第17話「モンブラン神殿の女神と氷柱花」
ほぼ土と岩ばかりの山頂付近。
急傾斜の上から硫黄とクランを見下ろすように、キンググリズリー3体が行く手を阻んだ。
硫黄の隣で、
「グラウンドアタック! 」
叫びながら、クランが地面に自身の剣を突き立てた。
剣を中心に赤い稲妻が閃き、ゴゴゴ……と地鳴り。
土柱がキンググリズリーに襲い掛かり高く持ち上げて弄ぶ。
(…スゴイ……! クランさんの新技……っ? )
ややして剣を引き抜くクラン。酷く消耗した様子で、その場に崩れる。
(クランさんっ? )
硫黄はクランを覗き込む。
土柱がフッと消え、高い位置から地面へと叩きつけられるキンググリズリー。
多数の裂傷による出血と打撲による腫れのため惨たらしい姿となったキンググリズリーたちから意識的に目を背けつつも、注意はきちんとそちらへ向いていたので、うち1体が、なお立ち上がってこようとしていることに気付き、硫黄、
「マジカルピュアハート・エクスプロージョン! 」
とどめを刺してから、実に久し振りに吐き気と目眩に襲われ、しゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか? 」
今度はクランが心配げに硫黄を覗き込む。
大丈夫、と返し、たった今見たクランの技について、初めてみた、と言うと、クランは、えっ? となり、
「初めてではないですよ? 前回の戦闘でも使用しましたし。使用待機時間が長い上に体力もかなり必要なので乱発は出来ませんが」
(…ああ、そうか……)
硫黄は納得した。
今の戦闘は、ソルトが去ってから初めての戦闘。頭の中に靄がかかっている間に、遠くのことのように見ていただけなため、初めて見た気になっていたのだ。
吐き気と目眩についても、これまで戦闘の度に程度は違えど、ほぼ必ず感じていたそれが、久し振りだったのも、そのためだと。
ソルトが、目を覚まさせてくれた。
ソルトの顔が脳裏に浮かび、続いて、最後に見た後ろ姿。
硫黄の胸が、キュッとなった。
*
傾斜を登りきると、そこは、それまでの傾斜地と同じく土と岩ばかりの、開けた場所だった。
50メートルほど先、正面に、白っぽい石で造られた、イメージ的に古代ギリシャの神殿を思わせる建物。
ゲーム内で、この景色は見たことがあるが、硫黄は、これより先へは1歩も進んだことが無い。
1歩進むと画面が切り替わり、女神・マロン様が現れて、クリアとなってしまうためだ。
クランが先に立ち、1歩。マロンは現れない。
神殿へと向かって歩くクランの斜め後ろに従って歩く硫黄。
マロンは現れないまま、建物に到着。
中央部に膨らみのある特徴的な円柱の間を通り、アーチ型の入口の内側に吊るされた白の光沢のある厚手のカーテンの前で、一旦、クランは足を止め、
「クラン・ベリーです。件の人間族をお連れ致しました」
言って、カーテンを手で寄せ、通れるように開けて硫黄を振り返る。
「どうぞ」
言われるまま入り、続いてクランも入って来た、そこは、広い部屋で、大きめの机が適度に間隔を空けて12台置かれ、数人のプレイヤーが1人につき1台の机を使用して上に写真を広げている。
(ああ、アルバム作りか……)
机と机の間を歩きながらプレイヤーに声を掛けて回っていた、ギリシャ神話の神を思わせる衣装を着た長身で色白の美しい女性が、足を止めて、金色ソバージュヘアを揺らして振り返り、薄茶色の瞳でこちらを見た。
無言だが、柔らかく温かな雰囲気。
(マロン様……)
そう、以前見た夢の中のマロンは硫黄の母と同じくらいの身長だったが、おそらく本来は、人間の世界での硫黄と同じくらいか少し大きいかくらいのサイズ感。
マロンは、硫黄たちの入って来た入口とは机の列を挟んで真向かいの、同じくアーチ型をした出入口を指す。
クランも無言で頷いて、小さく硫黄に、
「行きましょう」
マロンの示した出入口は、白のレースカーテンで仕切られていた。
そこを、
「お疲れ様です」
言いながらくぐるクラン。
続いて入ると、マカロンタウンオフィスの観光庁の部屋とインテリアの種類や配置などがほぼ同じ部屋。
「お待ちしておりました」
茶色のストレートヘアを顎の位置で切り揃え、焦げ茶色のパンツスーツをピシッと着こなした、眼鏡の似合う理知的な20歳くらいの女性が出迎えてくれ、
「秘書官のクルミと申します」
自己紹介をしつつ、手振りで部屋中央のソファを勧めた。
硫黄も、エスリンです、と自己紹介を返しながら、ありがとうございます、と、クランと並んでソファに腰掛ける。
クルミの淹れてくれた紅茶をいただきながら、待つこと数分。
「お待たせいたしました。長官のマロンです」
マロンが部屋に入って来、ソファを通り過ぎて入口正面のドッシリとした机の向こうの、しっかりとした椅子に落ち着いて、では早速ですが、と話し始める。
「クラン・ベリーから、こちらへ向かって出発する前夜に、大凡の話は伺っております。
本来は当SFFの在るスウィーツランドとは別の世界からアバターと呼ばれる傀儡を操ることでSFFをお楽しみいただくところを、傀儡ではなくご自身が意に反してSFFの中へ入ってしまい、帰り方が分からないため助けてほしい、とのご用件で間違いございませんか? 」
頷く硫黄。
「SFFでのお名前はエスリンさん。別の世界……人間族の皆様の住まわれている人間の世界でのお名前は、洋瀬硫黄さん」
と、マロンがそこまで口にしたところで、
「えっ? 」
クルミが非常に驚いたように声を上げ、同時、カシャンッ! マロンのために淹れた飲み物と思われる、運んでいる最中だったカップが手を離れ床へ。割れて中身が飛び散った。
しかし、カップが割れたことや床が汚れたことなど気にする余裕も無いといった勢いで、クルミは硫黄に駆け寄り、ガシッと両肩を掴んできた。
「エスリンさんは、『ようせいおう』さんと仰られるのですかっ? 」
硫黄は面食らいながら、
「…そう、ですけど……」
すると、クルミはパッと硫黄から離れ、ガバッと深く深く頭を下げた。
「ごめんなさいっ! 」
(……? )
「私のせいですっ! 多分っ! 」
(へ……? )
「エスリンさんがスウィーツランドへ来てしまったの、私のせいですっ! 」
全く話が掴めない硫黄。
どうしましょう、どうしましょう、と、狼狽えるクルミ。
(…クルミさんの、せい? …オレが、SFFの中に入っちゃったのが……? )
心の中で繰り返してみて、硫黄は、やっと話を掴み、これはかなり重要な手掛かりであると気付いて、とにかくちゃんと聞きたいと、
「…あの、落ち着いてください。とりあえず……」
立ち上がり、クルミを自分の向かいのソファへと誘導して座らせた。
自分のもともと座っていた位置へ戻ってから、硫黄、
「オレがスウィーツランドへ来てしまったのがクルミさんのせい、というのは、どういうことですか? 」
改めて聞く。
クルミは俯いたまま暫しの沈黙の後、ポツリポツリと話始めた。
「私の、召喚魔法の失敗です」
「召喚魔法? 」
「はい。近頃、魔物が凶暴化していることはご存知かと思いますが、独自に調査しましたところ」
そこまでで一旦、言葉を切り、クルミは、マロンに視線を送った。
マロン、頷く。
クルミ、頷き返し、
「全ての魔物の父とも母とも呼ばれる魔物・アモーバ。かつて妖精王により封印されたその者の封印が解けていることが判明したのです。
そこで、妖精王の霊を召喚し再び封印していただこうと考えたのですが」
そこからは、とても言い辛そうに、
「…召喚魔法に使用する古代文字は、1つの音を意味を持たない記号的な1つの文字で表現するもので……。その、私の召喚しようとしていた『妖精王』も、あなたのお名前『洋瀬硫黄』も、音としては同じ『ようせいおう』となりますので……。
…あの……。…大変申し上げ難いのですが……。
…その……つまり……。…人違い……」
(人違いっ? オレ、人違いで、こんな目に遭ってんのっ? )
「ごめんなさいっ! 」
クルミは再度、ガバッと頭を下げる。
「本当に、申し訳ございませんっ! 魔法陣の中にどなたも現れなかったので、単純に不発という形での失敗であると思っていたのですけど……! 」
小刻みに震えながら頭を下げ続けるその姿が、あまりに痛々しく、
(……)
硫黄は、怒る気になれなかった。
(原因が分かったことだし……)
「帰る方法は、あるの? 」
「あ、はい」
クルミは申し訳なさそうにしながら即答。
「アモーバを倒すか再び封印するか、いずれかが出来れば帰れるはずです」
そこへ、
「ねえ」
これまで黙って話を聞いていたクランが口を開く。
「先日、フィナンシェに妖精王の霊が現れたのだけど、それは秘書官の魔法とは関係無いのかしら? 」
「はい。フィナンシェの妖精王の霊に関しての情報は、こちらへ入って来ていましたが、妖精王自身がハッキリとした目的を持ち、また、既にそれを達成し消えたことから、無関係であると判断致しました」
答えてから、クルミは遠慮がちに、
「…クラン次長が妖精王の末裔であり、妖精王から全てを託されたと聞いておりますが、それは……。…あの、本当でしょうか……? 」
「ええ。事実です」
その時、ククッククク……ッと、急にマロンが笑い出した。
(? )
マロンに目をやる硫黄。
マロンは立ち上がり、バッとクランに右掌を向ける。
瞬間、
(っ! )
クランが、ゴツゴツした岩のような形をした無色透明のガラスのようなものに閉じ込められた。
タイミング的に、明らかにマロンの仕業。
「クランさんっ! 」
触れると、
(っ? )
クランを閉じ込めた無色透明の物体は冷たかった。
(氷っ? )
「クランさん! クランさんっ! 」
名を呼び、氷の中を覗き込む硫黄。
クランは氷柱花のように動かない。
(…どうして、こんなことを……っ? )
マロンに視線を戻すと、いつの間にか、その姿が変化していた。
顔立ちは、目つきが若干鋭くなった程度で、ほとんど変わらないのだが、もともと色白な肌は青みがかって見えるほどに更に白く。瞳の色は青に。金髪ソバージュは銀髪ストレートに。服装はグレーの軍服に。
雰囲気は見た目以上に変わった。冷たく、厳めしい。
マロンは愉快そうに高笑いしながら、動かないクランに、
「そうだ! それを確認したかったのだ! 」
「…あなたは……」
クルミが、ほんの少し前とは似ていても違った意味を持つと思われる震える声を発した。
「あなたは、長官じゃない……! 誰なの……っ? 一体いつから……っ? 本物の長官を、どこへやったの……っ? 」
クルミ曰く本物ではないマロンは、
「無能な豚め」
鼻であしらってから、少し考える素振りを見せ、
「だが、貴様等をこのまま放置しては、面倒なことになるやも知れぬ。共に来てもらうぞ」
言って、腰に差したサーベルを抜き、護拳を中心にグルリと円を描くように回した。
と、白い……雪のようなものが現れ、硫黄とクルミに向かって吹雪の如く吹きつけてきた。
反射的に顔をガードした腕の、衣類の無い部分に当たったそれは冷たく、確かに雪であると認識した直後、硫黄の視界は真っ白になった。