第21話「スライムのおっちゃん」
一面真っ白な雪に覆われた大地が東側斜め45度からの太陽光を反射している。
ナマハゲのような例の服装をした先頭を行くコメコに続いて、眩しさに沁みる目を細め歩を進める硫黄とクルミ。
もちろん踏み固めた土やなんらかの舗装の施された道路に比べれば歩きにくいが、コメコの隣家の中年女性が貸してくれた、靴の下に取り付ける木と縄で作られたカンジキという装備のおかげで、雪に足をとられることなく歩けている。
ただ、
(……)
硫黄は、遠くに小さく霞んでさえ見える山を見、溜息をついた。
その山の麓の洞窟が目的地「スライムのおっちゃん」の住んでいる場所。
距離的には徒歩10時間ほどで、朝に出発すれば夕方に到着できる、歩くことに慣れた今となっては何でもない距離なのだが、目的地が、明らかに遠くにある形で見えてしまうと、どうしても気が遠くなる。
(……? 今、何か…… )
遠くに向けていた視線と意識を、硫黄は、手前で何かが動いた気がしたため戻そうとした。
瞬間、
「っ! 」
ほぼ真下から高速で何かが飛んで来た。
避ける間も無く、何かは顎を直撃。
軽くヨロける硫黄。
大した痛みは無いが条件反射で顎を押さえつつ、その何かを目で追う。
硫黄のすぐ足下に着地した何かは、純白まふまふな毛並みをした体長10センチメートルほどの小さな小さなウサギ。スノーラビット(LV85)だ。
スノーラビットの周囲が、モコモコ動く。
(っ? )
いつの間にか、足下が無数のスノーラビットで埋め尽くされていた。
気付いた直後、
「っ!!! 」
小学6年生の時の運動会で1年生の玉入れのカゴを支える係になった時のような状況になった。
一撃一撃はどうということは無いが、とにかく動きが速く数も多いため身動きが取れない。
目だけで確認すると、クルミとコメコも同じ状況だった。
「エスリンさん! コメコさん! 」
スノーラビットからの攻撃を連続で受けながらの、クルミからの声が掛かる。
「3秒間ほど目を閉じていて下さい! 」
(目を……? )
理由等一切分からないまま言われるまま、目を閉じる硫黄。
それをちゃんと待って確認したようなタイミングで、
「フラッシュ! 」
クルミの声。
ほぼ同時、光が閃いたのを瞼の上から感じた。
2秒ほどして、
「もう開けて大丈夫です」
との声に目を開けると、もともと雪と太陽光でかなり明るかったのが、ほとんど周囲が見えないくらいの光に満ちていた。
それでもほんの少しの時間の経過と共に確実に明るさが落ちているので、一瞬前、目を閉じているよう言われていた間に、非常に強烈な光が放たれたのだろうと推測できる。
目が慣れてきたのと光が弱くなってきていることで、周りの様子が何となく見えてきた。
スノーラビットたちが、光に目が眩んだのだろう、動きを停止している。
そこへ、コメコが抜刀ざま、進行方向を中心に180度、水平に振り抜いた。
体が小さく体重も軽いスノーラビットたちは、その大多数がコメコの刃に触れることすらなく風圧で飛ばされ、道が空く。
追撃しようとしたコメコを、
「通れるようになったんだから、もういいよ。行こう」
と硫黄が制し、一行は先へ。
*
コメコの隣家の女性が持たせてくれた弁当で昼食を済ませ、再び歩き始めて小1時間。
その幹や枝、葉の一本一本に至るまで丁寧に雪でコーティングしたような美しい白銀の針葉樹林を抜けたところで、
(……? )
進路に、不自然に全く雪の積もっていない小さな山が現れた。
何故この山だけ雪が積もっていないのだろうと思いながら、山を正面に歩を進める硫黄。
斜め前で、コメコも首を傾げる。
「こんな所さ山なんて……? 」
林から出た時点では山は少し遠くにあるように見えたのだが、コメコが言い終わった時には、もう目の前。
間近で見ると、ごく一般的な山、というのとは違った。ススキのような細長い葉の枯れて乾燥しきったものを無造作に山積みにしてあるような……。
と、山と目が合う。
(…目……? )
刹那、山は長い鼻を振り上げてファオーンと高く鳴き、巨木の如く太い4本の脚で立ち上がった。
毛を生やして牙を立派にした超巨大な象のような生物。
(…魔物、なのか……? )
山だと思い込んでいたため、小さめ、と感じたが、魔物でこのサイズは大きい。トフィー村からスフレ村へと向かう途中に遭遇したラティメリアよりも大きいかも知れない。
驚き思わず立ち尽くす硫黄の隣で、クルミは声を潜め、
「マンモスです。遥か昔に絶滅したはずの魔物なのですが……。これもアモーバの封印が解けた影響なのでしょう」
(本来いないはずの魔物……? じゃあ、この間のラティメリアも、アモーバの影響……? 現存する魔物を凶暴化させるだけじゃなくて……。すごいな、アモーバ……)
クルミは変わらず小さな声で続ける。
「逃げましょう。刺激しないように、そっと。いくらエスリンさんやコメコさんが強いと言っても、この人数で太刀打ち出来る相手ではないので」
硫黄は頷き、ちょっと前までの硫黄と同じように立ち尽くしマンモスを見上げている斜め前のコメコに、声を掛けようとした。
しかし、一瞬早く、コメコは抜刀。大声を張り上げ、
「かまいた……」
慌ててコメコの口に飛びつき塞ぐ硫黄。空いているほうの手で大剣も押さえる。
だが、時既に遅し。
マンモスの長くいかにも屈強な鼻が、硫黄たち3人を目掛けて飛んできた。
咄嗟にクルミ、
「プロテクティブドーム! 」
無色透明のドームが3人を覆う。
おかげで直撃は免れたが、
(っ! )
一同はドームごと宙へと飛ばされた。
(ぶつかるっ! )
硫黄たちを包んだドームは考えられないほど高速で飛び、飛ばされてから数秒後、ほぼ垂直の崖が目前に迫っていた。
硫黄は固まる。
が、ポムッ。
絶壁にぶつかったドームはゴムまりのように弾み、水平方向への勢いを殺されて落下。崖と森の間の木の無い場所の深雪に受け止められた。
クルミが、ごくごく普通にドームを解く。
その様子に硫黄、
(…平気だって分かってたんだったら、言っといてよ……)
大きく息を吐き、へたり込んだ。
「大丈夫ですか? 」
クルミは心配げに硫黄を覗き込む。
コメコは興奮気味。
「なんか今の、楽しかっただなっ! 」
硫黄は、もうひとつ溜息。
「それに」
コメコは興奮を引きずったまま続ける。
「得しただ」
(…得……? )
硫黄の無言の問いに頷いてから、コメコは崖のすぐのところまで近づき、それから崖づたいに右手方向へ歩き出す。
ついて行く硫黄とクルミ。
コメコは、ややして足を止め、崖にポッカリ開いた幅・高さともに2メートルほどの大きな穴を指し、
「ここが、スライムのおっちゃんさ住んでる洞窟だ。マンモスのおかげで早く着いただ」
(…ここが……)
早速中へ入って行くコメコに続いて数歩、
(……? )
クルミがついて来ていないことに気づき、硫黄は立ち止まり、振り返る。
クルミは入口で周囲を見回していた。
「クルミさん? どうしたの? 」
硫黄の問いに、クルミ、
「あ、いえ……。記憶違いかも知れません……」
答えになっていない返答をし、入って来た。
洞窟特有の湿気。感じないが外よりは暖かいらしくピチャピチャいう足下。当然、雪は無いので、カンジキを外して進む。
歩きやすい。濡れてはいるが、人工の物のように凹凸無く、そして、しっかりと固い。壁も天井も同じで、まるで本当に人工のトンネルのよう。
明かりは必要無かった。入口からの光が届かなくなる前に、微妙にカーブしているため奥のほうは見えないが、そこにあるらしい光は届き始め、その明るさで充分歩けた。
洞窟に入ってほんの数分。
「おっちゃん! 来ただよ! 」
コメコが駆け出す。
今の硫黄の位置からは見えないが、カーブの先に「スライムのおっちゃん」がいるのだろう。
「今日はな、おっちゃんにお願いさあって来ただ」
親しげに話し掛けるコメコの声が聞こえる。
カーブを、曲がる、というほどではなく通過すると、開けた場所。これまで進んで来た洞窟と同じ壁に囲われているが天井も高く、いや、そこそこの高さまである壁の上に天井は無く、そこから光が降り注いでいた。
光の注ぐ先、洞窟の最奥に、光を受けてパールのように優しく白く輝く丸みのあるゼリー状の物体。
その手前に立ち頻りに話すコメコの声に合わせて表面がプルプル震動する以外は全く動かない、あれが、スライムのおっちゃんなのだろうか?
大きい。手前にいるコメコを基準にすると、高さはコメコ2人分。縦10人×横10人=100人分。つまり200人分といったところだ。
硫黄とクルミがその場に来たことを目の端で認めたようで、コメコは振り返り、まずはゼリー状の物体に向けて、
「おっちゃん、この2人がエスリン姉ちゃんとクルミ姉ちゃんだ」
続けて硫黄とクルミ向けに、
「姉ちゃんたち、これがスライムのおっちゃん」
やはり、ゼリー状の物体がスライムのおっちゃんだった。
紹介されたのを受けて前へ出ようとする硫黄。
それを、
(っ? )
クルミがいきなり、隣から硫黄の胸の前へと腕を突き出し、止めた。
「クルミさん……? 」
「…記憶違いでは、ありませんでした……」
いつになく低く呟くクルミ。
「あれは、アモーバです」
(アモーバっ? ……って、魔物が凶暴化する原因のっ? オレが人間の世界へ帰るために倒すか封印するかしないといけない、あのアモーバっ? )
「一旦、出ましょう」
言って、クルミは踵を返す。
急な展開に動揺する硫黄。クルミの声に微かな震えがあるのを聞き取り、努めて冷静にあろうとしているのだと知って逆に頼みに感じ、ただ従う。
「姉ちゃんたちっ? どうしただかっ? 」
洞窟を戻ろうとする硫黄とクルミの背後から、コメコが驚いたように声を掛けた。
その時、
「待って下さい。クルミ……」
どこからともなく、女性の優しい声。
一瞬、金色の光がキラキラと横切り、視界を奪う。
「クルミ……」
再び、女性の優しい声。
視界が戻った時、硫黄たちの前に、ギリシャ神話の神を思わせる衣装を纏った金色ソバージュヘアで色白長身の美しい女性が立っていた。
モンブラン神殿の女神・マロンだ。
(…マロン、様……? )




