第15話「消えたぴいたん」
SFFにおける最強の魔物・体高は1・5メートルほど、後ろ足だけで立ち上がると実に3メートルを超える大型のクマであるキンググリズリー(LV99)5体に囲まれている硫黄・クラン・ソルト・ぴいたん。
肩で息をしながら、ぴいたんを中心に置いて守りつつ、硫黄・クラン・ソルトは互いの背中も守る形で各々目の前のキンググリズリーと睨み合う。
出くわしたのは、多少のアップダウンはあるものの標高的にはほぼ一定な獣道に、緩やかだが確かに上る方向への傾斜がつき始めた、ババに入って3日目の朝、出発後すぐのことだった。
ここまでは、夜間は休んでいたことを考えれば順調と言えたのだが、もう、かれこれ3時間ほど膠着状態が続き、皆、明らかに疲れている。
この戦闘の序盤で使ったハートシャワーも、使用待機時間が非常に長いにもかかわらず既に使用可能となっていた。
ハートシャワーは硫黄の攻撃魔法の中で最も強い。そして、キンググリズリーもSFF内で最強の魔物。しかも魔物が全体的に強く凶暴になっていると言われている今、5体ものそれに囲まれてしまっていたら普通に考えれば使いどころなのだろうが、硫黄は躊躇していた。
理由は、違和感。
何がどう? と聞かれても、感覚的なものなので説明が難しいが、キンググリズリーが、とにかく何かおかしいのだ。
こちらの攻撃が、当たっているように見えても、効いていない以前にまともに当たっている感じがしない。硫黄の攻撃はもともと手応えを感じにくいタイプではあるけれども、隣でクランも「何だか空気を斬っているようです」と言っていた。
向こうの攻撃も、頭に当たると思った攻撃が腹に当たったり、腹に当たると思った攻撃が向こう脛に当たったり。威力的にも、それなりに強くはあるものの、キンググリズリーのものとしては軽めに思え、調子を狂わされる。そして、動きはやたらと速い。
(…せっかく使っても、まともに当たらないんじゃ……)
そこへ、
「…見えた……! …ああ、でも……」
ソルトが独り言のように言った。
無言の問いをする硫黄。
応えてソルト、
「この戦闘が始まってからずっと、この魔物の名前とレベルが、バグでも起きてたのか酷く掠れて見えなかったんだけど、今、一瞬だけ見えたんだ」
「キンググリズリーじゃないの? 」
違和感はあったものの、キンググリズリーであること自体には疑いを持っていなかったため、硫黄はソルトの答えに驚く。
「画面上でも完全にキンググリズリーだよ。ただ、一瞬だけ見えた名前もレベルも『?(はてな)』って書いてあって、まあ、わざわざそう書くってことは、やっぱりキンググリズリーじゃないんだろうけど」
(…キンググリズリーじゃ、ない……。じゃあ、何なんだろう……? …何だったとしても、もう、とにかく早く倒すか逃げるかしないとマズイよな……)
ステータスバーが無いため、ちゃんとは分からないが、皆、かなり削られている。
向こうの攻撃は高速な上、予測と違う場所へ来るので避け辛く、手数も多いのでよく当たる。キンググリズリーほどの威力は無いとは言え、明らかに回復が間に合っていない。
と、ソルトがぴいたんに聞く。
「プロテクティブドームは使える? 」
頷くぴいたん。
そのやりとりに硫黄は、ソルトが、プロテクティブドームの中に皆で入ったまま移動して逃げることを考えていると理解した。この戦闘の最初にも試み、キンググリズリー(仮)たちが執拗に追って来たため時間切れで失敗に終わったが、再試行かと。
しかし、
「エスリン、ハートシャワーは使える? 」
自分に向けて続けられた言葉に、??? となった。
? なまま頷くと、ソルトは頷き返し、
「先ず、ぴいたんに、この魔物たちも内に入れてギリギリの大きさのプロテクティブドームを張ってもらって、動きの範囲を制限するんだ。それから、エスリンのハートシャワーで、ハートの塊が地面に到達する前に爆発させてもらう。
これは、魔物の動ける範囲を炎で埋め尽くす作戦。
魔物の正体は分からないけど、生物なんだから、かなりの高い確率で火に弱いはずだからね」
説明してから、
「どうかな? 」
同意を求める。
(うん、いいと思う)
頷いて見せる硫黄。
クラン・ぴいたんも頷く。
ぴいたん、じゃあ行きます! と言ってから、
「プロテクティブドーム! 」
無色透明の半球体が、硫黄たち4名と一緒にキンググリズリー(仮)たちも押し込めた。
ぴいたんだけでなく、これから無防備になる予定の硫黄も守り戦うクランとソルト。
(…こんな低い位置にシャワーの雲を発生させるのなんて初めてなんだけど……)
硫黄は少し不安を感じつつステッキを掲げ、
「マジカルヘビーQハートシャワー! 」
雲の発生位置は、掲げたステッキの先端と同じ高さ。
(…で、地面へ到達前に爆発、ってことは……)
ハートの塊が降り注ぎ始めたのを確認後すぐに、
「エクスプロージョン! 」
キンググリズリー(仮)たちを爆炎が包んだ。
ほぼ同時、衝撃に耐えられずドームが壊れる。
刹那、キンググリズリー(仮)の残像はその場に、何かが炎から脱出。咄嗟に目で追うと、毛先の軽く焦げた体長80センチほどで赤錆色をした、太くフサフサした長めの尻尾が特徴的な魔物5体が、近くの木立の中へ逃げ込むところだった。キツネ型の魔物・フォックス(LV91)だ。
(…フォックス……)
その時、ドンッ!
硫黄の背に、何かが激しく衝突した。
撥ね飛ばされて宙を舞う硫黄の体。視界の隅に、体長2メートルほどのイノシシの形をした魔物・ワイルドピッグ(LV89)が映った。
硫黄は、
(…これ、マズいんじゃ……? )
直感的に、そう思った。
(だって、たった今のフォックスとの戦闘で、オレ、相当削られてた……。そこに、この衝撃じゃ、きっとオレのHP……)
これまでの色々な記憶が浮かんでは消える。…プリドラゴンとの戦闘で肉片と血の海にショックを受けたこと。ラムの優しさ、アプリコットの無邪気な笑顔……。…クランとの出会いと、その後に共に旅をする中で彼女を可愛いと思い始めたこと……。…ぴいたんとの再会。ソルトが仲間に加わってくれて心強かったこと……。…ぴいたんが実は妹の燐であったことと同時に知ることとなった、彼女の自分に対する想い……。…クランが妖精王の末裔であると知り、この旅の目的を達成後にするべき新たな目的が出来たこと……。…クランが死んでしまったと思って、本当に怖かったこと……。
そこまで浮かんだところで、硫黄の体は硬い地面に叩きつけられた。
視界が暗転する。
…最後に、優しく暖かな光に包まれた、テーブルの上のパンケーキとコーヒー……。
暫しの後、硫黄の目の前は再び明るくなった。
(……? )
しかし、そこで見えた光景は、非常に不自然なものだった。
硫黄は真上から、地面に横たわる動かないエスリンと、その周りで動揺している様子のクラン・ソルト・ぴいたんを見下ろしていたのだった。
(宙に、浮いてる……? …オレ、死んだ……? )
ぴいたんが泣きそうになりながら、HP回復呪文「リカバリ」を何度も何度も唱えるのを、ソルトは止め、
「僕、ちょっとエスリンの部屋を見に行って来るよ」
言って、離席したのだろう、動かなくなった。
そこへ、真上からの硫黄の視界に、何やら黒いものが弾丸のように真っ直ぐに飛び込んで来、地面の上を勢いよくクランとぴいたんのほうへ突進していく。硫黄を撥ね飛ばしたのと同じ個体かどうかは分からないが、ワイルドピッグ。
クランとぴいたんからは死角となるところからの襲来に、硫黄、
(危ない! )
大急ぎで宙から舞い降りるが、間に合わない。
(燐っ! クランさんっ! )
しようとしてもならないかも知れないが、声にならない叫びを上げる硫黄。
だが聞こえたのか、
「プロテクティブウォール! 」
ワイルドピッグにぶつかられようという本当に寸前、ぴいたんが無色透明の壁を作り出した。
それに鼻先を掬われる形でぶち当たり、もんどりを打って転がったワイルドピッグを、クランが斬り刻む。必要以上に。その表情は、まるで鬼。うるんだ目は真っ赤に充血し、口をキュッと真一文字に結んで。
ぴいたんも、ワイルドピッグのその様を、冷然と見下ろす。
(二人とも、すごく怒ってる……。ワイルドピッグに対して……)
心の中で呟いておいて、硫黄は違和感。
(…怒ってる……? いや、悲しいんだ……。…どうして……? )
どうして? 答えはとうに出ている。
(…オレが、死んだからだ……。…オレ、本当に死んだんだな……)
ワイルドピッグを倒して以降、各々俯き黙り込む、クランとぴいたん。
暫し沈黙が続いた後、
「あっ」
ぴいたんが突然、声を上げ、
「クランさん! 」
名を呼ばれ条件反射で自分のほうを向いたクランに、
「私、すごい魔法を使えるようになったみたいです! 」
言って、地面に横たわっているエスリンの傍らへと歩き、膝をついた。
「早速、試してみますね」
緊張の面持ちで、ぴいたんは両掌をエスリンの胸の前に翳す。
クランも歩み寄って来、エスリンを挟んでぴいたんの向かいに陣取ってしゃがみ、見守った。
ぴいたん、祈るように一度、目を伏せ、
「リバイバ! 」
瞬間、ぴいたんの掌とエスリンの体の隙間で、目を開けていられないほどの光。
硫黄は、
(……っ! )
エスリンの体のほうへと強い力で引っ張られ、吸い込まれるように、その中へと収まった。
目の前が暗い。
自分が目を閉じているために暗いのだと気付いた、エスリンの体の中に戻った硫黄は目を開ける。
一瞬、ぴいたんと目が合った。
ホッとしたような笑みを見せるぴいたん。
直後、ぴいたんの体はフワッと不安定になり、硫黄の胸の上へ倒れ込んだ。
(ぴいたんっ……? )
硫黄は急ぎながらも、そっと、ぴいたんを胸の上から膝の上へ移動させつつ、上半身起き上がる。
「ぴいたん……」
声を掛けるが、ぴいたんの反応は無い。
「ぴいたん……! 」
もう一度、今度は軽く体を揺すってもみるが、やはり反応無し。
(…ぴいたんの唱えた呪文、聞いたことの無い呪文だった……。蘇生呪文か……。いや、オレの置かれてる状況を丸ごと引き受けるような呪文なのか?
…だって、オレが死んでから1時間くらいは経つのに、カヌレ村がプリドラゴンに襲われた時に見た白衣の人たちは一向に来てくれなくて……カヌレ村の時には、入口近くでプレイヤーが倒れてから、白衣の人たちが来るまで、せいぜい30分くらいだったのに……。やっぱ生き返れないんだ、って思ったところへ、ぴいたんが呪文を唱えた途端に、白衣の人も来ないまま、一旦教会へ行くとかもなく、いきなり生き返って……。
本当に、そうだとしたら……。そうだとしたら、ぴいたんは……? ぴいたんは…燐は、オレのせいで……)
と、不安に苛まれる硫黄の、ぴいたんを見つめているために極端に狭くなっている視界に、薄手の白い布がヒラリと揺れて入り込んで来た。
視線を上げると、白衣姿の男性2人。
硫黄に、
「失礼します」
と声を掛けると、実に手際良くぴいたんを担架に乗せ、クランに会釈してから、
「テレポ! 」
現れてから去るまで、ものの数秒。
(…白衣の人が、来てくれた……。ぴいたんは、生き返れるんだ……! )
硫黄は心の底からホッとし、もうとっくに移動している白衣姿の男性たちを見送りつつ立ち上がった。
ふとクランに目をやると、いつからこちらを見ていたのか、視線がぶつかる。その目から、ポロポロと涙を零して……。
(クランさん……)
クランは涙を隠そうとしたのか、フッと顔を背け立ち上がり、
「テレポをご使用になられるぴいたんさんですから、すぐに戻られるでしょう」
その時、再び……硫黄が撥ねられた時を含めると三たび、硫黄の視界の隅に、例の黒い弾丸。今度は、完全に無防備なソルトへと向かって行く。
ワイルドピッグは本当に真っ直ぐにしか進まないため、軌道上、走る速度から予測してタイミングを合わせ、
「マジカルピュアハート」
ステッキで宙にハートを描き、今はまだ何も無い場所へと向けた。
タイミングピッタリ。
高速で移動したハートがワイルドピッグの脇腹を捉えたところで、
「エクスプロージョン! 」
爆発により、吹っ飛んだワイルドピッグ。軌道が変わり、ソルトにぶつかることなく木立の中へ。
(何か、ワイルドピッグ多いな……。…もともと、そういう場所か……)
「エスリン! 」
考え事をしているところに大きな声で呼ばれ、軽くビクッなる硫黄。
呼んだのはソルトだった。
ソルトは硫黄へと走って来るなり、
「ゴメン! 」
頭を下げる。
「僕、油断してた! 君の部屋にいるところを、ぴいたんに見られて……!
それで、『エスリンさんの部屋を見て来る、って言ってたよね? どうして、お兄ちゃんの部屋にいるの? 』『エスリンさんはお兄ちゃんなの? 』って。
何とか誤魔化そうとしたんだけど、ぴいたん、俯いて黙り込んじゃって……。
…そうしたら、白い…雪、みたいなものに包まれて……。…消えちゃったんだ……! 」
(…消えた……っ? )




