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7:猫殺しの抱き合わせ


「魔法は解きません」とひなみちゃんは勝手に決めてしまう。

「桜井さんの治療が先です。手首の血、全然止まってないじゃないですか」

 陽一の指先からは、ぽたりぽたりと血液が滴り落ちている。

「すっごく痛そうですよ」

「……痛いね」

 陽一は両手を少し持ち上げ、ぐーぱーさせて指が動くかを確認した。――手首の皮がずるむけてしまって、ぷつぷつと血が湧き出てくるが、骨や健に異常はなさそうだった。

「そんなの怪我のうちに入んないわよ」と夏奈は目を逸らす。

「全然反省してませんね? やっぱりあなたは三年後に死にます」

 ひなみちゃんはポシェットからスマホを取り出し、

「奉賀峰市、小川公園、薬局」

 と単語を区切って語り掛ける。

「あ、ありました。ちょっと行ったところの通りです」

 見せられたスマホの画面には付近の地図が映っていた。今時の小学生はうまくアプリを使いこなすんだなと陽一は感心した。

「私、包帯とかもろもろ買ってきますね。桜井さんはそのネコギャクタイ女を見張っててください」

「大丈夫?」

「あんまり子ども扱いしないでください。私、もう五年生ですよ?」とひなみちゃんは腰に手を当てる。

「お金はママからもらってるから、安心してください。ケーヒで落ちます」

「経費……」

 そうだった。なんだかよく分からない事態に発展してるけど、これはそもそも猫探しの依頼なんだっけと陽一は今更のように頷いた。

「じゃ、頼むよ。少しでも道に迷ったら、すぐに電話してね。あと、急がなくてもいいから。車に気を付けて」

「はい。大丈夫ですってば。じゃ、行ってきます。桜井さんこそ、怪我を増やさないように気を付けてください。いざとなったら先手必勝ですよ」

 ひなみちゃんは最後にきつく少女を睨み付けると、小走りで公園の出口に駆けていった。


「……というわけだから、両手はしばらくそのままね」

 陽一は中指から垂れ落ちる血を気にしながらそう言った。

「悪かったわね、それ」と、ベンチに座り直した少女――戸瀬夏奈は言う。

「でも、あたしなりに加減はしてたから。骨が折れてないだけマシだと思ってね」

「あっそう」

 陽一は夏奈の悪びれない様子に苛ついた。

「まあ、どうせ君は三年後に死ぬから、許してあげるよ」

「……でたらめでしょ」

 吐き捨てる夏奈の目は、少し泳いでいる。信じ切っているわけでもなさそうだが、本気でありえるかもしれないと思っているような反応だった。


(たぶん、こいつはリアリティの感覚というか基準というか、そういうものがズレてるんだろうな)と陽一は思った。人間の体をすり抜ける猫や、得体の知れない糸で人間を中吊りにする少女。そんな世界が彼女にとっての当たり前なのだとしたら、「三年後に死ぬ」というざっくりした脅しでさえも、頭から否定できないのは理解できる。

 ――そんな魔法だって、知らないだけで、本当にあるかもしれないのだから。


「猫探しを協力してくれるなら魔法は解く。それは本当」

 陽一は気を取り直して、とりあえず、探りを入れてみることにした。

「本当だけど、先に幾つか質問してもいいかな」

「好きにしたら? 答えるとは限らないけど」と夏奈は陽一を見返してくる。

「じゃあ、まず」

 陽一は、何から質問しようかしばらく迷ってから、

「目的は何?」と口に出した。

「猫を捕まえてどうするの」

「……あたしの目的は単純よ。強くなること」

 夏奈は固まったままの両手をぶんぶんと振り回しながらそう言った。

「そのために猫をやっつけて、自分の力に変えたいだけ。あんただってそうでしょ? 宿主の女の子をうまいこと騙してるみたいだけど、あたしはそうはいかないわよ」

「……話が見えないんだけど」

 陽一はため息混じりにそう言った。

「騙してなんかないよ」

「嘘つき。――まあいいわ。宿主がいるってことは、居場所の特定は簡単でしょ。もう一度見つけて……見つけてからが問題か。あんた、対抗魔法(カウンター)といい、ずいぶんいろいろ魔法を使えるみたいだけど。何処の組織の人間なの」

「……秘密」

 陽一は、何もかも正直に話すことよりも、適当に話を合わせながら聞き出せることを聞き出す方を選んだ。何も知らないことをさらけ出すのが危険に思えたからだ。

「素直に言うわけないか」

 夏奈は口角を上げ、少し首を傾ける。

「あたしは構わないけど、もうすぐ人払いの魔法は切れるわよ。女の子拘束して尋問してる姿が衆目に晒されたら、困るのはあんたじゃない?」

「……人払い、ね」

 それで公園に人気がないのだろうかと陽一は訝しむ。

「そんな器用なことができるの?」

「当たり前でしょう。こんなものは初歩よ、初歩。あたしら『葛葉(くずは)』にできない情報操作なんてないんだから」


 ――クズハ。

 それがどうやら彼女の所属している組織名らしい。


「どうやってるのか参考までに知りたいな」と陽一は尋ねる。

「教えるわけないでしょ。それとも、教えてくれたらこのねばねば取ってくれるわけ?」

「いいよ。取ってあげる」と陽一は答えた。

「ちゃんと、本当のことを教えてくれたらの話だけど」

「……べつに、もったいぶるほどの魔法じゃないわよ。ただの初歩だし」

 夏奈はベンチの上であぐらを掻きながらそう言った。

「人払いの基本は殺気よ。四方を囲って充満させれば普通の人間は入って来られないわ」

「殺気?」

「感じなかったの……? あ、そっか。あんた対抗魔法(カウンター)使いだもんね。単純な結界魔法は自覚するまでもなく無効化されちゃうのかしら。……いいわね、それ。欲しいな、あたしも」

 夏奈は熱を持った目つきで陽一の瞳を見つめてくる。

 陽一は、夏奈の視線の強さに煩わしさを覚えながらも、目を逸らすことはしなかった。


 それにしても、さっきから夏奈が繰り返している対抗魔法(カウンター)というのは一体なんだろうと陽一は内心首をひねっていた。そんなものを身に着けた覚えはない。


「さ、教えたわよ。さっさとねばねば取りなさいよ」

「……その前に。猫をどうするかについて、話し合いたい」陽一は一拍置いてそう言った。

 最低限の合意を得なければならないのは、まずそこだった。

「戸瀬さんは猫をやっつけたいって言ったけど、俺はそうしたくない。ひなみちゃんの元に戻してあげたいと思ってる」

「はぁ? なんでよ。そんなことしてあんたに何の得があるの」と夏奈は眉をひそめる。

「魔物は狩るのが常識でしょ?」


 ……魔物。


 事もなげに出てきたその言葉が持つ非現実感に、陽一はたじろいだ。

「魔物は成長するものだし、成長したら例外なく宿主は狂うわよ。見た感じ、あの女の子、けっこう頭やられちゃってる感じじゃない。さっさと引き剝がしてあげないと手遅れになるわよ」

「魔物の成長……ね」

 夏奈の言葉をおうむ返しにしながら、陽一の思考はゆっくりと空転し始めた。会話に理解が追いつけない。

「なんか不満があるの?」

「……ある」

 陽一は迷ったあげくに、素直にそう答えた。

「猫を捕まえるのが俺の仕事なんだ」

「――ふうん。捕まえて組織に上納するって話?」

 夏奈の理解の仕方に陽一は絶句した。

「上納って、ヤクザかよ……」

「え、違うの? じゃあどういうこと?」

「ただ、猫を捕まえたらお金が貰えるってだけの話だよ」

「……ああ、あーあ、なるほどね。金銭的な報酬か。そっちか」

 夏奈は心底意外といった様子でひとりごちた。

「あんたもけっこうな悪人ね。女の子犠牲にしてでもお金が欲しいわけだ」

「犠牲って、べつにそういうつもりじゃないけど」

「結果的には犠牲になるでしょ。ごまかしてんじゃないわよ」

 夏奈はゆっくりとベンチから立ち上がる。抜かしていた腰は、いつの間にか回復しているようだった。


「悪人には協力しないわ。あんたはこの場で倒してやるから」


「誤解だから。ちょっと落ち着けよ」

 慌てて近づこうとした陽一に、夏奈は素早くローキックを放った。不意を打ったブーツの甲が陽一の太ももにモロに入る。ズシリと重い骨に響くような痛みに陽一はよろめいた。――ブーツに何か仕込んでいる? 歯を食いしばって一歩下がった陽一に、夏奈は何かを企むように笑いかける。その笑顔がおでこに、そして頭頂部によって隠れていく。ふさがった両手を胸に抱えて、頭を支点にしての前転。あっけに取られる陽一の両肩に、夏奈の両脚が頭上から巻き付いた。

 夏奈はそのまま両脚を滑らせ、陽一の二の腕を挟み込みながら背中でブーツを噛み合わせ、ホールドする。

「これであんたの両腕もふさいだわ」

 夏奈はたじろぐ陽一の後頭部に、とりもちでくっついた自分の両手を回してぴたりと引っ付けた。

「逝っちゃえ」

 夏奈は胸を逸らして顎を上げる。――まさか、頭突きが来る? 陽一はなんとかしようと両腕に力を込めたが、腕ごと胴を締め付ける夏奈の両脚の力が強く、振りほどくことができない。とりもちで頭を押さえられているせいで、顔を背けることすらできなかった。

 ……まさか、正面からの喧嘩でやられるなんて。

 陽一が負けを覚悟したその時、


「――あ」


 夏奈の体から、突然力が抜けていく。

 頭突きは頭突きになりきらず、へなへなとした動きのまま陽一のおでこにコツンと当たるだけになってしまった。

「なん……で……魔法使って……ないのに」

 夏奈は息を荒げて、苦しそうに顔を歪める。全身から汗が吹き出し、力の抜けた脚は締め付けることもできないまま、ただただずり落ちないようにともがき続けるばかりだった。

対抗魔法(カウンター)じゃ、ないの……?」

 涙目になって問いかけてくる夏奈の甘ったるい吐息に、陽一の顔も赤くなった。

「魔法なんて、使ってないよ」

「嘘……つき……」

 夏奈はゆっくりと目を閉じる。手足からも力が抜けていくが、陽一の後頭部に貼りついたままの両手のせいで倒れることもなく、抱きついたような格好のまま意識を失ってしまった。



      ○


 陽一は夏奈の腰を抱えてゆっくりとベンチに座り込んだ。途中夏奈の脚が突っかかったが、膝を曲げさせて女の子座りのような恰好をさせると、それでなんとか収まりがついた。


(どうしたものかな……)


 手で引っ張ってみたが、後頭部にぴったりと貼りついている夏奈の両手は剥がれない。とりもちってこんなに強力なのかとうんざりしながら、陽一は青空を見上げた。

 夏奈は一人で勝手に何の魔法にかかっているのか、頬を陽一の肩にくっつけ、静かな寝息を立てて眠っている。ぐにゃりと力の抜けた体が陽一の胸元にのしかかり、体温どころか微かな鼓動まで届いてくる有り様だった。

 このまま抱き合った状態で目を覚まされたら間違いなく頭突きを食らうだろう。ひなみちゃんが戻って来たら良くない誤解をされるかもしれない。何とかしなければと思うのだが、どうすればいいのかさっぱり思いつかなかった。

 流れる雲を見つめながらぼんやりしていると、ポケットに入れていたスマホが震えた。取り出してみると、服部から電話がかかってきていた。


『よっすー。どんな感じ?』

「良くない感じです」

『だよな。メールの文面からして。――もしかして、みーたんが実在しないことにはもう気づいてる?」

 服部は声を少し落としてそう尋ねた。

「……ええ、まあ」

 陽一は濁り切った声で曖昧に答えた。

『そうか。初日の午前中で気づいちゃうか。さすがは高校生探偵、って茶化してる場合じゃないよな。ごめんな、ちゃんと全部話さなくて』

「――解説してください」

 解答できた問題の答え合わせだけでも済ませておこうと陽一は思った。

『オッケー。今、傍にひなみちゃんはいるか?』

「いません。……俺がトイレに入ってます」

 陽一は事態を説明する煩わしさからとっさに嘘をついた。

『よし。なら話せるな。――ひなみちゃんは三歳の頃からみーたんと一緒に暮らしてきたんだ。というより、まどかさんが、娘が見えない猫と暮らしていることに気付いたのがその頃らしい。まどかさんはけっこう大らかな性格だから、小さい子にはよくあることだと思って強く否定はしなかったんだと。でも、ひなみちゃんの学年が進むに連れて不安になってきたそうだ。娘が自分の膝の上の何もない空間を撫でたり、煮干しをねだっては皿に入れて、結局自分で食べちゃったり』

「自分で……?」

『ひなみちゃんは一日に一度か二度、小皿に煮干しを開けないと気が済まないんだ。みーたんが食べるからって言い張ってね。で、まどかさんが目を離した隙に、いつも小皿は空になっている。お家はまどかさんとひなみちゃんの二人暮らし。さて、誰が犯人でしょう。まどかさんでなければ、ひなみちゃんしかいない』

「……消去法、ですか」

『起こり得ないことを消去していけば、最後に残ったナニカがどれだけ奇妙であっても、それが真実だとホームズ先生もおっしゃっている。ひなみちゃんは自分で小皿に出した煮干しを、こっそり自分で食べているんだ。みーたんの存在を信じないママに、本当にいるんだと分からせるために』

「――それが本当だとしたら、病的ですね」


 ひなみちゃんは、まどかさんからそういう娘だと思われてしまっているのかと、陽一は深くため息をついた。


『カメラでも仕掛ければ確実だけど、まどかさんはそこまでしたくないそうだ。……気持ちは分かる。シュレーディンガーの猫と一緒だ。観測しなければ、娘が毎日煮干しを食べているかどうかは闇の中。――というわけで、みーたんが脱走したのはまどかさんにとって行幸だった。娘がとうとう、長年の妄想から解き放たれようとしている。脱走した猫はそのまま見つからない方がいい。むしろ、見つけるわけにはいかない』

「……それで、懸命に、探すフリをしたわけですね」

『そういうこと。ペット探偵として全身全霊をかけて居もしないロシアンブルーを探し続けたわけだ。――ああ、そうそう。渡したチラシとポスターに猫の写真が貼ってなかったのは俺からのヒントね。まどかさんは適当にネットで拾ってきた画像を付けている。その辺は抜かりない』

「ヒントなんていらないから、最初から正解が欲しかったですよ」

『全部説明したら、仕事受けたか?』

「断ってます」

『だろ。……でも、まどかさんはマジで真剣なんだよ。真剣過ぎてひなみちゃんに嫌われたんだ。ひなみちゃんが直感で、あっちを探したい、こっちの方にいると走りたがるのを、理屈をこねて、車に乗せて、許さなかった。ひなみちゃんの好きにさせて、満足行くまで探した結果、わぁ、みーたんこんなところに居たんだねと、ひなみちゃんが、猫を『見つけたことにしてしまう』のが怖かったんだ。で、やり過ぎた。ママのせいでみーたんが見つからない。ママなんて嫌い――となったわけ』

「それで……」

『まどかさんは困った。自分はもう娘と猫を探せない。でも、娘に一人で探させるのも絶対に嫌だ。好きにさせたら猫を見つけてしまうかもしれない。だから、他の誰かと一緒に探させる他はない』

 ――他の、誰か。

『第一候補は俺だった』と服部は言う。

『俺とまどかさん、ネットのTRPGのサークルでけっこう長い付き合いなんだよ。家が近所ってこともあって、ひなみちゃんの顔も知ってる。ある程度深い話もできるってことで、俺に話が降ってきた。でもあいにく、俺は仕事で、ひなみちゃんが暇になって探しに行きたがるであろうゴールデンウィークに動けない。まどかさんは仕事とプライベート分けたい人だから、仕事仲間の探偵にも頼みたくない。どうしたものかと困ってたから、俺が桜井を紹介した』

「どうして、俺だったんです?」

『君がまじめでいい奴だからだよ』

 服部の人を食ったような答えに、陽一は閉口した。

「もう一回だけ聞きますけど、どうして俺だったんです?」

『まじめでいい奴で受け身で器用だからだよ』

 人を食ったような答えが二倍になって返ってきた。

『今回の案件を完璧にこなせる人員の条件は二つ。ひなみちゃんと一緒になって、猫を真剣に探してあげるまじめさ。もしひなみちゃんが猫を見つけてしまったときには、そんな猫はいないときっぱり否定してあげられる踏み込みの良さだ。俺はまどかさんに、桜井はまじめさは完璧だけど踏み込みは甘いって伝えた。まどかさんはそれでもいいと答えた。――誰かと一緒に、真剣に猫を探すだけでも、ひなみちゃんにとってプラスになると思ったんだろう』

「……納得、できました」

 それで、居もしない猫を探すのに、成功報酬が用意されているのか。

『桜井。ゴールデンウィークが終わるまでは、ひなみちゃんと一緒に、真剣に猫を探してあげてほしい。その報酬が一万だ。そして、もしひなみちゃんが猫を見つけてしまったら、そんなものはいないと真剣に否定してあげてほしい。優しい母親の代わりに猫殺しの罪を背負うんだ。その報酬が五万ってわけ』

「……猫殺し、ですか」

『そう。君こそが猫殺しのジョニー・ウォーカーだ。一歩踏み込め剣道少年。それが君の、課題でもあるだろ』


 ――その通りだと、陽一は思う。


(踏み込みの甘さ。仕掛けの遅さ。思い切りの悪さ。服部さんの言うところの、ブレーキの踏みすぎ。

 中学校の部活では直せなかったそれらの悪癖を克服するために、剣道場に通っている。それは確かだ。

 しかし、それにしたって――)


 陽一は苦笑しながら、服部に答えた。

「うまいこと繋げてきますけど、後味の悪そうな頼まれ事を、俺に押し付けたようにも聞こえるんですよね。服部さん、今本当に仕事してるんですか?」

『もちろんしてるとも』

「へぇ、どんな?」

『そりゃ、いろいろね。彼女のボディーガードとかさ』

 

 陽一が口を開く前に、電話は切れてしまった。


「デートかよ」

 陽一がスマホをポケットにしまおうと目線を下に向けると、

 夏奈が目をぱっちりと開けて、陽一を見上げていた。

「――起きてたの?」

「まあね。そっちの事情はだいたい理解したわ」と夏奈は頷く。

「で、その服部って人。まるで見当違いのこと言ってるけど。魔法のことは知らないみたいね」

「ずいぶん耳がいいんだな」と陽一はぼやいた。

「白状するよ。俺も魔法なんて知らない側の人間だ。何が起こってるのかさっぱり分からない。存在しないはずの猫が体を通り抜けていったし、どうやって動いてるのかよく分からない糸で手首がズタズタだ。降参するから教えてほしい」

「なら、このねばねばは?」

「ただのとりもち。水で洗えばふやけて取れる」

「……しょーもな」

 夏奈は眉毛を歪めて、陽一の胸にゴツンと頭突きを食らわせた。

「あんたを全部信じたわけじゃないから。あんたには間違いなく、強力な魔法の加護がかかってる。あたしが二度も気絶させられるなんて、相当よ。どう考えてもおかしいわ」

「けほ……。魔法の加護って、どんな?」

「それは、内緒」

 夏奈は少し腰をもじつかせる。

「とにかく、魔物は倒すわ。猫殺しの罪はあたしが背負ってあげる。というか、あたしが倒したいから手は出さないで。あんたは宿主を適当にいい感じになだめる係ね。それでいいでしょ?」

「……」

「いいって言わないと頭突きする」

「――分かった。それでいいよ」

「よしよし。じゃ、五万もあたしに頂戴ね」

 

「あー! ひどい。なんで抱き合ってるんですか!」

 公園の入り口の方から大声がする。

 見ると、顔を真っ赤にしたひなみちゃんが猫のようなスピードでこちら目がけて走ってくる。

 手には大きめのビニール袋が下がっていて、走るのに合わせてゆさゆさ揺れている。どうやら無事に薬局までのお使いを済ませたようだった。


「はぁ……はぁ……不潔です」

 ひなみちゃんは息を荒げて、ビニール袋をベンチに乱暴に投げ置いた。

「そんなネコギャクタイ女の色仕掛けに……惑わされないでください。探偵さんのくせに……そんなことも分からないなんて……」

「誤解だよひなみちゃん。俺は頭突きされそうになっただけで」

「そうよ誤解よひなみちゃん」と夏奈は被せてくる。「あたしの両手がふさがってるのをいいことにエロいことしようとしたのは探偵くんの方なんだから。エロ河童よエロ河童」

「なんでもいいから離れてください!」

「いやそのね、とりもちが頭に……」

「水かけたらいいでしょ! あっちに水飲み場あるじゃないですか!」

 ひなみのあまりの剣幕に、陽一は慌てて立ち上がろうとする。

「ちょっと、いきなり動かないでよ」

 驚いた夏奈がとっさに脚を陽一の背中に絡みつかせると、

「抱っこはおかしいでしょ!」

 ひなみは無理やり抱き合う二人の間に体をねじこんで、引き剥がそうとする。

「桜井さんしっかりしてください。私の味方は桜井さんだけなんですよ。敵と仲良くなんてならないでください。絶対ダメ。許さない」

 ひなみは半泣きの目で陽一に訴えかける。

「ひなみちゃん落ち着いて。好きで抱っこしてるんじゃなくて、とりもちが頭から離れないから、どうにもならないだけで」

「言い訳です。脚を絡めないで、そのまま二人でカニ歩きして水飲み場まで向かってください」

「カニ歩き……」

「横を向いて、いっちにってリズムを取ればできるはずです」

「そんなのめんどくさいわよ」

 夏奈はお尻でひなみを押しのけて、思いきりよく陽一に飛びつき、腰に脚を絡ませる。

「走れ探偵くん。ほらとっとと」

「もー!」

 追いすがって背中を叩いてくるひなみから逃げるように水飲み場まで走りながら、

 陽一は、今までよほど心細かったのであろうひなみの心中を思って、また、悩み始めた。


 存在しない猫ならば、殺してしまっていいのかもしれない。

 だが、存在している猫は、果たして殺すべきなのだろうか。

 たとえ魔法の猫だとしても。


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