ただの愚痴だ。朝に出発すれば、夕方には余裕で到着する。
陽が高く昇り、時計が無いため腹時計だが、そろそろ昼食を、と、路傍の大きめの石に腰掛け、ラムが持たせてくれた弁当を膝の上に広げた。
母が硫黄の好物を重視して作ってくれている全体的に茶色っぽくボリューミーないつもの弁当に比べ、外見少女である今現在の硫黄を意識してくれてのことであろう、キャラ弁というのか? SFFのマスコットであるイチゴのショートケーキに手足をつけたキャラクターと、同じくシュークリームに手足をつけたキャラクターを模ったおにぎりをメインに、玉子焼き・プチトマト・ブロッコリーで彩られた、カラフルで小さめな弁当。
箸をつけようとしたところで、マカロンタウン方向から、5人の人がやって来るのが見えた。
おそらく、今朝、カヌレ村に向けてマカロンタウンを出発した、初心者のプレイヤー。
出発時間が朝だと思うのは、マカロンタウンから現在地までの距離から。初心者だと思うのは、その装備から。
ゲームとしてプレイしていた時には、各プレイヤーの頭上、場合によっては足下にステータスバーが表示され、そこに、そのプレイヤーの名前・職業・LV・HP・MP・状態異常といった、簡単な情報が書かれていたため一目瞭然だったが、今、こちらへ向かって歩いて来ている彼らの頭上にも足下にも、それが見当たらないため、「おそらく」。
そういえば……と、硫黄は思い返す。ゲームではNPCにも更に簡単な、名前と職業くらいしか書かれていない表示があったが、自分がSFFの中に入って以降のラムやアプリコットには無かったな、と。
これまで全く気に留めていなかったが、硫黄自身の頭上や足下にも、それは無い。
(…まあ、現実ならステータスバーなんて無いのが普通か……)
ステータスバーが無ければ「おそらく」になってしまうのは、例外があるため、装備だけでは情報不足であるためだ。
例外として、硫黄が真っ先に思い浮かべたのは、修道女の、ぴいたん、というプレイヤー。ゲームの外での数え方での、確か、5日前、内側の日数では、もう1年半近くも前ということになるのだが、暫く行動を共にした。
彼女との出会いは、霊峰スーパーモンブランの麓の樹海。魔物に襲われ瀕死でいるところを助けた。
ゲーム外の世界の修道女そっくりな、紺色の清楚な正統派修道服の彼女。ステータスバーのレベルを見て驚いた。LV28。最初の頃はガンガンとレベルが上がっていくものなので、自身では魔物を攻撃する術を持たず回復魔法や補助魔法で経験値を稼ぐしかないためレベルの上がりづらい修道女とはいえ、ほとんどプレイしていない、ほぼ初心者だ。
驚いた理由は、SFF内で2番目にレベルの高い魔物のいるエリアである樹海に、まだレベルの低い、しかも、攻撃する術を一切持たない修道女が、ひとりでいたことではない。それは単純に迷い込んでしまっただけとも考えられるため、そうではなく、その装備。
SFFの修道女の本来の服装は、長いスリットの入った露出度高めの修道服であり、彼女の着用している物は、何か彼女のレベルでも装備できる物をカスタマイズした物。カスタマイズは誰でも出来るが、とにかく金……SFF内の通貨であるSが莫大な額、必要だ。彼女の修道服は、おそらく本来の修道女の初期の装備を元にした物で、露出を減らす以外にも細かいところを色々といじっているため、少なく見積もっても30000Sは掛けられている。ついでに言えば、彼女の黒髪ストレートのロングヘアだって、ガチャでのみゲット出来るレアな物であり、余程の強運の持ち主でない限り、かなりの金額が掛かっている。
Sは魔物がドロップする他、クエストの報酬として、また、自分の所持しているアイテムで不要となった物を売ることで得られるが、初心者が自力で稼げる額では到底なく、それ以外の手段としては、1S=100円の課金でも得られるが、初心者が、そこまで課金するほどSFFにハマっているとも考えにくい。
もっとも、そうであるからこそ、彼女が誰か高レベルのプレイヤーの求めで修道女という職業を選び、普段はそのプレイヤーと行動を共にしていて、装備も、そのプレイヤーに買ってもらった物であると容易に想像が出来、実際、暫く一緒にいて仲良くなってから聞いたところ、本当にそうだったのだが、ただ単に、レベルに不釣り合いな、わざわざ地味にする方向へのカスタマイズに驚いたのだ。
(…いや、オレは好きだけど……。だって、SFF本来の派手な修道服より、そっちのほうが絶対カワイイし……)
と、そんなことを考えているうちに、初心者のプレイヤーと思われる5人が、声がハッキリと聞き取れる距離まで来ていた。
彼らはやはりプレイヤーで、全員が同じパーティらしく、皆でワイワイと会話をしている。
(…声が聞こえる……。プレイヤーの言葉……しかも、自分には無関係な言葉も、音声で聞こえるのか……)
ところで、と、硫黄は、彼らについて、重要な疑問を抱いた。
(この人たちは、どんなふうに、ここに存在してるんだろ……? )
通常どおり、SFFを外側からゲームとしてプレイしているのか、それとも、自分と同様、SFF内に入ってしまっているのか、という疑問。
後者であれば、協力し合えるかも、と期待を込めて……。
その時、彼らの前を、バレーボールほどの大きさの大きなスズメ3羽と、体長が1・5メートルほどもあるが、その大きさよりも腹を中心に風船のように丸々と膨らんでいることのほうが気になるネコ1匹が塞いだ。
ビッグスパロー(LV1)とファットキャット(LV3)だ。
魔物の出現に、これまでの楽しげな様子から一転、一様に足を止め、緊張からか顔を強ばらせる彼ら。見た目どおり初心者らしい。
(…表情……)
NPCは、もともとこの世界の人なので、ゲームとしてプレイ中には見ることの無い表情の変化を目にしても……と言うか、昨日の夕方から今朝にかけて、実際にゲーム外の人間のようにコロコロと表情の変化し続けるNPCたちと一緒に過ごして、それは普通のこととして受け流すし、既にSFF内の存在となっている自分の表情が普通に変化するのを鏡やガラス製品を通してたまたま見つけても何とも思わなかったが、
(プレイヤーの表情も、ちゃんと変わるように見えるのか……って、そっか、そもそもアバターはゲーム内の存在か……。いや、でも、やっぱ、オレと同じような存在でも、そうなワケで……)
怯んでいる彼らのうちの1人・戦士の少年に、ビッグスパロー1羽が仕掛けたことで、戦闘開始。
血生臭い展開になることが分かりきっているいるため、本当は、すぐにでも立ち去りたかったのだが、それ以上に、SFF内に入って以降に初めて出会った、音声での会話に表情の変化と、今のところ自分の条件と一致する彼らが、どのような存在であるのか見極めたくて、硫黄は、その場に留まった。もちろん、弁当は、ほとんど食べないままで仕舞ったが……。
クチバシを突き出して突っ込んで来たスパローの攻撃を、戦士の少年は軽くかわしざま腰の剣を抜き一刀両断。
スパローは叫びを上げ、真っ二つになって地面に転がる。
チュートリアル終了時点で通常、プレイヤーはLV5にはなるため、現れた魔物よりもプレイヤーのほうがレベルが高く数も多い。これでは当然……。
スパローの悲鳴とほぼ同時に響く、他3つの断末魔。
圧勝を収めた彼らは、足下に出来た血溜まりの中に肉片と共に転がったドロップアイテムを喜々として拾う。
硫黄は吐き気と目眩を覚えながら目を背け、マカロンタウン方向へと歩き出した。
(…この人たちは、きっと、外側からプレイしてる人たちだ……)