第23話「やっと言えた言葉」
ポッカリと空いている天井の中央、無色透明の薄く小さな足場に立ち、右腕を、掌を上空へ向ける形で上げた格好で、一同を見下ろすアイス。
硫黄はブローチをステッキに変え、クラン・コメコは抜刀、クルミもマロンを背に庇うようにして身構えた。
アイス、左手でコメコを指さし、
「そこの腐れナマハゲが我が愛しの親父殿の居処へと入って行くのを目撃した者の報告で来てみれば、随分と面白い話をしているな。
なあ、親父殿? 」
答えを待つように、少しの間。コメコを指していた手を自身の胸へと持っていく。
「私の命を、奪うと……?
それはまあ、いいとして、面子がなかなかに面白い。魔物の祖たる親父殿に、魔物でありながら今や我が国の妖精共の世界に於いて重鎮となられた裏切り者の姉上。そして、かつて親父殿を封印した敵である妖精王・グースの末裔……」
変わらず右腕は上げたまま、一同を見下ろす角度より更に下を向き、ふふ…ふふふ……と笑い、
「…面白い……。面白いぞ……! 」
呟いた後、バッと顔を上げ、
「面白ついでに、まとめて逝ね! 」
叫びざま、その場から飛び退くと同時に右腕を振り下ろした。
直後、上空から、
(っ! )
先程の氷柱の比などではない、硫黄たちの今いる、このスペースの面積よりも底面の大きいと思われる氷塊が降ってきた。
洞窟の天井へと到達したそれは、やはり、このスペースより大きく、硫黄の位置からでは当然、確認出来ないが、厚みもあるのだろう、重く、そして硬いらしく、洞窟の壁を圧し拉ぐように破壊しながら、一同に迫って来る。
逃げ場が無い。
「皆さん! ここはどうか、私を信じて父の中へ! 」
これまでの印象に無い大きな声、素早い動きで、半ば強引に、自分の近くにいたクルミを、クランを、アモーバの中へ押し込むマロン。続いて硫黄の腕を掴む。
と、硫黄、コメコがひとり、少し離れた所で、こんな大きな氷塊を斬れるつもりでいるのか、氷塊を睨んで剣を構え微動だにしないでいることに気付き、
「コメコ! 」
声を上げた。
その声に、マロンは硫黄の腕を掴んでいる手とは反対の手を、体は全く移動せずゴムのようにビヨーンとコメコに向かって伸ばし、腰に巻きつけて引き寄せる。
(へ……っ? スゴイ! 便利! )
硫黄は感心。
その間に、硫黄・コメコ共々、アモーバの中へと飛び込むマロン。
アモーバの体内はジェル状のもので満たされており、圧迫感はあるが纏わりつく感じではないためか不思議と不快ではなく、むしろ心地良く、呼吸も普通に出来て視界もクリア。
クリアな視界にアモーバの外の状況が映る。間一髪だった。
硫黄・マロン・コメコが飛び込んだ瞬間、氷塊の底面が硫黄の頭の高さを通過。アモーバ以外の全てを砕いて地面へ達したのが見えたのだった。
地面にぶつかっても割れなかった氷塊は、思っていたとおり厚くアモーバの体半分の高さがあり、アモーバに触れた部分だけが溶けて穴が開いた状態。
埋まっている部分の周囲は氷に邪魔されて何も見えないが、見上げれば、大きく拡がった天井の中央へと戻って来たアイスが、こちらを見下ろしている。
目を見開き強張った表情。口元だけでククッと笑うと、右腕を勢いよく上から斜め下へと振った。
前の2回の攻撃時と比べるとだいぶ小さい、アイスの腕と同じくらいの大きさの氷柱が出現。こちらへ飛んで来た。
しかし、アモーバからは逸れ、前の攻撃の氷より硬かったのだろう、砕けずに突き刺さる。
笑いながら連続して左右の腕を振っては繰り出される氷柱。狙いが定まらないのか、そもそも狙っていないのか、その殆どが周囲の氷に刺さり、やがて砕いた。
アイスは止まらない。初めは小さかった笑い声も次第に大きくなり、もはや高笑い。
狂ったような笑いと共に続く猛攻。アモーバに効いている様子は無い。
アモーバの中で難を逃れ、ただ成り行きを見守るしか出来ない硫黄・マロン・クルミ・コメコ。
クランだけが、他の皆に背を向け右手を右耳に、
「私よ」
ラズへの状況説明のため動いている。
ラズからの報告の中にあった「銀髪の人物」でほぼ間違いない者からの攻撃を受けていること。アモーバに庇われ無事でいること。その人物がアモーバの実の娘でありマロンの妹であること。現在地の説明、等々。
「…ええ……。……ええ、ありがとう。そうしてもらえると助かるけれど、他が手薄になっても困るから、無理はしないでね。…ええ……。じゃあ、また……」
右手を下ろし、マロンを振り返るクラン。
「ラズが、可能であれば援軍を寄越してくれるそうです。あまり期待は出来ませんが……」
マロン、頷き、
「そうですか。こちらはこちらで何とかするしかないようですね。
父を数に入れることは出来ませんが、それでも幸い、状況的には不利とは言え、戦闘力的にはアイスひとりより私たちの合計のほうが上のはずですので、何か考えましょう」
(何か……。不利な状況を変える、何か……。…不利な原因は、場所が狭い上にアイスに見下ろされる形になってることで、どちらか一方が解消されればいいんだけど……)
そこへ、
「アイス! 」
天井のほうから、アイスを呼ぶ少女の声。
(…燐……)
一昨日アイスの城で見かけた時と同じ和服に身を包んだ、ぴいたんが、天井の縁、アイスの斜め後ろの位置に立っていた。
「アイス! 」
もう一度、名を呼ぶぴいたん。アイスは攻撃の手を休めて振り返った。
瞬間、
(っ? )
ぴいたんは天井の縁を蹴り、届くはずもないアイスに向かって跳んだ。
(燐っ! )
案の定、2メートルも跳べずに垂直に落下していくぴいたん。
受け止めるべく、硫黄はアモーバの中から飛び出すが、先にアイスが落下予測地点へ回り込み、受け止める。
ぴいたんの髪を一度呼吸してから、そっと地面へ下ろし、
「なんて無茶なことを……」
大きく息を吐きつつ独り言のように叱るアイス。
それを、
「どうして、大好きなお父さんを攻撃するの? アイス、私に話してくれたよね? お父さんのことが大好きだって」
逆に叱るぴいたん。
アイスは一瞬だけ完全に動きを停止。驚いた様子で、
「…確かに話した……。…しかし何故……? 聞こえてなどないはず……。それ以前に、このように普通に動き普通に言葉を発するなど……。
君は、催眠にかかっているはず……」
(催眠っ? )
そんな手を使って? 気持ちを無視して? ……卑怯な! と怒りを覚える硫黄。
ぴいたんはアイスの視線を避けるように俯いて、少し間を置き、言い辛そうに、
「…初めから、催眠にかかってなんていなかったの……。ただ、操られてるフリをしてたほうが、アイスに堂々と甘えられると思って……。
…ごめんなさい……」
(…かかってなかったのに、どうして、そんな……)
硫黄には全くワケが分からない。
アイスも同じだったらしい。催眠術にかかっていなかった、と質問の答えにはなっているものの、余計に驚きの度合いを増した表情で、信じられない、といったように首を小さくゆっくりと横に振りながら声を掠れさせ、
「…怖くは、なかったのか……? いきなり攫われて、操られそうにまでなって……」
ぴいたんは顔を上げてアイスを見つめ、静かに笑む。
「怖くなんてないよ? だって、アイスの心は冬の朝の澄みきった空気の中にある景色みたいで、ハッキリと目に見えるから。私に、ただ傍にいてほしいだけだって、本当にそれだけだって、分かるから。嘘に気づけなくて恥ずかしい思いをすることもないから」
(…「恥ずかしい」……)
ぴいたんの発した、たったひとつの単語が、硫黄に刺さった。やっぱりか、と。自分のせいだったのだと。
(…そうだ、結果的にでも燐の気持ちを無視してたのはオレのほうだ……。超特大ブーメランだったな……)
「今だって、私が操られてるフリをしてたんだって知っても怒ってないことが、ちゃんと分かるし……。
操ってると思い込んでたから、私は人形と同じだったんだろうけど、本当の気持ちを話してもらえて嬉しかった。嘘偽りの無い心で優しく抱きしめられて、私ね、アイスの冷たい温もりを好きになったの」
そこまでで一旦、ぴいたんは言葉を切り、笑みを消して、アイスの目の更に奥の奥のほうを見つめる。
「だから、これ以上アイスに傷ついてほしくなくて……。…私が操られてないって知ったら、今までみたいに本当の気持ちで接してくれなくなるんじゃないかって思うと怖かったけど、そんなことより……。
大好きなお父さんが敵のはずの人たちと一緒になって自分の命を奪おうなんて考えてるって知って、裏切られたみたいで辛かったよね? でもね、それが辛いのは、アイスがお父さんのこと、やっぱり好きだからだよ?
お父さんが不便な姿で苦痛に耐えながらしか生きられない世界なんて間違ってる。だから自分が、この世界を壊してやるんだ、って。そのために家出もして……。お父さんの傍にいると、そんなの、お父さんが全力で止めるに決まってるから、って。
全部がお父さんから始まって、お父さんでいっぱいなのに……。
ねえ、これ以上、自分を追いつめないで……。傷つかないで……。…もう、やめ……」
アイスは感極まったふう、ガバッと勢いよく強く強く抱きしめることで、ぴいたんの言葉を遮り、髪に頬を埋めて、
「…わかった。そうしよう……。…すまない。本当に、すまなかった……。
……ありがとう」
涙声。
(…燐……。目の前にいるのに……)
そう、ぴいたんは実際には、ほんの2・3歩、歩いて腕を伸ばせば届く距離にいるのだが、硫黄には、
(たった何日かの間に、随分遠くに行っちゃったんだな……)
何故か果てしなく遠くに感じられ、立ち尽くした。
置いてけぼりをくったような単純な寂しさに、アイスに対しての謎の敗北感と少しの嫉妬。……そんなものが、生温かい風と共にぬるりと心を吹き抜けていく。
倦怠感、脱力感……。そっとしておいてほしい気持ちになっていた。
が、
「おっちゃん! 今の話、聞いただかっ? 」
コメコの、自分が中にいるために姿の見えない相手に話すべく張り上げた、よく通る声が、硫黄に話しかけているワケでもないのに問答無用で耳から入って来て頭の中を掻きまわす。
「あの女……おっちゃんの娘のアイス姉ちゃんが町や村を襲ったのは、おっちゃんを自由にしてやりたかったからだっただ! やっぱり、おっちゃんの娘だな! 優しいだなっ!
家出したのも、おっちゃんが厳しくしたから嫌になったとかでねぐて、ちゃんと、そこに愛を感じてただ!
おっちゃんの言ってた『幼い娘たちと暮らした優しい夢』って毎日は、アイス姉ちゃんにとっても、きっと、宝物だっただ! 」
苛立ちを感じるも、それが間違いであると分かっているため、軽く息を吐いて散らす硫黄。
そこへ、
「ちょっとだけ、いいかな? 」
アモーバの声。
条件反射で目をやれば、アモーバの体が、中にいた皆をその場に残し、上に向かって細長い形に伸びていくところだった。
伸びていきながら人のような形に変わっていき、3階建て住宅くらい……10メートルほどの高さまで伸びて止まった時には、完全な人型。白の短髪、石膏像のような白くなめらかな肌にシンプルな白いカットソーとパンツを身に着けた、マロンやアイスによく似た顔立ち、外見年齢30歳くらい、男性の体格をした姿となった。
直後、その巨体は形を変えないままスッと縮み、マロン・アイスより少し大きいだけに。
裸足でヒタヒタとアイスのほうへ歩いて行くアモーバ。
アモーバが自分のほうへ来ていることに気づいたアイスは、ぴいたんを離し、自分の後ろに隠す。
アモーバはアイスの正面で足を止めた。
対峙する2人。空気がピンと緊張する。
暫しの後、バチィーンッ!
洞窟内に派手な音を響き渡らせて、アモーバがアイスの頬を張った。
地面に叩き落されたように倒れるアイス。
首から上がもげてしまいそうなくらいに強烈なビンタに、
(…うわ……。痛い……)
硫黄は、それまでぴいたんに関連してアイスに対して抱いていたモヤッとした気持ちをすっかり忘れ、見ていられず目を背ける。
背けた先でぴいたんが動いたのにつられ、結果的にすぐ戻すことになったが……。
ぴいたんが両腕を大きく広げて、アイスを背に庇う形でアモーバとの間に割り込んだのだ。
(燐……! 何をやって……! )
慌てて、足を踏み出す硫黄。
(危険だと思ったから、アイスは後ろにやったワケで……! それをワザワザ……! )
やはり怖いのだろう、アモーバを真っ直ぐに見据えるぴいたんは、震えている。
硫黄がぴいたんの所へ行くより、またアイスのほうが早く、立ち上がり、ぴいたんの両肩にそっと手を添えて、アモーバの前から退かした。
アモーバに向き直るアイス。
「父さん。覚悟は出来てる。殺してくれ。
子供の頃にそうだったように殺した数だけ殴られたら、普通に死ぬくらい、それでも釣りがくるくらい、この1日で、私は多くを殺した。
結局中途半端に終わることになるが世界を壊すと決めて、ここを出て行った時には、既に済ませていた覚悟だ。
もとより、生まれてなどこないほうがよかった命だろうし」
そして、ぴいたんに視線を移し、引き寄せて、身を屈め額にキスをしてから、穏やかに目を覗き、
「君は、君のいるべき所へお帰り。
知っているよ。妖精王の末裔の仲間の魔法少女。彼女は君の姉さんだね? 」
言って、
「さあ、お行き」
硫黄のほうへと、優しく背を押す。
「嫌だ……! 」
ぴいたんは足を踏ん張って抵抗。
「アイス、死なないで……! 」
頭だけでアイスを振り返りながら、
「家族のとこへ帰れって、アイスが本心からそう言うなら、それは、そうするけど……。死んじゃ、嫌だ……! 」
と、ぴいたんは自ら押されるままの方向へと1歩進み、アイスの手を外しざま体の向きを変え、追って伸ばされた手もかわして、再びアモーバの前へ。
「おじさん! 」
正面から取り縋り、
「お願いです! アイスを殺さないで下さい! それがダメなら、私も一緒に殺して下さい! 」
(燐っ? )
「アイスのしようとしていることを知っていて止めなかった私も、同罪ですから!」
無言で徐にアモーバが動く。
(……! )
止めるべく動こうとした硫黄だったが、アモーバは、ぴいたんに一切の危害を加えることなく、ただ押し退け、アイスへと両の腕を伸ばし、静かに、恐る恐るともとれるくらい遠慮がちに、抱きしめた。
瞠目するアイス。
アモーバ、
「生まれてこないほうがよかった命だなんて、思ったこと無いよ。
……生まれてきてくれて、良かった」
沈黙が流れる。
ややして、アイスは目を伏せ、アモーバの肩に頭を預けて、
「…それ、ずっと聞きたかった……」
小さな小さな声。
アモーバは誠実に聞き取ってから、
「…うん……。ゴメン……。勇気が無かった…‥。
この世界を、自分の命さえも呪って恨んでいるように見えるキミに、生み出した張本人であるボクがそれを言って、生み出されて迷惑していると言われてしまうのが怖くて……。言えなかった……」
両腕に力を込めて、しっかりと包み、ひと言ひと言、丁寧に紡いでいく。
「だけど今、家族以外にもキミを愛してくれている人がいるのを知って、キミもその人のことを愛してるんだって確認出来て、やっと言えたよ。
…生まれてきてくれて、ありがとう……」