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6:三年契約


 左頬が赤く腫れた少女をベンチまで運んで寝かせた陽一は、どうしたものかと思いながらリュックを足元に放り投げ、隣のベンチに腰を下ろした。頭の整理はまださっぱりできていない。瞬きをするたびに、これは夢で、次に目を開けたら自分の部屋のベッドで目が覚めるんじゃないかと思ってしまうが、そんなことにはならなかった。皮がズタズタにめくれている両手首に、風が沁みる。五月晴れの見事な青空の下は、日差しが強く暑かった。

「向こうで洗ってきてはどうですか」

 ひなみは陽一の手首を心配そうに見つめている。

「血も、垂れてます。タオル、持っていましたよね。洗って、押さえて、なんとかしなきゃ」

「そうだね」

 陽一は腰を浮かせかけたが、隣で寝こける少女を見つめて、思い直した。

 今は寝ているからいいが、目覚められたら厄介なことになりそうだ。ほんの短い時間でも、ひなみと二人にしておくのは危ない。

 陽一はリュックを開いて、タオルと軍手ととりもちを取り出した。取り出したはいいものの、いざ実行に移すとなると躊躇してしまう。

 周囲の様子を見回してみるが、人気はない。

 小川公園はその名の通り、細い小川を挟んだ広い公園だった。小川の西側は広い土のグラウンドになっていて、ジャングルジムやシーソーの他にも、ブランコや木組みのアスレチックなど、一通りの遊具が揃っている。端を挟んだ東側は芝生が広がり、桜の木がたくさん植わっている。毎年花見シーズンになると特に賑わう場所だった。

「誰もいないな……」

 よく晴れたゴールデンウィークにも関わらず閑散とした光景に違和感を覚える陽一をよそに、

「私、なんとなく分かりますよ。桜井さんのやりたいこと」

 ひなみはさっそく真新しい軍手を装備し、とりもちの蓋を捻って開けた。


「まずは騒がないように口をふさぐんですよね」

「いや、いやいやいや」


 陽一は慌てて立ち上がり、眠る少女の両手を手に取った。

「口じゃなくて、手を封じるんだよ。どういう理屈か分からないけど、この子、手と指で糸を操ってたみたいだから」

「なるほど……。じゃ、やってみますね。手、押さえててください」

 ひなみは軍手でたっぷりととりもちを拭い、陽一が開かせた少女の手のひらにこれでもかと塗りたくった。

 陽一は少女の手首を慎重に掴みながら、ゆっくりと手のひらを合わせていく。

「ん……う……」

 すると、突然少女の指に力が入った。陽一は驚いて手を離してしまったが、少女の指と指はそのまま、もう片方の指の付け根を握り込み、何かに祈るような形に固まってしまった。

「ん……え……?」

 少女がうっすらと目を開ける。

「起きちゃった!」

 ひなみはとりもちでぺりぺりになった軍手を脱ぎ捨て、すぐさま陽一のリュックを漁り始める。

「ちょ、ちょっとこれどういう状況よ」

 少女はベンチから跳ね起き、傍にいた陽一を蹴ろうとする。体操選手のような少女の動きの良さに陽一は舌を巻いたが、見切れないほどではなかった。右手で大きくすくい上げるようにして足を払うと、両手が封じられている少女は態勢を崩してしまい、ベンチの上で思いきり尻餅をついてしまった。

「いたっ……何これ。手が動かない」

 少女は組まれたままの自分の両手を振り回す。

「ちょっと落ち着いてよ」と陽一は声をかける。「状況が分からないのはこっちなんだ」

「……ふうん、このねばねばがあんたの魔法ってわけ」

 少女はふてぶてしい笑みを浮かべて陽一を見上げる。

「甘いわね。両手を封じたくらいであたしが糸を使えなくなると思ったら大間違いなんだから」


「動くな!」


 突然大声を上げたひなみの剣幕に、陽一と少女は互いの視線を切った。

 見ると、ひなみがリュックに入っていたマジックステッキを両手に握っている。底についているワンタッチボタンをうまく押せたのか、ステッキは伸びきって、七十センチほどの長さになっている。

「動いたらこれで叩きますよ」とひなみは言う。

「ふん、そんなただのプラスチック棒がなんだっていうのよ」

「これはマジックステッキです」

 ひなみは真剣な面持ちで少女に向かってにじり寄った。

「ですよね、桜井さん」

「……まあ、そうだね」

 小学生の頃に旅行先でどうしても欲しくなったマジックステッキだ。ボタンを押すとカシュンと小さな音がして棒が伸びる。ただそれだけの、ばね仕掛けの安物なのだが――。

「これで叩くとあなたはひどいことになりますよ」

 ひなみは余りにも真剣に、本当にそうだと思い込んでいるかのように、少女に向けて大上段に振りかぶった。

「ひどいことって……何よ」

 少女も気圧されたのか、口を尖らせてそう聞き返す。


「叩かれたら、三年後に死にます」

 

 ――そう来るか。

 実に小学生らしい馬鹿馬鹿しいはったりに、陽一は感心してしまった。

「三年後って……はぁ? 死ぬとかないから」

 半笑いを浮かべる少女の余裕が気に障ったのか、

「えいっ」

 ひなみは容赦なくステッキを彼女の頭に振り下ろした。

 ――パスンと軽い音がする。

「ちょ、ちょっと……」

 少女は頭をさわりたい様子だったが、両手がふさがっているせいでそれもできない。

「これであなたは三年後に死にます。そういう魔法がかかってるんです」

 ひなみはにっこりと笑いながら、アニメに出てくる魔法少女のようにステッキをくるくると操った。


(ひなみちゃんバトントワリングできるのか)

 と陽一は感心したが、


「ば、ばか! なんで振り下ろすのよ。あたしが何したっていうの」

 少女はそれどころではない様子で、ベンチの上で脚をジタバタさせている。どうやらさっきの尻餅で腰が抜けたのか、うまく立てないようだった。

「頭を叩きましたから、あなたは頭がおかしくなって死にます。三年後に」とひなみは告げる。

「死にたくないですか?」

「……そんな魔法あるわけない……」

 少女は小声でぶつぶつ言いながらも、すっかり信じかけているようだった。

「死にたくなかったら、桜井さんの言うことをなんでも聞かないといけませんよ。魔法を解く方法は桜井さんしか知りません」

 ひなみはそんなことを言いながらステッキを桜井に渡し、手招きをしてしゃがませると、耳元でささやいた。


(効いてますよ。全力で乗っかってください)


 ――けっこういい性格してるなぁと思いつつ、陽一は乗ってみることにした。

「君は、名前はなんて言うの?」

「……教えるか、ばか」と少女は顔をそむける。

「そう。じゃあ、もう一回だ」

「っひ」

 陽一がゆっくりとステッキを振り上げると、少女はすっかり怯えた様子で、手足を縮めて防御姿勢を取った。

 あまりの信じっぷりに、陽一は少し罪悪感が湧いてしまった。

「――観念しなよ。手先が動かないと、糸は使えないんだろう? 使えるならもう、使ってるよな」

「そんなこと……ない」

 少女はうつむいてしまう。

「俺らは猫を捕まえたいだけなんだよ。協力してくれるんなら、特に何もしないからさ」

 

 陽一はそう言いながら、少しずつ頭が整理されてきたのを実感していた。

 現実的に優先して考えなければならないのは、目の前の少女がよく分からない殺傷能力を持っているということだった。そして、ひなみと同じ猫を追っているということも確かだ。

 目的が同じなら、きっとまたかち合う。その時にこの少女が軽い気持ちでひなみを傷つけない保証は何処にもない。

 対策は二つ。無力化するか、それとも、味方にするか。――実のところ、後者しか選択肢はないと陽一は思った。少女が何故猫を追うのかは知らないが、なんとかひなみと折り合いをつけてもらう他はないだろう。

 まさか、本当に殺すわけにもいかないのだから。


「――トセ、カナ」

「え?」

「戸瀬夏奈だ。あたしの名前」

 少女はそう告げると、頬を少し赤らめながら、じっと陽一の目を見据えた。


「協力してやるから、魔法解け」


 夏奈はそう言うと、くっついたままの両手を、お縄を頂戴するかのように陽一に向けて差し出した。


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