第20話「春よこい」
「……」
「……」
「……」
夜中、コメコ宅の囲炉裏脇の筵の上で、硫黄は目を覚ました。
氷づけになった仲間・クランは今も四次元バッグの中に入って一緒にいると話すと、明朝に早速「スライムのおっちゃん」のもとへ案内してくれることになり、硫黄と、隣家の中年女性が帰って程なくして目を覚ましたクルミは、そのままコメコの家に泊まったのだった。
(…話し声……? )
頭だけを僅かに動かして声のほうへ目をやると、囲炉裏を挟んで向かい側にコメコが座り、俯いて、何かを掬うような形に上に向けた両掌に視線を落としていた。
その手の中は、ほんのり桜色に光っている。
「…絶対に、助けてやるだ……。もうちょっとの間、辛抱してくんろ……」
表情は、優しく悲しげ。
と、不意にコメコと目が合った。
「すまねえ。起こしちまったか……」
「いや」
起き上がる硫黄。光が気になるので、視線はコメコの手。
硫黄の視線を追い、自分の手に辿り着いて、コメコ、手の中が硫黄に見えるよう傾けて見せる。
そこには、小さな小さなガラスの瓶。細い紐でコメコの首と繋がっており、中身は、ガス状と思われる微かに発光している桜色のもの。
「オラの友達のサクラだ。春さ来ないせいで、すっかり弱っちまっただ」
「それはスライムのおっちゃんには治せないの? 」
「オラもそう思って聞いてみただ。けど、無理だって。
おっちゃんは、あの女の直接したことなら何でも治せるけど、間接的なのは治せないらしいだ。サクラが弱ってるのは冬が続いてるからで、あの女に何かされたワケじゃねえしな」
(「何でも」って言いきれるってスゴイな……。おっちゃん、何者……?
スライムって、SFFの魔物としては聞いたこと無いけど……)
「それに、おっちゃんが言うには、この辺りが今、冬が続いてるのは、確かにあの女がいるせいだけど、あの女の周りが冬になることは、あの女にもどうすることも出来ないんだって」
(…それって……。あのアイスって奴、実はすごく可哀想な奴なんじゃ……? 自分じゃどうしようもないことで嫌われて……)
「だから出て行ってもらうしかねえだ! 」
(…とか言われるし……。大体、あの強そうなアイスに嫌がらせなんて、このコメコって子だって危険だろうし、ここは発想の転換で、この子がサクラさんを連れて、どこか暖かい所へ行くんじゃダメなのかな……? )
先程も感じた嫌悪に近い違和感がぶり返し、硫黄は自分自身に途惑う。
(親切にしてもらってるのに……。雪崩から助けてもらって、クランさんの氷を溶かすために動いてくれる約束も……。
何かきっと……。何かが、すごく気に入らないんだろうな……)
突然、カンカンカンカンカンカンッ!
外から、けたたましい鐘の音。
その音に反応してクルミが目を擦りながら起き上がり、特に頭を介していない様子で枕元の眼鏡をかけた。
コメコはサクラの瓶を胸元へと仕舞い、一度、目を伏せ、祈るように愛おしむように上から手で押さえてから、勢いよく立ち上がって、障子へ早歩き。
障子を開け放ち、入口の戸の手前の壁に掛けてあった仮面と藁のマントを引っ掴んで素早く身に着け、戸の横に立て掛けてあった出刃包丁形の大剣を背に差しながら、外へ出て行く。
(……? )
硫黄が外を覗きに行くと、そこには、もう、コメコの姿は無かった。
大きな月に照らされた雪の上を、村の人と思われる人たちが数人、皆同じ方向へと小走りで向かっている。
(…何だろ……? )
硫黄も外へ出た。
村の人たちの後をついて行くと、村全体を囲っているものと思われる高めの塀の上に、コメコが仁王立ちし、外を見据えていた。
塀の下、内側には、村の人たちが20名ほど。
その一番後ろに硫黄がついて数分、
「どうされたんですか? 」
息をきらしながらクルミがやって来、硫黄の隣へ。
(どう、されたんだろう……? )
見て来よう、と、硫黄は村の人たちの間を縫って塀まで行き、よじ登って、その上部から顔を出した。
クルミも続く。
コメコの視線は左手方向。
そちらを向いた硫黄の目に入ったのは、雪が舞い上がって煙のようになっている様。
移動して来、すぐの所まで迫っていた。
煙に包まれ、白い毛を持つ狼の姿をした魔物・スノーウルフ(LV88)10体。ババ内・スーパーモンブランの北~北東の雪深い地域に生息する魔物だ。
スノーウルフの群れが村の塀の端の位置へ差し掛かったところで、コメコ、チラリと村の人たちのほうを振り返り、短く、
「皆は、このまま、そこにいるだ」
言うと、スノーウルフたちのほうへ体の向きを変えつつ、塀の外側へと飛び降りざま抜刀。大きく振り被った姿勢。着地しながら、
「かまいたち! 」
まだスノーウルフたちへは刃の届かない距離で、振り下ろした。
村の周囲にはアイスの城の近くほどの積雪は無かったが、切っ先から出現した、コメコの身長ほどもあるブーメラン形の空気が縦方向に回転しながら高速でスノーウルフへ向かって行くのが、雪によって可視化されている。
硫黄は驚いた。
(…どうして攻撃なんて……っ? 放っておけば、アイツら、かなりの確率で、村の横を通り過ぎて行くだけだったと思うんだけど……っ! )
などと思っているうちに、ズザッ……!
空気のブーメランが最前列の2体のうち右側の個体を両断して赤く色を変え、その後ろに続いて駆けていた個体に深々と刺さり、形を失った。
急ブレーキをかけるスノーウルフの一団。
鮮血に染まった白い大地を踏みしめ、低く唸って、コメコを正面から睨む。
大剣を構え直し、睨み返すコメコ。
瞬間、地面を蹴り、一斉にコメコに飛びかかるスノーウルフ。
(いくら、この子が強いって言ったって、この数をひとりじゃ……! )
SFFの中に入ってしまってからスノーウルフと戦ったことは無いが、レベルから考えて、と。
慌てて塀を乗り越え、外側へ下りる硫黄。
同時、
「プロテクティブウォール! 」
塀の上から右手を伸ばし、クルミが唱えた。
スノーウルフたちは、コメコの前に出現した無色透明の壁に間髪入れずに次々と勢いよくぶち当たり、怯む。
その隙に硫黄はコメコの隣へ移動。胸の飾りをステッキに変えて高く掲げ、塀から出ているクルミの手を巻き込まないよう調節しつつ、
「マジカルヘビーQハートシャワー! 」
それでもスノーウルフの頭上は完全に覆うように、ピンクの雲を発生させた。
スノーウルフたちへと降り注ぐ、凶暴なハートの雨。一頻り降ったところで、すぐさま、
「エクスプロージョン! 」
ドンッ! 震動を伴う爆音とともに舞い上がった土と雪が視界を奪う。
目を凝らす硫黄。蠢く影が見えた。
「コメコ、オレが合図したら薙ぎ払って」
コメコに指示を出し頷くのを確認してから、硫黄、クルミを仰ぎ、
「クルミさん! プロテクティブウォール解除! 」
「承知しました! 」
クルミが手を下ろし、透明の壁が消える。
「コメコ! 」
「わがた! 」
コメコが大剣を水平に構えたところへ、視界クリアな範囲へ飛び出して来たスノーウルフ5体。
横一閃。
崩れ落ちるスノーウルフたち。
辺りは静けさに包まれた。
硫黄はステッキを構えて様子を窺う。
ゆっくりと落ち着いていく視界。
完全に落ち着いた時、白い色だったはずの地面に、白はほぼ無い。
土の茶色と朱殷の肉片、もともとは白かったスノーウルフたちの毛の赤色だけが、やけに鮮やかだった。
コメコが興奮気味に、
「姉ちゃんたち、強いだなっ! 」
硫黄は吐き気と目眩が止まらない。
これまでの中で、最も強い吐き気と目眩。
立っていられず、しゃがみ込む。
原因は分かりきっていた。
無駄に殺してしまった、と。
「どうしただ? 」
心配げに、コメコが硫黄の顔を覗く。
硫黄は大きく息を吐き、吐き気を散らしてから、
「どうして、何もしてないスノーウルフに攻撃なんてしたの? 」
責めているワケではない。単純な疑問。
ゲームとしてプレイしていた時には、レベル上げ他、Sやアイテムを手に入れるためなどで、硫黄自身も先制攻撃をしていた……と言うか、それが当たり前のことだった。魔物を見かけたら、とりあえず攻撃することが……。
今は、命を奪っているのだという実感がハンパないため、出来るだけ戦いたくないと考えているが……。幸い、ゲームだった頃の蓄えが充分あり、金には困っていないので……。
そのため、コメコにも、攻撃をする利点があったのでは、と。
明日、行動を共にする予定の相手に、悪い印象を持っていたくなかったから。
しかし、コメコは責められたと感じたのか、暗く、少し怒ったような口調で返す。
「オラが攻撃した時には何もしてなくても、そのままにしといたら、してたかもしれねえだ。しなかった保証があるだか? 」
「この村の塀には結界が張られてないの? 」
「張られてるだよ。けんど9日か10日くれえ前に、カヌレ村だったか、魔物に結界さ破られて襲われたって聞いただ」
(うん、確かにあった。オレ、その場にいたし)
「国から優遇されてるSFF内の村だから、襲われても、空間移動装置なんてあって避難がスムーズだし、それで物的損害が出ても、国の負担で、すぐに復旧してもらえるけんど、この村じゃ、そうはいかない。襲われてからじゃ遅いだ」
硫黄の胸に、三たび、嫌悪に近い違和感。
(…この感じ……。アイスを追い出しに村の人全員で出掛けて行った話を聞いた時と同じだ……)
3度も繰り返し、硫黄は、やっと分かった気がした。
過剰な反応なのが気に入らないのだ、と。
コメコも村の人たちも、聞いた分には、アイスから特に何もされていない。
氷づけについては、正当かどうかはともかく防衛のための反応であったと容易に想像がつく。
(けど、事情も合せて聞くと……)
コメコはカヌレ村のことを、SFF内だから国から優遇されている村、と言った。
自分たちの村は違うと。だから襲われてからでは遅いのだと……。
(守らなきゃいけないんだ……。臆病になって、当然だよな……。
どこの世界にも、あるんだな。こういう格差……)
そのせいで、クランさんを固めてるアイスの氷みたいに厚く冷たくガチガチに心を固めて……。…いつか、望みどおりにアイスをあの場所から追い出せて、春がやって来たとしても、心の氷は溶けないままなんだろうな……。SFF内と外での格差が無くならない限り……。溶ける日が、そんな春が、来るといいのにな……。
そんなことを思った。
(見ず知らずのオレやクルミさんを雪崩から救い出しただけじゃなくて、その後も親切にしてくれてる、本当は優しくて温かな人たちなんだから……)