表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/31

第9話「本当に特別なヒーロー」


 ぽむっ!

 斬りつけたとは思えないような音と共に長剣が弾かれ、バランスを崩して後方へ倒れそうになったクランを、

(危ないっ! )

硫黄は咄嗟に受け止めた。

 ありがとうございます、と礼をいいながら、硫黄の腕から身を起こすクラン。溜息まじりに、

「埒が明かないですね」

 朝、シュトレンを王都・フィナンシェへ向けて出発。途中、昼食の弁当を食べ、間もなく到着というところで道を塞いだ2体の魔物。

 タフスパロー(LV51)とストロングキャット(LV53)各1体。マカロンタウンとカヌレ村を結ぶ道によく現れるビッグスパローとファットキャットの色違いだが、色が違うだけでレベルが随分と変わってくる。タフスパローはビッグスパローとのレベル差以上にHPが高く、しかも時間の経過によって自動的に回復するので、なかなか倒せないし、ストロングキャットのゴムマリのような体は、とにかく頑丈で、攻撃がほぼ効かない。

 再び剣を構え直してストロングキャットに斬りかかり、また弾かれて体勢を崩したクランを、空中から、タフスパローのクチバシが襲う。

 ガキンッ!

 素早く体を捻り無理な体勢ながら剣でクチバシを受けるクラン。

 一旦距離をとって勢いをつけ、まだ体勢を立て直せていないクランに再度向かって来たタフスパロー。

 硫黄はクランとタフスパローの間に割り込み、ステッキでチョンとタフスパローに触れて、

「マジカルミニハート・エクスプロージョン! 」

 触れた部分にきちんとピンクのハートが浮かび上がっていたのは確認していた。しかし、

「ヒーィ…ック……」

エクスプロージョンと唱えても、タフスパローの見せた反応は、大きめのしゃっくりをしたように体を縦に一度だけ揺らしただけで、後は何事も無かったかのような涼しい顔。

 ゲームでもタフスパローを一撃で倒せたことなど無かったため、強くなっていると言われている今、別に驚きはしないが……。

 分かっていても、それでもやはり、

「ホント、キリが無いな……」

 相手は違えどクランと同じようなことを呟き、溜息をひとつ。

 すぐ隣では、ストロングキャットに乱れ突きを全て、ぽぽぽぽぽむぽぽぽぽっぽぽぽむっと跳ね返されたソルトが溜息をついていた。

 と、ソルトが硫黄を見る。

 目が合い、

(……そうだよな。それしかないか……)

 硫黄は頷いてステッキを掲げ、

「マジカルヘビーQハートシャワー! 」

 仲間の立つ直径3メートルを空けてピンクの雲を発生させ、そこからハートの集中豪雨。

 ハートが地面に到達する寸前で、今度はソルトが、

「パーフェクトトルネード! 」

槍を空へと突き上げる。それによって前方に竜巻が発生。

 竜巻に吸い込まれていくように勢いよく巻き上げられたハートと、鋭利な刃物のような風そのものによる攻撃。

 無数のハートがタフスパローの浮かんでいる高さに特に集中したところを見計らい、硫黄、

「エクスプロージョン! 」

 通常ならばハートが地面に埋まった状態での爆発であるため、土や砂が舞い上がる爆発になるが、今回は空中であることと、ソルトの風も手伝って、炎を伴う非常に派手な爆発となった。

 タフスパローとストロングキャットの姿が爆炎に隠れる。

 ソルトは突き上げていた槍を下ろして、後ろにいるぴいたんを振り返り、

「ぴいたん、エスリンと僕にバフを! 」

 頷き、ぴいたんは、硫黄とソルトそれぞれに片方ずつ手のひらを向ける。

「オフェナプ・ダブル! 」

 攻撃力アップの呪文で、1人に向ける基本形は「オフェナプ」。一時的にステータスを左右する他のほとんどの呪文と全ての回復魔法に共通で、頭に「オール」とつけるとパーティ全体、尾に「ダブル」とつけるとパーティ内の特定の2名への効果となる。

(! )

 硫黄の眉間に、一瞬、何か熱い物が触れた感覚。それは静かに体内に入っていき、全身に伝わっていった。

(体中が、熱い……! )

 爆炎が治まり、そこに現れたのは、元タフスパローと思われる数個の炭の塊と、ドロップした5S。そして、毛が少し焦げて縮れただけで、ほぼ無傷と思われる、ストロングキャット。

 予想出来ていたこと。故の、ソルトからぴいたんへのバフの指示。

 硫黄は、姿勢を低くいっきにストロングキャットとの間合いを詰め、ステッキでチョンと胸の辺りに触れて、

「マジカルミニハート」

唱えざま、その場を離脱。

 ソルトが、

「ツイストドリル! 」

 周囲の空気を巻き込みながら、槍をストロングキャットへ向けて突き出す。

 巻き込まれ工具のドリルビッドのように螺旋を描いた風となった空気が、槍を離れた。

 高速でストロングキャットの胸へと向かったその先端が胸に到達する直前を狙い、

「エクスプロージョン! 」

ミニハートを起爆させる硫黄。

 ストロングキャットの大きな体が、体内部の爆発によって更に大きく膨らんだ、そこを、ツイストドリルが貫く。

 風船のような破裂の仕方をして一旦宙を舞ってからボトボトと地面に落ちてくる肉片を直視しないよう、硫黄は目を背けた。


「さあ、行きましょう」

 言って、歩き出すクラン。

 辺りは、もう薄暗い。

 ソルトは頷いて続き、通り過ぎざまに地面に転がっている5Sとストロングキャットのドロップアイテム「ストロングキャットの爪」を拾いながら、

「今の2体にこれだけ手こずらされるなんて、ちゃんと意識して考えてみると、本当に強くなってるんだね」

「うん」

 今の2体よりも前に現れた魔物たちにも、そこそこ手を焼いてきたこともあり、同調して、硫黄は、この先に不安を覚えた。

(普通に外からゲームとしてプレイしてる時だったら、魔物が強くなってる、この状況は、むしろ歓迎だったんだろうけど……。オレだけじゃなくて、他のプレイヤーの皆も。SFFは魔物が全体的にザコなところだけが残念って言われてるくらいだし……)

 小さく息を吐いてから、先を行く2人について歩き出し、

(……? )

ふと気づいて足を止め、振り向く。

(…ぴいたん……? )

 ぴいたんが、何やら沈んだ様子で立ち尽くしていた。

(…どうしたんだろ……? )

 暫く、少し距離のあるまま窺っていると、視線でも感じたのか、ぴいたんは、ハッとした様子を見せ、歩き出した。




                *



(あらためて見てみると、良い町だな……)

 予定外にとった宿の部屋の窓から、硫黄はひとり、ランタンの灯りにボンヤリと照らされているレンガで統一された風情ある夜の古都の街並みを眺めていた。

 王都・フィナンシェ。SFFをゲームとしてプレイする上で、特に硫黄のような楽しみ方をする者にとっては何があるわけでもない町なので、硫黄はこれまで、ちょっと立ち寄ったことがあるだけだったのだ。

 町の北側の塀の向こうにはスーパーモンブランの麓の樹海・ババが漆黒の翼を広げているのが見える。おそらく昼間に見れば、緑豊かなババの向こうにスーパーモンブランまで望める、夜とはまた違った自然の調和のとれた風景が見られるのだろう。

 シュトレンからフィナンシェまで、予定よりもだいぶ時間がかかった。

 弁当の用意などあったが、それは、シュトレンでの宿が宿泊客限定で提供している弁当が絶品と聞いたクランが食べたがったので、夜のうちに注文しておき、朝の出発時に宿の人から渡されたのを持って出ただけで、予定では昼にはフィナンシェに到着する予定であったため本来は必要の無い物のはずだったのだ。 

 昨晩に地図を見ながらクランの説明を聞き確認した今後の旅程では、今日の昼前にフィナンシェに到着。昼食をとった後、ババに入り、そこから最終目的地スーパーモンブラン山頂まで、出来るだけ安全な場所ポイントで休息をとりつつ5日で行ける予定でいた。

 しかし、シュトレンからフィナンシェまでに予定していた倍近くの時間を要し、その原因が完全に、もともと魔物が強く凶暴になっていることを知っている上でスーパーモンブランまで10日かかると言っていたクランの想像をも超えて強く凶暴になっている魔物のせいであるため、そんな旅程など、もう何の役にも立たないし、新たに旅程を組むことも出来ない。

 硫黄は景色に合わせていた視線のピントを目の前の窓に移し、そこに映る自分を見つめ、

(思ってたより時間がかかっちゃうのは仕方ない……まあ、早く着けるなら、そのほういがいいに決まってるんだけど……。もう、問題はそこじゃなくなってるって言うか……。

 …無事に着けるのかな……? …正直、ソルトとぴいたんがいてくれなかったら、ここまで来るのも難しかった気がする……)

溜息。

 そこへ、部屋の入口のドアが開く音がし、振り返ると、頭にタオルを巻いてバスローブを着、緩い襟元からホコホコと湯気を立ち上らせ全体的に血色の良くなったクランが入って来たところだった。

 手には瓶入りの未開封のコーヒー牛乳。

(…見かけないと思ったら、風呂に入ってたのか……。

 ソルトとぴいたんは、ここに到着してすぐ、ちょっと町の中を歩いて来るって言って出てったからいないんだけど……)

 クランは入口のドアを閉めると、早速、手にしていたコーヒー牛乳の紙蓋をポンッと開け、空いているほうの手を腰に当ててグビグビグビグビッと飲み干し、プハーッとやる。

 その姿を見て、硫黄は、満喫してるなあ……と思った。

 目が合い、クランは硫黄のほうへ歩いて来、隣に立って窓の外を見る。

「良い眺めですね。風情があって」

(満喫してる……旅を楽しんでるように見えるけど、クランさんにとって、この旅は任務なワケで……。不安じゃないのかな、この先のこと……。任務を遂行出来るのか……。無事にスーパーモンブラン山頂まで……って、あれ……? )

 そこまでで、硫黄の思考が一度止まった。

(無事に、って……。そう言えば、クランさんって……妖精ってどういうふうなんだろ……? 攻撃を受けて普通に傷を負ったり毒でダメージを受けたりすることは、マッドドッグとの戦闘の時のことで分かったけど、もっと踏み込んで、死、については……? )

 そう思い、聞いてみると、クラン、外を眺めたまま、

「不安はありますし、怖いです。死んだら、もちろん死にますし……。ごく稀に、死んでも復活する者もおりますが、それは人間族のような完全に生前のままの姿での復活ではなく、ゾンビとしてですので、とても不幸なことです。人間族にとっては分かりませんが、私ども妖精にとっては、死を迎えたならば安らかに永遠の眠りにつくことこそが最も自然で幸せなことなのです。

 いつか必ず死ぬと分かっているからこそ、また、その時がいつ訪れるか分からないからこそ、一瞬一瞬を大切に、楽しめる時には思いきり楽しんでおかないと損であると、私は考えています。それに、ゾンビとして復活してしまう原因は未練であるとも言われていますしね」

 それから硫黄のほうを見、

「あなたも、入浴されてはいかがですか? 今なら、女湯は誰もいませんでしたし、この部屋にはシャワーもありますが、せっかくの源泉掛け流しの露天風呂ですから。

 ここは出湯の町フィナンシェ。この町に宿泊するのに温泉に入らないのは、もったいないですよ」

「出湯の町? 」

「はい」

「その呼び方は初めて聞いたけど。普通『王都』って……」

「それは通称ですね。我が国スウィーツランドは王制ではありませんから」

「え? でも、この町の真ん中あたりに王宮があるよね? プレイヤーは入れないけど」

「あれは妖精王ようせいおう記念館です」

「妖精王? 」

 クランは頷き、自分のバスローブの腰紐に吊るしてあったマスコットを少し持ち上げて見せる。

「このお方です」

 それは、フェルトのような布で作られた、赤い髪に、もみ上げから繋がった同じく赤い顎鬚をたくわえた、戦士の装備をした恰幅のよい中年男性と思われるマスコット。

「入浴後に売店でコーヒー牛乳を買った時に、会計所の手前に売られているのを見つけて、可愛かったので購入しました」

(…可愛い……? )

 へ、へえ……と、硫黄が微妙な反応を示したため共感を得るための努力か、クランは付け加える。

「私の父に似ているのです」

(うん、確かに髪の色はクランさんと同じだし、お父さんに似てるのは、きっとそうなんだろうなって思うけど……。お父さんに似てるから可愛いっていうのは……。…まあ、感じ方は人それぞれだから……)

「王都と呼ばれているのは、このお方……妖精王が、この地を拠点に、出でる湯で体を癒しながら戦いを続け、勝利を収めたという伝承からです」

(「戦い」とか「勝利を収めた」とかの語が出てくるってことは、英雄か何かを讃えて、制度上の王じゃないけど「王」って呼んでるとかか……。

 で、その伝承の王の拠点にしていた町だから「王都」……)

 それは正解で、クランの説明によれば、その伝承とは、スウィーツランドの国民ならば誰でも知っている伝承「妖精王物語」。

 その昔、妖精をはじめとするスウィーツランドに暮らす生物たちが、突如として現れた凶悪にして強大な力を持つ生物によって蹂躙されていた時代があった。そんな時に立ち上がった、ひとりの勇敢な妖精の男。凶悪なる生物との戦いに傷ついた彼は、フィナンシェに湧き出でる湯で体を癒し、以降、この地を拠点として凶悪なる生物との戦いを続け、勝利し、平和をもたらした。彼の功績を讃え、皆が彼を「妖精王」と呼んだ。……という伝承。

(けど、「ようせいおう」なんだな。「フェアリーキング」とかじゃなくて……。ゲームSFFでは漢字で「妖精」って書いて「フェアリー」ってルビふってるのに……。あと、中に入ってから音声として聞いても、画面に「妖精」って表示されてそうな場面で聞こえてくるのは「フェアリー」だし……)

 どうでもよいことだが、興味があるので聞いてみると、

「『妖精フェアリー』を『フェアリー』と呼ぶようになったのは、SFFがオープンした時からです。プレオープンまでは、他にも職業名など、例えば『戦士ソルジャー』は『ソルジャー』ではなく『せんし』でしたし、あなたの『魔法少女マジカルクイーン』も『まほうしょうじょ』でした。

 カタカナ名のほうが格好良いのではないかとの意見がございまして」

(そうか、言われてみれば確かに、ベータテストの時には「ようせい」だったよな……)

 …「ようせい」……。

 …「ようせいおう」……。

(…なんか、平仮名表記で思い浮かべてみると、「ようせいおう」って字面、変に親しみが持てるって言うか、何だかすごく懐かしい感じが……)

 懐かしさの正体を求めて記憶を辿る硫黄。

 ややして思い浮かんだのは、幼稚園の園舎に、幼稚園児だった硫黄が当時使用していた私物と、そのひとつひとつにマジックで大きめに書かれた親の文字「ようせいおう」。

(…あ、オレの名前だ……)



                 *



 湯気が明かりを優しくぼかす。岩を組み合わせて造られた浴槽を囲う薄い色調の木の塀が、その明かりをふんわりと反射していた。

 少しとろみのある湯に胸まで浸かりながら、見上げれば、満天の星。

 硫黄は深く長く息を吐く。

 クランが風呂から上がってから少し時間が経っているが、彼女の言葉と違わず、女湯には誰もいなかった。

 SFFの世界へ来て以降、硫黄は、宿の大浴場等で入浴する場合、自分以外に誰もいないことを確認してから入るようにしている。

 硫黄は外見は女性なので女湯に入るのだが、中身は男。周囲で共に入浴している人々の姿がゲームの時と違いリアルに見えてしまうため抵抗を感じてしまうことが理由だ。

(…静かだな……)

 窓から外を眺めている時、宿の表側の通りには、夜の散歩をしている人々の姿が、そこそこの数、見受けられたが、露天風呂は裏にあり、通りの人々の声などが全く聞こえてこない。…もっとも、人々の姿はそれなりにあっても、皆、特に騒いだりせず、風情を楽しんでいる感じなので、もともと、うるさくはないのだが……。

 聞こえるのは、掛け流しの湯が注ぎ口から落ちて浴槽の湯面に当たる音と、浴槽から溢れ続ける湯の微かな音だけ。

 硫黄はもうひとつ、深く長く息を吐いた。

 そこへ、カララ、と、入口の引き戸の開閉の音。

(あ、誰か入って来た)

 戸の方向には、かなりの高確率で裸の女性がいるので、そちらを見ないよう意識しながら立ち上がり、

(結構、ゆっくり出来たな……)

自分の心に満足を押しつけつつ浴槽から出て、ほぼ真下を向き、そそくさと戸のほうへ向かう硫黄。

 引き戸を開けるべく手を伸ばしたところへ、

「あ、あのっ! エスリンさんっ! 」

声が掛かった。ぴいたんの声。

 SFFの世界へ来て以降、硫黄が宿等に泊まる度に入浴するのは、魔物の返り血や泥汚れ、それらが無くとも普通に汗などで体が汚れていると感じるため、生活習慣としての部分が大きいのだが、外からプレイしている一般的なプレイヤーにも入浴は効果がある。

 それは、HPとMPが一瞬で全回復し、マヒや毒などの状態異常も治ること。

 HP・MPについては町や村の中にいるだけでも時間の経過とともに少しずつ回復するが、とにかく少しずつなため、レベルがある程度高くなりHP・MPともに最大値が上がってきてからは、アイテムを使うか、宿泊料・入湯料等と名称は施設によって異なる料金を支払って入浴するのが、手っ取り早いのだ。どちらも、「そのほうが手っ取り早い」と思えるようになる頃になれば、大した出費に感じないような金額であるし。

 しかし、ぴいたんの目的は、少なくとも今に限っては違ったようで、

「もう、上がりますか? 」

 ソルトのいない所でエスリンさんと話がしたいと思っていたところへ、エスリンさんが風呂に入って行くのを見掛け、ここならば丁度よい、と。

 深刻そうな、その様子に、硫黄は、

(何だろ……? )

 話を聞くことにし、体が冷えてしまうので、一旦、浴槽へ戻った。

 ぴいたんも掛け湯をしてから続く。

 浴槽の壁に寄り掛かる形で並んで湯に浸かる2人を、静寂が押し包んだ。

 ぴいたんの言葉を待つ硫黄。

 暫しの沈黙を破り、

「エスリンさん」

 ぴいたんは、意識的に彼女のほうを見ないよう湯面を見ていた硫黄の正面へ回った。

(っ! )

 硫黄は慌てて視線を湯面からぴいたんの顔辺りに移す。

 そんな硫黄の目を、上目づかいで覗き込み、ぴいたん、

「お願いです。ソルトを取らないで下さい」

(…へ……? )

 ぴいたんが何を言っているのか、硫黄は分からなかった。

 ぴいたんは続ける。

「ソルトは私にとって、とても大切な人なんです」

(ああ、うん。それは、彼氏なんだから、そうなんだろうけど。オレが取るって、どういうこと? )

「ソルトとエスリンさんって、何も言わなくても通じ合えてる感じじゃないですか。私なんて、はっきり言葉で指示してもらわないと分からなくて動けないのに……」

(戦闘中のこと? でも、そんなの……)

 劣等感を持ってしまっているのだと受け取り、慰めるべく口を開く硫黄。

「ソルトと私は、ベータテストの時から、よく一緒に狩ってたから、こういう時はこうする、みたいなパターンがある程度出来てるし、仕方ないよ。ぴいたんだって、そのうち……」

 と、ぴいたんは首を強く横に振って遮った。

「通じ合ってるって、やっぱり、男女の間では特別です」

 そして、目に暗い影を宿し、それを隠すように俯く。

「…不安に、なっちゃいますよ……」

(オレとソルトの関係については、昨日、ソルトがリアルでぴいたんを抱きしめたので解決したと思ってたんだけどな……。

 通じ合ってることが、男女の間だと特別……か……)

 不安になる、と、消え入るように言ったきり口を噤み俯いたままでいるぴいたんに、硫黄は決意した。

(言おう! 本当は男だって!

 ぴいたんに、どう思われるのか怖いけど、どっちみち女性と思われてる今だってギクシャクしてきちゃってて、この先も、オレとソルトとの、基準が分からないから避けようも無い何かちょっとのことがある度に、こんなふうにぴいたんを不安がらせるのも可哀想だし……。

 それで、ぴいたんの心配が無くなるなら……)

 そうして言葉を発しかけた硫黄だったが、ハッと気づき、呑み込んだ。

(今はダメだろ、さすがに! )

 全裸のぴいたんを前にして、など……。

(…でも……)

 今を逃しておいて次など無い気がした。

 ぴいたんは、この話をしているところをソルトに見られたくなくて、ここへ来たワケだし、誠意を持って伝えるにはキチンと向き合って話すべきだから、自分も、彼氏であるソルトの前で、ぴいたんとそんな時間を持つことは抵抗がある。

 そして、なかなか伝えられないでいるうちに、もしもまた、ぴいたんを不安がらせてしまうようなことが起こったら、その時には、もう、ぴいたんは自分の前からいなくなってしまう気がして……。下手すると、ソルトとぴいたんの関係が壊れてしまう気がして……。

(…やっぱり、今だな……)

 ぴいたんにとってはゲーム画面上のことなのだから、実は男の前で全裸でいることなど気にしないかも知れないし……。

 硫黄は一度大きく息を吸って吐いてから、グッと腹に力を入れ、ぴいたんは俯いたままなので目は合わないが、その目を見つめて、

「ぴいたん。ぴいたんに伝えなきゃならないことがあるんだけど……」

そう切り出した。

 ぴいたんは変わらず俯いたまま。

 硫黄は続ける。

「私……いや、オレ……、実は、男なんだ……」

 ぴいたんは、え? と顔を上げ、2度目の、え? を言いながら、もともと湯で隠れているが両腕で自分を抱きしめるようにして胸を隠す格好をした。

(あ、気になるんだ……! )

 硫黄、急いで、

「あ、えっと……! 全然、見てないから……! 見ないようにしてたから……! 」

 言って、本当のことなのに言い訳みたいだと気にし、ぴいたんを窺う。

 返してぴいたん、

「あ、はい……。そうだと思います。それに、これ、私の体じゃないですし……。ただ、何となく……」

 その様子からは、怒りは全く感じられない。

「ごめん。男だってこと、隠すつもりは無かったんだけど……。彼氏持ちのぴいたんだから、オレを女の子だと思ってるから仲良くしてくれてるんじゃないかって思えて、時間が経てば経つほど言い出しづらくなっちゃって……」

「大丈夫。怒ってはないです。驚いたのと……あと……」

 そこまでで、ぴいたんは再び俯き加減。

「…あの……、私のほうこそ、ごめんなさい……。ソルトとのこと、エスリンさんは初めから否定してたのに勘ぐって……。…態度、悪かったですよね……」

(…ぴいたん、ホントに良い娘だな……)

「ぴいたんは何も悪くないよ。オレが、もっと早く言ってればよかったんだ」

 ぴいたんは首を小さく横に振って顔を上げ、ニコッと笑んだ。

「言ってくれて、よかったです。これからも、仲良くしてくださいね! 」

(…怒らないし、気持ち悪いとかも思わないんだな……。ホント、もっと早く言えばよかった……)

 ホッとし、硫黄も笑顔を返す。

「こちらこそ。これからも、よろしくね」

 場の空気がすっかり和んだ。

 だが直後、

「あ……! 」

 ぴいたんが何かに気付いたようにスッと青ざめて声を上げる。

「どうしたの? 」

 心配してぴいたんの目を覗く硫黄。

 ぴいたん、硫黄に縋るように、

「ソルトは、エスリンさんが男の人だって知ってるんですよね? 昨日、シュトレンの中央広場での待ち合わせの時に、私がエスリンさん……他の男の人と一緒にいたこと、どう思ったのかな……? 」

(ソルトが、オレとぴいたんが一緒にいたことをどう思ったか? )

 硫黄は、ぴいたんの必死さを可愛いなあ、と思いながら、

「それなら心配いらないよ。ソルトも、ぴいたんがオレを女性だと思い込んでたの知ってるし、オレがぴいたんに対して変な下心を持ってないことも、昨日、ちゃんと話して納得してもらえたから」

余裕であっさり返した。

 ホッとした表情を見せるぴいたん。

「ぴいたんは、ソルトが大好きなんだね」

「もちろんです。自覚したのは、つい最近ですけど。

 たった今って言ってもいいくらいの、SFFの中では昨日の夕方、外では、まだ20分も経っていない、エスリンさんがソルトの同級生だって知った時……不安になったことで、気づきました」

(付き合い始めて半月で、大好きだって自覚したのは20分前ってことは、付き合おうって言ったのはソルトからか……)

「でも、付き合い始めた時から、とても大切な人でした。辛くて苦しくて身動き出来なくなってた私に、手を差しのべてくれた恩人なんです」

(…恩人……)

 ぴいたんは、元いた硫黄の隣に戻り、静かに長い息をひとつ吐きながら、視線をふうっと遠くのほうへ向ける。

「……私には2つ年上の兄がいて、ソルトは兄の同級生で、よく、うちに遊びに来ていました」

(……ってことは、ぴいたんの兄はオレとも同級生……。誰だろ……? 世の中狭いな……)

「…私は、兄のことが好きで……。恋愛対象として好きで……。

 でも、兄に対して、そんな気持ちを持っちゃいけないって分かってるから、兄が何か嬉しいことをしてくれたりしても『ウザい』とか、ただ一緒にいるだけの空間を本当に幸せに感じていても目が合うと『キモい』とか、気持ちを知られちゃいけないって思えば思うほど過剰に反応して言ってしまって……。

 兄を、傷つけたいワケじゃないのに……」

(どこの妹でも……ぴいたんみたいな良い娘でも、言うんだ。兄に向かって「ウザい」「キモい」。

 ぴいたんみたいな理由だと可愛く感じられるけど、燐は、心の底から言ってそうだよな……)

 硫黄は内心溜息。

「この間も……その時には、たまたまソルトが兄のところに遊びに来ていて、私の兄に対する言葉を聞いて、ソルト、すごく怒りました」

(…ああ、ソルト、小さい頃にお姉さんを事故で亡くしてるから……。お姉さんに言った最後の言葉が「大嫌い」だったことを、今でも後悔してるって、前に話してくれて……。だから、兄弟に向けて傷つけるようなことを言ってるのを聞くのが耐えられないんだ、きっと……。

 ほんの2週間くらい前にうちに来た時にも、オレに「キモい」って言った燐を、かなり強めに叱って、燐が逆ギレして立ち去るのを、「まだ話は終わってないよ! 」なんて言って追いかけてまで行こうとしたから、オレを庇ってくれたことに礼を言って止めたけど……。

 …よく思い出してみたら、そうやってソルトが一度ビシッと言ってくれて以来、燐に「ウザい」「キモい」言われてないな……。オレの中で、もう、すっかり、燐はオレのことを「ウザい」「キモい」言うもんだ、ってなってるせいか、テレポの影響で眠ってた間にみた夢の中では、普通に言われてたけど……)

「いつもは穏やかなソルトが、激しく怒ったことに驚いたのと、あと、『何も知らないくせに』って頭にきたのとで、私、ソルトの前から逃げて、そのまま気分転換に散歩に出て1時間くらいして戻ったら、丁度、うちから出てきたソルトと鉢合わせて……。

 その時には、ソルトは落ち着いて、いつものソルトになっていて、でも、また、今度は静かに、『お兄さんに、あんな言い方したらダメだよ』って同じことを言ってくるから、私も、せっかく散歩で紛れたのに、また頭にきて、『何も知らないくせに! 』って、今度は口に出して言って、兄に『ウザい』とか『キモい』とか言ってしまう理由も話したら、『僕と付き合ってみない? 』って……。『君のお兄さんは確かにとても魅力的な人だけど、君は、とても狭い世界の中にいる。僕と付き合えば、お兄さん以外にもイイ男がいるんだってことを教えてあげられるかも知れないよ』って……」

(…ソルトみたいなのと比べられたんじゃ、兄は、たまったもんじゃないな……)

 ぴいたんの兄に対して、軽く同情する硫黄。

「私は救いを求めて、ソルトと付き合うことにしました。何も知らないのに色々言われた時には頭にきたけど、ソルトのことは、もともと嫌いじゃないので……。

 …付き合って、良かった……。

 私も、恋に恋するお年頃ですから、彼氏がいるというだけで何となく気持ちに張りが出て、隠す必要の無い相手なので友達と恋バナが出来て楽しくて、彼氏のいる友達が2人でどこかへ出掛けたとか聞く度に外でデートする気の無さそうなソルトに不満を持つことさえ『ああ、私、今、恋愛してるんだ! 』なんて思えて嬉しくて……。

 そんな幸せを教えてくれたソルトが、大切で、大好きです。もう、ソルトが私から離れて行くとか、きっと、耐えられないくらいに……」

 ぴいたんの語るフレッシュな香りのする恋バナを、硫黄は微笑ましく聞き、

(…何か、ホントに恋に恋してるって言うか……。ソルト不在の話だな……)

などと思いつつも、ぴいたんが幸せそうなので、良かった良かった、と、何度も頷いて、

「ソルトのこと、お兄さんよりも好きになれたんだね」

 硫黄の言葉に、んー……と、ちょっと考える様子のぴいたん。

 硫黄は、

(……? 違うの……? )

 ぴいたんは、まだ考えながら、といった感じで返す。

「そもそも別格なので比べたことも無いですけど、多分それは、よっぽどの何かが無い限り、一生無理だと思います」

(そうなのっ? 別格って……! あのソルトが一生勝てないって……! 兄、何者っ? うちのクラスに、そんなのいるかっ? )

 驚く硫黄。落ち着くべく、深呼吸。落ち着いたことで辿り着いた結論は、

(…ぴいたんには悪いけど、それって、好きになったらアバタもエクボ、とか、身内の欲目、とか、そういった類のものなんじゃ……? )

「だって、私にとって兄は、本当に特別なヒーローですから」

(ヒーロー? )

「私はエスリンさんの家族構成とか知らないですけど、仮に、エスリンさんに妹さんがいたとして、エスリンさんは、妹さんのためにライオンに立ち向かえますか? 」

(ライオンに? 何だ? その命知らず……)

「立ち向かう、は大袈裟かも知れませんが、私の兄は、ライオンから私を守ってくれました。

 私が中1のゴールデンウィーク、家族で動物園に出掛けた時、ライオンが檻から脱走したってアナウンスが流れて、家族皆で、周りにいた他のお客さんたちも、一緒に逃げていて、その時に、私、転んで足を挫いて動けなくなってしまって……。父も母も兄も、気付かずにそのまま行ってしまって、他の周りの人たちも、どんどん私を追い越して逃げて行く中、もう見えなくなるくらい遠くまで行ってしまっていた兄が、私がいないことに気付いて戻って来てくれたんです。いつライオンが来てしまうか分からないのに、ですよ? 戻って来て、私を負ぶって逃げてくれたんです」

(…それって……)

 硫黄は信じられない思いで、ぴいたんの横顔を見つめた。

(…ライオンが檻から脱走って、そうそうある話じゃないよな……?

 …オレ、中3のゴールデンウィークに家族で動物園へ行って、ライオンが檻から脱走したってアナウンスを聞いて逃げてる途中、それまで一緒に逃げてたはずの燐がいないことに気付いて、捜しに戻って、足を傷めて動けなくなってるのを見つけて背負って逃げたけど……)

「…それ以降も……。私、気付いたんです。兄がいつも、さり気なく私を守ってくれていることに……。兄自身も無意識のことなんじゃないかって思えるくらい自然に、当たり前の顔をして……。

 この間、ソルトに怒られた時も、そうでした。私がソルトの前から逃げたのをソルトが追って来ようとして、その時のソルトの激情ぶりに、ソルトが私に手を上げかねないと思ったのでしょう、兄がソルトを止めてくれたことを、私、背中で聞いて知っています」

(…ぴいたん……。…ぴいたんって……。…燐……? )







                                                                                                                                                                                                                                                     

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ